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元つ話 321 蓄積したエネルギーは手段を選ばず様々な形でバランスをとろうとする

2012-05-31 Thu : 長谷章宏語録 
 自然なエネルギーを表現することが状況を変える 

 地球といわれている、人間が生きている目に見える世界の出来事には、このようなメカニズムが働いているのです。「いちばん自然な、楽な生き方が物理的に困難に見えるような社会」「何かしようとすると制限だらけに見える社会」が確固とした目に見える形となって、蓄積した「できない」というエネルギーが、はけ口を求めた結果、「いじめ」「暴力」「殺人」「暴動」「戦争」等々の「悪い形」を創りだしたというわけです。「悪いことをしたら取り締まる」という、「ある形を制限する」という考え方が、次々に「法律と罰則」を創り出し、どんどん自分たちの首を絞めていく結果になっているのです。人間の歴史全般を通じて、長い時間をかけて、「できない」エネルギー、「我慢する」エネルギーがどんどんと蓄積し続け、そのエネルギーを放出するために、火山の噴火や大地震と同じように、弱いところを狙って様々に形を変えて吹き出し続けているのです。

 エネルギーは、必ずバランスを取ります。常に安定した状態でいようとします。人間の肉体で感じるエネルギーというのは、まず「想念」という目に見えない形になります。それを「物質」という目に見える形にして、初めて完結するということです。今ここで広く行われているように、「したいことをしない」「つくりたいものをつくらない」「したいことをしてはいけない」「がまんすることも必要だ」という思考を選択することが、すべての爆発の原因なのです。その蓄積したエネルギーが、ストレスという想念の傷害を創りだし、それが、自分自身の肉体を壊す「病気」という形になったり、自分以外の肉体を傷つける「争い」という形になったりするということです。

 蓄積したエネルギーは、手段を選ばず様々な形をとってバランスをとろうとします。「精神錯乱状態」や「気づいたらやってしまっていた」というように、蓄積したエネルギーが飽和状態になると、人間という肉体の意識には制御不可能な状況にもなるのです。

 「不況だから倹約する」という考え方で行動することは、逆に不況をどんどん深刻にしていきます。「お金が流れなければ会社は儲からず、会社が儲からなければ自分たちの給料が減り、給料が減るからもっと倹約する……」という「悪循環」が続くだけなのです。その結果、蓄積したエネルギーが不満という形で爆発することになり、最終的には、様々な分野にその影響が及ぶことになるのです。今の思考パターンが創り出す経済のシステムのままでは、これが永遠に続くことになるのです。このまま、今の考え方を続ける限り、ますます今ここで起きている状況が進行していくことになるだけなのです。

 今までは、長い間、「自然な、楽な生き方があること」「自然に生きてよいこと」をみんなそろって忘れていることで、誰も教える人がいなくなり、教える人がいなければ知っている人もいない、という繰り返しの結果、ある価値観に基づく生き方が「正しい」ものになって、皆でその枠の中でゲームをし続けていただけなのです。トラブルがあるということ自体、不公平があるということ自体、矛盾があるということ自体、その方法では限界があるということです。そして、その方法で得た利益を失うことを恐れて、都合の悪いことは見ないで済まそうとして、その方法を続けてきたことが、逆に状況を「悪化」させてしまったというわけです。

 このままこの方法を続けていく限り、何の解決にもならないばかりか、事態はどんどん深刻さを増すだけです。今までの歴史の中でも、「自然に生きる方法」について、何人かの人が口に出したり、書物に著したりしていたのですが、その度に、「気違い扱い」されたり、「理想論」「夢みたいなこと」といって取り合わない人が多かったのです。そのような、かつて「抹殺してきた」考え方の中に、今ここで起きている状況を好転させる鍵が隠れているのです。

 今ここで、それを受け入れることを決めるだけで変化が始まります。今まで自分が許していなかったことを許せばよいだけです。一人一人が「エネルギーを自然に表現する」という方法で生きていくことを選べばよいだけなのです。地球全体は、人間が今まで使ってきた方法とは全く逆のメカニズムで動き続けています。この先は、その流れに反する行動を取るほど、状況はどんどん厳しくなっていきます。「守っていることが、逆に失うことになっている」ということをよく理解しておくことが大切です。

 現在、ここで起きている様々な変化は、私たちが、「人間とは何なのか?」「本当の人生とは何か?」ということを再び思い出すための教材なのかもしれません。

 今ここで起きている様々な変化について、あなたはどう感じますか?ここに書いたことは、私の視点でみた、一つの見方です。あなたはあなた流の分析をしてみてください。

 さて、次の章からは、ここまでの内容を踏まえて、『新しい時代の生き方』について、自分自身の体験から気づいたことを筆の向くまま気の向くまま、アレコレと書いていくことにします。特に読む順番というものはありませんので、あなたが読みたいように、自由に読んでくださって結構です。

                            アキヒロ

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元つ話 320 大異変というオペラに発展していく前兆

2012-05-30 Wed : 長谷章宏語録 
 見える世界の出来事は見えない世界のエネルギーの表現

 現在の地球は、惑星全体のエネルギーが大きく変化する、かつてない変革の時期を迎えています。

 この地球上で経験する出来事は、すべて、目に見えない世界、つまり、エネルギーレベルで起きていることが物質的な世界に表現されているものです。従って、エネルギーレベルでの変化は、目に見える世界、つまり、あなたの周りの出来事の変化として現れてきます。エネルギーが変化すると、あなたが体験することが変化していると感じるようになるのです。

 全体のエネルギーが変化していくこの先の地球では、今まで以上に、「前例のない」「異例の」「前代未聞の」「史上かつてない」「人知を超える」出来事、「異変」と呼ばれる出来事が相次いで起き、「信じられない光景」を目にする機会も多くなっていきます。「人間の理解」を遙かに超える(つまり人間がいかに小さなものであるかを思い知る、人間が万物の霊長であるという幻想を突き崩される)ような出来事が続出し、今まで学んできた価値観では、到底、処理できない場面が、どんどん増えていくことになるということです。

 現在、世界各地で起きている「異常気象」や「天変地異」は、言わばその序曲のようなものであり、この先、地球という生命体(意識)が自分自身の体をクリーンにするための「全地球規模での大異変」というオペラに発展していく前兆なのです。そしてその「大異変」へと舞台が進むにつれて、「地震予知」や「災害対策」がいかに無駄な努力であるか、「人間という存在」や人間の創り出した「科学」というものがいかに小さなものであるか、という「人知の限界」を思い知らされる出来事を次々に体験していくことになります。

 今ここで起きている様々な「小さな異変」は、言わば、「人間よ、自らも自然の一部であることを思い出し、目先の利益を求めて一喜一憂したり、自然の力に逆らうような無駄な努力をしたりすることはもうやめて、そろそろ『人間本来の生き方』に戻るために智慧を使う時期にきているのですよ」という地球からの警告のようなものなのです。実は、地球からわざわざ身をもって教えてもらわなくても、元々、そういう生き方をすることが、自分自身を守ることができる唯一の安全確実な方法だったのです。「自然を破壊する」という結果になっていることは、人間がいかに「自然な生き方をしていないか」「本来の生き方を忘れているか」「自然と不調和に生きているか」ということを示す証拠に他ならないのです。それでも、まだ、自然を何とか元に戻そうという「小手先の努力」を続けようとしているのです。

 目の前に現れていることは、エネルギーのレベルの出来事が形になっているのだ」ということを思い出してください。「人間本来の姿」というのは、「自然というエネルギーと一体になった生き方」「自分自身を正直に、素直に表現する生き方」が形になったものなのです。今までの長い歴史を通じて、それを忘れて、全く逆の方法を使って、自分を守ろう、自分の欲しいものを手に入れよう、平和な社会を創ろうという行動をとった結果として、思惑とは逆の、現在の混乱した状況を創り出すことになったというわけです。その方法を絶対的なものだと錯覚して、物事をすべてその見方で解決しようとすることで、次から次へと問題を創り出し、人間が求めているものとは全く逆の世界を創りだしてしまったのです、そして、それはまた、人間本来の生き方、本当の姿をも否定してしまう見方でもあるのです。

 同じやり方を続ける限り、創り出すものは同じです。それをこのまま使いつづけると、ますます思惑とは反対の方向の出来事が顕著になっていくだけでなく、結局は、何をどうしてよいのか分からなくなり、最後には、一番怖れていた状況が目の前に展開される結果になるのです。


 行動を制限することはエネルギーを制限すること

 その方法、見方、考え方の正体が、言わずと知れた「物質至上主義」「物質文明」なのです。目の前の出来事は、「エネルギーを物質に変換しているのだ」ということを忘れて、物質を操作すること、目に見えるものを変えようとすることで、様々なトラブルを創りだしているのです。形になった目に見える出来事に固定した価値を与え(良いこと悪いことを決め)、「良いこと」だけを体験しよう、「悪いこと」をやめさせよう、「悪いこと」が起きないようにしようとするゲームをすることから、たくさんの「問題」が創り出されています。あれはよくてこれはだめという「大きな宗教」に基づいて、様々な対立、紛争、トラブルが創り出されているのです。

 「エネルギー(フィーリング、直感、意識)を自然に表現することが、自然な形を創り出す」のだという簡単な原理を忘れて、「悪い形」を創り出さないようにエネルギーを制御する(我慢する)ことを続け、その結果、蓄積したエネルギーが制御できない状態で爆発して、逆に「悪い形」を増幅する結果になっているのです。「潜在意識」というところに溜めているエネルギーが、その原因です。「悪いこと」というのは、自分たちが決めているものであることを忘れているのです。

 形を抑えるということは、「エネルギーを抑えたい」と言っているのと同じことです。人間の意識はエネルギーです。「悪いことをしてはいけない」というのは、「エネルギーを表現しない」ことを選んでいるのと同じなのです。結果として、自分たちの実現したいもの(本当は実現したくないもの)がちゃんと形になっているのです。この見方、考え方で行動することを続けるならば、ますます状況は「悪い形」になっていくだけのことです。

 この「大きな宗教」の中では、「物質の創造原理」に気がついて、日常生活の中でその方法(エネルギーを素直に表現すること)をやろうとしても、それが「悪い形」を創り出すと「予想されるとき」は、「それは間違っているのだ」「それは迷惑なのだ」という周囲の反応が返ってくることになります。そういう体験を積み重ねることで、「今まで教えられたものだけが、自分を守り、皆とうまくやっていくことができる唯一の方法なのだ」と、ますますその方法が強化され、それがかえって自分を危険な状態にしたり、傷つけたりする方法だということを知っていても、それしかできないのだと思い込んで、それを使い続ける結果になっているのです。そして、そのゲームが、いつしか「常識」という名ですべての社会システムに取り入れられていき、それに基づいた法律や制度という形となって物理的な制限を創り出し、「形を制限すること」から、ますます状況が「悪く」なるという「悪循環」にはまっているのです。

 新しく創りだされた「悪い形」を制限することで、「したいけどできない」という、新たな爆発エネルギーを蓄積することになり、結局は、そのエネルギーが別の形を選んで噴出し、それをまた制限するという、いたちごっこが続き、最後には、取り返しの付かない状況を創りだすことになるのです。

 エネルギーは永遠無限に存在します。従って、無限に物質を創り出せます。ある決まった価値観でしかモノを見られなくなる状況を強化するにつれて、「これは良くてこれは悪い」という考え方に基づいて、「悪い形」を制限する法律を創り、その法律の制限をすり抜ける方法を考え出すと、また法律で網を掛けるという繰り返しで、最後には、結局、自分自身が何もできなくなってしまう事態がやって来ることになるのです。自分以外の人を制限することは、自分自身も、「法律だから、きまりだから」という理由で動きが取れなくなってしまうということです。自分以外の人を制限することは、結局、自分をも制限することになるのです。

 今の状況から抜け出したいならば、「形を制限することはエネルギーを制限することなのだ」ということに気づいて、やり方を変えることが必要です。「エネルギーを解放することが形をスムーズに創ることになる」のです。今まで溜めているエネルギーをすべて表現するまで(形にするまで)は、一時的に「悪い形」が続出するかもしれません。でも、それをしない限り、永遠に平和という体験はできないし、「悪いこと」も無くならないのです。

 人間は「意識というエネルギーが肉体を持った存在」です。エネルギーが無限であるということは、人間も無限に創り出せるということです。そして、人間は無限に物質を創り出せるということです。つまり、無限にトラブルを創り出すこと、無限に爆発する形を創り出すことができるということです。このいたちごっこは永遠に続くのです。でも、それはただのゲームに過ぎません。ゲームのやり方を変えることで、別の形を創り出すことも可能なのです。

 本来、人間が持つ永遠無限のエネルギーは、自然そのものです。それを素直に表現している限り、永遠に自然、平和が続くということです。これからの人間社会は、そういう方向にエネルギーの使い方を変えていくことが必要な時期に来ているのです。

                              アキヒロ

元つ話 319 表面上の形から内面のフィーリングへ

2012-05-29 Tue : 長谷章宏語録 
 視点の大転換が必要な時期に来ている人間社会

 長い間の人間の歴史の中で、現在ほど混沌としている時代はありません。価値観の多様化が顕著になり、それに合わせて次々に創り出される「モノ」と「サービス」の提供によって、複雑化、多様化が、ますます進行しています。人々の欲求を追いかけて、新しい「モノ」や「サービス」が、ビジネスの名のもとで次々に創り出され、それに比例して、新たなトラブルが増加しつづけています。問題解決が新たな問題を創り出すというパターンが加速して、何をどうすればよいのか分からなくなるといったような状況が混乱を増幅しているのです。また、その反面、新しい時代に向けて、世界各地で古い体制が崩壊し始め、新しい体制や組織、システムを創り出す試みも行われています。大きな変革のうねりの中で、様々な新しい問題を抱えつつも、自らが進むべき道を手さぐりで模索しながら、すべてが、少しずつ、新しい時代へと地球規模で変化しつつあるというのが現在の状況です。

 物質文明の行き詰まりと共に、犯罪や紛争の数が顕著になり、個人レベルでも、人間関係の葛藤や自分の将来への不安、心の問題で悩む人々の数も増加する傾向にあります。困ったときの神頼みではないですが、世紀末特有の精神的な不安を反映してか、数多くの新興宗教が台頭するとともに、超能力、霊能力、死後の世界、宇宙人等の超常現象や神秘体験と呼ばれるような目に見えない世界や占い、心理ゲーム、精神医学、気功、ストレス解消法等の精神的な分野に関心を示す人々が目立つようになってきました。当然のことながら、これらのテーマについて、テレビや新聞、雑誌、単行本など、マスコミで取り上げる機会も多くなってきています。

 このような状況は、今ここが「人間」という存在が単に物質的な存在ではないことをあらためて確認する時期であり、現在の社会状況を解決するためには、「人間の本当の姿」を思い出すことが必要とされる時期に来ているのだということを象徴しているのです。そして、今起きている様々な変化は、様々な形でその材料が提供されているのだと見ることができます。

 バブルの崩壊を機に、ますます深刻化する不況の中で、「お金」や「モノ」に対する価値観も大きく変化してきています。「高いものが良いものだ」という「高級感」を売り物にするビジネスは終わりを告げ、安かろう悪かろうではごまかしが効かない、商品の質が問われる状況がやってきています。「安いものでも質のよいものを」「より良いものをより安く」という、見た目の豪華さよりも、実質的な満足感に重きをおく消費者の価値観の変化に合わせて、ビジネスについての考え方や商品経済、流通のシステムも、大きな変革を迫られています。

 これは、単に、形を変えればよいというものではなく、この先の対策を考えていくためには、ここから別の意味を読み取る必要があるのです。「不景気」という、表面上は否定的に見える(見ている)出来事の裏には、「値段とモノの価値は一致しない」こと、「お金がすべてではない」こと、「値段という表面上の幻想に振り回されていた」ことに気づくための、そして、「モノの本質を見る」という姿勢を思い出すための出来事でもあるという、肯定的な意味が隠れているということを知ることが必要なのです。

 バブル崩壊以降の様々な出来事は、「物事を見る基準、視点を変えることによって、今まで見えていなかった別のものが見えてくる」「これからは物事の本質を見る目を養う必要がある」ということを、自らの体験によって気づく教材でもあるのです。否定的に見える出来事は、自分がそういう風に見ているだけであって、視点を変えると、肯定的な出来事でもあるのです。どちらの見方で見るか、ということは、あなたが選んでいることです。

 これからは、目の前で起きていること、自分の体験したことを、意識的に、常に肯定的な視点で見る訓練をすること、そして、「否定的な見方と肯定的な見方の中間にモノの本質がある」ということに気づくことが大切になります。そして、自分の身の回りの出来事だけでなく、自分自身についても、表面上の飾りにごまかされずに、その実体を正直に見ることが、この先のあなたにとって非常に重要になっていくのです。

 今までと同じパターンで、目先の利益を求めて、自分のメリットだけ考えて解決しようという態度では、ますます状況が悪くなっていくだけです。

 ここでは、「モノの見方を全く別のものに変える」こと、「物事を大きな視点で見る」こと、が要求されているのです。目に見える物質の操作、数字をいじくるゲームだけでは、もう何も解決しない時期に来ているのだということです。「物質的な豊かさから精神的な豊かさへ」という変化に気づくこと、「目に見えないものを見る方法」を学ぶこと、「表面上の形から内面のフィーリングへ」と自分の視点を転換させていくことが、新しい時代の生き方についての方向性を決める鍵となるのです。

 このように、バブル崩壊後の一連の出来事というのは、「目の前の出来事の本当の意味をしっかり見なさい」というレッスンでもあるのです。今回は、今までとは、全く質の異なった変化がやって来ているのだということを理解して行動することがとても大切なのだということを覚えておくとよいでしょう。

                             アキヒロ


元つ話 318 親の自覚を持つことが肝心要の要石

2012-05-28 Mon : 長谷章宏語録 
そなたはこの方の構えるヒノモトの民であるぞ。世界中の人間はすべてこの方のお子であるが、ヒノモトの民であるそなたは世界の民の親であるぞ。ヒノモトの民であるそなたが親の自覚ないからすべてのすべてが狂ったのであるぞ。そなたが西洋文明の輸入と言って子のやり方を真似たからすべてがおかしくなったのぞ。そなたはこの方のやり方を世界の民に示す親であるぞ。人類は兄弟姉妹ではないぞ。ヒノモトのそなたが親で世界の民は子であるぞ。親と子の区別タテ分けを忘れ、すべてのすべてをまぜこぜにしたからわけが分からなくなったのぞ。世界の親としての自覚なき者は新しい世、ミロクの民としては失格であるぞ。今ここでヒノモトのこの方がすべてを伝えるからショウネを据えて聞くのぞ。

ヒノモトの言葉はこの方の真意を伝えるためのシンボルであるぞ。五十音はこの方そのものであるぞ。この方の言葉を伝える文字であるぞ。この方は姿は見えないが響きで表に出ているぞ。そなたの想念と語るのであるぞ。この方は光であるぞ。この方の言葉は古語(=光語)であるぞ。この方はヒノモトの言葉を使って語るのであるぞ。そなたが知りたいすべてのすべては、この方の語る「神示」に書いてあるのぞ。この方は「神示」という形でこの方の御用をする人間を通してこれから起きることや神の法則を伝えているのであるぞ。そなたは「難しい」とか「バカバカしい」とか「ありえない」とか言ってこの方の語ることを素直に受け入れようとしないから、そなたは何も知らずに「滅びの坂道」を駆け降りているのであるぞ。ヒノモトのそなたがこの方の言うことを聞いて世界の民に見本を見せなければならないのであるぞ。それがこの方の望みであるぞ。それが世紀末を超えるための唯一の道であるぞ。そなたが親の自覚を持つことが肝心要の要石(意志)ぞ。

このフミは、そなたが地獄へ転落するのを最後の最後の崖っぷちで止めるために出されたものであるぞ。これはそなたが長い間探していた「真理」であるぞ。そなたという身魂が従わなければならなかった神の掟であるぞ。そなたはこの掟を外すと苦しみやトラブルを感じることになるのぞ。神は喜びしか渡していないのぞ。神の掟通りに生きれば、そなたは喜びだけなのぞ。そなたの回りは調和だけなのぞ。そなたに苦しみがあるのは、そなたが神の掟を外していることを知らせるために創った神の仕組みによるものであるぞ。そなたという身魂が神の掟を外せばそなたは滅びるだけであるぞ。この方が教えなければそなたはいなくなるのであるぞ。それが「神成る身魂」のルールであるのぞ。そなたは、苦しみを人の責任にしているが、それ自体が掟破りであるぞ。そなたは「不調和」を創りだしているのぞ。神の世界は調和だけのすべての民が嬉し嬉しの天国なのであるぞ。不調和創りだして平気な顔をして威張っているのでは神なる身魂とはいえないのであるぞ。不調和創りだす身魂は新しい神の世には生きられないのであるぞ。

                             章


元つ話 317 みんな違うシナリオでやるから天国のパズルがはまるのであるぞ

2012-05-27 Sun : 長谷章宏語録 
そなたは自分の見ている影を消そうとしているのであるぞ。そなたがいれば影はなくならないのであるぞ。そなたが形を変えなければ影の形は変わらないのぞ。そなたの魂が天国でなければ形は天国ではないぞ。そなたのココロというのは肉体で魂の状態を見るための道具であるぞ。生きながらにして霊界が体験できるのであるぞ。そなたがココロで想像しているように霊界で生きているのであるぞ。そなたのココロが天国でなければ現界も霊界も天国でないぞ。現界が天国でないのは霊界が天国でないからぞ。そなたが外の責任にしているから外の責任になるのぞ。そういう幽界を創っているのであるぞ。そなたがシナリオを変えなければ何も変わらんのであるぞ。みんな同じシナリオでやるから取り合いに成るのであるぞ。みんな違うシナリオでやるから天国のパズルがはまるのであるぞ。人の行動はシナリオの結果であるぞ。○×創って形を同じにするのは自分で自分の首をしめているのと同じであるぞ。自分で制限を創って人のせいにする自分だけ勝手なゲームをしているのであるぞ。人の行動に口出しするのは人に自分のシナリオをやらせることになるぞ。人の言うことを聞くとその者のシナリオを生きることになるのぞ。そなたが選んだシナリオをそなたが体験しているのであるぞ。一人ひとりのゲームであるぞ。

そなたの影を創っているのは太陽であるぞ。この方の神界があって霊界のそなたの魂があって現界のそなたの肉体になっているのぞ。この方は初めからあるのぞ。そなたの魂の状態が現界に現れているのぞ。そなたの肉体を通して見えるものはそなたの魂の世界のものであるぞ。そなたが魂の世界を変えなければそなたの現界は何も変わらんのぞ。そなたが肉体世界で学んだことを使って一番になったとしても、そなたの魂が天国でなければそなたは死後に天国にはなれんのぞ。ミロクの世界は半霊半物の世界であるぞ。ココロが肉体になるのであるぞ。そなたのココロが神のココロになっていればそなたはミロクの民になれるのぞ。そなたのココロが天国ならばその映しである現界も天国であるぞ。霊界も天国であるぞ。いつでもどこでも天国であるぞ。そなたから死の恐れは消えるのであるぞ。
                        
                        章

元つ話 316 ヒ(霊、日、火、一)が先

2012-05-26 Sat : 長谷章宏語録 
そなたがいるヒノモト(日本)のお土(おつち=国土)はこの方の御神体であるぞ。そなたが魂と肉体を持っているのと同じであるぞ。この方はすべてのすべてを創った親(おや)神(がみ)であるぞ。この方はヒノモトを創ってから世界を創ったのであるぞ。すべてのすべてはヒノモトから始まっているのであるぞ。ヒ(霊、日、火、一)が先であるぞ。世界も人間もすべて同じ仕組みであるぞ。そなたの魂はこの方の創った仕組み通りに体験するのであるぞ。そなたの魂というのはこの方の分身であるぞ。そなたがこの方の言うとおりにやれば天国ぞ。この方の言うことに逆らうと苦しみであるぞ。そういうふうに創っているのであるぞ。そなたの苦しみや悩みや問題はそなたがこの方に逆らっているからぞ。人のせいや社会のせいや制度のせいにするのは自分勝手なトリチガイ、それこそ迷惑であるぞ。神なければ人はないのぞ。魂が先で肉体が後であるぞ。魂が天国ならば肉体でも天国になるのぞ。魂が天国でなければ肉体の世界をいくらコントロールしても天国にはならないのぞ。人をコントロールしたり、文句を言ったり、批判をしたり、やめさせようとしたりしているそなたは自分勝手であるぞ。永遠に天国はないぞ。人間の創った勝ち負け自分よしのゲームで天国になっても死後に天国になることもミロクの民になることもできないのぞ。このフミは永遠の天国をそなたが体験するためのテキストであるぞ。皆が成功する天国の方法を書いたものであるぞ。そなたのシナリオを書き換える参考書であるぞ。

そなたが自分の回りに文句を言ったり、自分以外のせいにしたりするのはそなたの勝手な思い込みであるぞ。自分勝手であるぞ。天国創るこの方の言うことに逆らっているのであるぞ。そなたは神を知らない者に騙されているのであるぞ。この方のことを知ったら、人を騙すことや人をコントロールするのは自分の天国をなくすことになると分かっているから、人に口出ししたり、人を支配したり、人を責めたり、人を騙したり、人を教育したりしないのであるぞ。宗教はつくらないのであるぞ。一人ひとりの魂の状態が体験を決めると知っているからぞ。人をコントロールする必要がないと知っているからぞ。そなたは影の世界を変えようとしているのであるぞ。人を変えることはできないのぞ。相手がシナリオを変えたから形が変わったのであるぞ。取り違えするでないぞ。いつまでもこの方に逆らう教えにとらわれて混乱や葛藤を創りだしているでないぞ。文句言うのは迷惑であるぞ。口出しするのは迷惑であるぞ。自分勝手だと人を責める自分勝手は卒業しろよ。

                               章


元つ話 315 何の力も無き金に、まんまと命を預けさせ、世界の経済糸引きて・・・

2012-05-25 Fri : 長谷章宏語録 
「±」を+と-に分離したカミ(十字)の世界が現代社会のルーツである。+と-を分離したことで、十字が傾き、✕の姿となった賭け惨の世界、倍々(売買)ゲーム、+と-を上下に割って(÷)、答えの「商」で余りを取り合う仕組みを生業にしたのが商業である。すべての数が割り切れるわけではないから、永遠の天国は作れない。加減乗除の形算問題を解いて、速さと正確さを競っても、何の意味もない茶番である。自らの滅びを導くやり方を有り難がっていれば、永遠の死を迎える。今あるすべての宗教の源はここにある。従って、神仏を信仰すればするほど、自らを滅びの道に導くことになる。お金では真釣りに戻れないどころか、最後は自らの滅びを呼び込む。お金では天国はできない。知でも学でもお金でも越せないのがすべてのすべてを元つ神代に戻す、真釣り戻しの大峠なのである。

お金という神で支配しようと思えば、被支配者の持っている神を封印しなければ、お金の仕組みは使えない。教育とは、実は、神を消すための洗脳だったのである。現代社会、特に、日本の姿を見れば、その目的が達成されていることは明らかである。ヒノモトの神響きを封印すれば、世界は思い通りになると思っているのが、今の世を統べる支配者たちの思想である。火立ちありて水生ず。ヒノモトありて外国あり。元つ大天の大神の真コトの神気の出づるただ一つの真コトの神国(真告、心国)、世界の父親である裏から支える火ノ基を潰せば、子である世界も死ぬことを彼らは知らない。知らないからこそできるのである。親である日本が真コトを取り戻さなければ、子である世界は滅ぶ宿命なのである。すべてはアベコベである。日本が外国を神と崇め、外国の真似をすれば、世が滅ぶのが元つ神仕組みである。世界を統べる御役の火の働きのハラ(日本)が曇れば、ハラを知らないアタマが支配する世界がバラバラに争うのは神仕組み通りの必然の姿である。親である日本が、人類は皆兄弟姉妹、友好親善、相互依存、国際貢献、情報社会、市場経済云々という罠に落ちれば、世は汚泥混濁の姿となるのである。ヒノモトの民の自覚がなければ世界は滅ぶ。父親の責任を忘れた日本が、世界の混乱の根源であり、親が改心しなければ子を殺すことになる。従って、大掃除の始めはヒノモトからである。元つ地天の理にすべてを戻す元つ大神の「大祓い」からは、いかなる神仏も逃げられない。源を直せばすべて直る。

                               ナムウ

元つ話 314  錯覚にとらわて

2012-05-24 Thu : 長谷章宏語録 
人は食らう量限りあるぞ。天恵は無限であるぞ。「資源は有限である」というのは、あやま知であるぞ。この方は何でも創りだせるのであるぞ。そなたは「あやま知」を使ってそなたらを支配しようとしていた者たちに騙されていたのであるぞ。その者たちも自分たちが真釣り外しをしていることを知らないのであるぞ。最後の最後には両方ともアウトであるぞ。この方が今ここで教えているのであるから素直に改心しろよ。「あやま知」に基づいて創られる観念はすべて神の法則に反しているのであるぞ。だから、問題が生じることになるのぞ。そのままやれば永遠に天国はないのであるぞ。そなたはお金を集める商売にせいを出しているが、そなたが扱っているものはすべて資源がなければアウトのものばかりであるぞ。資源は神が創りだしたものであるぞ。「神はいない」「神は信じない」と言っているならば、資源を引き上げられたらそなたがどうなるか考えてみやれよ。お金が神になっているぞ。お金がなければすべてないような錯覚にとらわれているぞ。経済制裁が効くのは過ちの世だけのことであるぞ。神に真釣ろえば、お金の脅しは効かないことがわかるぞ。そなたが神に真釣ろえば、お金でも食べ物でも何でも与えるのであるぞ。魔釣りの世でも真釣りに生きることができるのであるぞ。一人ひとりが天国になれるのぞ。

「神を信じない」という者は何を信じるのか。そなたの本体は想念であるぞ。想念は神の分身であるぞ。想念というのは魂を肉体で感じているものであるぞ。そなたは「地の日月の神成る身(日月地の神成る身)」であるぞ。そなたは「神」に成る身であるぞ。そなたは神の掟に反することはできないのぞ。人間のルールは人間だけのものであるぞ。この方は神の掟を押しつけるつもりはないが、このフミをよく読んで決めろよ。このフミを議論しているのは「あやま知」に囚われし証であるぞ。今の世の道徳には、クサキものたくさんあるのぞ。そなたは苦があるのを当たり前と思ってないか。神は喜びであるぞ。神の世に悪はないのぞ。悪を見ているのはそなたぞ。苦は真釣り外しをしたそなたが創ったものであるぞ。自らが創ったものを外のせいにするからますます真釣り外しするのぞ。

この本は「ハラ」が書いた本ぞ。「アタマ」にはチャレンジに見えるぞ。そなたが抵抗に感じるならば、そなたは「アタマ」で生きているぞ。アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んでいるのであるぞ。「アタマ」で学んだ知識で生きているのであるぞ。アタマで考えてもこの方の仕組みは分からないぞ。アタマでは一つにはならんぞ。アタマは二つに分ける知恵であるぞ。アタマの仕組みは左右アベコベであるぞ。アタマでやると逆になるのぞ。どっちが得か、どっちが楽かとやっているといつまでも神にはなれんのぞ。そなたは一つにならなければ神にはなれんのぞ。死して天国でなければこの世でも天国でないぞ。この方がこのフミで今までの「あやま知」を全部バラすから、明らかにするから、ツベコベ言わずに、黙って、シカと聞くのであるぞ。

                               章

元つ話 313 マコト尊き大天を、無きが闇夜と成さしめて、大地、小天逆様に、組みたが始めの終わり鳴り

2012-05-23 Wed : 長谷章宏語録 
元つ天(大天)、大地、小天の三位一体が、真コトの姿なのである。人は、神響きによって、小天の後に「地の上(ちのへ)」に産まれた神であるから、人にとっての小天は火(表の親)であるが、あくまでも、大天が本当の火、裏の産みの親である。大天の親を亡き者にして、小天の親のご機嫌取りをしても、全くのアベコベ、大きな勘違いであり、それは今世の自分を生かすどころか、永遠の滅びを意味するのである。火の支えるハタラキは男、水の現すハタラキは女、と型示しされる。元つ真釣りを外し、「地天」の順を逆さまにしたから、天(小天)の女神を、今の創造主としてしまったのである。本当の神には男も女もなく、天の女神を奉る思いは「分かつ知」で考え出した人類の妄想である。その妄想を実体の如く思い込んで「宗教」を作り出し、それを現実社会に取り込めば、本当の神(火水)を知らないまま、この世もあの世も永遠の終りを迎える時が来る。元つ神の真釣りの掟を外した神の作り出している世は、神から人まですべてが滅ぶ、魔釣りの世であることは明々白々の事実である。元つ大カミの響きが復すれば、すべてが真釣りの真コトに戻り、魔釣りの魔コトで作った世とその世に生きる基を置いているものは、どう足掻いても、神から人まで、すべてのすべてが水の泡と消える運命である。水が火を、体が霊を、女が男を支配する(体主心従霊属)ということが、どんな事態を招くのか、よくよく考えてみることである。すべてのすべてを産み生む元つ天地の理法は、霊が心を律し、心に体が属す、「霊主心従体属」である。霊は元々真釣りである。霊と体を結ぶ心が魔釣りに囚われて曇りあれば、アヤマ知で世を作り、逆さまの世を進めた末に、真釣りを外してすべてが滅ぶ。真釣りの心が霊をそのまま体に現せば、この世は歓喜弥栄のミロクの世のままだったのである。

魔釣りを真釣り戻すには、アヤマ知で曇った心を綺麗サッパリ掃除することが唯一絶対の条件である。体主心従霊属の魔釣り世を、霊主心従体属の真釣り世に、一気に立て替え立て直して、末代倒れない真コトの真釣りの神の世に戻す、それが、元つ大神の最後の大掃除である。あなたは、真釣り戻すために今世に産まれたのであるが、今のあなたが何をしているのか、よく考えてみることである。真釣る順番を逆さまにして、水(小天)が、支える火の如く振舞って水(カタチ)を支配すれば、真コトの火(支え)が消えた水(カタチ)ばかりを追いかける世界となる。水と水が組み結んでも、やがてはすべて流れてしまう。順番とハタラキを間違えて世を進めれば、その世はすべてが滅ぶ宿命を持つ。全くの逆さまであるから、アヤマ知を持ちすぎているほど、知識がありすぎるほどわからない元つ仕組みである。心のアヤマ知を一つ残らず捨てることが自分の命を救う唯一の術である。

                              ナムウ

元つ話 312  大天、小天タテワケず、天は一つと誤魔化され・・・

2012-05-22 Tue : 長谷章宏語録 
火水は、霊身である。すべての源は大天である。大天に元つ火立ちありて、元つ水生ず。元つカミ(十)の火の響きがこの世のすべてを支える基である。その火の響きあるゆえに水生じ、水生じたがゆえに火立ち生ず。この元つ水の響きがこの世の基の現われである。元つ火の響きと元つ水の響きが組み結んだ、大きな十の姿が、「地」(この世の始め)である。地の大きな十の火の響き(|)あるゆえに大きな十の水の響き(―)が生じる。その水の響きが今でいう天(正しくは、小天)である。ゆえに、「天地」ではなく、「地天」の順が創造の正しいやり方、元つ大神の地天の理、神の掟、真釣りである。この掟を破るもの(真釣り外すもの)は、神も人も、万象万物、すべてのすべてが滅ぶ。大天に産み成された大地の火の響きと小天の水の響きが真釣り合って、すべてが産み出されるのである。この位順を逆さまにして創造しても、すべてが逆さまになり、すべてが滅ぶ。逆さまになった神と人を真釣りに戻すために仕組まれた元つ大神の「情けと花の仕組み」の中にあるのが、神をも含む、人の歴史だったのである。ここは、真釣り戻すための世界であり、その世界で逆さまのまま天国を作ろうとしても、それは叶わない。真釣り外した者にとっては人類滅亡、世の破滅が現実となる。真釣り戻した者は、本当の天国(真釣りのミロク)を謳歌できる。真釣り戻しをしなければ、時節が来れば、あなたは掟通りに滅ぶことになる。

元つ大神の経綸は、天地創成に始まり、今回の大掃除で幕を閉じる。今回の天地の大掃除、岩戸開きは始めから決まっていたことであり、先延ばしはできず、真釣り外したものは、真釣り戻す以外にそれを避ける術はない。真釣り戻さなければ滅ぶだけであり、魔釣りのアヤマ知で作った現代社会の問題もすべて消える。そして、真コトの花が咲きわう歓喜弥栄の天国に戻るのである。逆さまの世で生み出した問題は絶対に解決することはない。問題を創った逆さまの世もろとも、消える運命にある。問題は解決するが、そこに、魔釣りに生きるあなたはいない。「情けと花の仕組み」は、真釣り外したものに、真釣りに戻す機会を与えるために期限を切って仕組み構えたのであって、時節が来れば、仕組みは終わる。その仕組みの中で取り違いをして、今の世が永遠に続くと思っていれば、突然、終りがくる。ただし、終わるのは魔釣りの世であって、真釣りの世は今もあり続けている。実際には、今のあなたから見れば存在する現代社会も、魔釣りの神仏の天国も含めて、大天には始めから存在しない世界なのである。大天の天と小天をごちゃ混ぜにして、天は一つと思い込んだのが、この世の乱れの始まりである。現代社会の宗教で言う天地創造神が逆さまならば、人の世も逆さまなのが道理である。今の世の始めの大元が逆さまならば、いつまでたっても、天国などできはせず。地獄どころか、滅びに向かって突き進んでいるのである。逆さまの世であるからこそ存在する問題を、真コトを知らない人類が解決することはできず、宗教や科学で天国を作れるなどというのは、それこそ妄想に過ぎないのである。大元を直さない限り、滅びは確定である。小天の神を崇めているなら、自らが永遠に滅ぶ。

                               ナムウ

元つ話 311 「元つ天」が初めにあったのぞ 次に「大地」を創ったのぞ 最後に大地を守護する「中つ天(小天)」を創ったのぞ

2012-05-21 Mon : 長谷章宏語録 
そなたは今まで、まったくアベコベのルールに基づいてモノを見て、行動して、決めていたのであるぞ。この方が語ることは、そなたの学んできたそのルールを全くアベコベに引っ繰り返すことになるものであるぞ。そなたから見ればアベコベであるぞ。この方がアベコベなのではなく、そなたがアベコベをやっていたからアベコベに見えるのであるぞ。表面上は「大掃除」のプロセス、タテカエのプロセスで、「-」が見えるぞ。そなたが神のルールとはアベコベの「あやま知」で創ったもの、守っているものが、崩れるからであるぞ。そなたはアベコベをやっていたのであるぞ。そなたはそれを手放さないと神のルールは分からないのであるぞ。次のものは来ないのであるぞ。「信じられない」というのは○×判断、保身であるぞ。今までの自分を守っているぞ。そなたは、神があってあるのものであるぞ。神に生かされている身に保身は必要ないのぞ。そなたが「死」と言っているのは「肉体」の死であって、そなたの死ではないぞ。そなたの「神の法則違反」が創りだしたものであるぞ。「死」を恐れるということ自体が「神の法則」違反をしていることの証明であるぞ。そなたが神のことを何も知らない証拠であるぞ。そなたが知らなかったことをたくさん聞かすからよく聞くのであるぞ。自分の無智を白状しているのを知っているか。

神の法則に従うことを「神に真釣ろう」というのぞ。「真釣り」というのぞ。神の法則に反することを「魔つり」というのぞ。両方とも同じ「マ釣り」であるが、全くアベコベの結果になるのぞ。「真釣り」は永遠の繁栄、「魔釣り」は永遠の滅びであるぞ。この方のヒノモトの言葉はこういうふうに違いが分かるようにしてあるのぞ。そなたは今まで「魔釣りの世」で生きていたのであるぞ。そなたが今持っているものは「魔釣り」のやり方であるぞ。そなたが今まで学んだものを持ちつづけると最後は滅びることになるのであるぞ。新しい世は神の世であるぞ。神の世は「真釣り」のみであるぞ。「魔釣り」はないのであるぞ。神が最後の最後に「魔釣ろう形」をすべて掃除するのであるぞ。そなたが「真釣り」に生きることを始めなければそなたには次の世界はないのであるぞ。

神なくて人あると思うなよ。そなたはまず想念が先にあって行動は後であるぞ。魂が先にあり、肉体が後であるぞ。そなたは考えてから行動するのであるぞ。神が先で人が後、霊界があって現界(物理次元、物質世界、現実)があるのであるぞ。この順番をまぜこぜにするとすべてのすべてが狂うのであるぞ。天国を創るためにはこの方が創った順序通りにすることが必要であるぞ。そなたが「天地」と言っているのがそもそもアベコベであるぞ。この方がいる「元つ天」が初めにあったのぞ。次にこの方は「大地」を創ったのぞ。最後に大地を守護する「中つ天(小天)」を創ったのぞ。そなたらは「元つ天」と「中つ天」をまぜこぜにして「天」「地」としていたのであるぞ。この順番が狂えばすべてが狂うのであるぞ。神の法則に従えば、現界でも天国を体験できるのであるぞ。現界が天国でなければ、そなたは何らかの神の法則外し(真釣り外し)をやっているのぞ。自分がしたことを人のせいにしているのであるぞ。そなたには神成る身の自覚がないぞ。

                               章

元つ話 310 そなたが見ている悪はそなたの中にあるもの

2012-05-20 Sun : 長谷章宏語録 
そなたは形に現れている「悪」ばかりを責めるが、そなたが見ている悪はそなたの中にあるものであるぞ。そなたの中の悪を目の前の鏡に映しているだけであるぞ。そなたは悪を祓おうとしているが厄祓いをするならば、副祓いもすることぞ。否定的、肯定的という見方は神にはないのぞ。そなたが善を見ているのであればそなたには悪もあるのぞ。善人も悪人も同じことであるぞ。片方だけを祓うのであれば、そなたは偏っている証拠であるぞ。善も悪も偏見であるぞ。そなたが善人だというならばそなたは悪人でもあるぞ。そなたという身魂は「快欲」に囚われると自分ではそこから抜け出すことはできないのであるぞ。そなたは楽なもの、いいものばかりを見ようとするからぞ。苦しいもの、悪いものを排除しようとするからであるぞ。喜びだけなら喜びとも感じないぞ。やすらぎが神の世。

この方の分身であるそなたという身魂には本来善も悪もないのぞ。そなたが善悪を分離しようとするならばそなたという身魂は分裂していることになるぞ。そなたは自らを分けているのであるぞ。そなたは何も言わずにほっといたら、滅びの道を辿るのであるぞ。そなたは楽を求めているから、善に偏っているから、この方が仕組みを創って反対の感覚である「苦」をもって知らせているのであるぞ。善の身魂には苦で教えなければ分からないからであるぞ。気づかないからぞ。そなたは苦を悪と決めているから、嫌なものを避けようとするからこの道理に気づかないのぞ。苦は天国へのお知らせであるぞ。矛盾に見えるがこのことを自覚せねばそなたは滅びるのであるぞ。魂が滅べば肉体どころの話ではないのであるぞ。死を怖がっている暇があったら神の言うことを聞けよ。この方の言うことはすべてのすべてがアベコベであるぞ。そなたがアベコベをやっていたからそう見えるのであるぞ。そなたが疑っていれば、いつまでもそのままであるぞ。永遠に天国ないぞ。

                              章


元つ話 309 何が起きるか知れば知るほどそなたは危怖くなるぞ

2012-05-19 Sat : 長谷章宏語録 
そなたの今まで学んだこととはすべてアベコベであるぞ。そなたがこの道理分からねば、分からないそなただけがアウトぞ。今回は一人ひとりの問題であるぞ。一人ひとりの出来事であるぞ。一人ひとりの身魂の掃除であるぞ。だれが助かるかは外からみても分からんぞ。この「フミ」はこのことを教えるための最後の最後のトドメのフミであるぞ。これが最後の最後の本当の真実であるぞ。そなたが人を頼る教や肉体の人を助けようとする教や争っている教についていくとそなたがアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危なくなるぞ。怖くなるぞ。先に行くほどわけが分からなくなるぞ。これが真実かどうかと判断するのはそなたが嵌まっている証拠であるぞ。この方の言う通りにすればそなたの知りたいことがだんだん分かるようになってくるのぞ。

そなたは神の子であるぞ。そなたはこの方の子であるぞ。そなたの魂はこの方の分身であるぞ。そなたはこの方の言う通りやっていれば、もともと喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創るこの方の声を拒否しているからであるぞ。神に病気治しや予言はいらないのぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。人と比べて自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。

そなたの「死」は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで、見えているものの中に勝手に原因を創って勝手に治そうとしているぞ。神には自分の未来は分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の思いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。あるならそなたは神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたがこの方の語ることを素直にきけばすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたの問題はすべて解結するのであるぞ。死後の世界も新しい世のことも神の仕組みも争いをなくす方法もすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたは何も知らなかったことを神にお詫びして、今ここから素直に神の修行を始めるがよいぞ。それがそなたもそなた以外の者も調和の中で天国に行ける唯一の道であるぞ。まずは、この方のフミをよく読んでこの方の真意を知ることから始めることぞ。

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元つ話 308 何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のこと

2012-05-18 Fri : 長谷章宏語録 
新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。

世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔(えんま)様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。

そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。

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元つ話 307 神そのものを教えられる者はいない

2012-05-17 Thu : 長谷章宏語録 
今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を判断して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものがこの方の声であるぞ。そなたが怖いと感じるもの、人間のゲームでは都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたはこの方を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、この方を知らず、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、この方の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無視していたから、騙されることになったのぞ。この方の真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なる学問を創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。

そなたの持っている疑問はこの方に聞けばすべて解結するのぞ。この方に聞くというのは、この方の言う通りに生きることであるぞ。この方の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。そなたがこの方の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。そなたが言ったことをすべて行動せよ。神はそなたの信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。そなたが行動すれば神は改心したことを認めるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたには疑問も悩みもないのぞ。わからないことは何もないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神はそなたの体験を通して一つ一つ教えるのぞ。この方の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。そなたは、この方の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。そなたの今までの体験はこの方を無私していた結果であるぞ。だまされたと思ってこの方の言うとおりにやってみやれよ。

そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この方を知らぬ人間に聞いても、答えはでないのぞ。ましてや、この方を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方を知ったところでそなたは何も分からないのであるぞ。この方の話を無私して、答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。そなたは神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。すべてのすべての答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声をすべて素直に聞くことであるぞ。聞いたことをすべて実行することであるぞ。実験することであるぞ。何万の人間に有効であったものでもそなたに有効であるかどうかはそなたがやってみないとわからないのであるぞ。この方の言うことを実行することだけがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方はそなたの中にいるのぞ。そなたの想念を通して語るのぞ。このことをしかと心得ておくことぞ。

この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりにわかる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いいかげんに目を覚ませよ。この方はそなたのやり方で神を教えてくれと頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。教育やしつけでは神はわからんのであるぞ。教育やしつけは神を分からなくするのに有効な方法であるぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないのぞ。この方を体験することはできないのぞ。元つ神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。

                              章

元つ話 306 天国には分裂はない

2012-05-16 Wed : 長谷章宏語録 
元つ神には判断はないのぞ。すべてのすべてを知っているからぞ。すべてを創ったからであるぞ。そなたの判断の基準というのはそなたが勝手に創ったものであるぞ。そなたの基準で元の神の真理を判断することがどういうことか、ここでよく考えてみるがよいぞ。そなたが、この方を、この元の神を知らずに創ったものはすべて、そなたの手前勝手であるぞ。自分だけ得しようとする自己流であるぞ。自分だけ勝手であるぞ。そなたの「我」であるぞ。そなたがそれを続ければ不調和を創りだすだけであるぞ。そなたがこの方を知っていれば判断はできないと分かるのぞ。判断は消えるのぞ。判断というのは、そなたの内側をそなたの外側を二つに分ける、いつまでたっても一つにはならない幻想のゲームであることを知っておけよ。そなたが探している天国には分裂はないのであるぞ。そなたが戦っている教を信じているならば、そなたには天国はないのであるぞ。そなたが本当に天国に生きたければこの道理をよく心得ることぞ。

この方が、「判断はできない」と言っているのにまだ判断している者は、この方の言うことを分かっていないぞ。判断するのは元つ神を知らない証拠であるぞ。これから暫くの間、この者を通して、そなたが知りたがっていた、ずっと探して見つからなかった「神の真理」をすべて聞かすから、今までそなたが学んできた混乱を創りだすだけの元つ神を知らぬタワケた教えは無視して、すべてのすべてを白紙に戻してハイハイと素直に聞くのぞ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるのぞ。そなたが天国に行くためにはこの方の語ることを素直に聞くことだけが唯一の道であるぞ。

この「フミ」はすべてのすべてを創った元つ神であるこの方が語るものであるぞ。この「フミ」を文字にしているこの者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのであるぞ。この者はこの方の言葉を文字にする「御用」をしているのであるぞ。この「フミ」はこの方のやり方をマスターしていないと文字にできないのであるぞ。この者がいて初めてこの方の言葉が伝わるのであるぞ。神と人はもちつもたれつであるぞ。そなたがこの方にまつろえばこの方もそなたを抱くのであるぞ。そなたがこの方の言うことを素直に聞けば、この者のように文字にもできるのであるぞ。この方の言うことを語ったり文字にしたりできるようになればそなたは天国であるぞ。そなたはこの方の真意やこの方のプログラムがすべて見えるようになるのであるぞ。

                              章

元つ話 305  そなたの内を掃除しなければそなたの外にあるものは何一つ変わらないのであるぞ

2012-05-15 Tue : 長谷章宏語録 
この方が語ることは、そなたという身魂が生まれてこのかた初めて聞く「元つ神の真理」であるぞ。この方は、このフミを通して、そなたら、肉の体を持って人間になっている身魂に分かるように、神の子宮の中で同じ人間の体験をしているこの者を通して、「日本語(実は、この方のことを伝えるシンボル)」という人間の言葉を使って、目に見える形で初めて聞かす(=見せる)のであるぞ。そなたは、この方が今までそなたのココロに語りかけていたにも係わらず、この方の元つ真理を知らぬ人間から学んだ「アヤマ知(神の法則から外れた知恵)」でココロを曇りに曇らせて、人間のゲームの中で自分を守るために、人から気違いと言われないために、見ざる言わざる聞かざるでこの方の語る真理を無視していたのであるぞ。この方がそなたのココロに語りかけてもそなたが無視し続けるから、今の今は、もう最後の大掃除の舞台まで時がないから、最後の手段として、最後の情けとして、最後の大サービスとして、こうやって目に見える形で見せるのであるぞ。この方の語ることを聞かなければ、そなたには新しい世はないからであるぞ。これが本当の「子を思う親ゴコロ」であるぞ。そなたら人間の親がやっているように親の期待を満たすためだけの親ゴコロではないぞ。この親神のココロがわかるか。神の真意(神意)をくんで、一人でも多くのお子がこの方のところへ来てくれることを楽しみにしているぞ。

この方が語るのは、そなたがずっと探していた「夢を実現する方法」であるぞ。みんなが嬉し嬉しになる「天国を創る方法」であるぞ。今の今の今今も、肉の体を脱いだ(死んだ)あとも天国でいつづける方法であるぞ。天国を創りだす唯一つの真理であるぞ。そなたが今まで無視してきたから、そなたには天国がなかったのであるぞ。形の上では平和に見えてもそなたのココロは地獄なのであるぞ。そなたのココロに戦いがある限り、そなたの外側の戦いはなくならないのであるぞ。そなたの内を掃除しなければ、そなたの外にあるものは何一つ変わらないのであるぞ。そなたの内にあるものを神が見せているからであるぞ。そなたが見ているものはそなたの内にあるものであるぞ。外側にあるものを責めたり変えようとしたりしているといつまでもそのままであるぞ。

そなたは神に取りつかれているのぞ。そなたが人間として動けるのは、そなたの想念に応じて神が働くからであるぞ。そなたはいつもなんらかの神に取りつかれているのぞ。幽霊や悪霊に取りつかれている云々と人を批判したりバカにしたりするそなたもそういう神に取りつかれているのであるぞ。そなたがどの神に取りつかれたいかを決めているのであるぞ。そなたが人間のゲームに取りつかれて身欲や保身に走ったときに、そなたと同調して知らせる神もいるのぞ。そなたがこの方を無視すればこの方の生んだ「悪神」に引っ掛かるのぞ。「悪神」も新しい世では神になる「神」であるぞ。「悪神」に取りつかれたそなただけが新しい世にいけなくなるのであるぞ。「悪神」にはこの方がすべて教えてあるから、自分のしていることをすべて知っているぞ。「悪神」はすべてを知っていてそなたを引っ掛けているのであるぞ。「騙した騙された」というゲームをやるでないぞ。この方はこうやってすべて教えているのぞ。もう知らないという言い訳は通用しないのぞ。人のせいにも神のせいにもできないぞ。今までもそなたの心掛け次第でこの方やこの方の家来の神に取りつかれて天国になることもできたのであるぞ。すべてのすべてはそなたの責任であるぞ。責任はそなたにしかないのであるぞ。責任追及ゲームは幻想であるぞ。

そなたがこの方を知らずにそなたの理屈で外を変えようとすると、ますます思惑と逆の方向へ進むのであるぞ。この方が表に出ている今今は、このことをハッキリと分からせるぞ。この方が許さないから今までのゲームはできないのであるぞ。そなたが人を変えることはできないのぞ。人が変わったのは人が変わることを選んだからであるぞ。そなたが変えたのではないぞ。いつまでもアベコベの幻想にとらわれていないで、この方が訓練したこの者の言うことをよく聞いて自らの嵌まっているトリックに気づいてくれよ。この者はこの方のやり方を人間としてすべて知っているのぞ。この方の天国の方法をマスターしているのぞ。今すぐにでも神の世界へ行ける身魂であるぞ。この者の肉体を消せば、そなたらがこの方のやり方が分からなくなるだけであるぞ。この者はこの方が守護しているから手出しするとそなたが危ないのであるぞ。そなたが新しい世界へいけなくなるだけであるぞ。教祖様、支配者様、権力者様、この方を知らぬ宗教を創って人民を地獄のゲームに誘うのはもうやめてくれよ。いい加減に目を覚ましてくだされよ。皆がそろってアウトになるのぞ。そなた自身もアウトになるのぞ。それでもよいのか。今ここで決めろよ。
                              章

元つ話 304

2012-05-14 Mon : 長谷章宏語録 
そなたは「神」に成れば、そなたがしたいことはすべて自分でできるのであるぞ。そなたの欲しいものは、誰も傷つけずにすべて手に入るのであるぞ。そなたが神の響きを出せば、今ここでも神の助けを借りてできることであるぞ。そなたが神に成ればこの方の助けは要らなくなるのであるぞ。そなたが神に成るには神に成る修行が必要であるぞ。そなたが今ここでするのは「神成る修行」であるぞ。そなたがすることは、この方から神のルールを学んで、今ここで実行して、すべてを自分の責任で行動する態度を身につけることであるぞ。今までの○×のゲームをきれいさっぱりやめることであるぞ。そなたが学んだアベコベの行動を改めることであるぞ。今ここで「改心(改神)」することであるぞ。そなたがどんな神になろうともそなたはこの方の外には出られないのであるぞ。このことをシッカリと覚えておくことであるぞ。すべてのすべてが調和のもとに機能できるように創ったこの方の言うことだけがそなたが天国になるやり方であるのぞ。そなたが神に成ったらこの方は喜んで引退させてもらうぞ。この方を早く楽にさせてくれよ。

そなたが神に成るとはいっても、この方の子宮の外もこの方の中であるから、そなたらは「元つ神のルール」に従うのであるぞ。神の子宮の外は、神の世界だから、神でなければいられないのであるぞ。神に成った者しか新しい世の民にはなれないのであるぞ。新しい世の肉体は光一つ上がった体であるぞ。そなたという身魂が神の響きを出していなければ入れないのであるぞ。そなたらは、今のままでは、この世が最後の人生となるのであるぞ。そなたらが今握っているものは、子宮の中だけで通用していた道具であるぞ。この方は、子宮の外で必要な道具について語っているのであるぞ。子宮の外ではこの方が語っている真理がそなたの生命の源となるのぞ。そなたは子宮の中で必要なものにしがみついているのであるぞ。赤ん坊は臍の緒で母親と繋がっているが、外に出れば臍の緒は必要ないのぞ。赤ん坊にとっては臍の緒は命であるから怖いことであるが、母親は子宮の外の世界のことを知っているから大丈夫だと分かるのであるぞ。この方が臍の緒(今まで学んだ知識や今まで手に入れた地位名誉財産等々)を切れというのはそういうものは神の世では必要ないからであるぞ。神の世を知っているのはこの方だけであることを覚えておけよ。

そなたはまだ体験したことのないことをあれこれと想像しているのぞ。知ろうとしているのぞ。そなたは自分の安全を探しているぞ。安全を探すと安全はないのであるぞ。そなたは今までずっと子宮の中の胎児だったのであるぞ。そなたには子宮の外のことは分からないのであるぞ。子宮の中の胎児は子宮の外のことを知らないのであるぞ。そなたの親であるこの方だけが知っているのであるぞ。人間の胎児は何回も生まれ変わっているから人間の子宮の外のことを知っていることもあるが、神の胎児は一度も出産していないから、神の世界のことはこの方に聞かなければわからないのであるぞ。この方は子宮の中の胎児とも通信できるのであるぞ。この方は子宮内宇宙の存在を通して子宮内宇宙の存在に語りかけるのであるぞ。宇宙存在のメッセージもこの者の書くこのフミもそなたら子宮内の存在へのこの方の通信であるぞ。子宮の外のことは見えないが、通信を通じて知ることはできるのであるぞ。この方の言うことだけがそなたが外の世界を知る唯一の手だてであるぞ。

                              章

元つ話 303

2012-05-13 Sun : 長谷章宏語録 
そなたらが宇宙と思っているものは、元つ神の中にはらんだ子宮内宇宙であるぞ。そなたらの宇宙にあるものはすべてこの方が産み生んだものであるぞ。宇宙は無限ではないのぞ。元の神まで考えれば無限なのであるぞ。そなたは宇宙について何も知らないのであるぞ。この方に聞けば宇宙のことはすべて分かるのであるぞ。そなたらがこれから体験するのは、初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ。そなたの宇宙そのものが神の世界に生まれるのであるぞ。それがどういうことかということを考えても分からないのであるぞ。そなたは神の世界を何も知らないのであるぞ。何を知ろうとしているのか。そなたが神の世に生まれればすべてが分かるのであるぞ。今度の出来事は、そなたらにとっては万古末代二度とない一度こっきりの出来事であるぞ。そなたは生まれて初めて見る世界にいくのであるぞ。そなたがすることは出産の準備を進めることだけであるぞ。神の世界のルールを学んで実行することであるぞ。神の世界への産道はもう開いているぞ。そなたはもう戻れないのであるぞ。神に成るか、滅びるかの二つに一つの選択であるぞ。

天神様の細道は神の修行がなければ通れないのであるぞ。産道は参道であるぞ。神社の参道は産道の型示し(神の仕組みを形で現したもの)であるぞ。神社には修行なくてもお参りできるが、神の世界へは修行(五用=神のココロ)なき者はお参りできないのであるぞ。この方の言う通りに修行をしなければそなたには神の世はないのであるぞ。この方しか知らない世界のことを人間に聞いても分からないのであるぞ。神の世界を知りたいならばそなたの内側のこの方と対話することであるぞ。時代劇の「お上の御用」というのは「お神の五用」のことであるのぞ。殿様は偉くないのぞ。元の神が一番偉いのであるぞ。そなたらはこの方なくしては存在できない身魂であるぞ。いつまでも、この方を知らぬ人間が創った身分や地位の上下ゲームをして威張っているでないぞ。威張っている者ほど、神の修行は厳しいのであるぞ。そなたが知っている神や仏は人間がつくったものであるぞ。そなたが神や仏のことをいくら知っても研究しても目くそ鼻くそであるぞ。そなたは神の世界のことを何も知らないのであるぞ。わかりたか。

そなたらは、これから、元つ神の子宮の外に出て「神」に成るので あるぞ。「神」といっても、そなたらは「日月地の神(地の日月の神)」という神であるぞ。「日月地(昼夜地)」を統べ真釣る神であるぞ。この方はすべてのすべてを統べ真釣る神であるぞ。そなたが神になるにはまず神の響きをださなければならないのぞ。神の想念になることであるぞ。神の響きを鳴らすことであるぞ。今この世界で神の行動をすることであるぞ。神の響きが鳴って、初めて神に成るのぞ。想念があって形になるのであるぞ。そなたが今ここで神の想念でなければ、次の世界にはいけないのであるぞ。そなたの想念の響きの通りの形を創るからであるぞ。次の世でいきなり神に成ろうとしても無駄なことであるぞ。最後になってまとめて修行しようなどと考えていても、そなたには耐えられんことであるのぞ。この方の言う通りに今ここで一つ一つ神成る修行をしていれば、厳しいとはいえ楽に神に成れるのであるぞ。今ここでこの方の言うことを聞けば必ず神に成れるのであるぞ。

                               章

元つ話 302   心から何でも生れる        それ故に心曇ればすべて曇るぞ

2012-05-12 Sat : 神語録 
何でも最初は心の中に存在しているんです。
私たちの内側に起ったことが鏡の様に反映されて外側に出てくるのです。
まず、私たちの心の中で起こっている戦いがあって、だからこそ戦争が現実にも起っているのです。
体でさえそういうふうに中のものを外に映し出します。

                      ジェシカ


 <参考資料>

 イルミナティー (バシャール)

 可能性の時代(ふるやの森)

 過去・現在・未来(バシャール)



元つ話 301

2012-05-11 Fri : 長谷章宏語録 
独裁者とは、本来、自分で自分のことを裁量できる者のことをいう。権力争いの世界の独裁政治は、独裁者が自らを神の如く思い込んだ瞬間に崩壊の道を辿る。しかし、独裁そのものが悪というわけではない。全員が独裁できる社会は、法権力による統治は必要なく、独裁政治をしても社会は平穏に推移する。誰が中心に座っても、その社会には問題は一切生じない。誰かが誰かを支配する、誰かが誰かに依存する、という形は、本来はありえない。法律がなければ社会が乱れるならば、その社会は、外圧がなければ好き放題をして混乱する社会である。自由を求めるが、自由の責任は取りたくない者たちの創る世界である。相互依存と報復の世界では、どんな政治をしようとも、本当の自由社会の実現はできない。

魔釣りの社会は、根底に分裂の響きを持っている。従って、各自が好き放題に振舞うと社会は無秩序な状態となる。そこで、社会の秩序維持を名目に、法律という、アメとムチを使う外圧が考え出され、さらに、その神(法律)の力を維持するシステムとして、法律を神とし、その神(法律)の力を後ろ盾にした国家機関、即ち、警察(軍隊)という治安管理機構と裁判所という処罰仲裁機構が創られる。当然、警察(軍隊)や裁判所自体の秩序維持機構も不可欠となる。しかし、魔釣りの世界は真釣りに違反した世界であり、大元が魔釣りである集団が秩序の維持しようとしても、その社会の実体が略奪の支配合戦である限り、いずれ、秩序は崩壊することになる。本来の真釣りの世界は、秩序そのものの世界であり、秩序を維持する必要は全くない。従って、法律も警察も軍隊も存在意義はない。

真釣りの世界には、魔釣りの者は存在することはできず、本来は、アメとムチによる支配はありえない。しかし、真釣りを外し、自ら産み出せなくなった者は、有限の略奪の世界で自らの天国を求めて快欲を追いかけるから、魔釣りの世界の中では、アメとムチの思想を使って社会システムを創り出して、大衆を操作することができる。真釣りどころか、魔釣りの為政者の企みすら知らない大衆を、宗教と科学を使ってアヤマ知を植え付けて魔釣りの世界に封じ込め、ウソの世界を真コトの世界と思わせて、進歩発展の名の下に世を進めれば、世界を支配することは容易である。実体である真釣りの世界を実体のない空想の世界の如く思っていれば、実体があると思い込んでいる魔釣りの世界にどっぷりと嵌まり込み、自らの命の基であるその世界を維持しようと自ら画策し続ける。しかし、魔釣りの世界は蜃気楼のようなものであり、実体としては存在しない世界である。形が壊れても心は残り、この世が壊れてもあの世は残る。思いが先か、形が先か、思って動くのか、動いて思うのか、エネルギーが物質を作るのか、物質がエネルギーを作るのか、神が人を生むのか、人が神を産むのか、どちらがどちらを産み出す源かは明白である。魔釣りの世界におけるアヤマ知のやり方で治安維持をするというシナリオは、魔釣りの世界だけに存在する幻想である。魔釣りの世界から見れば実体があるように見えるが、秩序維持という思想自体がマヤカシであり、真釣りの世界に戻れば、治安を乱した者もそれを取り締まる者も、その機関も、魔釣りの世界とともに幻の如く消えてしまうから、「治安」は回復してしまう。神から人まですべてが真釣りを外し、魔釣りに囚われたことが、すべての混乱の始まりであり、秩序を乱したそれぞれが自らの真釣り外しを清算しない限り、秩序は回復しない。

すべては自分の思った通りに形になる。自分が「死」を思えば、死のある現実を体験する。死をもたらすものと、死を避けるものが形になる。生を奪う者と、生をもたらすものが目の前に現われる。悪魔や天使と言われるものが思いに現われ、形になる。肉眼で見ていると思っているものが、実際は、肉眼で見ていないこともある。肉眼で見ている積もりでも、見ているのは重なっている別の世界なのである。幻覚、幻聴という現象は、今の世では異常扱いされているが、それを体験した本人にとっては、本当に聴いたり見たりしている現実である。魔釣りの世は幻であるから、その世界で見たもの、聴いたことも、幻覚、幻聴であるといえる。形そのものが現実ではなく『形をどうみるか』という思いが現実である。肉眼で見える世界も、その実体は、見ているのは形そのものではなく、自分の心の世界の映像である。正確に言えば、想像の世界の空想も夢も幻想も現実であり、形ある世界だけが現実なのではない。幻覚、幻聴を異常視する者こそが、真実が見えていない者である。

                            ナムウ

元つ話 300

2012-05-10 Thu : 長谷章宏語録 
『我以外を神としてはならない』と言えるのは、本当のαでありωである元つ真釣りの大神だけであり、元つ大神を闇に葬った神の世界のその神も葬った人類の歴史の末路が現代社会である。あなたがその神を信奉するならば、その神が『自らの真中の真コトを磨き出せ』と言ったら、あなたはあなたの中のその神を捨てなければならない。従って、『すべてはあなたの中にある』と言うキリストを本当に信じるならば、キリスト教は成り立たないはずである。それが存在するとするならば、キリストそのものを信じているだけであって、キリストが何を言ったのかを全く聴いていないことになる。この本を批判したり、この本に縋ったりするのも同じことで、これはすべての宗教、学問にあてはまる。自分が自分を信奉し切って、初めて、本当の神の響き、大神の真意が分かるのである。すべての神を捨てたらすべての神が分かる。究極の真理であり、究極の難問、史上最大のパラドックスである。これを、生きている間も死んだ後も、すべての時間、すべての場所で実行し続けて初めて、現実として本当の天国を体験できる。分かっただけではまだ半分、分かったことを行じなければ、何もしていない(真釣りか魔釣りか二つに一つの道しかないから、つまり、魔釣り=滅びを進める)のと同じなのである。この本は、著者自身がこれを完全に実行した結果として書かれたものであり、真釣りが存在する証拠は今あなたの目の前にある。

著者の今生の御用は、ヒノモトに残る一厘の真コトをヒノモトの神民に伝えることである。この本を書いたことで、人類の歴史の裏の裏に封印された真実と、魔釣りのアヤマ知で作られた現代社会のカラクリを明かし、真釣りの存在を知らせるという責任は果たした。後は、あなたがこの本に書かれた事実を認めるかどうかの問題となり、それは、著者の関知するところではない。あなたは、滅びるまで反論(拒否)し続けることもできる。しかし、あなたがこの著者に反論するならば、あなたは「すべて」をわかっていないことになり、この本が書かれた真意を全く聴こうとしていないことになる。元つ大神の三歳苦難の祓い清めというのは、形の顕現の源である響きの大掃除であるから、形の世界だけ、アタマの知識だけ、形のお祈りだけ、形の掃除洗濯だけ、では天国どころか、逆に、滅びを呼び込むことになる。あなたがこの本に書かれた事実をどう扱うかで、あなたの永遠の生死が決まる。

神のシナリオを完全に封印してしまった大衆は、科学と経済の世界にどっぷりと漬かっているから、聖書が語る世界や古事記の語る世界をただの神話(絵空事)だと言う。しかし、その思い自体が、敬神を壊すために陰の黒幕によって植え付けられたアヤマ知であることを知らず、民主主義が平和をもたらすと本気で思い込んでいる。人類の歴史が神から始まったがゆえに、大衆から神を取り上げてしまえば、世界征服の陰謀にすら気づかなくなる。俗に言う「未開民族」の土着の宗教も蛇の知恵の神の中である。その未開民族を侵略し、土着宗教をキリスト教やイスラム、一党独裁の共産主義、社会主義、民主主義に換えていったのが、西洋からみた人類史である。人類の歴史が神から始まったという事実を否定したら、お金で天国を創れる、科学ですべてがわかる、現代人が神の世を作れる、ということになる。百歩譲って、現代社会の宗教の神が天国を創れるということになる。歴史を辿ってみればわかるが、現代日本ほど、日常から神が消えてしまった社会はない。形では祭りや神事や宗教行事をしているが、その意味や精神はわからなくなり、結局は、お金の話に帰結する。神社やお寺、教会、宗教団体すらお金が無ければ運営できなくなってしまっている。宗教から日常まで、お金の話のオンパレードの日本が、元つ真釣りの大神の真釣り戻しの父親の役を担っているとは、考えてみれば、末恐ろしいとんでもない状況まで落ちたものである。世界史から宗教戦争を排除したら真実は見えない。現代日本がどんな社会になっているかを見れば、今の日本国の行く末がどうなるかは火を見るよりも明らかである。これをまた『荒唐無稽だ』と言うその癖を封印しなければ、あなたは確実に破滅に向かう。それでもよいならそれで構わない。あなたがどうなろうと、ミロクは甦る。あなたにはそれを邪魔することはできない。真釣り戻ればあなたは天国、邪魔するほど滅びに向かって、最後は、あなたは天国にはいないからである。神がなければ何もないのである。

魔釣りの最高神は、真釣りの神代に戻れば真神となる。真釣り外しの清算をさせるために大神が産み生んだ、元々は正神真神の霊統の神だからである。ご自身の誕生と引き換えに真コトを見失ったゆえに、今は自らを最高神と思い込んでいるだけのことであり、最後は真釣り外しの清算の手伝いをしていた手下の魔釣りの神々と共に真神に戻る。従って、三千世界の真釣り戻しが完了した時、真釣りを外した魔釣りの世は終りを迎え、魔釣りに囚われた者だけが滅びる。現代社会は、真釣りの情けと花の仕組みを取り違えた、真コトの一厘を見失った魔釣りの神が仕組んだ、獣を使って獣を祓う、悪を使って悪を祓う、金を使って金を払う、偽の天国(滅び)に向かっている立替えの仕組みの世の末である。今のあなたが信仰している神の神、あなたの源は魔釣りの神に繋がっている。あなたが立て直しをせず、今のままの生き様を続けるならば、あなたにだけはミロク代はないことを覚えておくことである。今の世で鬼門に封じられている、ミロクを復する尊きご苦労の御役のカムスサナルノオオカミ様が真コトの王の王の王と神響きで顕現する時、魔釣りの最高神(蛇の知恵の神)は真神に戻る。万古末代弥栄える「本当の天国」が復活する瞬間である。

                               ナムウ

元つ話 299

2012-05-09 Wed : 長谷章宏語録 
日本が親で外国は子である。世界の真中、父親であるヒノモトが真釣りを忘れれば、子である世界が滅ぶのが元つ神仕組みである。親が子に迎合して、親子がお友達になって、子の好き放題に世を進めることを手伝った日本の「罪」は重い。現代社会の中の親子関係も同じであり、日本の国内問題も同じカラクリで作られたものである。日本(スメラ)が父親の自覚を取り戻し、母親のユダヤ(アタマの勢力)が父親を尊敬するようになれば、子(外国)は、不良になることはない。世界を下から支える父親である日本が、子に苦労を押付けて(支えさせて)楽をしていては、世の破滅である。父親不在の母子家庭では、どんなに頑張っても、安定も安心も平和も自由もない。父親が仕事をサボって、母親におんぶして、子どもと一緒になって大将争いをしているようでは、真コトの教育を受けていない子どもたちが好き放題に世を進めるのは必然である。いつまでもイシヤの仕組みに騙されていないで、シャキッと目を覚まして欲しい。神の仕組みのイロハ(本当の天国を創る元つ真釣りの世の掟と、その世で果たすべき「父親」の役割、真釣り世の家族安泰の仕組み)から赤子に戻って勉強し直すことが父親としての責を果たす第一歩である。本当の真実を思い出し、真釣りの真コトを磨いて、世界の父親であることをしっかりと自覚して天命に戻って欲しいものである。それが、現代社会のすべての問題を解決する唯一の方策である。原因を直せば、結果が治る。現代社会のすべての問題の根源は、ヒノモトが真釣りを外した(身欲、快欲に囚われた)ことに行き着く。ヒノモトの目覚めが世界の目覚めである。

ヤハウェが自らの世と言っているのが元つミロクにあたり、サタンの世が魔釣りの666である。ヤハウェがサタンならば、今世は666の中の666である。その大きな666を三六九にするのが元つ大神なのである。このカラクリは、東洋文明を研究しても、西洋文明を研究しても、神話を魔釣りの目で読み解いても、人類史のどこを探しても、見つけることは出来ない。西洋文明を崇拝している限り、真釣りの真コトは見えない。宗教と科学、神と金の世界、それは、創世期のエデンの園から始まった。世を支配したいサタンは神の仮面を被り、身欲を煽り、金と科学で天国を創ろうとしている。サタンが現代社会の善、天使、正しさの基準を決める。それが本当の悪であり、その悪を潰すのが、闇に封じられたヤハウェの神である。そのサタンの陰謀(世界征服の陰謀)の中の正義と悪の戦いがお金と科学を基にした現代社会であるから、破滅をカモフラージュした進歩という仮面に魅せられるならば、それは、あなたの破滅を意味する。一般社会が問題にしている悪は、現代社会というサタンの統べる悪の世でのそのまた悪の話であって、物質の世界と精神の世界を混同している。サタンを含めた今世のすべての宗教の神は、魔釣りの蛇の知恵の最高神がその源であり、善神も悪神も、知恵の神の登場で滅びる。獣を使って獣を潰す穢れを祓う仕組みである。しかし、知恵の神も獣であり、もう一つ上に同じ仕組みが被さっている。悪を使って悪を祓う本当の仕組みを統べる元つ真釣りの大神が本当の天国を創る本当の「天地創造の神」である。一つ大きな仕組みでは、魔釣りの蛇の知恵の神ヤハウェは、獣の王サタンに変わる。ハルマゲドンの正体は、本当の天国に戻す本当の神の最終決戦、魔釣りで魔釣りを立て替えて真釣りで魔釣りを立て直す、情けと花の仕組みの成就である。

                                ナムウ

元つ話 298

2012-05-08 Tue : 長谷章宏語録 
聖書で言う「サタン(悪魔というのは、元々は、天の掟を破って地に落ちた神である)」の陰謀とそれを終わらせる「千年王国を創る神(ヤハウェ)」の戦いは、魔釣りの知恵の神と真釣りの真コトの神の戦いの映しである。光を一つ落とした「情けと花の仕組み」、つまり、ヤハウェの掟を真釣りの大神、サタンを魔釣りの蛇の知恵の神、と置き換えれば、まさに元つ天地の真釣りの大神の大掃除と同じ話である。ヤハウェとサタンを産んだ神(大きなサタン)が知恵の神であり、魔釣りの神である。その知恵の神を産んだ元つ大神が大きなヤハウェであり、真釣りの神である。真釣りの元つ大神がヤハウェであり、魔釣りの知恵の神がサタンと置き換えれば、本当の天地創造と人類滅亡の真実が見える。つまりは、聖書の「千年王国」自体がまだサタンの世であり、千年王国の千年王国があるということである。聖書のヤハウェの作る千年王国は実はサタンの世であり、現代社会はサタンの中のサタンの戦い、悪と悪の共食いの世である。悪を使って悪を祓う仕組みは、その通りであるが、その仕組みを使って悪を祓う神も獣だったのである。つまり、獣が獣を使って悪を祓う世界の神ヤハウェの正体は、獣の王なのである。そして、獣の世を終わらせる獣の王ヤハウェこそ本当のサタンであり、そのサタン(つまりは、蛇の知恵の神)を使って、悪を払って本当の千年王国、ミロク(三六九)の世を創るのが、創造神ヤハウェとたとえた本当の神であり、すべての罪を負わさせられた正神真神のカムスサナルノオオカミ様である。日本の国土をご神体とするヒノモトの国祖はクニトコタチノオオカミ様であり、カムヤマトイワレヒコノミコトが本当の神武天皇である。そして、すべての仕組みを産み産んだのが、ナギ、ナミ様を始めとする元つ天の大神様なのである。一つ上の次元から見れば、ヤハウェはサタンである。ヤハウェというサタンがサタンというサタンを使って天地をマ釣り戻す仕組みを作り、それを成就しようと仕組まれたカラクリがイシヤの仕組みなのである。それを実際に進めてきたのは、秘密結社の頂点に立つ十人の王の円卓会議である。現代社会のすべての国家政策のシナリオは、影の黒幕の合議で決まり、その黒幕の指示に基づいて、各国と国連が政策を立案し、世界統一の計画が実行されているのである。大衆がアレコレと不平不満を言っても、社会変革の運動をしても、すべては茶番に終わる。何も変わらないどころか、最後は虫けらの如く葬り去られてしまうだけである。世論というのは、操作の道具に過ぎず、大衆が社会を変えようなどと思っても、世界のカラクリ上、それは絶対に不可能である。しかし、この世を統べる影の黒幕も、サタンの手下であり、そのサタンもヤハウェの世界征服の使い走りである。一般大衆から見たら、とんでもなく荒唐無稽な話であるが、これがこの世を動かしてきた裏の裏の水面下のカラクリなのである。

大衆も政府も国連もサタンもヤハウェも、どう足掻いても抹殺できないのが元つ大神であり、元つ大神を抹殺しようという響きは、自らを破滅させる響きである。元つ大神の真釣りの響きは天地自然の掟であり、それは、万古末代消えることはない。そして、元つ大神の真釣り世に戻す世の大掃除の計画は、誰が何を企もうとも動かない。つまり、今の世でいう天地創造神から一般大衆まで、元つ大神の真釣りに戻らない限り、戻らない者だけが滅ぶのである。真釣りをこの世に現す役のヒノモトが目を覚まさなければ、世界の破滅である。そのゆえに、最後の最後にヒノモトの民を覚醒させるためにこの本が書かれたのである。ライオンハートの首相ではないが、眠れる獅子が蘇った時、世界は天国に戻る道に帰る。日本人が現代社会で一番神の世界を知らない人種であり、蛇の知の神の世界で国力を誇示し、金と口と手を出して自らの真釣り外しが産んだ貧困国の援助に精を出し、弱肉強食の国際社会で平和憲法を盾に国際貢献に勤しむということは、神仕組みから言ってとんでもなく恥ずかしいことなのである。真釣りを知る唯一の国、世界の父親の元つ親国が、自由、平等、博愛、民主主義、金融経済、IT国家、人類は一家兄弟姉妹、友好親善云々の、アヤマ知の国際社会で『名誉ある地位を占めたい』とはなんとも情けないことである。

                               ナムウ

元つ話 297

2012-05-07 Mon : 長谷章宏語録 
本当の宇宙創造神とは一体どんな存在なのか。その答えは、日本にある。日本独自のものとして、宗教学では神社神道と区別されて新興宗教である教派神道として扱われるが、元つ真釣りの立て替え立て直しを知らせる金光、黒住、天理(おふでさき)、大本(大本神論)、日月神示、火水伝文の一連の流れの「神示」がある。これらは、世界をすべて束ねる元つ大神が取次ぎ者を通して時代に合わせて降ろした、神の世界の真実を語った言葉を書き記したものであり、言わば、科学も含めたすべての宗教を統合する教典、西洋風に言えば天地創造神の預言書である。神が語っている形なので、宗教に分類されるが、正確には宗教でも神道でもなく、神話も含めた人類の歴史の裏の裏に封印された、現代社会の本当の姿、本当の天国の正体を明かし、一人一人の生き様を振り返り、本当の世界平和をもたらす術を語る文献である。しかし、既存の宗教の経典とは赴きを異にした表現と現実社会の存亡に直接影響する内容を持っており、時の政府にとっては、宗教の経典というより、どちらかと言えば、実行可能な思想書だと見える。従って、近現代社会にとっては、特に、日本の政府当局にとっては、今までの歴史のすべてを否定し、現実の社会を破壊する恐れのある危険思想として映るため、大本教の弾圧に象徴されるように、あらゆる手段を使って闇に葬られてきた歴史がある。真釣りの響きは、魔釣りの勢力にとって破壊思想なのである。このことをしっかり自覚して、くれぐれも、今までと同じ轍を踏まないようにして欲しい。

これらの神示は、読む者の心の曇り具合、持っている響きによって、何通りにも読む(解釈する)ことができるため、独自教団を作り、あるいは、外国の宗教を取り込んで、宗教化することもできる。その場合は、教祖本人は元つ大神の取次ぎをしていると思い込んでいて、九分九厘までは真釣りを知らせる教義に見えるが、一厘の差で既存の神道や科学と同じ世界に戻ってしまう結果になる。しかし、これらの神示すべてを貫いている大神の真意はただ一つである。どの神示も、沢山の例え話を交えて手を変え品を変え語られているが、それは一つの真理を伝えるための方便に過ぎない。何度読み返そうとも、それが取れなければ、既存の宗教の経典や、哲学書と同じになってしまう。神示の中の言葉に囚われたり、一部分だけを都合よく使ったりすれば、意味がなくなる。この本は、これらの神示もすべて統合した上で、現代社会の日本人に分かる形で、世界の立て直しの天命を担う神民である日本人に向けて書かれた21世紀版神示である。ただし、本当の日本の神の道ではあるが、その真意を取り違えれば、魔釣りから抜けられないどころか、真釣りをしている積りでも、実際には、魔釣りを進める手助けをしてしまうことになるから、細心の注意が必要である。本当に正直に自らの生き様を省みなければ既存の宗教と何ら変わらなくなり、元つ真釣りのミロクではなく、魔釣りのミヨク(滅び)を進めてしまうことにもなりえることを覚えておいて欲しい。どんなに些細な誤魔化しでも、それは、自らに滅びの道を呼び込んでしまう結果になる。本当の神響きというのは、いい加減な誤魔化しは通用せず、その結果は、鏡のように、ありやかに自らに戻ってくる。今までのようないい加減な「信仰」ではミロクは幻となる。真意を取れるかどうかは、あなた自身にかかっている。本当に素直に自らのマ違いを認めること、100%の口心行を貫くことがその極意である。

                             ナムウ

元つ話 296

2012-05-06 Sun : 長谷章宏語録 
歴史を通じて中東に関わってきた米国も英国もキリスト教がその根底にあり、さらに石油利権や民主化、民族紛争、軍事的戦略等の経済的、政治的、民族(文化)的、軍事的な要因が複雑に絡んで、紛争の解決を余計に難しくしている。この問題が解決することは、即、世界平和の実現となるが、それは一筋縄ではいかない。現代社会の国際問題の根底には、言わば、天地創造以来の怨念とトラウマが尾を引いており、何千年にも渡る神と神との主権争奪戦の究極の現象化の側面があるため、政治的、軍事的、科学的アプローチだけではその解決は不可能である。戦いの根源を自覚しなければ、報復合戦がエスカレートするだけで、和平どころか、人類滅亡の現実を自ら引き寄せてしまう。本当の天国は真釣りの世であり、本当の平和は真釣りでしか実現しない。人類の歴史は、真釣り外した身魂を真釣りに戻す「情けと花の仕組み」の中にあるから、今の逆さまのやり方で何を試みようとも天国の実現は絶対にありえない。真釣りを外した逆さまの世である限り、その結末に待っているのは滅びのみである。真釣りに戻した世界、言い換えれば、魔釣りをすべて捨てた世界が本当の天国である。真釣りを闇に葬った魔釣りの世から見た闇の世界、それが、一厘の真コトの天国、ミロクの世である。今の世界のやり方では、国連がどんなに尽力しようとも、今の世にある宗教のいかなる神に縋ろうとも、世界平和は永遠の幻なのである。

三大宗教のうち成立が最も新しいイスラムは、コーランを教典とし、ムハンマドを最後の預言者とするが、旧約聖書と新約聖書、即ち、ユダヤとキリストの両宗教の預言者も認めている。ただ、イスラムの信者にとっては、あくまでも、ムハンマドは神の取次ぎであり、信者はアッラーを直に信奉しているから、いざ戦いとなれば、その一体感、団結心はキリスト教よりも強い。十字軍と言えば、世界史上の出来事であるが、歴史的な背景から、イスラム勢力とキリスト教勢力(十字軍)との宗教戦争は、形を変えて、民主社会と言われる現在でも続いていることは周知の通りである。宗教の思想や歴史を抜きにしては、世界史の本質は見えないのである。特に、イスラムの偶像崇拝を禁止の教えは、解釈によっては、現代社会における宗教対立を加速させる要因にもなっており、バーミヤンの石仏の破壊は、その象徴である。それは、相手側にとっては、自らの神(仏)の冒涜と映り、火に油を注いで報復合戦が激化する。戦前の日本がよい例であるが、宗教というのは、その解釈次第でどうにでも利用することができる。日本の神道は、偶像崇拝はしないが、鏡と勾玉と剣が三種の神器として祀られている。実際には、この神器は、一つの響きが形として別の現れとなったものであるが、バラバラの形だと見れば、神道の本質を見ることはできない。神社の本殿には鏡が安置されているが、これは、降臨の際に天照大神が自分の形代として託した神鏡がその根拠である。鏡は自らの姿を映す。日本人は、神様に参拝していると思い込んでいるが、その意味は、『自らの姿を省みなさい』という神託と同じである。今の自らの生き様も、ものの見方を根底から見直さない限り、自ら滅びを呼び込んでしまう。

現代社会は、分裂の響きが形になった極致である。宗教同士の対立に加えて、各宗教内でも分派や派閥の争いがあり、世界統一は一筋縄ではいかない。ギリシャ正教、ロシア正教、英国国教会等の各宗教の分派も含めて、カトリックとプロテスタントが対立するキリスト教とイスラムを中心とする外国(西洋)の宗教は、三大宗教のいずれかに分類される。従って、現代社会のすべての局面において、その宗教の本質である神と悪魔、正義と悪の二極対立の構図が現れることになる。科学というのも、形の現われの解釈という手法で、神が源である物質世界を語る宗教であり、共産主義や社会主義も、あえて言えば、神を認めない神の思想である唯物論にその基礎を置いた宗教と言える。結局は、すべての宗教と科学を突き詰めれば、最後には「神の領域」に踏み込むことになり、神についての議論となる。人類の歴史は、表面上は膨大な出来事が積み重なっているが、その根底にある「人類の歴史を進めた力学」は、天地創世から現代社会まで一切変わっていないのである。

東洋を見れば、曼茶羅の中心に座す大日如来を宇宙創造仏とする仏教は、ブラフマンを宇宙創造の源とするヒンズーの流れを汲む。アメノミナカヌシを宇宙創造主とする今の日本神道も結局は、天照大神を最高神とする一神教である。その他、各民族の土着の宗教も、それぞれの最高神を祀る一神教である。自然崇拝等の多神教であっても、自然や神々を産み出した源の力を神とする一神教と言えるから、結局は、人類の歴史を通した争いは、一神教の神同士の争いに帰結する。一神教の神同士が争うという矛盾を解決するためには、それぞれの唯一神を束ねる唯一神の登場が必要であるが、しかし、実際は、その唯一神もまた、唯一神ではないのである。そしてもし、世界をすべて束ねる唯一神の存在を認めると、それは、今まで世界を牛耳ってきた勢力にとっては、自らの作ってきた世界を一瞬のうちに闇に葬ってしまう、自らが信仰する神と自ら自身の存亡に関わる危険思想となり、現代社会のすべての営みが成り立たなくなるという現実を突きつけられる事態に直面する。これは、一人一人にとっても、自らの拠り所をすべて失う一大事であり、本当の唯一神が現われたとなれば、今の自分の存亡だけを目的に、たとえ本物であったとしても闇に葬る必要があると考える。それが自らの命の源を抹殺することになる愚かな行為とも知らずに。

                             ナムウ

元つ話 295

2012-05-05 Sat : 長谷章宏語録 
魔釣りの最高神の支配の完了というのは、元つ真釣りを外した「情けと花の仕組み」の世から見た真釣りの大神の神代に戻す仕組みの映しである。言うなれば、真コト真釣りの神代の光が一段落ちた(次元を一つ落とした)、真コトの一厘を見失った神の世界での天国復活の仕組みの話である。従って、光を一段上げれば、魔釣りの最高神の考えている世界は、すべてが無に帰す。しかし、真釣りの真コトの一厘を知らない魔釣りの最高神は、自らがすべてを知っている創造主であり、自らの知力で何でもできると思い込んでいる。自らの支配が完了した瞬間に魔釣りの世が消えることを知らずに、自らが支配する天国が絶対に成就すると信じ込んで、旧約聖書で言う「天地創造」から今の今まで何千年もの間、神を使い、人を使い、成就することはないその世界を完成させることを夢見て、幻に終わる世を進めてきたのである。神道も含めて、現代社会にあるすべての宗教の源流は、この神まで遡る。当然のことながら、この最高神と血統を同じくする神々やその手下である神々、その神々を信奉する人間、つまりは、現代社会に存在するすべての宗教と、その神々が根底にある科学で作った物質文明は、この神と同じ世界にいることになる。現代社会は、神から人まで、すべてが、この「最高神」の目指す世の現実に貢献している社会なのである。

現代文明は、西洋文明がその源であり、その西洋文明の基にあるのが、キリスト教である。キリスト教は、ユダヤ教が基にあり、ユダヤ教はヤハウェ(エホバ)をその最高神とする。イスラムの最高神は、唯一絶対神のアッラーである。この三宗教は、アブラハムを共通の祖先とする兄弟宗教であり、その聖地は、すべてエルサレムにある。嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会がそれであり、キリスト教はイエスという取り次ぎの語る言葉を通しての天の父と精霊と子の三位一体信仰であるが、ユダヤ教とイスラムは、唯一神を信奉する宗教である。一神教とは、自らの神を絶対とし、自らの神以外は認めない、という思想であるから、形の上では「共存」することはできるが、それぞれの神が「絶対神」である限り、神を一つにすることはできない。自らの神を認めさせたいが、相手の神は認められないという矛盾を解消したら、一神教は成立たなくなる。一神教同士が対立し、「相容れない」三つの宗教が一つの場所を聖地としている世界では、どんな手立てをもってしても、人間の世界で平和を実現することはできない。エルサレムの聖地主権争いは、世界の縮図でもある。一神教同士が和解しない限り、世界は一つになることはないが、実際のところ、それは、できない相談である。一神教同士が、自らの絶対神を産んだ本当の絶対神、すべての一神教の神を産んだ親神、一神教の源の唯一神を認めなければ、一神教の対立は解消しない。宗教的対立をそのままにして、人間同士が話し合いをしても、自らの主張を譲らないから、議論は物別れに終り、戦争という実力行使をしても、永遠に報復が続くだけである。

議論も戦争も、その顕現の源は同じであり、言葉を使うか、軍事兵器を使うかの違いに過ぎない。言論殺人をするか、肉体殺人をするか、の違いであり、それは、どちらも同じ動機に基づいた行動である。一神教の信奉者は、その絶対神と同じ思想を持つ。自らを絶対だと思い込んでいるなら、それは、一神教の信者の証である。お互いに自分が世界で一番になりたい蛇同士の睨み合いの世界は、結局は、共食いを経て、刺し違いで戦いは終わる。一神教同士の戦が終わった後に残った世界(本当の天国)こそ、本当の唯一神の世界である。

一神教では、すべては、神の命ずる通りの行動をすることが善であり、神の思想に従った文化を形成していく。八百万の神々の日本は、一神教の思想の理解は難しいと言われるが、戦前の天皇主権の下で実行された「神風特攻隊」の精神は、皇国のために命を捨てる精神の極致であり、現在の自爆テロの思想そのものである。太平洋戦争の際、全滅を玉砕と言ったが、それは、玉(魂)を砕く、と言う意味である。神道や天皇を軍事政権と軍部が利用したことは事実であるが、精神論で国がまとまるのは、日本人の根底に神がいるからである。科学と経済一辺倒の思考が加速したのは、戦後教育がもたらした結果であり、魔釣りの世界だとはいえ、戦前は、まだ「神を敬う心」「宗教心」が残っていたのである。現在ならば、神ではなく、金で誘導すれば、国民は簡単に右から左に動くことになる。神の力よりも、金の魔力に惹きつけられてしまうのが、現代社会の日本人である。神道は、八百万、つまり、万象万物に神を見るが、その万象万物の産みの親神を信奉する一神教である。

イスラエルとパレスチナの報復合戦の正体は、ユダヤとイスラムの神の聖戦である。そして、イラク戦争は、キリスト(十字軍)とイスラムの聖戦である。現代社会にある、その他の解決されない国際社会のルーツはすべて神の争いに行き着く。神から始まった世界の根底には、神が居続けるのが当然である。民主主義のリーダーである米国の大統領は、就任式で聖書に手を置いて宣誓し、演説の最後には必ず、『アメリカに神の祝福を』と言う。神と人、神の世と人の世は、一体不可分である。国教を封印した現代日本は、民主主義を形だけ輸入し、政治に宗教を絡めるのをタブーとし、公立学校では宗教そのものには触れない。日常から神を追い出した現代の日本の大部分の国民は、神を中心に生活する国の文化を理解することはできない。知識として教えることはできるが、神と一体化した生活の実感そのものは教えることはできない。現代日本は、国際問題を人間の世界の話だと思っている。しかし、人と人、国と国の争いの源は、神と神の争いであり、すべての対立の根底には、宗教があるのである。もし、神話が本当にただの物語であり、神などいないとすれば、人が自らで自らを産んだことになってしまう。神の存在は認めても、それが日常に影響を及ぼさない知識の範疇を出ないならば、現代社会の正体を知ることは難しい。神同士の争いが根底に存在する国際紛争を人間同士で解決することは出来ない。元々は、人間の思想自体が神の思想であり、神と神の対立を収拾しない限り、問題は何も解決しない。『人間の思想は神の思想である』ということ自体を認めないのが現代の日本人の思想であり、神(宗教)の本当の力、本当の恐ろしさを最もわからないのが、神を消した神の国である。

                              ナムウ

元つ話 294

2012-05-04 Fri : 神語録 

【火水伝文】 我空徳生降筆 (P114-120)

 これより日月に至る神仕組み、伝え参るが、そが前に、真釣りと魔釣りをタテワケて、今世の魔釣りを統べ魔釣る、悪き響きの自らに、伝え語らせあるが由、じくりと聞きて見なされよ。真釣りも魔釣りも二つ共、元つ仕組みのマ釣りにありて、表裏一体のものにてござるが、ハタラキは全くの逆様でござるから、よくよく注意申して置くぞ。一つは【タテナオシの真釣り】にてあるぞ。今一つは『タテカエの魔釣り』にてござるのぞ。今今の世のマ釣り申すは九分九厘、魔釣りとなりて居るを先ず先ずに知りて下されよ。スメラの真釣りと、ユダヤの魔釣りのことにてあるぞ。今今に伝え知らす事程にハキリ、タテワケ下されよ。
 魔釣りの負うたタテカエ申すは、汝等の界にありては破壊とは見破られん様に、進歩と見紛う様に仕組まれありたのぞ。元つ真釣りた仕組みを取り違え、自らの神を迎えんがため、醜くケガレしこの地(チ)の上(ヘ)のを、魔釣る仕組みの力にてタテカエ祓い清めんと、思いなしたが初めであるぞ。彼の者共の心、聞いてみやれよ。そは、『この地にある者共は『我善し』力で欲望を、追いて尽きせぬ者なれば、恥も節度も無きが由、よもや人とは申せまじ。仇(アダ)醜(ミニク)き獣なれば、この地を汚すは許せまじ。神に選ばれ約せある、ユダヤの民の負うところ、統べる御神の尊きに、無礼がありてはならぬ由、獣の卑しき性情を、煽(アオ)り使いて喜ばせ、自ら滅ぶ大魔釣り。金銀名誉に性欲を、加えまぶしたエサなれば、獣なる身にては抗ぜまじ。
 心と体を弱めれば、知恵は元々弱き由、扱い易き家畜なり、卑しき家畜の獣なれば、知力申すも底浅く、知恵にてだますはいと易き。薄弱虚弱に致すには、身欲を煽れば自らに、競って群れて来る程に、エサの加減で操りて、『あやま知』どんどん植え付けて、科学の名にて衣与え、科学の名にて食与え、科学の名にて住与え、過つ教えの出す毒で、自ら滅ぶが獣なるぞ。自ら滅ぶ学説を、見通す力の目も持たず、有り難がりてマ釣り上げ、身欲携え進み行く、進むが囲いのその奥へ出口あらざるその中へ、おだてすかせばいと易く、我先誇りて進むなり。
 神の支えるハタラキを、金の支えるハタラキに、だまし身欲と結ばせて、見える身欲を作らしめ、工業興して物作り、返すカタナで地を壊し、金無き身にては何事も、適わぬ世界と成さしめて、欲を煽りた夢魔釣り、叶うは難きも解からずに、手のへで踊るあさましさ、生くる基になるはずも、何の力も無き金に、まんまと命を預けたが、我が手に命を預けたと、気付けぬ愚かな獣なるぞ。
 卑しき家畜の獣なれば、神を敬う心なく、ありても選ばれ無くあれば、いずれ我らの邪魔になる。持ちたる敬神壊すため、自由、平等、博愛を、幾年使うてバラマキて、敬う基を迷信と、成して潰すが教育の、我らが仕掛けし裏舞台。功をそうして世界中、上下無き世と成り果てて何から何まで平等と、狙い通りの混乱を、狂いたタワゴト信じ込み、我らが図りし策略に、まんまとはまりし獣なるぞ。
 家畜の生くる基なる、衣食住成る基なる、神の創りしその糸を、勝手にむさぼり費やすは、神の御国を汚し行く、許すは敵わぬ事なれば、魔釣りた糸とすげ変えて、生くる基と切り離し、衣食住する物買うに、総てが魔釣りた糸なくば、生くるも適わぬ世となして、偽の三ロク(六六六)に従わす、魔釣りた企み九分九厘、成就致した今今が、世界を手中に致す時。残る最期の裏芝居、今今今に幕引きて独り立ちたるヒノモトを、餌食に致して世を潰す、我が神統べる時成るぞ。
 ユダヤの身魂の我が民は、神に選ばれ約せある、汚すも尊き民なれば、世界の要所、要所にて、使える獣を繰りて、身欲と力を叶えさせ、血縁、血族成さしめて、魔釣る仕組みに働かす、ニセのユダヤを創りたり。我が力を持ちあれば、地位も名誉も即ザマに、与うも奪うも自在なり。自ら望みて入り来たる、身欲固まる獣達も、余す所も無き程に、縦横無尽に配したり。いずれ元々獣なれば、生かすも殺すも獣達の、忠誠次第で決めるなり。心惑わす業(ワザ)持ちて、ケガレ逆巻く悪しき世に、させるが獣の仕事なり。獣を使うて獣潰すケガレを祓う仕組みなり』
 彼の者共の心底解かりたか。見通す力の目いうは、何でも見通す目の事ぞ。第三の目の事じゃ。しかあれ、そは知恵の目なり、真釣り無く開かれるは魔眼と成るなり。蛇の登り切りた姿なり。蛇の精一杯の姿にござるよ。しかあれこれにて寸止まりでござる、真釣り無き知恵は枝なり葉なり。カミカエラねば自ら持ち行けぬサダメであるよ。
 魔釣りの経綸申すものは、自らの神を迎えて千年王国を創ろうと、神に仇成す汝等に、身欲のエサをちらつかせ、汝等の心を曇り曇らせ、獣の心と鳴り成らせ、生くる総ての神の糸を彼の者共が支配して、逆らう事の出来ぬ様に致しておいて一挙に汝等の首根っこを押さえる仕組みが、魔釣りの経綸の表の意味でござるのぞ。こがイシヤの仕組みでござるよ。大きな仕組みをいと易く、知らせ伝え申したなれど、魔釣る仕組みは汝等の、日々生くる事どもに裏に表に綾なして、魔釣りた糸を引かせある、知らぬは汝ばかりでござるのぞ。何でもかんでも楽なミチには気を付けなされよ。心が獣に成りて来るぞよ。苦を避けむ甘き心が危ういぞ。しかあれ、この世に悪生ぜねば、発動致さぬ仕組みでありたを忘れて下さるなよ。
 マコトに綾なす仕組みにて、細かき仕組みは数知れず、ど偉い仕組みも控えて居りて、人知(ジンチ)で取るは適わぬ事であるなれど、この方は総て知りて居る由に汝等は皆々この方の申したことどもを、守り行じて下されて、安心致して見てるが善いぞ。この方の申したことどもを、守り行じて下さらねば、ケガレを祓うお仕組みに巻き込まれてしまうから申して居るのぞ。汝等ご自身が清まらねば、仕組み知ろうが知るまいが、汝自身が危ういと申し知らせてあろうがな。今今は残りた時が無い由にくどういうて居るのじゃ。清まり、清まりスミキリて下されよ。
 今今の世申すは、『蛇の火』が心の宮を奪う事に必死になりて居りて、悪の教えを良き事の様に、どうあってもだまし通すお積りで、魔釣りの道具を総て使うて、金漬け物漬け色漬けの欲漬けに致して、汝等の身欲を精一杯煽るだけ煽りて来るから、陽気な心の持ち様でありたなら危ういぞ。『蛇』は『蛇』じゃ。



元つ話 293

2012-05-03 Thu : 神語録 
【火水伝文】 我空徳生降筆 (P15~23)

 心濁らずば魂濁らず。魂もともとスミキリて居る。心濁らずばマハタラキ成るのぞ。心濁るは《囚われ》しが由なるぞ。心魂濁るれば言魂濁るのじゃ。言魂濁るれば不調和産むだけぞ。汝等皆々言魂スミキリて神に真釣り人に真釣りて好きなハタラキ成すなれば、汝等に出来ぬ事など無きが世と知りて解かりて下されよ。
 神、汝らの申せし理想語りておるのでないぞ。汝等食らうことなど自然と真釣り合わせつれば足ることぞ。神と人、真釣り合えば、ほんのチョットの嬉し楽しのお手伝いで済むことぞ。汝等の時間でいうならば日々一~二時間のことで有り余るのぞ。後は汝等の好きなことをして良いのざぞ。食らう事から自由になれるのぞ。食らう事から自由になるれば、人民様ワレもワレもハタラクさせくれよと申し来るのぞ。汝等のハタラキ輝くぞ。今の今でもこれできるのぞ。マコトぞ。
 今の今も汝等の食らう分、有り余れる程に用意してあるのじゃぞ。天恵、誰のものでもないのじゃ。気候、風土誰のものでもないのと同じ事ぞ。誰のものでもないが由、そのお土に生まれし汝等、その地にあるもの好きなだけ自由に食らうて良いのざぞ。人、食らう量限りあるぞ。天恵限りないのぞ。限りあると思うこと『あやま知』なるぞ。限りあると申しつること『あやま知』の信奉者なるぞ。汝等働かずば食らう事出来なくなりたるは、汝等働かずば困る者の図りし事ぞ。そは『あやま知』操りし者どもの、成せしが悪しき業(ワザ)なるぞ。
 幼きより黒を白と教えつられ育てつられば、これひくりかえすはなかなかのものぞ。オカシキ事はオカシキ事ぞ。人民様しっかりして下されよ。衣食住なんでも自分で出来るようにしてみてござれ、オカシキ事のタテワケ解かりて来るぞ。
 『あやま知』ひとつでこの様ぞ。今の世にある常識、道徳クサキものいっぱいあるのぞ。『あやま知』侮(アナド)りてはならんと申すこと解かるであろうが。汝等これに囚われておるが由、人生過ちおるを知らぬのじゃ。こ度はこれによりて無念の死とげるもの数多くあること忘るなよ。汝はこうでありてはならぬのじゃ。
 三千年の昔より、汝らには解らぬよう汝等の心身の薄弱化を図り続けて来たる力ありたぞよ。そは汝等の身魂捕らえるがためぞ。汝等の心、曇り曇らせ汝等の光輝忘却させ、自ら思考する事の出来ぬ獣と化さしめ、欲望のままに生くる者となさしむるがためぞ。そは汝等アメとムチにて治めんがためなるぞ。そは己が野望を成就せんがためなるぞ。そは自ら地球の盟主とならんがためでありたのじゃ。
 汝等を獣化(ジュウカ)せしむるに用いたる、主たる力が『あやま知』なるぞ。かの力、侮りてはならんと申した事、こ度の人類の歴史、彼等の思うどおりに描かれ来たりたの見つれば得心致すであろうがな。汝、幾度もの転生揺りかごから墓場までどっぷりと彼等の作りせし世で過ごし来たりたのぞ。三千年の企みぞ。そ度『あやま知』に囚われ囚われ苦しみ来たったのぞ。ソクラテス殺せし力も、イエス殺せし力も『あやま知』なるぞ。マコト唱えし者殺しマコト覆い隠せし力『あやま知』なるぞ。『あやま知』言うも直接手を下せしは『あやま知』に囚われたる人民様でありたのぞ。ここそ『あやま知』の狙うた企みぞ。果(カ)であるぞ。力であるぞ。
 『あやま知』仕掛けた者ども、この力よく知りておる。本来チカラ無きも知りておるのじゃ。悪は苦労に甘いから、知らず誉め称える人民様ばかりじゃ。誉めて力与えしも人民様ご自身なるぞ。誉め称える度毎に汝等の身魂、曇りに曇りて行きたのじゃ。ワナにはまりて行きたのぞ。治め易き獣と成り果てたのじゃ。
『あやま知』操る者どもも『あやま知』振りまく害悪を、知るが唯一の者なれば自ら冒され無き者と、勝ち誇りておるなれど、こ度は悪の影さえ残さぬのざから最期の仕上げを見てござれ。こ度の相手は元つ神ぞ。決死の覚悟で来てござれ。
 しかあれ、彼(カ)の者どもも始源の時汝等と共に『囚われ』の重き病みにかかりた者でありたのじゃ。このこと彼の者どもも知らず。由に『我善し』と思うておるのじゃ。この事、こ度に関わる深因なるゆえ覚えおきくれよ。後に解かるぞよ。
 今、最期の時。彼等の企み、彼等の申すとうり九分九厘成功しておるのぞ。彼等の企み最も鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。汝、気付かぬか。日本の人民様見てご戯(ザ)れ、上から下まで見てご戯れ、彼等の言うた〈自ら思考する事の出来ぬ〉人民様や〈欲望のままに生くる〉人民様ばかりの世になりなりておろうが。ここそ『あやま知』に見事にはめられし果ぞ。実ぞ。証ぞ。破滅の花でありたのじゃ。
 破滅の花はこわいぞ。欲心の種何処ともなく寄り付きて汝に芽吹くが由なるぞ。これ大事なことぞ。汝『あやま知』にどぷりと囚われておるが由、関わり無きと申すなれど、汝の持ちたる衣の糸引いて見て下されよ。食の糸引いて見て下されよ。住の糸引いて見て下されよ。衣食住その糸引きたる先見れば、商人がいるであろうが。更に引きたる先見れば工場見えるであろうが、農場見えるであろうが。さてその先に、汝何を認めしか。汝等日々ほとんど省みし事なきが、そは資源ぞ。汝等の創りたりえぬモノぞ。天恵ぞ。水ぞ。油ぞ。食物ぞ。鉱物ぞ。森林ぞ。海洋ぞ。地球ぞ。すべてのすべて神なるぞ。
 汝等この天恵なくば一日たりとも生きてはおれんのぞ。されば汝等一人一人にその糸集まりきておろうが。されど汝等、自然とあまりにも隔たされ過ぎたるが由に衣食住の本義忘れ、ただただ『あやま知』たる衣食住むさぼり生くるようになりてしもうたのじゃ。食えば食うほどゼイに入り、着買え捨つる狂り返し、住むに不自然作り上げ怪適かなえる物集み、『あやま知』病みたる欲望の糸引く勢い増しに増し、『我善し』消費の限り尽く。引かれし糸の先見れば、ワガ国ばかりか他国まで天恵むさぼり略奪の汚名頂く様となる。三千年の策略に、まんまとはまりし由なれど、成せしは汝の罪なるぞ。天恵とられし国々は、衣食貧しく住難く、辛き思いの国なるぞ。物心飢餓の国作り、地球の環境悪化させ、騒ぎ起きれば人ごとの、援助、援助と騒ぎ立て、汝の成せしは自覚無く『あやま知』たてたる援助にて、金だし、口出し、手を出して自国ばかりか他国まで利権むさぼり食い尽くし。『あやま知』散々ばらまきて、山死ぬ海死ぬ心死ぬ、貧富逆巻く悪き世にさせたが日本の罪なるぞ。寝ぼけマナコに在りては危ういぞ。こ度の大変、悪神は日本の人民様餌食に致してやり通す、申す声聞こえんか。これより日本を世界の悪者に成す仕組み、どんどん表に顕(アラワ)れ来るぞ。出て来てから騒ぐなれど後の祭りじゃ。真釣りは真先でなくてはならんのじゃ。これで少しは解かりたか。
 汝、外に悪認めしと申すなれど、悪現われたる元見れば、汝の手元に結ぶのぞ。汝の集めしその糸は『我善し』汝のご都合に合わせ作らる欲糸ぞ。『あやま知』生みたる悪の糸。汝の育む欲糸じゃ。汝の厭(イト)う原子力、背後で育む悪親は『あやま知』病みたる汝等の『我善し』使うる電力のひたすら消費が真の親ぞ。汝等、悪滅っせんと申すなれど、握りた糸切ったかや。汝等欲糸引かずば悪育たず。生ぜず。自ら滅するの他無きであろうが。糸切りて滅びる産業、悪の業と知る時ぞ。惨業でありたのじゃ。滅びる他に無きものでありたのじゃ。お役目終わりぞ。
 神の渡せし糸と汝の集めし糸、混同してはならぬのじゃ。欲糸ひとつ放せば神の渡せし糸太くなるぞ。欲糸ひとつ生ずれば、神の渡せし糸細くなるのじゃ。この道理解かるであろうが。
 これ程言うても解からぬ人民様ばかりじゃ。汝関わり無きと思いせば、その場で落つるのぞ。謙虚になりなされ。もう間違え出来んのぞ。最後のときぞ。後はないのぞ。神、頼むぞ。『あやま知』万物万象に渡りておるのぞ。汝一人関わりなきと思うてか。万物万象糸引かずばすべて汝に及ぶなり。汝動きしその時は万物万象動くなり。針一本落ちても万物万象に関わるのぞ。汝の言(コト)の葉(ハ)(口)、汝の思い(心)、汝の生き様(行)、何ぞ万物万象に関わり無きか。まして世の大変、汝等一人一人の『あやま知』由の現れと、素直に気付きて下されよ。


元つ話 292  「火水」 北米スタイル

2012-05-02 Wed : 神語録 
  ジェシカ・クリスタル・チャイルド


<後半部分より抜粋>

●人生では自分が決める時がやって来るのです。あなたは家に帰りたいかあるいは、家になりたいのか?って。
だから今度は そうすれば全ての人が入れる家になる?って。

●私が宇宙人たちと一緒にいて分かったことは、もし時間なんてものが存在しないなら、過去も現在も未来も全部同時に存在しているとすれば、これは幻想で、ある意味時間は、たくさんの静止画像の束に過ぎないってことですよね。そして、このカメラは殆ど動いていない訳ですよ。ただの静止画の束なんですよ。
だからこの現実は目の錯覚なんです。
私達の心の中でも同じことが進んでいるからそう知覚する訳です。そして、私達が時間というもの・・・つまり、私達の今いる「直線の時間」というものを信じるように教えられて来ているとすれば、それは私たちにいろいろな側面があって細分化されているという意味なのです。
だから未来バージョンの私達自身というものも私たちの考え方の確率にかかっているんです。

●グレイには感情というものが無いんですよ。そしてそれは私たち自身のひとつの側面でもあるんですよね。それに不思議だと思うんですけど、小さな子供に宇宙人を描いてごらんと言うと誰でも決まって大きな眼のグレイを描きますよね。
それで思ったんですが、何だか彼らは私たちがその道を落ちて行くのを止めようとして戻って来たんじゃないかと思うんです。
それってすごく変に聞こえますけど、そもそもタイムトラベルなんていうものがないとすれば一体どうやって未来から戻って来るのかってね。
でも例えば、一生タバコを吸っていた老人がそのせいで喉に穴が開いたとしたら、多くの場合ひらめいて小学校とかに行って子供たちに言って回るでしょう。「タバコは吸っちゃダメだからな、吸うとわしみたいになっちまうぞ」って言って・・・・私から見ればグレイもそれと同じ様に見えるんです。
それで、今度は「じゃあ今度は他の種類の宇宙人についても考えてみようかな」
「爬虫類型宇宙人はどうかしら? どうして爬虫類型がいるのかしら?」と。
そして私にとっては、何でも最初は心の中に存在しているんです。
私たちの内側に起ったことが鏡の様に反映されて外側に出てくるのです。
まず私たちの心の中で起こっている戦いがあって、だからこそ戦争が現実にも起っているのです。
体でさえそういうふうに中のものを外に映し出します。

●私はいつも、他の人たちと同じ様に本を読んだり映画を見たりする事が全然できませんでした。
他の人たちが理解する様には理解しなかったんです。いつも全然違うふうに理解してしまいました。
いつも、他の人たちと見方が全然違っていたから、だからつまり、爬虫類型(宇宙人)についてでさえそうなのです。
私は他の人たちと同じような見方ではないんです。
私は彼らが、私たちに爬虫類脳があるのでそれが現実化したものだと考えてしまうのです。
それがエゴのある場所で、否定的な独り言の90%がそこから来ると言われていますし、繰り返しやマインドの重要な制御因子がある場所でもあるんです。
私はエゴが悪いものだとさえ思わないんです。
エゴは私たちの注目を集めるために必死になっていて、私たちを安全に保つ義務があると感じているように思うんです。
そして、それは頑張ているのですが、今ではそれがどうしても私達にはそれが必要だという理由を作るまでになってしまっているんです。
それで今や私たちは、保護するものからの保護が必要になっていて、それが私たちの社会の中で、私たちのシステムに於いて、鏡の様に反映されているのです。元はそれは保護のためだったんです。

今や私たちはそこからの保護が必要になっているんです。プレアデス人でさえもそうです。
彼らは未来からの 鏡に映されているもう一つの私達自身なのです。
もし、私達が自分達の潜在力、つまり無限の可能性に踏み込んだら、そういった現実の可能性が私たちの前に実現化するということなのです。
だから、これら全てが私たちの前に広げられている訳です。
そして、それは本当に私たち一人ひとりが自分の心の中で行なう作業にかかっている訳です。
だから私たちには責任があります。一人ひとりが自分自身の自己達成しつつある預言だからです。
それこそが人類の本質であり、そして人類はずっともてあそばれている訳ですね。

●自分が創造性そのものになっているという感じに、皆が自分自身の真実を見つけるようにヒラメキを与えなさいということなのです。
例えば、「私が信じていることをあなたも信じなくっちゃ、だって私が正しくて他はみんな間違っているんだから」と言うのではなくて、それぞれの人が通って来た道を讃えて自分自身を信じられるようにすることなんです。
全ての答えは自分の中にあるということ。そして必ずしも他の人に答えを探したり頼ったりする必要はないということで、だって最初がそうだったから私たちがこんな混乱に陥ってしまった訳でしょう?
私たちは必ずしも、私たちにとって最高の意図を抱いているとは言えないような人たち、或いは存在たちに自分達の力を明け渡しているわけですものね。

●どうして人が「この世の終わり」という風に思ったり感じたりするのは分かります。それは、ずいぶん長いこと存在して来た旧い生き方、あり方、考え方が終わるということですから。
だから想像力の無い人や、それ以降のことが見通せないという人たちにとっては終わりなんですよね。
でも実際のところは、私たちがこれまでに夢見て来たことを遥かに凌ぐようなことなのです。
ある意味、それを理解するのに一番いい表現は「事実は小説よりも奇なり」ですね。

●そして私たちは、本当は全然異常でさえもないような「超常的な」現象をじかに体験するようになって行くでしょう。
それは私たちが本当は誰なのかが外側ににじみ出て来るだけですが、その現れ方は様々でしょう。
そういったことが、どんどん頻繁に起るようになるでしょう。
そして、ただお互いにそれが分かるようになって来るでしょう。
そうなったら戦争を続けて行くことはできません。だって・・・
もしも私があなたを傷つけたら、すぐに自分でもその痛みを感じるようになるんですから。
例えば私があなたの肩を叩いたとするでしょう? そうしたら、すぐにその痛みを私自身の肩に感じるわけですよ。
だから、最初は皆それでパニックになるでしょう。
だって今まで誰もそんなこと・・・と言うか、誰もこんなこと学校では教わって来なかったではないですか。
それはある意味極秘なのですよ。この世の中ではタブーなんです。
でもそれがまた戻って来るんです。
人類はずいぶん長いこと記憶喪失の状態にあって、今まさに自分たちがいつも知っていたことに目覚めるところなのです。
そして、それはとっても画期的です。すごく多次元的なのです。
つまり記憶の事ですけど、過去の人生だけじゃなくて未来の人生も多次元的な人生や、次元間の人生も生と生の人生も、それが把握できるようになり理解できるようになるのです。
今現在起っていることはまさにそこにたどり着くための踏み石のようなものなのです。

●私の過去世でしたね。私は一つがアトランティスもう一つがフランスです。
だから余りないんです。
人間の体に入って、肉体的なことや物質的なことに慣れるのって、とても奇妙な感じです。
でも地球に、この時期に肉体を持って存在しているというのはものすごく光栄な事なのですよね。
それに私、連れて行かれて、この時期にこの地球にやって来るのが待ちきれない魂たちが、ずっと列になっているのを見た事があるのです。
だから実はそういう訳で、この星に人が溢れているんですよね。
魂たちがみんなワクワクしているからなんです。
そして、この星はハーバード大学のようなものなんです。訓練中の創世主たちである私たちにとっては・・・それに、今この時期に肉体を持って存在しているのは、最高に光栄な事のひとつなのですよ。

●自然はこれまで決して嘘をついてこなかったし、これからもそうですものね。自然にはゲームは無いですし、力で支配するようなそういう事をしたいという様な欲望も全然ないですもんね。
それはただ豊かに与えるだけです。
それで私たちはその事を通して自分自身を発見することになるでしょう。
そして、正直なところ正にあるのは美しさのみということになるでしょう。
破壊や闇、恐れといったものは何もありません。それでそのことを自分自身に呼びかけて聞いてみてください。

●あなたが世の中に映し出すものに気を付けてください。常にあなたの想いに気を付けてください。そして穏やかであってください。そして、自分自身にもっと優しくしてください。
本当にそれだけです。
私が今ここに居て、シェアしている理由は、皆さんが若い世代について・・・つまりクリスタルとかインディゴとかについてよく聞いているからです。
でもそういう人たちはどこにいるの? そう、私たちは今ここにいます。

●私たちが自分の神聖なる男性性と神聖なる女性性のバランスを取って統合すれば・・・と言うのも男性性は長いことこの星を支配しているエネルギーだったし、それが今度は女性のエネルギーがパワーを回復して来るところなので、これまでに誰もインナーチャイルドほど虐げられて来た存在はないんですよね。だから今度こそ、彼らの出番なんです。
この事は聖書にだって書かれているのです。
「子供の心を持った者だけが神の御国に入れるだろう」それと「子供が道を開くだろう」ここから私が理解するのは、子供というのは私たちの太陽みたいなものです。それが子供の呼び名です。だから「あなたは私の太陽」と言いますよね。
そして、私たちの中の男性性と女性性を統合すると、平和が生まれます。そして統合が起るとインナーチャイルドが生まれるのです。

●もう一つ皆さんと分かち合いたいのは、イルミナティーとかそういった不協和音を生み出している勢力についての私たちの視点なのですが、人類がものすごい熱や圧力の下にある価値のない石炭だと信じるように条件付けられていると理解することですね。
そして、熱や圧力がイルミナティーやその他、不協和音を生み出しているものだと理解できる訳です。
石炭がものすごい熱や圧力の下に置かれていると何が起るでしょう?
ダイアモンドになるのです。
だから彼らは私たちに奉仕しているのです。私たちが踏み込んで自分たちのパワーを取り戻すのを助けているというという意味で、魔法とか錬金術という重要な刺激になる力があるんですが・・・たとえ人類が無限の可能性を秘めていても、それが素晴らしいものに育つ為にはその上に多くの肥料をかける必要があるのです。つまり糞ですね。(笑)
それから、イルミナティーについても話したいことがあります。
私は本当に、彼らはまるで高校のいじめっ子みたいに思えます。彼らはとても臆病で怖がりで、私たちが彼らを怖がっているよりさらに私たちを怖がっているのです。それに私には、彼らは単なるオズの魔法使いの様に見えます。
彼らは煙や鏡なんですけど「偉大で強力」です。でもその本質と存在の中心にまでたどり着いてみれば幕の後ろにいる貧弱な老人にすぎないのです。

                   ジェシカ・クリスタル・チャイルド



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参考資料(イルミナティー、グレイ、レプタリアン情報をご存知ない方に)

 イルミナティーの基礎知識

 爬虫類型宇宙人を追放



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