【西暦2000年ミロクの世が開かれる】 長谷章宏 著
自分自身が神のココロになる掃除をすることが次の世で生き返る唯一の方法である
P69
ここまで読んでくれば、もう、殺人ゲームや足の引っ張り合いゲームや自分だけ勝手ゲームやお助け合いゲームはできなくなるはずですが、いかがなものでしょうか? まだ、アレコレ言っている方は、神様のココロというものを、「伝えフミ」から直接、神様の話を聞いて、改めて考えてみてください。いずれにしても、今ここが、皆さんという魂の大きな分岐点だということを肝に銘じて、大掃除を進めてください。
皆さんが今まで信じていたものが、神のココロとまったくアベコベのものであるとしたら、そのままでは、皆さんという存在は、今世で終わりです。ここには「終わりにならないようにするため」の方法、「天国の方法」が満載されています。次の世界を構える大神様が直接、語ってくれています。今まで学んだものを一旦白紙にして、素直に始めから学び直すことだけが、次の世界への切符になります。
「天国への切符」を手にすることを決めたと神様が判断すれば、皆さんの大掃除はどんどん進み、どんどん楽になっていくでしょう。結果として「楽になるの」であって、「楽にする」のではありません。楽にしようとすると苦しくなりますから、念のために申し添えておきます。
皆さんの魂は、神様の語っていることをすべて知っています。皆さんのココロの掃除をすることが今回の目的です。ココロの掃除が済めば、もともと晴れている空の雲が取れて、快晴の空(神の世界)を見ることができるようになります。(天気というのは神様の仕組みを教えてくれている型示しの一つです)。
見ようとするのは掃除していない証拠です。見えていないのはまだ掃除のない証拠であることを知っておいてください。できたときがするときです。見えたときが見るときです。楽になったときが成るときです。しようとするのはやめて、葛藤が見えたら掃除をするという繰り返しをコツコツとやってください。苦しいのは、皆さんが今まで掃除をさぼっていたツケですから、文句を言えば、掃除は済みません(自分のしたことに文句を言っても何も解決しませんので悪しからず)。
神の苦労は必ず結果がでます。人の苦労は騙されます。皆さんは何も知らないのですから、神様の言うとおりに、素直に勉強しなおすことです。それが「天国への方法」の要点でもあります。
いろいろと書いてきましたが、皆さんの人生というのは、自分自身が認めている、信じている、選んでいる「宗教」「哲学」に基づいて行動した結果を体験しているだけなのです。そして、ここで最も大切なことは、「人の考え方」を批判している基準自体が、自分自身だけの「宗教」であるということを覚えておくことです。
第二章の「前置き」をはさんで、第三章からいよいよ「伝えフミ」が始まります。この章は、「伝えフミ」を読むための予備知識のようなものだったわけです。皆さんがここまでに学んだことを基にして、素直に読み進めてみてください。それが皆さんにとっての最初の「お掃除」なのです。この章の最後に、これから提案される「新しい宗教(実はオオモトの宗教)」を選ぶか選ばないかで、皆さんの今後が、まったく相反する人生(新しい世界に生き返るか、そのまま滅びるか)になるということをここでお伝えして、この章の私の話は終わりにしたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
P174
新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。
世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。
P175
そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。
自分自身が神のココロになる掃除をすることが次の世で生き返る唯一の方法である
P69
ここまで読んでくれば、もう、殺人ゲームや足の引っ張り合いゲームや自分だけ勝手ゲームやお助け合いゲームはできなくなるはずですが、いかがなものでしょうか? まだ、アレコレ言っている方は、神様のココロというものを、「伝えフミ」から直接、神様の話を聞いて、改めて考えてみてください。いずれにしても、今ここが、皆さんという魂の大きな分岐点だということを肝に銘じて、大掃除を進めてください。
皆さんが今まで信じていたものが、神のココロとまったくアベコベのものであるとしたら、そのままでは、皆さんという存在は、今世で終わりです。ここには「終わりにならないようにするため」の方法、「天国の方法」が満載されています。次の世界を構える大神様が直接、語ってくれています。今まで学んだものを一旦白紙にして、素直に始めから学び直すことだけが、次の世界への切符になります。
「天国への切符」を手にすることを決めたと神様が判断すれば、皆さんの大掃除はどんどん進み、どんどん楽になっていくでしょう。結果として「楽になるの」であって、「楽にする」のではありません。楽にしようとすると苦しくなりますから、念のために申し添えておきます。
皆さんの魂は、神様の語っていることをすべて知っています。皆さんのココロの掃除をすることが今回の目的です。ココロの掃除が済めば、もともと晴れている空の雲が取れて、快晴の空(神の世界)を見ることができるようになります。(天気というのは神様の仕組みを教えてくれている型示しの一つです)。
見ようとするのは掃除していない証拠です。見えていないのはまだ掃除のない証拠であることを知っておいてください。できたときがするときです。見えたときが見るときです。楽になったときが成るときです。しようとするのはやめて、葛藤が見えたら掃除をするという繰り返しをコツコツとやってください。苦しいのは、皆さんが今まで掃除をさぼっていたツケですから、文句を言えば、掃除は済みません(自分のしたことに文句を言っても何も解決しませんので悪しからず)。
神の苦労は必ず結果がでます。人の苦労は騙されます。皆さんは何も知らないのですから、神様の言うとおりに、素直に勉強しなおすことです。それが「天国への方法」の要点でもあります。
いろいろと書いてきましたが、皆さんの人生というのは、自分自身が認めている、信じている、選んでいる「宗教」「哲学」に基づいて行動した結果を体験しているだけなのです。そして、ここで最も大切なことは、「人の考え方」を批判している基準自体が、自分自身だけの「宗教」であるということを覚えておくことです。
第二章の「前置き」をはさんで、第三章からいよいよ「伝えフミ」が始まります。この章は、「伝えフミ」を読むための予備知識のようなものだったわけです。皆さんがここまでに学んだことを基にして、素直に読み進めてみてください。それが皆さんにとっての最初の「お掃除」なのです。この章の最後に、これから提案される「新しい宗教(実はオオモトの宗教)」を選ぶか選ばないかで、皆さんの今後が、まったく相反する人生(新しい世界に生き返るか、そのまま滅びるか)になるということをここでお伝えして、この章の私の話は終わりにしたいと思います。
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P174
新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。
世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。
P175
そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。
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