スポンサーサイト

-------- -- : スポンサー広告 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元つ話 535 そなたらがこれから体験するのは初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ

2012-12-31 Mon : 長谷章宏語録 
神のルールというのは「自分のしたことは自分で責任をとる」ということであるぞ。そなたのしたことはすべてそなたの選択の結果であるぞ。人や神や社会のせいにしている者、人や神や社会に頼っている者、人や神や社会を善悪○×損得で判断している者、自分の外側に神を探している者は、改心(改神)が必要であるぞ。人や社会が何と言おうとそなたが人の責任にせずにやればよいのであるぞ。神に善悪、○×はないのぞ。神に失敗はないのぞ。何をしてもよいと言っても、殺人や泥棒やいじめ等々は「人の責任ゲーム」の結果であるぞ。そなたのしたことを判断している者と議論するならば、そなたは神のルールではないぞ。迷惑というものはないのぞ。人のしていることを善悪○×損得で判断することが迷惑であるぞ。皆自分勝手であるぞ。神の自分勝手をすることであるぞ。

神のルールに反していればそなたは神には成れんのぞ。人間が創った「法律」違反どころの話ではないのぞ。そなたは調和を創りだす神のルールを破っているのぞ。そなたは神の犯罪人であるぞ。犯罪人を責めているそなたが神から見たら犯罪人であるぞ。この道理分かるか。厳しいが、そなたのために言っているのであるぞ。神成る修行の身であるそなたらは、神成る修行をすることが使命であるぞ。人のせいにしていた部分、○×の争いをしていた部分を無くすことが神なる修行であるぞ。今までのすべての人生で「自分の責任をとっていなかった部分」を清算するのが修行であるぞ。そなたの身に振りかかるように見える出来事、病気や事故や怪我や損や家族の死や失業等々の「不幸」と言われるものは、そなたが今までの人生での神のルール違反を自らの痛みで清算し、教えてくれているものであるぞ。そなたの苦は、そなたの今までやった「真釣り外し(神のルール違反)」を肉体を通して清算するための出来事であるぞ。そなたの葛藤や悩みは「神のルール以外のもの」を選んでいる証拠であるぞ。

神には「不幸」や「悩み」というものはないのぞ。神は喜びだけであるぞ。苦あるのはオカシキことであるぞ。苦あるのはそなたの責任転嫁の証拠であるぞ。自らのしていることを自覚して神成る修行をすることぞ。そなたが肉体の世界で苦しみ、痛み、辛さ、不幸等々を感じているときは、今までの真釣り外しの清算をしてくれていると思うことであるぞ。神がそなたの肉体を使って清算してくれているのぞ。自分の苦しみを人のせいにするでないぞ。自分の辛さを人にグチグチ言うでないぞ。人に言っても不調和まき散らすだけぞ。不幸がきたら感謝であるぞ。そなたの身に覚えがなくても、今までの過去の人生のどこかでやったことであるから、肉体に形になっていることが証拠であるから、素直に感謝してお詫びして改心することであるぞ。そなたの外側に○×が見えたとき、外側に責任が見えたときは、そなたがそう見ているのであるぞ。そなたが体験しているのはそなたがした結果であるぞ。そなたが見ているのは自分の内側であるぞ。そなたの肉体の体験というのはそなたの身魂のしていることの結果であるぞ。

そなたらは「犯罪」や「病気」や「事故」や「トラブル」等々についての本当の原因を知らないのであるぞ。「神」や「死後の世界」や「天国」について何も知らないのであるぞ。そなたがすべてを知っていれば何の混乱も、何の悩みも、何の恐れもないのぞ。そなたが神への感謝を忘れて不満や文句を言ったり、感謝を後回しにしてすぐに形の修繕に走ったり(医者に治して貰おうとしたり)、自分の身を守ったり、死を恐れたりしているならば、そなたにとって「新しい世」は遠くなるのであるぞ。そなたが今までの学や教にとらわれて神の言うことを聞かないならば、そなたの人生は今世で終わりであるぞ。神の言うことについてアレコレ言うのは勝手であるが、この方の言うことを否定すればそなたには「新しい世」はないものと思ってよいぞ。そなたの肉体は修行のための道具でもあるのぞ。今のそなたにとっては、グチを言ったり、文句を言ったり、人を責めたり、お金を集めたり、人をコントロールしたり、勝ち負けゲームや取り合いゲームに励んだりしている暇があったら、外側の鏡を使って、肉体を通して神なる修行を始めることが必要なのであるぞ。これは誰のためでもなくそなた自身のためであるぞ。

そなたらが宇宙と思っているものは、元つ神の中にはらんだ子宮内宇宙であるぞ。そなたらの宇宙にあるものはすべてこの方が産み生んだものであるぞ。宇宙は無限ではないのぞ。元の神まで考えれば無限なのであるぞ。そなたは宇宙について何も知らないのであるぞ。この方に聞けば宇宙のことはすべて分かるのであるぞ。そなたらがこれから体験するのは、初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ。そなたの宇宙そのものが神の世界に生まれるのであるぞ。それがどういうことかということを考えても分からないのであるぞ。そなたは神の世界を何も知らないのであるぞ。何を知ろうとしているのか。そなたが神の世に生まれればすべてが分かるのであるぞ。今度の出来事は、そなたらにとっては万古末代二度とない一度こっきりの出来事であるぞ。そなたは生まれて初めて見る世界にいくのであるぞ。そなたがすることは出産の準備を進めることだけであるぞ。神の世界のルールを学んで実行することであるぞ。神の世界への産道はもう開いているぞ。そなたはもう戻れないのであるぞ。神に成るか、滅びるかの二つに一つの選択であるぞ。

天神様の細道は神の修行がなければ通れないのであるぞ。産道は参道であるぞ。神社の参道は産道の型示し(神の仕組みを形で現したもの)であるぞ。神社には修行なくてもお参りできるが、神の世界へは修行(五用=神のココロ)なき者はお参りできないのであるぞ。この方の言う通りに修行をしなければそなたには神の世はないのであるぞ。この方しか知らない世界のことを人間に聞いても分からないのであるぞ。神の世界を知りたいならばそなたの内側のこの方と対話することであるぞ。時代劇の「お上の御用」というのは「お神の五用」のことであるのぞ。殿様は偉くないのぞ。元の神が一番偉いのであるぞ。そなたらはこの方なくしては存在できない身魂であるぞ。いつまでも、この方を知らぬ人間が創った身分や地位の上下ゲームをして威張っているでないぞ。威張っている者ほど、神の修行は厳しいのであるぞ。そなたが知っている神や仏は人間がつくったものであるぞ。そなたが神や仏のことをいくら知っても研究しても目くそ鼻くそであるぞ。そなたは神の世界のことを何も知らないのであるぞ。わかりたか。

そなたらは、これから、元つ神の子宮の外に出て「神」に成るので あるぞ。「神」といっても、そなたらは「日月地の神(地の日月の神)」という神であるぞ。「日月地(昼夜地)」を統べ真釣る神であるぞ。この方はすべてのすべてを統べ真釣る神であるぞ。そなたが神になるにはまず神の響きをださなければならないのぞ。神の想念になることであるぞ。神の響きを鳴らすことであるぞ。今この世界で神の行動をすることであるぞ。神の響きが鳴って、初めて神に成るのぞ。想念があって形になるのであるぞ。そなたが今ここで神の想念でなければ、次の世界にはいけないのであるぞ。そなたの想念の響きの通りの形を創るからであるぞ。次の世でいきなり神に成ろうとしても無駄なことであるぞ。最後になってまとめて修行しようなどと考えていても、そなたには耐えられんことであるのぞ。この方の言う通りに今ここで一つ一つ神成る修行をしていれば、厳しいとはいえ楽に神に成れるのであるぞ。今ここでこの方の言うことを聞けば必ず神に成れるのであるぞ。

                         章

スポンサーサイト

元つ話 534 末代動かない神の世を創る地ならしを始める時節になりたぞよ

2012-12-30 Sun : 長谷章宏語録 
そなたが今まで創りだしてきたものは、すべて幻想であるぞ。神のルールを無視して創りだしているから「問題」や「悩み」や「争い」が絶えないのであるぞ。この方は、歓喜弥栄、天国を創るのが望みであるぞ。イヨイヨ(5454)最後の最後、そなたらが創りだしたアベコベの形をすべて清算して、末代動かない神の世を創る地ならしを始める時節になりたぞよ。外の清め、人間(わが子)のしりぬぐいは神がやるから、そなたらは自分自身の大掃除だけに専念することぞ。神は総出で手伝うぞ。この後に及んで、まだ掃除をせんという神なる身魂の自覚なき者は、容赦はせんから覚悟いたせよ。そなたは不調和をまき散らしているのぞ。これは天国を創るための避けられんプロセスなのであるぞ。

すべてのすべての始めは「元つ神」であるぞ。すべてのすべては「元つ神」であるこの方が自らの内に産み生んだものであるぞ。そなたらも、中の神々も、宇宙も、すべてこの方の中であるぞ。元つ神であるこの方をそなたらの外に創りだすことはできないのぞ。そなたらが神と言っているのはそなたが創りだした自分勝手な神であるぞ。神が外にいるという宗教、自分の神だけを信じろという宗教はこの方の宗教ではないぞ。そなたにはこの方は分からないのぞ。見えないのであるぞ。この方のやり方が分かるだけであるぞ。そなたは、この方の言うとおりに、この方のやり方通りにやれば、今ここでも「天国」を生きることができるのであるぞ。すべてのすべてを創った神が言うことであるぞ。これ以外にそなたがこの先、生き残る道はないのであるぞ。

そなたが、今ここで「天国」を生きていればどこへいってもどうなっても天国なのであるぞ。そなたが天国ならば、今ここで死んでも天国であるぞ。新しい世の民にもなれるのであるぞ。次の世がどうなるか、死後がどうなるか、社会がどうであるか、これから何が起きるかを気にする必要はないのであるぞ。そなたの外で、物質の世界で、何が起きるかを心配するのは、神成る修行が足りない証拠であるぞ。そなたが体験からこの道理が分かったときに、そなたは初めて笑えるのであるぞ。本当に安全なのであるぞ。神成る修行をしたことになるのぞ。そなたらには一人として本当に笑える者はいないのであるぞ。神の修行をせずに今ここにあるものを楽しんで最後の人生を終えるか、神の修行を終えてから神の世界にいくまで今ここにあるもので楽しむか、大きな違いであるぞ。

今ここにあるものはすべて神のものであるから、人間のゲームでも神のゲームでも使えるのであるぞ。神の修行をしてからゆっくり遊ぶことができるのであるぞ。「そんなことはありえない」「そんなことはバカバカしい」などと言っている者は、この方のやり方は永遠に分からないのぞ。そなたは「新しい世の民」にはなれないのであるぞ。新しい世は、「神のルールを身につけた身魂」だけが生きることができる「神の世界」であるからぞ。そなたが神の世界に生きたいならば、人間のゲームからきれいさっぱり足を洗って神の修行をすることであるぞ。神の修行をすることが調和を創りだすことにもなるのであるぞ。神の修行をすることがみんなのためになるのであるぞ。自分のためが人のためであるぞ。今までの人間のゲームは迷惑掛け合う自分勝手ゲームであるぞ。神のゲームをすることが調和を創りだす方法であるぞ。神のやり方を迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。

この方が語っているのは、そなたの世界にあるもの、神の世界にあるもの、すべてのすべてを創りだす「オオモトの元の神の真理」であるぞ。すべてのすべてを自らの内に産み生んだ「元つ神」が語る「オオモトの原理」であるぞ。すべてを創りだす「創造の物理学」であるぞ。「神成る修行のやり方」でもあるぞ。そなたが新しい世で神に成るためのルールを語ったものであるぞ。そなたらには、最後の大掃除までもう時はないのであるぞ。いつまでも「我れ善し」の自分だけ勝手ゲーム、お金集めゲーム、人集めゲーム、自分が一番ゲーム、損得ゲーム、自分だけ勝つぞゲーム、あんたのせいだゲーム、俺は偉いぞゲーム等々、地獄の混乱ゲームをやっている暇はないのであるぞ。不調和を創りだす人間勝手なゲームはいい加減にやめて、このフミ読んで神成る修行にはげんでくだされよ。

「どれが元つ神のやり方か」「どれが本物であるか」「どうすれば神が生きられるか」「どうすれば神のルールから外れないか」「どうすれば天国になれるのか」などと言っている者は、この方の言うことを分かっていないぞ。この方にこういう質問をすること自体がこの方のやり方から外れているのぞ。損得○×善悪判断ゲームをしている者、人をコントロールしようとしている者、ある特定の見方(常識等々)しか認めないと言っている者、自分は正しいと言って他を排除している者、自分の外の神に頼っている者、人のすることに口出しする者は、この方を知らない者であるぞ。そなたが同じことをするならば、そなたも同じであるぞ。この方のやり方を知らない人間に答えを求めてもこの方は語らないのであるぞ。そなたがこの方を知らないならばこの方は判断できないのであるぞ。

この方は、そなたの想念と対話するのであるぞ。そなたの内側に問いかけなければこの方は答えないのぞ。この方のやり方は天国であるぞ。そなたは内なる声に従って一つ一つやればよいだけであるぞ。この方には、損得も善悪も○×もないのぞ。この方に判断はないのぞ。そなたがそなたの内側の声を判断をするならばこの方の声は聞けないのぞ。この方の言うことを聞くだけではなくてこの方の言う通りにやることが必要であるぞ。この方は、体験で分かる神であるぞ。この方のやり方は実際に体験して初めて分かるのであるぞ。特別なことではないぞ。そなたの行動指針というものを取り替えるだけであるぞ。今まで学んだものをこの方の言うことに交換するだけであるぞ。神の生き方と言っても特別なものではないのぞ。人に頼っていて文句を言うでないぞ。人のすることに口出しするでないぞ。自分のすることを判断するでないぞ。自分の体験を人の責任にするでないぞ。そなたがこの方のやり方をやっているならば、外のものは関係なくなるのぞ。

                          章

元つ話 533 人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ

2012-12-29 Sat : 長谷章宏語録 
神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何も言わないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何もこないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたものを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引換えであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるのぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人間の永遠の自由が得られるのであるぞ。人間から見ると矛盾して見えるが、これが真理であるぞ。この方の言うこと聞くと自由になるのぞ。この道理分かるか。

この方の申すことを信じるか信じないかはそなたの自由であるが、そなたの身魂はこの方が産んだものであることを心得てこのフミを読めよ。そなたが神がいるとかいないとか言えるのも、そなたの身魂をこの神が産み生んだからであるぞ。そなたはどうあがいても抵抗しても、この方の中からは出られないのであるぞ。疑う者は、こころゆくまでこの方から出ることを試みよ。そなたが抵抗するほどそなたが苦しむだけであるぞ。人は苦しみを解結できないぞ。そなたが人の苦しみを解結することもできないぞ。そなたは、この方の創った「神の法則」の中でそなたのお望みのゲームをやっているだけなのであるぞ。

そなたら人間は、次の世では「神」と成る身魂であるぞ。本当のヒトになる身魂であるぞ。一十(ヒト)になるのぞ。今はヒトになる間であるぞ。神に成る修行をしているのぞ。神に成れば全部自分でできるのであるぞ。神なる修行の身では、神の助けが必要であるぞ。そなたは自分が正しいなどとは言えないのであるぞ。自分がやったとは言えないのであるぞ。そなたがしたいことを神が手伝うのぞ。そなたが見ているものはすべて神の作品であるぞ。神が自由に操れるのであるぞ。そなた以外の人間も想念に指示して動かすこともできるのぞ。自分勝手だと言うのはそなたが自分勝手であるぞ。そなたは自分で何かしたと思い込んでいるだけぞ。人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ。

神なる修行の身であるそなたらは、神の法則を外すことはできないのであるぞ。神の法則は喜び創る、天国創る法則であるぞ。神の法則を外すのは不調和を創りだすことであるぞ。地獄を創る方法であるぞ。不調和創りだしている者、全部、神のルールに違反しているのぞ。人のこと言えないのぞ。人を裁いている場合ではないのぞ。自分はルール違反していないなどとタワケたことを言うでないぞ。自分は善人だ、自分は正しい、などと言うでないぞ。善悪、正誤で裁いている者は、ルール違反であるぞ。神は身魂を見るのぞ。身魂のルールであるぞ。迷惑だと言う者、そなたが迷惑であるぞ。そなたが自分勝手であるぞ。そなたは、肉体のゲーム、目に見える世界だけの損得、善悪のルールを決めてゲームをしているだけであるぞ。そなたがすべきことは、身魂のルールに従うことであるぞ。モノの損得など言っている場合ではないのぞ。身魂のルールを思い出せよ。この方が、このフミですべて教えるから、ここでシッカリとショウネを据えて勉強しろよ。

神は喜びであるぞ。神は永遠に喜びであるぞ。喜びしかない神が創るもの、すべて喜びであるぞ。神の法則も喜びを創るものであるぞ。簡単な道理ではないか。そなたは苦しみを神のせいにするが、そなたの苦しみは、そなたが神の法則を外しているのをお知らせするために神が与えているのであるぞ。「苦」「不都合」「不調和」は、そなたが神の法則を外している証拠であるぞ。自分のしたことを神の責任にするなよ。ますます外すぞ。そなたが神の法則を外したのを気づかせるために、本来ない「苦」を与える仕組みを創ったのであるぞ。神の法則を外せば、そなたの身魂は滅びるのであるぞ。なくなるのであるぞ。そなたは文句言えないのであるぞ。誰が決めたのかなどと言えないのであるぞ。本来ならば自分のしたことは自分の責任であるから、神なる身の自覚がないから、ほっといて滅びる体験をさせてもよいのであるが、素晴らしい次の世を一人でも多くに体験させてやりたいという、親心であるぞ。神の情けであるぞ。神の大サービスであるぞ。

この方は響きで表に出ているぞ。波動といってもよいぞ。振動数が違うといってもよいぞ。すべてのすべてを創りだす振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことはできないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないのぞ。そなたらが悪と言っているものも神が許してそこにあるものぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えておけよ。

人間というのは、この方が産み生んだ身魂が肉体という衣を着たものであるぞ。そなたは身魂であるぞ。肉体ではないぞ。身魂が肉体を通して感じているのであるぞ。そなたの想念がそなた自身であるぞ。そなたの想念と神の想念が語っているのであるぞ。そなたの想念を神が聞いて、神の創ったモノを操作して、そなたの希望通りのものをそなたに与えているのであるぞ。そなたが何かしているのではないぞ。そなたの想念を神が形にしているのであるぞ。そなたの目の前にあるものはモトモトは神の響きであるぞ。そこにある形はすべて神が創ったものであるぞ。そなたが生まれる前からあったものがそなたら人間を通して形になったものであるぞ。そなたは借り物を自分の物にしているぞ。そなたから見れば自分がしているように見えるのぞ。そなたがしたいことを神が形にするのぞ。そなたがしたくないならばしたくないと感じることを形にするのぞ。

                           章

元つ話 532 外に何が起きるか考えていると危険なのであるぞ

2012-12-28 Fri : 長谷章宏語録 
騙されていると思う者も、今度だけは、最後まで聞くのぞ。そなたはフミを読んでいるのではあるが、そなたのココロの声を聞いているのでもあるぞ。そなたが読むという時はココロの中の声を聞いているのであるぞ。このフミは、人を騙そうとか、自分だけ得しようとか思っている人間が語っているのとは違うのぞ。この方は、そなたの身魂を生んだ神であるぞ。この方は、きついことをたくさん言うぞ。しつこくしつこく何回も何回も同じようなことを言うぞ。それは、今ここで、この方の言うことを素直に聞かねば、そなたの身魂が栄えるか滅びるかの瀬戸際であるからぞ。身魂が滅びれば、肉体の死どころの話ではないのぞ。こらえにこらえて最後まで聞くのだぞ。これが本当の勉強、本当の修行であるぞ。悟りというのは神のやり方と人間のやり方の差を取ることぞ。瞑想は悟りを得る手段ではないぞ。神のやり方を実践して初めて差が取れるのぞ。差取れるのぞ。神のやり方を実際に行動することだけが悟りの道であるぞ。今までの教にとらわれるでないぞ。

そなたの人生が、そなたの思い通りにならないのは、そなたが神ではないからぞ。神はすべて自分でできるのぞ。人の責任にすることはないのぞ。すべて思いどおりになるから人の責任にする必要はないのぞ。人の責任にするのは、神ではない証拠であるぞ。そなたは、今は「神成る修行の身魂」であるぞ。新しい世で神に成るための修行をしている魂であるぞ。今は、この方とこの方の家来の神々がいなくては、何もできないのぞ。そなたの修行を神々が手伝っているのであるぞ。神に損得はないぞ。神は永遠無限であるぞ。いくらでも、何でも、創りだせるのぞ。騙す必要はないぞ。出し惜しみもしないぞ。そなたが必要なものは何でも与えることができるのぞ。そなたは神の言うことを聞いて素直にハイハイと言ってやれば楽に修行ができるのぞ。欲しいものが楽に手に入るのであるぞ。神の言うことを聞かないから、欲しくないものという欲しいものが楽に手に入っているのぞ。神の言うことを聞かなければ欲しくないものが簡単に手に入るのであるぞ。

そなたの回りにあるものは、そなたも含めて、すべてこの方が創ったものであるぞ。この方が創ったオオモトの資源を人間を通して組み合わせたり分解したりして創りだしたものであるぞ。すべてがすべて神のものであるぞ。神が自由自在に操作できるのであるぞ。人間からみたら奇跡や偶然に見えるのは、そなたがこの方のことを忘れてしまっているからであるぞ。この方は、騙したり、約束違反をしたり、出し惜しみしたりはしないのぞ。この方は無限の手札をもっているのぞ。あやま知にとらわれたゲームをしている人間とは違うのぞ。そなたは自分が何をしているのか何も知らないのぞ。このフミをよく読んで、神の言うことをよく聞いて、早う目を覚ませよ。

この方が偉そうにしていると思う者、この方は威張っているのではないぞ。この方はそなたを生んだ神であるぞ。すべての仕組みを創った神であるぞ。そなたの親であるぞ。そなたのことは一から十まで知っているのぞ。そなたの身魂のしてきたことをすべて知っているのぞ。そなたの-も+も見えるのぞ。そなたの知らないことも全部知っているのぞ。そなたの未来も知っているのぞ。そなたが天国になる方法も知っているのぞ。この方の言うことを聞けば、何でも与えるのであるぞ。そなたが身魂の掃除を終われば、そなたは歓喜弥栄なのぞ。この方の言うことを聞いたら、喜びだけであるぞ。疑うのは、この方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。この方の言うことを聞くといっても、人間の言う家来や奴隷になると考えるなよ。神の奴隷になれば歓喜弥栄なのぞ。そなたが思い通りにならなかったのは、この方の言うことを無視していたからであるぞ。そなたの苦しみや問題や悩みは、この方のやり方を無視しているお知らせであるぞ。お知らせをさらに無視して、人のせい、神のせいにするからますますお知らせがきつくなるのであるぞ。そなたがこのことを認めない限り、そなたはどんどん地獄に落ちるだけであるぞ。

この先は、神の規則通りにビシビシと出していくぞ。そなたが助かる方法は、神のルールを学んで、今までのルールと入れ換えて行動することだけぞ。そなたから見れば怖いことであるぞ。危ないことであるぞ。神から見ればそなたの方が危険であるぞ。そなたが身魂の、宗教の入替えをすることがそなたが助かる道ぞ。そなたが神の道を自分で歩き出すことぞ。これを身魂の掃除というぞ。そなたの身魂の掃除が済めば、外で起きることは何も関係なくなるのであるぞ。外に何が起きるか考えていると危険なのであるぞ。外で起きることを考えなくなるのが安全になる道であるぞ。これは今までの宗教で考えていてもわからんのであるぞ。そなたがやらなければ絶対に分からないのであるぞ。やらないで知ろうというのは甘い考えであるぞ。人生は甘くないのであるぞ。欲しいならば先に提供することぞ。神を信頼せよ。騙されるかどうかを心配するのはそなたの自分勝手であるぞ。

身魂の掃除をすればそなたは自由になるぞ。喜びになるぞ。身魂の掃除とは、善悪、正誤、苦楽に分けて考える分かつ知をやめて行動することぞ。この方の言う通りに素直に行動することぞ。この方の宗教を信じることぞ。信じることとは行動することぞ。わかったら一言一句違わず行動することぞ。わかったフリは、この方には一切通用せんぞ。タテマエは人間のゲームの中で身を守るゲームであるぞ。お互いにタテマエと知っていてタテマエのゲームをやって苦しんでいるのぞ。神なる修行とは、神の生き方を今ここで実践することであるぞ。できないというのはこの方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。

この神の言うことを素直に聞いていれば、そなたはもともと、何の苦しみも悲しみもないのであるぞ。苦はこの方のやり方から外れていることを教えているお知らせであるぞ。苦あるのはそなたの神のルール違反の証拠であるぞ。喜びを創る神のルールを拒否しているから教えているのであるぞ。苦あるのは当たり前ではないのぞ。本来は苦ないのが当たり前であるぞ。苦あるのが当たり前だと言う者、この方の言うことを聞いてないぞ。この方の言うこととアベコベをやっているのぞ。この方の家来になれば喜びであるぞ。この方の家来になることが喜び、自由になる唯一の道であるぞ。この方に抵抗することが、苦しみ、不自由になる唯一の道であるぞ。今のそなたの姿であるぞ。素直が一番ぞ。人に素直ではなく、神に素直になれよ。すべてアベコベであると思って行動せよ。

                            章

元つ話 531 そなたが戦っているから神が外に戦いを見せるのであるぞ

2012-12-27 Thu : 長谷章宏語録 
これから語ることは、そなたの体験やそなたの目の前のもの、すべてのすべてを創りだす神の真理であるぞ。そなたの誤解や、あやま知や、問題や、悩みや、苦しみや、戦争や、平和や、喜びや、幸福や、豊かさや、病気や、怪我や、事故や、不満や、文句や、すべてのすべてを創りだすことのできる、神の法則であるぞ。神は全能であるぞ。何でもできるから、すべてのすべてを創りだす法則を創ることができるのであるぞ。そなたは、喜びでも悲しみでも、何でも好きなものを創ることができるのぞ。そなたが創るのではないぞ。神が、そなたの想念(想い、ココロの声)を通して、そなたの注文を聞いて、神の創った道具(資源)を操作して、そなたのしたいように体験させてやっているのであるぞ。

そなたのしたことに、そなたがやったことというものはないのぞ。人間がしたことは、すべて神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の言葉も、人間の行動も、神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の歴史はすべて神が人間を通して創りだしてきたものであるぞ。自分たちがやってきたなどと勘違いするでないぞ。そなたが戦っているから神が外に戦いを見せるのであるぞ。外に戦いが見えるのは、そなたが戦っているからであるぞ。戦争があるのは、そなたが内なる戦争をやっているからであるぞ。どんなに戦争をなくす方法を話し合っても、この方のことを知らなければ答えはないのぞ。

そなたが許せば神はそなたに語りかけるのであるぞ。神はそなたがしたいようにするから、そなたが許さなければ神は何も語らないのであるぞ。この方はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。そなたは神の言葉を判断しているぞ。そなたは神の言葉を拒否しているのぞ。喜び創る声を拒否したら喜びないのが当たり前ぞ。当たり前ではなく、そなたが当たり前にしてしまったのであるぞ。今そなたらが体験している問題を解結するのも、神であるぞ。解結できるのは神のやり方だけであるぞ。今までの人間のココロを出すとますます混乱するぞ。神を知らない人間がいくら話し合っても混乱を創るだけであるぞ。今までは、すべて神が許していたからできたことであるぞ。物質文明も、情報化社会も、国際化社会も、戦争もすべて神が許していたからできたことであるぞ。今までも、人間の歴史は神の言う通りになっているのぞ。これからは、神のルール通りにビシビシ出していくぞ。神のルールをビシビシ適用するぞ。

そなたらは、平気で人を裁いているが、それは神がもっとも嫌うことであるぞ。神は一度たりとも裁いたことはないのぞ。そなたらが勝手に、罪や裁きを創ったのであるぞ。神が許していたからできたことであることにお気づきあれよ。人の行動や言葉は神の想念が形になったものであるぞ。人の言葉、人の行動、自分の言葉、自分の行動を裁くのは、神を裁くのと同じであるぞ。そなたが裁いている限り、そなたの思い通りにはならんのぞ。そなたが裁けばそなたも裁かれるのぞ。自分が自分を裁くのであるぞ。神を裁いていて神のココロになれると思っていなさるのか。神を無きものにしてこの先の天国あると思うなよ。自覚無きとはいえ、いい加減に目を覚まされよ。

この方は、そなたやそなたが言う神々を含めた、すべての宇宙、すべてのすべてを産み生んだ、元の元のオオモトの元つ神であるぞ。この方のことを知ろうとしても無駄な抵抗であるぞ。この方はそなたよりも大きいのぞ。そなたはこの方の法則のはたらきを知ることができるだけであるぞ。神とは何ぞや、という宗教は永遠に答えはでないぞ。答えのでない問い掛けをいつまで続けるおつもりか。そなたの外を見ても探しても答えはないぞ。そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。この方のことは何も分からないのぞ。この方が見えなければ、自分も見えないのぞ。自分自身が見えないで、この方を、元つ神を見ようというのは無理なことであるぞ。いい加減に目を覚ませよ。

このフミは、この方が創ったものについてのことを、創った張本人が、自ら語るのであるぞ。そなたも宇宙も神々も分からないことをキレイサッパリ全部教えるのであるぞ。こんな確かなことはないであろうが。こんな願ってもないことはないであろうが。このフミを伝えているこの者(=著者)はこの方が、そなたらが自動書記と言っている方法でノートに伝えて、一つ一つ実験させて、試行錯誤させて、苦労辛抱しながら気づいていったのであるぞ。そなたはそれを全部教えてもらえるのぞ。そなたは理科の実験の如く、人間を通して実証されている仮説を追実験するだけでよいのぞ。結果は決まっているのぞ。

神のやり方は絶対であるぞ。こんな楽なことはないではないか。楽に見えるが楽ではないぞ。この者がしただけの苦労を短期間でするのであるから覚悟いたせよ。そなたが今まで楽をしようとしていた分だけそなたは苦労することになるぞ。苦労することになるが、神の苦労は必ず報われるのであるぞ。人間にさせられる苦労とまぜこぜにするでないぞ。神は騙す必要はないのぞ。神はウソをつく必要はないのぞ。神は何でも好きなだけ与えることができるのぞ。そなたが提案した分だけキッチリと与えるのであるぞ。このことについては、後々に、しつこくしつこくいやというほど語るから、シッカリとココロして聞くのぞ。いい加減な気持ちで聞いていると、最後の最後で取り返しがつかなくなるから、そのつもりでハラを据えて修行に取り組めよ。

                           章

元つ話 530 何が起きるか知れば知るほど危ない

2012-12-26 Wed : 長谷章宏語録 
いつまでも人を批判するのはよいが自分が神ココロにならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。今回の大掃除は誰一人として避けることはできないのぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。肉体で助かろうとすると助からないぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道ぞ。世紀末に何が起きるか知っても意味ないぞ。そなたが神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。そなたの肉体は、そのままでも、神ゴコロになっても、どっちにしても一旦お召し上げ(肉体を脱ぐ=死ぬこと)ぞ。そなたが神ゴコロになっていれば、次の世界に生き返ることができるのぞ。神ゴコロでなければ、死んだあとも修行は続くのであるぞ。死んでからの魂での修行はきついぞ。肉体あるうちに魂の掃除をしてしまうことぞ。

そなたがアレコレ心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたは肉体が無くなることを心配しているぞ。そなたは肉体ではないのぞ。そなたの本質は魂であるぞ。肉体が無くなっても魂は残るのぞ。魂は物質世界のどんな危険も毒もまったく関係ないのぞ。そなたの魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も放射能も肉体がバラバラになっても関係ないぞ。そなたの魂は新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している死は関係ないぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。魂の掃除あれば、肉体で何が起きても関係ないぞ。何も怖くないぞ。肉体去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるもの無くなっても毒食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神の最後の一厘であるぞ。そなたが嵌まっているトリックであるぞ。

そなたが学んだ今までの教えとはアベコベであるぞ。この道理分からねば、そなただけがアウトぞ。だれが助かるかは外からみてもわからんぞ。このフミはこのことを教えるための最後のフミであるぞ。これが最後の本当の真実であるぞ。人を頼る教や人を助けようとする教や争っている教についていくとアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危ないのぞ。これは真実であるぞ。これが真実かどうかと判断するのは嵌まっている証拠であるぞ。神の知識をいくら持っていても、目くそ鼻くそであるぞ。学や知や教や金では今回の大掃除は超えられないのであるぞ。そなたが自分がどうなるか心配しているとそなたが心配していることが起きるのぞ。心配するほど心配することになるぞ。

そなたは神の子であるぞ。そなたの魂は神の分身であるぞ。そなたには本来喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創る神の声を拒否しているからぞ。神に病気直しや予言はいらないぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。そなたの死は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで勝手に原因を創って勝手に治そうとしているのぞ。

神には自分の未来がすべて分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の想いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。起きることすべてが思いどおりのことであるから今この瞬間以外ないのぞ。過去も未来も後悔も心配もないのぞ。あるなら神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。神の生き方をマスターしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたが神の言うとおりにしていれば神の仕組みや神の世界を知ることができるのぞ。知識ではないぞ。体験であるぞ。

                        章

元つ話 529  2012・12・21は新地球就任式の日です

2012-12-25 Tue : 神語録 
天使評議会、大天使ミカエル、セイント・ジャーメイン:アセンション、ガイア、豊穣プログラム、および啓発の黄金時代の誕生
2012年12月21日 ゴールデンライト経由

Channeled by Goldenlight, thegoldenlightchannel.com. © The Golden Light Channel. Please include this copyright and credit at top without alteration when reposting this message.


アセンションについてもっと教えていただけませんか?

5次元およびそれを超える高次元エネルギーがあなた方の地球に先程侵入し始めました....またこれらの高次元エネルギーは12-12-12にマザー・アースの結晶質グリッドにロックされました。

今日は新地球就任式の日です 〜 ライトワーカー、スターシード、スターチャネル、高次元マスター、大天使、そしてソースによって高次元世界は生まれました。全てが遅かれ早かれこの世界に " 合わせ " 始めるでしょう.....そして自身のペースで高い周波数に " 上昇 " あるいは " 調和 " しながらあなたの人間体(肉体)もまたこの " 合わせる " ことの一部です。ある者はこの周波数に100%一致され、また他の者はゆっくりと乗り出しています。

自分は " アセンションして " いるのかどうか、あるいはアセンションのプロセスは実際どのようなものなのかについて、多くの者が今日混乱させられているかも知れません。アセンションは単純にこれらの高次元エネルギーによってあなたの振動数と意識および意図の増加を持ち上げることです。単にこれらの高い周波数に合わせこれらの周波数に調和する意図を持つことによって、あなたは " アセンションして " います。
自身に固有の意志と人生パターンに従って、皆が違った風にこれらの高次元エネルギーを経験します。それはさらにあなたのハイアーセルフとの繋がりの深化です。多くの他のメッセージにおいて私たちはあなたのハイアーセルフとの繋がりの重要性について話して来ました。この繋がりはソースおよび高次元エネルギーへ強く接続されるのを支援します。
つまりこの " アセンディング " は、 あなたのハイアーセルフおよびソースと繋がり、あなた方の愛しきガイア(地球上でのあなた方の人命を支援する構造の基礎でありあなた方のお母さん)の結晶質ボディーへとさらに今錨を下ろされた高次元エネルギーと調和する、一つの内部プロセスです。自身の上と内部にある生命を彼女は育成し維持します。
    
      (間)

彼女なしに、あなた方は地に足をつける家を持たないでしょうー非常に自由に優しくガイアがあなた方に提供するこの土製ボディー(地面)がなくてはあなた方全員が宇宙に浮かんでしまうのを思い描いてください。
彼女は最も愛情ある高次元生命でありあなたの親切、愛、同情、および尊敬に相当するのです。彼女は、この惑星上であなたが人間体で存在するこれらの幻想の数々を、あなたにとってすべて物理的に経験可能にしてくれます。
すべては幻想であり、故にすべてはホログラムです。現在創造的思考と意図によってあなた方全員で創造して入って行っているこの新5次元地球も、同様に、より高い次元のエネルギーのホログラムです。

旧3次元ホログラフィック・パラダイムの構造は崩壊していますーこれが、 旧3次元ホログラムの崩壊の象徴である、政府が辞職して、金融システムが砕けて、さらに旧3次元地球が" 下水溝 " に " 沈んでいって " いることの理由です。
ガイアが5次元高振動数エネルギーにシフトし、またこれらを彼女の身体の中に強力に保持しているとともに、この旧ホログラフィック・パラダイムに流れ込む新しいエネルギーはありません。彼女は彼女の旧幻想3次元世界の " 皮膚 " を脱ぎ捨てました。そして彼女の全身にエネルギーを与える彼女の5次元振動数のすべてで今日新たに生まれ、新しい生命、新しいパラダイム、新しい時代(アクエリアスの時代あるいは啓発の黄金時代)、そして人類のための新しい家の準備が出来ています。
そこで私たちは、5次元地球パラダイムへと結晶化して変容しているこれらの高次元振動数に合わせるべくあなた方を招きます。母なる地球/ガイアはこのパラダイムに既にあり、そして今彼女とともにこの新しい世界に来るようにあなた方を招いています。この美しい世界を今あなたの心のエネルギーで思い描いてください〜すべてのネガティヴィティー(否定性)のない世界、そして愛、豊穣、繁栄、健康、親切、同情、より高い思い、単一性、自由など、非常に多くの素晴らしい特質のより高い振動周波数に満ちた世界を。

今これを読んでいる人すべては今、この新世界へ合わせることが出来ます。あなた方全員はこの美しい創造に属する新世界の一部です。「WE(私たち)」はすべて今これを出産しています〜全ライトワーカーおよび光の者達、大天使達、高次元マスター達、高次元および他惑星の慈悲深い存在達が、さらにこの美しい創造に属する世界を意図的に明らかな形にする支援をしています。
高次元的グループ意識の光のグリッドはより強力になってきており、高次元振動数および「All for All(全ては皆のために)」の愛のすべてによる一つの光、この幸運な日々すべての瞬間とともにより美しく光満ちたものになってきています。
ガイアは惑星地球の精神本質であり3次元振動数へのディセンド(下降)〜(あなたがどこか他の信用筋の情報源で読むことが出来る通り)不正使用されたエネルギーおよびより暗いエネルギーのより低い振動数により彼女を絶滅寸前に追い込んだ実験〜に同意した、元々5次元精神の存在です。

彼女は今この旧ホログラムの手枷と灰から復活し、5次元に調子を合わせた振動数に属する配列またはそれ以上に存在します。あなた方多くのために、さらにより高い振動数と次元に時間の経過とともに調和し続けるでしょう。すべては振動数において加速し続けており、他の次元や他の惑星を含んで、継続的な啓蒙がすべてにわたって起こり続けるでしょう。
宇宙が宇宙的規模のアップグレードを受け、すべてが今 " アセンディング (上昇) " しています。すべてが今「ソース」、その「被創造物」のすべてを愛する「ソース」への整列にあります。すべてがソースへのより偉大な整列と繋がりの道に沿って移動しており、それは自らの起源と天地創造の故郷への道です。


NESARAやサン・ジェルマン信用のような、噂された繁栄プログラムについてもっと教えていただけませんか?

繁栄の新世界へのこの推移の間、不足、不均衡および貧困の旧世界が再度平衡が保たれあるいは再調整され、誕生する新しい地球に調節されるように、「昔年」にきちんとセットされたプログラムと企図があります。
サン・ジェルマン(セイント・ジャーメイン)のような多くの高次元存在がこうしたもので支援しています...

      (間)

(サン・ジェルマンが、彼の特徴的なおどけた様子で、光、愛、真実の詩を持って今あなた方の前へ進み出ます)

これらは私による事前の考察で 適所にあり
私はこれらを 毎瞬が新たな歓喜の間に 作成しました
あなた方は全員 調和の中で 生きるでしょう
そして 何も 欲することは なくなるでしょう
何故なら 秘密の領域から 私があなた方へ
あなた方の永遠の喜びのために 一つの美しい恩恵を
前にもたらすからです
そのように この美しい新世界に
今において 調子を合わせてください
万事は善く 常に計画されてきた通りに
時間通りに 繰り広げられています...
すべてのための 豊穣と繁栄
この 新しい 光を満たした土地で

    サン・ジェルマン、12月21日、2012の年に


カバルが備蓄した富は、計画された流儀で適所にずっと前にセットされた金額に加えて、再分配されるでしょう。新平等主義 " 政府 " 、しかし私たちはこの言葉を好まないので - 評議会あるいは団体がより良い言葉でしょう - は、すべての安寧とガイアの安寧に心を配る啓発された者の集まりとなるでしょう。
3次元ホログラフィック・パラダイムの崩壊と、あなた方の惑星の振動数およびこれらの新しい振動数に調和することにした人々の振動数の持ち上げで、あなた方の企業政治家や銀行家達はすべて崩壊し崩れ去ります。皆のニーズが世話をされるでしょう。また新地球環境における人々は繁栄と平和と喜びに暮らすでしょう。
" NESARA " と豊穣プログラムは、単にスピリチャルあるいは5次元の計画の明示です。それは高次元存在達とサン・ジェルマンによってセットアップされたものです。彼は、啓発の新黄金時代へのシフトの監督者の一人です。今あなた方の母なる地球、ガイアから放射されている新高次元振動数に調和することが、多くのあなた方に喜ばしい内面旅行であるよう私たちは望んでいます。

彼女はあなたがその上で暮ら土製の家(地面)を最も愛を込めてあなたに提供することを、謝意で常に思い出してください。あなたのすべての部分がこれらの美しいエネルギーで平穏に優しく統合しますよう。時に速く時にゆっくりと今生じている、このスピリチャルな " 高揚 " においてあなたを支援するために、すべてのために、創造主、天使の領域、高次元マスター達、あなたのハイアーセルフ、そしてあなたの担任ガイド達および保護者達があなたについています。
優しい愛と光の多くの恩恵は、この「今」にあなた方に送られます。

〜天使評議会、大天使ミカエル、サン・ジェルマン ゴールデンライトからも、この「今」に愛を... あなた方全員への愛で拡張している私のハート

All Goldenlight channeled messages: http://thegoldenlightchannel.com/category/goldenlight-channeled-messages/

翻訳 ソウルカメラ


元つ話 528 神が外にあるという宗教、外を信じろという宗教はすべてウソ

2012-12-24 Mon : 長谷章宏語録 
そなたがこの神を無私していたから、そなたは何もできなくなったのぞ。思い通りにならなくなったのぞ。そなたが神を知らぬ学や教にとらわれて神の子であることを忘れ、親の存在を忘れたから何が何だか分からなくなったのぞ。そなたが元の元の神のいることを忘れ去ってしまったから不自由、不平等、不博愛、不幸せな、矛盾や疑問や問題ばかりの世になってしまったのぞ。そなたは、先祖供養は大切だというが、血統の先祖の行き着く先はすべてのすべてを創った元の神であるぞ。そなたは、家系の先祖を祀って、この元の神を祀るのを忘れているぞ。この方を無私しているぞ。この元の神がなければ、この世のものは何もないのぞ。そなたもそなたの回りもすべてないのぞ。そなたも回りもすべてのすべてがこの方が創ったものであることを忘れるでないぞ。これを忘れては、自由も平等も平和も幸福も豊かさも永遠にないのぞ。今までのゲームはもう終わりであるぞ。

そなたは、そなたができないと言うから、できなかったのであるぞ。ありえないと言うから、ありえなかったのであるぞ。そなたが善悪を持っているから、善悪が見えるのぞ。そなたがそなたの内で戦っているから、外の者同士で戦うことになったのぞ。すべてそなたがしたいようになっているぞ。そなたが神を無私しているから喜びでないものがあるのぞ。この方が創った法則は、皆が喜びに生きられるやり方であるぞ。そなたの言う通りにそなたの体験を創りだす法則であるぞ。そなたがこの方の法則に違反したら、そなたに不都合や不調和を体験させて、元に戻す仕組みも創ってあるのぞ。すべての人間が喜びに生きてもらいたいという親ゴコロであるぞ。そなたの苦しみや問題はそなたが神の声を無私しているお知らせであるぞ。そなたの今までのすべての体験も、この方の法則に従ったものであるぞ。そなたがこの神の法則を無私したから、この神の法則に従って無私していることを知るために、苦しみを体験しているのであるぞ。

そなたの体験することは、すべてそなたのしたいようになっているのぞ。そなたがしたいことをすべて体験しているのぞ。そなたができるわけがないと言うとずっとできないのぞ。そなたが外のせいにするのは神の法則違反であるぞ。だから、不都合や不調和を体験しているのぞ。そなたがそれを外のせいにする限り、そなたは不調和を創りだそうとしているのと同じであるぞ。そなたは不調和を創って平気な顔をしているぞ。いつまで外のせいにし続けるおつもりか。この先は、神の法則違反をいている者にはビシビシ知らせていくぞ。神の声を聞いているものにはお陰をどんどんやるぞ。今までと同じであると思ったら、大きな間違えであるぞ。この方が言ったことはすべてその通りになるぞ。取り返しがつかなくならないうちにこの方の言う通りに生きはじめることぞ。この方はすべて教えているのぞ。知らないとは言わせないぞ。後になって気づいてもこの方はもう知らんぞ。

そなたは、神の法則を無私して、神を知らぬ人間の法則に従っていたから悩みを創りだしたのぞ。そなた自身が悩みを創りだしたのぞ。自分で創っておいて神に頼っているぞ。自分でしたことを人の責任にしているぞ。そなたが頼っている神は人間が創った神であるぞ。そなたの創りだした神はそなたの外にいるのぞ。外の神では悩みはなくならんのぞ。そなたの創った神はそなたの外にいるぞ。本当はそなたと神は一体であるぞ。神が外にあるという宗教、外を信じろという宗教はすべてウソであるぞ。そなたは、そなたの外に神を創りだして悩んでいたのぞ。そなたの外にいる神とそなたの境はどこにあるのぞ。そなたは自分で創った悩みを外の責任にするから悩みがいつまでも消えんのであるぞ。そなたが神を創ったのなら、そなたが神の神であるぞ。そなたは神であるのに、なぜに不満や文句を言うのか。神は何でもできるのであるぞ。神には悩みはないのぞ。そなたが神の子であるからそなたは悩みでも喜びでも創れるのぞ。神がそなたのお望み通りのものを与えるからぞ。外にある神を信じれば悩みがなくなるなどということはないのであるぞ。内と外を分けていてなぜに一つになるのぞ。悩みは分けているからあるものであるぞ。

神は歓喜弥栄であるぞ。神には喜びしかないのぞ。神は一〇〇パーセント喜びであるぞ。一時の喜びではないぞ。全部喜びにならないと神ではないのぞ。現世利益を求めるのは構わないが、神の言うとおり生きればすべて望みが叶うようになるのぞ。神を生きれば、御利益がすべて叶うから御利益を求めることはないのぞ。そなたが何かを求めている時、そなたは神の生き方していないのぞ。そなたの望みが叶っていないから求めることになるのぞ。そなたの欲しいものを外に探しても何も叶わないのぞ。そなたの内にすべての鍵があるのぞ。そなたの内にあるものが外に見えているのぞ。そなたの外に見えているものはそなたの内にあるものであるぞ。そなたの内を変えなければ、外に見えるものは変わらないのぞ。そなたの姿があるかぎり、鏡を割っても何回でもそなたが映るのと同じであるぞ。外の鏡を割っても何も消えないのぞ。そなたの姿を変えれば、映るものが変わるのぞ。

そなたは自分の想念を肉体を使って感じているだけであるぞ。そなたのココロの対話はすべて想念の世界であるぞ。そなたが見ているものは形はないのぞ。そなたは未来か過去か仮定の話か人の話か自分で勝手に決めた話をしているのぞ。新しい世界は神の世であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいることができないのぞ。次の世界の肉体は神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたにこれから必要なのは神のココロになる修行をすることであるぞ。そなたはそなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がそれに応じてお望み通りのものを見せるのぞ。そなたはそなたの中の○×をなくしていくのが役目であるぞ。
                          章

元つ話 527 神は体験であるぞ。神は行動であるぞ。

2012-12-23 Sun : 長谷章宏語録 
この者に聞けば神の生き方についてすべて分かるぞ。生き方は分かるが神は分からないのぞ。神を知ろうとするのは神を分からなくするのと同じであるぞ。神とは何かなどというタワケタ問いはもうやめることぞ。神の言う通りに生きていれば神を知らなくてもそなたの思いはすべて叶うのぞ。今は神を無私しているから直ぐには叶わないが、神を生きるようになればだんだんと想いが叶うようになるのぞ。神の言う通りに生きているということは、想念が神と同じになったということであるぞ。神ではないが、神と同じであるぞ。神がそなたの注文を聞くから、そなたの言う通りになるのぞ。この者はモデルであるぞ。この者を見れば神の生き方が分かるようにしてあるぞ。この者は神のサンプルであるが、この者は自由であるぞ。そなたもそなたの想念を通して神と語ることができるのぞ。そなたも神を生きればこのフミに書いてあることが真理であると分かるのぞ。真理であることが分かってから生きることはできないぞ。神は体験であるぞ。神は行動であるぞ。

そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この神を知らぬ人間に聞いても答えはでないのぞ。ましてや、神を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方の話を無私して答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声を素直にすべて聞くことであるぞ。聞いたことを実行することであるぞ。それがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方のことを教えられるものはいないが、この方のやり方を語れる者はいるのであるぞ。

この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりに分かる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いい加減に目を覚ませよ。この方はそなたのやり方を頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないぞ。この方を体験することはできないのぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つのぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。

そなたは、自分ができないのを何かのせいだと思っているが、それはそなたの自分勝手な考えであるぞ。そなたは、不満や文句を言ったり、神や人や社会や自分以外のものを責めたりしているが、それはとんだ見当違いであるぞ。そなたは今までの学問や教えに騙されているのぞ。神を知らない人間の創りだした学問や教えを信じても神を知ることはできないぞ。神を知ることができないということは、喜びもないということであるぞ。喜びしかない神の教えに争いや悩みがあるのはオカシキことではないか。こんな簡単な道理、なぜに気づかんのか。そなたが信じているのは神の教えではないのぞ。そなたは自由にならないやり方を信じているのぞ。自由にならないやり方を教えているのぞ。早く気づかんと、取り返しがつかんようになるのぞ。この方の言うことを聞くことだけが、そなたが自由になり、人が自由になり、自分も人も次の世で生き返ることができる唯一の方法であるぞ。

                           章

元つ話 526 人間に都合の悪いものの中に神の答えがある

2012-12-22 Sat : 長谷章宏語録 
これから語ることはすべてのすべてを創りだすオオモトの元の神の真理であるぞ。これは宗教ではないぞ。哲学でもないぞ。倫理学でも、心理学でも、道徳でもないぞ。そなたという身魂が生まれて初めて聞く真理であるぞ。そなたが今まで見ざる言わざる聞かざるで無視していた神の真理であるぞ。初めて聞くものは議論できないのぞ。このフミをすべて読みおわるまでは、見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。そなたの判断の基準はそなたが創ったものであるぞ。神を知っていれば神を体験していれば判断はしないのであるぞ。そなたが神を知らずに創ったものはそなたの自分勝手であるぞ。そなたの我であるぞ。そなたが神を知っていれば判断はできないのぞ。できないと言っているのにまだ判断する者は神の言うことを分かっていないぞ。神を知らない証拠であるぞ。これから、そなたが知りたがっていた、探していた神の真理をすべて聞かすから、今まで学んだ、神を知らぬタワケた教えは無私してすべてを白紙にして素直に聞けよ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるぞ。このフミはすべてのすべてを創った神が語るものであるぞ。このフミを文字にした、この者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのぞ。

今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を批判して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで、行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたは神を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、神の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無私していたから、騙されることになったのぞ。この真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なるものを創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。

そなたの疑問は神に聞けばすべて解結するのぞ。神に聞くとは、神の言う通りに生きることぞ。神の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。神の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。神は信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたに疑問はないのぞ。わからないことはないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神は体験を通して一つ一つ教えるのぞ。神の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。神の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。

この者は、神の言う通りに生きたから、神の想念をそのまま文字にすることができるのぞ。このフミは、この者の考え方ではないが、この者の考え方であるとも言えるのぞ。神の生き方をマスターした者であるぞ。神の生き方をマスターした者のモデルであるぞ。神の言う通りに生きていない者には、このフミは書けんのぞ。神が言うことを信じられないからであるぞ。神を生きていない者には神が文字にさせないからであるぞ。このフミを書いていることが、神の生き方をマスターした証拠であるぞ。このフミを書いていることが神を生きている証拠であるぞ。このフミに書いてあることは神の真理である証拠ぞ。神を知らぬそなたにこのフミが書けるかどうか考えてみよ。そなたがこのフミを批判するならばそなたにはこのフミは書けないのぞ。そなたは神を知らないのであるぞ。神を知らないそなたに神を批判することはできないのぞ。神を知らぬ人間が神を批判するとはどういうことであるのか。この神を批判すればそなた自身を批判することになるのぞ。この道理が分からなければ、そなたは永遠に自由になることはできないのぞ。

                          章

元つ話 525 もう、トキがありませんから厳しくきつく警告しているのです

2012-12-21 Fri : 長谷章宏語録 
 ここに書いてあることは(これから先の文章ももちろんそうですが)、私という人間の肉体を通して(私の想念に感応した大神様の想念を日本語という言葉に翻訳して)神様が語った、「人間として生まれた、すべての神成る身魂」に対するフミ(皆さんへの最後の最後の神様からのお手紙)です。
 皆さんが今まで学んだ知識を根底から覆す、アタマのこだわりを壊す、今まで隠されていた(見えなかった)人生の真実です。これを否定すると、皆さんは永遠に天国は体験できないどころか、皆さんという身魂(皆さんが肉体を通して自分だと認識している自分という感覚)自体が無くなってしまいますので、そのことをよく覚えておくことです。
 ここには、皆さんが今まで学んできたこととは全くアベコベのことや、聞いたことがないことばかりが書いてありますから、途中でいちいち価値判断や真偽の議論や批判をしていると先に進まなくなります。皆さんへの一つの情報として皆さんの体験と照らし合わせて考える材料にしてください。そして、受け入れられたところから、分かったところから実際にどんどん行動してください。
 皆さんが実際に行動してみないと真実かどうかは絶対に分からないのです。誰かに聞いても絶対に分かりません。もう、迷っている時間はありません。(このフミが出てきたことがその証拠です)。最後の最後の最後のチャンスです。今ここが、皆さんという身魂の人生最大の大勝負なのです。
 何度も言いますが、ここで大切なことは、神様とは何なのか、神様がいるかいないか、神様とはどういう存在か、ここにある情報が本物かどうか、著者はいったい何者なのか、といった議論はひとまず棚上げして(神様は「この議論をしている限り真実には気づかない」と言っています)、ここに書いてあるものを素直に受け入れることです。これは、私自身の単なる考え方ではありません(今までのように単なる考え方ですましていると後で大火傷を負うことになります。その時に後悔しても後の真釣り、取り返しがつかなくなります。神様の言葉でいえば、「これを外しては、末期の不覚となりぬぞ」となります)ので、そのつもりでハラを据えて読み進めてください。
 今回は、回りがどうなるかは関係ありません。一人ひとりが天国へいくか地獄へいくかの選択なのです。一人ひとりが天国へいくと大きな目で見れば、たくさんの人が助かったように見えます。外側の天国の舞台は神様が創るのです。皆さんのすることは、一人ひとりが天国へいくかいかないか、一人ひとりのココロの中のゲームです。次の世の「光一つ上がった肉体」に入れるのは、ココロの掃除が終わった魂だけなのです。その肉体のあるところは、すでに天国なのです。皆さんが今回の大掃除をするかしないかで、一人ひとりが天国を見るか見ないかが決まるのです。
 皆さんが天国へ行きたいならば、外側の世界を変えようとするのはやめて、自分の掃除をすることです。皆さんは「地獄」を創る方法を身につけていることを自覚しておいてください。そのやり方ではますます地獄になってしまうだけです。ですから、ここで、今まで学んできた内側のルールの大掃除をして、天国の方法を知っている神様の声を聞けるようにするのです。お掃除がすべて終わらない限り、天国には行けません。

 これから語られることは、実際は、すべて「単なる一つの情報」ではすまされない、これからの皆さん(という魂)の「永遠の運命」を決める極めて重要なものです。今この瞬間(考えている間にどんどん過ぎていきます)は、皆さんが、この先どういうふうに生きていくかによって、肉体の生死どころではなく、皆さんという存在(身魂)そのものの存続が決まる大事な分岐点なのです。一歩踏み間違えれば、奈落の底に落ちる瀬戸際なのです。だからこそ、神様は、厳しく、しつこく、目を覚ませと警告しているのです。
 これは神様の最後の最後の情けでもあります。ここで言わなければ、そのままほっとけば、皆さんの魂は永遠にお掃除されてしまう状況なのです。「神成る身である魂が、神の法則を外したら自ら滅びる」のが神のルールなのです。調和を創りだすのに邪魔だからです。皆さんがこれに対して反論するならば、皆さんは自分勝手です。滅びる魂です。
 皆さんは神様あっての皆さんであり、神様は天国しか創らないのです。そして、神様は皆さんの魂あって天国が創れるのです。だからこそ、ルール違反をした魂を今ここまで滅びないように生かしてくれていたのです(それも今回が最後だそうです)。
 皆さんが反論していること自体、不調和を創りだしていること、神のルール違反であることに気づいてください。

 皆さんは自分の魂を肉体で感じているだけであって、肉体そのものが皆さんではありません。ここで「自分」とか「皆さん」とか言っているのは、「魂の皆さん」であることを知っておいてください。そして、魂がなくなれば、皆さんの守っている肉体も地位も名誉も家も家系も世間体もお金も立場も、何もないということを知っておいてください。
 今ここにきて、「現世利益」にこだわっている皆さんには、次の世はありませんから、そのつもりで取り組むことです。

 今回は、神様の最後の最後の情けです。皆さんが「自分の責任をとるかとらないか」で大きく運命が変わるのです。神様が最後の最後のチャンスをくれたわけです。神様は言います。「本来ならば、これだけ言っても聞かない者は、ほっといて、最後の大掃除でまとめて掃除したほうが楽であるのぞ」と。
 神様は、今までずっと、何度も何度も無視されて、責任を負わされて、キチガイにさせられて、蹴飛ばされて、唾をはきかけられても、気づけ気づけと教えつづけていたのです。それでもなおかつ、最後の最後に「最後の警告」を出しているのは、一人でも多く天国へ来て欲しいという親ゴコロなのです。
 皆さんなら、「俺が何回も言っているのに聞かないなら、もう知らないぞ」なんて、文句の言いたい放題ですよね。こういうところからも、神様のココロ、神様の真意、神成る身魂の取るべき態度を学んでください。
 こういう愛に満ちた優しい神様も、もう、トキがありませんから、厳しくきつく警告しているのです。そして、ここで聞かないならば神様は「もう容赦はせんぞ」と言っていますから、そこのところを肝に銘じて、最初で最後のドラマを悔いの無いように楽しんでください。
 神様は、「ここまで言ってわからない者は、お好きなようになさるがよいぞ。素直にやろうとしている者(マコトをたてた者)の邪魔にならないように、そのまま大掃除まで控えておれ。言って分からなければ、身をもって知らせるしかないであろうが。そなたがどうなろうと、それはすべてそなたがしたことであるぞ。自分の責任を自分でとるのが神なる身魂のそなたらのルールであるぞ。いつまでも、屁理屈をこねて自分勝手にしているでないぞ。 歓喜(かんき)弥栄(いやさか)、天国を創る神の世界に反抗するそなたこそ、キチガイであるぞ。そなたは地獄を好んでいるのぞ。自覚なきといってもいい加 減にせいよ」と言っておられます。このセリフ、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?  そうです、皆さんが人に対して言っている「自分のしたことは自分で責任をとれ」ということです。

 実は、皆さんが人に対して言っている言葉というのは、神様が皆さんに言っていることなのです。つまり、皆さんが口に出すことは、自分自身のことなのです。皆さんの外側に見えるものは皆さんの内側にあるものなのです。このことをよく覚えておいてください。「あいつは悪くて私は正しい」というのは「私の中に両方ある」と言っているのと同じですから、こういう人に付いていったらどうなるかよく考えてみてくださいね。これが、皆さんの外側の宗教を見分けるためのポイントなのです。
 皆さんにとって、今この瞬間が、最後の最後の最後のチャンス、最初で最後の大勝負(どうすれば勝つかは決まっています。そして、今回は全員が勝てるのです)です。いろいろと言いたいこともあるでしょうが、自分自身のために、ここのところはちょっとこらえて、辛抱して、価値判断や批判は後の後にして、とりあえず、この本の一番最後の最後まで、一通り読み切ってください。
 その上で、どうしても今までのゲームをやりたい方は、どうぞ今までのゲームに戻ってお好きなだけ遊んでください。神様はそれも許していますから。その代わり、最後の最後、その時になってやり直そうとしても間に合いませんからそのつもりで。
 ここまで喋っているのですから、後はすべて皆さんの責任です。魂が生まれてから今までのすべての自分の人生の責任をすべて自分でとるという修行です。ココロして取り組んでください。

                          章

元つ話 524 自己の選択、私達は自ら選んだ者

2012-12-20 Thu : 神語録 
   <ユーテとミカエルそしてサンジャルマン>

彼らは、このように言います。宇宙は私達のハートの中に生じているから存在しているのだ。私達がそのことを知っていようがいまいが関係なく、と。その意味では、宇宙は全面的に私達に依拠しているのです。そしてこれこそが、私達の銀河系ファミリーにとって、なぜ地球上の人間がそれほどまでに重要なのかという理由なのです。彼らの存在は私達に依拠しているのです!
どうか、あなた自身で結論を見出してください!

  中略

これは真の人類にとっての冒険の始まりに過ぎません! 今に全てが与えられますが、私達は進んで許可し、喜んで受け取らなくてはなりません。新人類のための情報のコードは現在、望む者全てにダウンロードされています! 選ばれた人々はいません。そうではなく、私達は自ら選んだ者なのです!

 ユーテ :私達はハートの中で全宇宙を創造している
 ミカエル:自己の選択次第
 サンジャルマン呼び出しがある場合


元つ話 523 三日間の暗黒

2012-12-19 Wed : 神語録 
     内観の三日間

この期間はいわゆる”三日間の暗黒”という期間ですが、外側の出来事ではなく、「人の内側の経験と進化」です。

  12月21~23日の注意事項


元つ話 522 今までのゲームを続けようとすればするほど「気づけ気づけ」の声が大きくなる

2012-12-18 Tue : 長谷章宏語録 
 神のルールは例外なしで、厳格です。自分がしただけのことはすべてそのまま自分に返ってきます。お金も地位もコネも一切通用しません。すべての身魂に平等です。ルール違反に比例して、責任を取ることになります。表面上の形は全くの不公平に見えますが、これが本当の平等です。すべては自分のした結果でしかありません。
 責任転嫁は、自覚なき行動ですから、このメカニズムに基づいて、永遠に安らぎは来ません。現世利益の成功は一時のものです。今のままならば、人生浮き沈みがあるなどということになり、「全員が成功できる方法がある」などと言えば、「ありえない」ということになります。まずは、素直に、今までやっていたことを認めることです。

 この先は、今までのゲームを続けようとすればするほど、「気づけ気づけ」の声が大きくなります。つまり、「苦しみ」や「混乱」が加速するのです。そして、反対に、天国の方法に切り換えたならば、「お陰」「プレゼント」もハッキリと分かるように現れるということです。ただし、プレゼントを貰おうとしてやるのは、今までのやり方ですから、プレゼントは来ません。皆さんが自分の持っているものを捨てるのが先です。

 「提供したものがそのまま返ってくる」のが神様のやり方です。損も得もありません。今までの見方で説明しようとすれば、「得しようとしたら損する(損したら得する)」ことになります。ただし、得しようとして手放すのは、得しようとしていることですから念のため。ただ素直に何の見返りも期待せず、手放すことだけです。
 すべては、皆さんの一人ひとりの意志次第です。実は、皆さんは、魂が産まれて以来、自分で自分のことを決めたことはありませんでした。皆さんは、「自由意志」というものをここで初めて本当に使うのです。本当に自分で自分のことを決めるという体験を初めてするのです。魂が生まれて初めて自分の責任で自分の人生を選ぶのです。
 「何で分かるんだ」とか、「難しくて分からない」とか、「私のような者にはできるはずがない」とか言って抵抗するのは自由ですが、それをやっていたのが皆さんの今までの選択ですから、その結果はどうなるか、よく知っていると思います。

 皆さんはすべて神の子であり、皆さんのしたことを裁くのは神を裁いているのと同じなのです。一人ひとりに応じたお掃除のプロセスは必要ですが、すべての人間が天国に行けるようになっていますので、まずは、自分のしたことや自分の性格を固定する(価値判断する/裁く)のをやめて行動することから始めてください。
 とにかく、まずは、ツベコベ言わずに、この「フミ」をよく読んでみるというところから始めることが必要です。私にアレコレ抵抗するのは構いませんが、ツベコベいっていると自分が危ないのですから、自分のために素直になることです。

 この文章を読んで、いちいち「カチン」ときているようでは、皆さんの今後はないものと思ってくださって結構です。非常に厳しいですが、これは、神様の言葉でもあります。
 本当のところは、今まで、神なる身魂である自分がしていたこと(神のルール違反をして、不調和、混乱を創りだし、お互いに、迷惑をかけあっていたこと/自分の使命を忘れて勝手なことをしていたこと)を素直に反省して、今までのルール違反をお詫びして、今ここで、改心(改神)を行動することだけが、これから先の皆さんの選択なのです。
 でも、それをどうするかは皆さんの自由です。神様はどちらも許しています。皆さん自身が決めることです。皆さん一人ひとりの問題です。永遠の天国へいくか、地獄へいくか、は一人ひとりの自覚しだいなのです。
 今までのように、一緒にいこう、連れていこうといっても今回はそうはうかないことを覚えておいてください。 「子供はどうするんだ」という方は、そのセリフそのものが自覚なき発言であることに気づいてください。
 子供は、魂では子供ではありません。肉体の見た目に振り回されないことです。大人のように知識がない分だけ、素直に聞けますから。

 今回は、肉体の生死ではなくて、魂の(永遠の)存亡がかかっているということ、そして、すべてを魂の視点で見る必要があることをしっかりと頭に入れておいてください。
 「天国」へ行きたい皆さんは、もう、今までの損得ゲームや裁判ゲームをやっている場合ではないのです。それは「地獄」に行きたい人間が選ぶ「神様が用意した大掃除の道具」なのですから。
 ここで語ってくれている神様というのは皆さんすべての魂を産んだ、皆さんの親です。皆さんの回りのすべてのものを創りだすオオモトの原料を与えてくれた親です。これは、すべてを知っている親からの子供への手紙でもあります。
 「ハイアーセルフ」「本当の自分」云々というのは、実は、すべて神様からの声だったのです。皆さんのココロの声はすべて神様の声です。それを、自分と神様に分けているから混乱していただけです。「ホンネを出すと混乱を創るから」という理由でその声を否定し、逆に、その通りに葛藤や混乱を創りだしていたというわけです。
 ホンネが神様なのです。皆がホンネを隠し合って、ホンネを探るゲームをして、やらなくてもよい争いを創りだしていたのです。

 今ここで、皆さんの前に提示される「神様の手紙」によって、今まで、ワケあって隠されていた(本来、自分のことは自分でするもの、自分で気づいて変えていくものなのですが、あまりにも外を頼る癖を身につけてしまって、いよいよ最終段階まできてしまったので、ハッキリと言葉で語って見せて教えて決めさせるプロセスに入ったのです)真実が次々に明かされています。神様は、皆さんが最後の最後のこの舞台でどうなるかすべて知っています。皆さんの内なる宗教を見ればすべて分かるのですから。それに合わせて、プログラムを創っていたというわけです。神様がすることは、皆さんが考えてわかるようなものではないのです。

 今ここで、すべての真実が明かされます。今まで何世代にもわたって伝え続けてきた「葛藤を創りだしていたオオモトの原理(逆に言えば、その葛藤をやめるための唯一のやり方)」が示されます。初めて「真理(神理/神のルール/神のプログラム/創造のメカニズム)」が明かされます。
 皆さんにとっては、初めてのことですから、それを疑うというのは何をしているのか、ここで、よく考えてみてください。それでもまだ同じことをしているのならば、神様はもう容赦はしないということですからそのつもりで、ココロして読んでください。そして、分かったところからどんどん実行してください。

 神様は、この手紙を、大掃除のプロセスを経て、神の法則通りにすべてを体験した「長谷章宏」という肉体を通して、すべてのすべての秘密を、皆さんの、人間という肉体を通して分かるように、言葉にして教えてくれています。
 最後の最後の、神様からきた警告の手紙です。最後まで静粛に素直に聞いて、素直に実行してください。絶対に損はありません。とにかく、最後まで、読み通して、ここでしっかりと本当の本当の真実を学んでください。

                          章

元つ話 521 アベコベのやり方をずっと続け、親から子へ、教師から生徒へ、代々伝え続けていた

2012-12-17 Mon : 長谷章宏語録 
 今までのやり方と、神様のやり方と、どちらを選ぶかは皆さんの自由です。神様は両方とも許しています。だからこそ、今までのゲームで混乱を創りだすことも許していたのです。本来、神の世界は、調和、喜びの世界なのです。そして、ここで提供されている方法は、その「神の世界」を創りだすための方法であり、実は、今までも、神様は、手を替え品を替え、その方法があることを皆さんに教えてくれていたのです。
 でも、今まで有史いらいずっと、三千年の間、皆さんが、それに気づかないで、アベコベのやり方をずっと続け、そうとも知らずに、親から子へ、教師から生徒へ、大人から子供へと、代々伝え続けていたというわけです。
今、皆さんの目の前にあるものは、ほとんどすべてが、まったくアベコベのやり方で創りだした、本来の神様の意向とは全くアベコベの作品なのです。そのやり方を続けるかぎり、どんどんアベコベの方向(混乱、地獄)へ加速して、アベコベの形をどんどん創りだし、訳が分からなくなっていくだけなのです。皆さんが「進歩」に見えているものは、すべて幻想であって、実際は、すべて「破壊」に向かっているということです。

 皆さんの回りのものがすべてなくなったら、皆さんはどうしますか? 皆さんは、最後の最後、自分の肉体を横たえることができますか? 皆さんが今、生きるのに必要だと思っているものはすべて無くなります。栄養の知識も、医学の知識も、健康法も、何も役に立たなくなります。最後の最後には、助かろうとすれば助からない状況になります。
 これは、すべて、これから実際に起きていくことです。なぜなら、皆さんは、皆さんの回りのものをすべて取り上げないと、自分がしていること(アベコベの宗教を信じていること)に気づかないところまできているからです。
 神様は、今まで、皆さんたち人間が、神のルールに反して、どんなに不調和、不都合、混乱を創りだそうとも、それを形にすることを許して、皆さんが気づくまで待ってくれていたのです。そして、すべてを本来の形に戻すための神様のプログラムの最終段階に入ったので、すべての情報を皆さんに分かるように提供してくれているということです。
 実は、神様は、今この時期に天国を創ることを、最初から決めていたのです。皆さんが始めの始めのまま、そのまま素直にいけば嬉し楽しの幕のあがりだったのです。ところが、皆さんが逆の方向へ走ったので、大掃除をする必要がでてきたというわけです。

 これから起きることは、すべて、誰のせいでもない、皆さん自身が創りだしたことなのです。神様のせいでも、先生や親や社会のせいでもありません。皆さん一人ひとりが教わったことを鵜呑みにしてきたせいです。神様は真実も教えていたのですから。起きることは否定的に見えますが、本来は、皆さんが神様に素直にやっていればやらなくてもよい大掃除だったということを知っておいてください。
 皆さんが、不満を言ったり、何かを責めたりするその態度そのものが、そういうことを言う結果になるような体験を創りだしてきたのです。すべて自分のせいです。そのところを自覚をもって、これからのお掃除に望んでください。
 本来ならば、三千年もの間、ずっと自分勝手なことをして、気づかせようとしていた親の言うことを聞かないような反抗的な子供はほっといてもいいのですが(皆さんは同じことを子供にやっているのでは?)、最後の最後の最後の親心で、一人でも多くの子供が天国に行けるようにと最後の大サービスをしてくれているのです。
 今回、今ここで、最後の最後、最初で最後の大掃除の前に、最後の手段として、今まで、いろいろなものを使って気づかせようとしても分からない、「身欲」「保身」「現世利益」「自分だけ勝手(我善し)」にとらわれた、自分だけ勝手な人間たちが、目で見て、そして、アタマでも分かるように、このように、人間の体験を通した言葉を使ってハッキリと、「目を覚ますための」材料を提供してくれたわけです。そして、なんと、おまけに今回は、出血大サービスとして、形で見ても分かるようにと、私というサンプルまで用意してくれているのです。
 私は渡しであり、皆さんへ「神様の真意を渡す」役なのです。これも、最後の大掃除へ向けてのプログラムであり、肩を叩いて気づかせるプロセスから、すべてハッキリと見せて教えて、今までの方法と、本来の方法とを比較させて、自分のことを自分で決めさせる、神成る修行の最終ステージのプロセスへと転換させる時期になったというわけです。

 このあたりのことについては神様が詳しく語ってくれていますので、そちらをじっくりとご覧ください。皆さんが本当のことを知ったとき、自分たちが何をしてきたのかに気づいたとき、愕然とすることになるでしょう。
 皆さんが、この教材をどう使うかは自由です。使わなければホコリ、ゴミが溜まったままで神の部屋(天国)は見えません。永遠に体験できません。そのまま崩壊、滅びへの道をたどります。ここで改心(改神)して、素直に使えば天国が待っています。皆が天国になる、本当の平和、幸福が形になるすばらしい世界です。
 ここで、皆さんがどういう選択をするかで、今後がすべて決まるのです。ここで改めて確認しておきますが、これは、初めて明かされるものですから、本当かどうかの議論をしても始まりません。その議論をすること自体が、今までのやり方ですから、その結果が何をもたらすか、よく考えてみてください。そのトリックに気づいて、それをやめることこそが皆さんの大掃除なのです。
 これは、理想でも空想でもない、本当の話です。すべて本当に起きる話です。私はすべて体験して、すべて実験して、すべて取材して、すべて確認してあります。少なくとも、私という人間には使えたやり方であるというわけです。
 私は、今までのアベコベのやり方の中で「いい子」を演じていた人間ですから、何も、特別な人間ではありません。そして、皆さんはすべて神様が産んだ身魂であり、神の子なのです。神のやり方は、皆さんの人生を創りだすメカニズムそのものなのです。ここに提供しているものは、すべての人間に使えるやり方であるということです。

 まずは、皆さん一人ひとりの内側から始めることが必要です。皆さんの内側が天国でなければ、始めからやり直しても、地獄ができてしまいます。やり方が同じならば同じ結果になってしまいます。神様は、今回は、天国になった魂しか残さないと言っています。この次の世界は、天国を創るのですから当然のことです。
今までの「地獄」は、皆さんの今までの「宗教」が創りだした結果です。皆さんの「宗教」を、綺麗サッパリ交換することを神様が要求しているのは当然のことです。「宗教」が天国でなければ再び同じことが繰り返されます。形は、想念の結果ですから。
 皆さんが見ている形というのは、皆さんの想念を神様が聞いて、形にするのを手伝ってくれて、形として現れているものです。今までは「混乱」「地獄」「自分勝手」な形も許して創りだして、それを通じて、気づくのを待ってくれていたのです。
 その神様が、今ここで「天国の想念以外は許さない」と言ったら、皆さんは、今までのやり方は通用しなくなります。すべては神様の中にありますから。

 これからは、神様は「神のルールに反するもの(混乱を創るもの)は一切認めない」というルールに切替えたそうです。これに反するものは、よりいっそう厳しいお知らせをもって気づかせることになります。ここにこうやって言葉でお知らせしているのは、その警告の一つでもあります。
 皆さんが「ルール違反は認めない」と人に言って、反した人を罰しているのと同じです。皆さんは、法律に違反すればどうなるか分かりますね。ただ、神は裁くのではありません。皆さんがルール通りにやらない時は、自分のしたことが自分に返ってくるように仕組みを創っただけです。ルール通りにやっていれば喜び、やすらぎだけなのです。ですから、「苦しみ」という形でルール違反をお知らせしているというわけです。「苦しみ」をつかうのは、相反するものを見せないと気づかないからです。「苦しみ」は自分のしたことの結果です。それを神や人のせいにしたらどうなるかわかりますね。皆さんはそれを平気で続けていて、どんどん苦しい状況を創りだしてきたということです。

                          章

元つ話 520 神の苦労は必ず結果がでます。人の苦労は騙されます。

2012-12-16 Sun : 長谷章宏語録 
 新しい世界は、永遠に続く、悪も闇も存在できない、自分の責任をとる神の世である
 次の世界は、永遠に続く、悪も闇も存在できない神の世です。永遠に続く天国です。今回の大掃除では、魂の掃除が終わった者も、すべて一旦は、今世の肉体を解かれます。そして、今回は「何も裁いていない」「すべてを許している」神様と同じココロになって、それをそのまま行動できるようになった魂だけが、次の時代、永遠の天国に生き返るのです。これが、身魂改め、閻魔大王の裁き(実は、一つになったかならないかを見るだけで、○×をするわけではありません。「閻魔様も裁いている」なんて言っている方は、あなた自身が裁いていることに気づいていません。天国に行くためには、非常に大変な大掃除が必要です)と言われていることの真実です。これは、最後の最後の最後のすべての大掃除が終わった後に起きることですから、今このことを心配している方は、早急に自分の大掃除を始めたほうがよさそうです。閻魔様がいるかいないか、善か悪かの議論をしている場合ではありません。
 皆さんの中に○×の戦いがあると、最後の最後は、肉体を消し合うことで、自分の目の前から自分に反抗するものを消して、自分を残すという愚かなゲームに発展することになります。自分に反抗するものが目の前から一時的に消えたとしても、内側の○×は残っていますから、残念ながら、何回でもそれは現れてくることになります。本当のところ、「邪魔者は消せ」ゲームは、最後の最後に皆さん自身を自分自身で消すことになる「オレを消せ」ゲームであることを知っておいてください。自分のしていることは自分の一人芝居であり、すべてその結果は自分自身に返ってくるのです。
 この先の皆さんは、「すべては自分に戻ってくる」ということをハッキリと、イヤというほど身を以って体験することになるでしょう。内側の戦いを持っている魂は、神の世には必要ないのです。そういう魂は、肉体もろとも最後の最後の大掃除で大掃除することになっています。最後の最後の大掃除でお互いの共食い(潰し合い)が始まり、最後は自分で自分自身の頭を潰すことになります。今まで続いた競争、勝ち負けのゲームはもう終わりです。 「○×の知識」、「二つに分ける知恵」(「ヘビの知」)、「保身」はもう通用しないばかりか、どんどん自分の首を締めることになるだけなのです。外側にあるヘビのゲームは神様が担当しますから、皆さんはそれらに戦いを挑んでいるその皆さんの内側の掃除をしてください。
 「あの集団は悪だから皆のためにならないから潰さなければならない」などと言っていると自分自身が潰れることになります。皆さんも、その集団も悪でも善でもありません。皆さんが正しいわけでもありません。戦うこと自体が神のココロから外れているのです。どっちもどっちです。その集団が何を目的にしていても関係はありません。「悪だから」と思っている(決めている)のは自分だけであり、勝手に戦っているのも自分だけなのです。外側にどんな大きなヘビがいても、掃除ができている人にとっては関係ありません。まずは、人のことを心配する前に、人に口出しする前に、自分のお世話(自分のお掃除)をしっかりとすることです。皆さんが言っていることは自分自身のことなのです。
 ヘビは頭を潰さないと死にません。今ここで、自分の「あやま知」のアタマを潰して、ハラで生き始めることです。皆さんが天国へ上がるには、龍の智慧が必要なのです。ヘビはそのままでは龍になれません。自分の大掃除をして、最後の一皮をむくことで、龍になるのです。

 ここに上げたような人は、私のこの本や私とも戦うことになりますので覚悟しておいてください。もし戦いたいならば、それでも構いませんが、この本と戦うということは「元の神」と戦うことを意味しますのでココロしてかかって来てください。「勝ち」はありません。例え、皆さんが戦っていたとしても、こちらは遊んでいますので、その辺りはご了承ください。皆さんが戦っているのは、皆さん自身なのです。

 自分自身が神のココロになる掃除をすることが次の世で生き返る唯一の方法である
 ここまで読んでくれば、もう、殺人ゲームや足の引っ張り合いゲームや自分だけ勝手ゲームやお助け合いゲームはできなくなるはずですが、いかがなものでしょうか? まだ、アレコレ言っている方は、神様のココロというものを、「伝えフミ」から直接、神様の話を聞いて、改めて考えてみてください。いずれにしても、今ここが、皆さんという魂の大きな分岐点だということを肝に銘じて、大掃除を進めてください。
 皆さんが今まで信じていたものが、神のココロとまったくアベコベのものであるとしたら、そのままでは、皆さんという存在は、今世で終わりです。ここには「終わりにならないようにするため」の方法、「天国の方法」が満載されています。次の世界を構える大神様が直接、語ってくれています。今まで学んだものを一旦白紙にして、素直に始めから学び直すことだけが、次の世界への切符になります。
 「天国への切符」を手にすることを決めたと神様が判断すれば、皆さんの大掃除はどんどん進み、どんどん楽になっていくでしょう。結果として「楽になるの」であって、「楽にする」のではありません。楽にしようとすると苦しくなりますから、念のために申し添えておきます。
 皆さんの魂は、神様の語っていることをすべて知っています。皆さんのココロの掃除をすることが今回の目的です。ココロの掃除が済めば、もともと晴れている空の雲が取れて、快晴の空(神の世界)を見ることができるようになります(天気というのは神様の仕組みを教えてくれている型示しの一つです)。
 見ようとするのは掃除していない証拠です。見えていないのはまだ掃除のない証拠であることを知っておいてください。できたときがするときです。見えたときが見るときです。楽になったときが成るときです。しようとするのはやめて、葛藤が見えたら掃除をするという繰り返しをコツコツとやってください。苦しいのは、皆さんが今まで掃除をさぼっていたツケですから、文句を言えば、掃除は済みません(自分のしたことに文句を言っても何も解決しませんので悪しからず)。
 神の苦労は必ず結果がでます。人の苦労は騙されます。皆さんは何も知らないのですから、神様の言うとおりに、素直に勉強しなおすことです。それが「天国への方法」の要点でもあります。
いろいろと書いてきましたが、皆さんの人生というのは、自分自身が認めている、信じている、選んでいる「宗教」「哲学」に基づいて行動した結果を体験しているだけなのです。そして、ここで最も大切なことは、「人の考え方」を批判している基準自体が、自分自身だけの「宗教」であるということを覚えておくことです。

                            章

元つ話 519 宗教団体というものは、まったくアベコベの結果をもたらす幻想

2012-12-15 Sat : 長谷章宏語録 
助ける助けてあげるの宗教教団は、みんなそろって助からない集団である
 今ここで、自分自身の「内側の大掃除」をすることだけが天国への切符であり、自分が助かる唯一の方法であることをシッカリと覚えておいてください。
 自分が人を助けられると思っている人は「大掃除」が必要です。本来、宗教団体というものは、まったくアベコベの結果をもたらす幻想に過ぎません。かえって混乱を創りだしている現状がその証明でもあります。助かるというのは最後の最後のことであり、病気や怪我が治ったり、お金が儲かったり、結婚できたり、といった今ここだけの利益を追いかけていると大きな落とし穴に嵌まって二度と出てこられなくなりますので、ココロしてここに書いてあることを読んでください。
 自分を助けられるのは自分だけです。最後の最後は「自分ひとり」になりますから、外にたよることはできません。助けてあげる、何かが助けてくれる、と思っているならば、皆さんは助かりません。そういうことを人に言っている宗教も、皆さんを助けてくれません。その宗教の教祖様も信者も助かりません。これを読んで怒っている方々も、助かりません。自分が自分で自分の首を締めることになります。
 「自分が天国になりたい」と思えば、「内側の大掃除」が必要になりますから、外側のものへの口出し、判断はできません。人を救うなどと言うことはできないことが分かりますから、勧誘や人集めはできなくなります。それをやっていると自分が「危ない」ことも分かりますから、宗教団体は自然になくなります。だからといって、グループや集団がよくないのかと早合点しないでください。一人ひとりがこのことを知って、結果として、お互いを高め合う、学び合う関係で、集まるのは別に構わないのです。
 本当の天国へ行く方法を実行すれば、「自分勝手をやって迷惑をかけない」ことになります。自分勝手をやって、したいことをして、最後は皆のためになるということです。
 皆さんの外側には何もありません。皆さんを助けてくれるものもありません。皆さんのすることは、皆さん自身の大掃除です。皆さんのココロは皆さんにしか見えません。皆さんが皆さんの目の前のものを使って皆さん自身の大掃除をするのです。これから皆さんがやることはこれしかありません。
 外側に何が起きようとも「自分教」に従っていくことです。自分の中は自分で掃除するしかないのです。皆さんの外側に楽にしてくれるものがあるときは要注意です。皆さんは掃除が終わらない限り、天国はないのです。今ここで笑える人は一人もいないのです。そこのところを勘違いしないようにしてください。皆さんの外側のものに頼っても、皆さんは救われません。今までの学問や教えや常識に惑わされないようにしてください。早く「自立」(自分がきめて自分が動く態度を身につける)することです。
 「これを信じるしかあなたが救われる道はない」と、自らだけが正しいと主張する宗教や、外の宗教を排除する宗教や、外側のものを分類している宗教や、戦っている宗教を信じれば、皆さん自身もそうなりますから「戦い」や「裁き」や「判断」をもったままです。掃除のない魂はトラブルを創りだすだけで、次の世ではジャマですから、そういう皆さんは、最後の最後にまとめてお掃除されてしまいます。
 神様は、掃除をさぼって楽をしようとする魂がいることを知っていて、大掃除をするための舞台作りとして、「楽しようとする、責任を取らない魂」を引っかけるための仕組みを用意しています。次の世は神の世です。皆さんは神に成る修行をしているのです。皆さんというのは、自分で自分のしたことを自覚して責任をとれるようにならないと次の世には行けないのです。「責任をとらないで楽しようとする魂」は次の世界では必要ないのです。皆さんが、自分の内側の掃除が済んでいないのに、すぐに楽になろうとしている時は気をつけることです。「楽なものを外に探す」「早く終わらそう」とするのは掃除が終わっていない証拠に他なりません。

 皆さんが外側に求めているから、騙されるのです。皆さんの外側には何もないことを肝に銘じて、この先の内側の掃除を進めていくことです。皆さんの掃除が済めば、皆さんの肉体がどうなろうと、皆さんは新しい時代の新しい肉体をもって生き返ることができるのです。皆さんが今欲しいと思っているすべてを手に入れることができます。その前に、最初で最後の「大仕事」、本当の「苦労」をすることが必要なのです。本物は楽しては手に入りません。
                           章

元つ話 518 外側にイチイチ反応している時は内側の掃除は終わっていない

2012-12-14 Fri : 長谷章宏語録 
「人事を尽くして天命を待つ」とは内側のお掃除をして準備をすることである
 最後の最後には、一人ひとりが自分自身を助けることになるのです。神様はそれを手伝ってくれるだけです。自分の掃除なしで神様にお願いしてもそれは無視されます。ズルイというのはお掃除ない証拠です。自分がすることをしてから頼んでください。
 神様は「自分だけで助かろうとするなよ。自分の掃除をして神を頼ってくるものは喜んで助けるぞ」と言っています。今ここで、何をすれば人事を尽くすことになるのか、ちゃんと示してくれているのですから、さぼっている人に関しては綺麗さっぱり無視です。神様はホンネしか見ていません。フリをしても駄目です。地位やお金や学やコネは一切通用しません。神様は、何がどうなるかわからなくても(人間に分かるはずがありません。わからないから探しているのです。探していても分かるはずがない人間が答えを持っているはずはありませんから永遠に見つかりません。答えは皆さんの内側にあるのです。この本は、皆さんの内側を探すための鏡として提供されています)、素直に神様の言うことを聞いて掃除を進めることだけを求めているのです。「正直者こそ、バカを見ないで天国にいける」のです。これが、「人事を尽くして天命を待つ」の本当の意味です。
 「助けてあげる」「助けてもらう」というゲームでは皆そろってアウトです。神様は掃除なくして頼ってきても助けられないと言っていますから、そこのところを間違えないようにしてください。口だけで改心しても、今回は役に立ちませんからそのつもりで掃除を進めてください。外側のものを分類したり、探したりしている時は掃除できていないことに気づいて、自分の内側に視点を戻してください。今までとはすべてアベコベです。
 外側のものに頼る宗教はもう通用しません。人を助けてやろうとしている教祖様たちや、カウンセラーや医者や宗教家の方々(実は、教師や親や、真実を知らないで、人を教育したり、裁いたりしている方々すべてにいえることです。そして、自分自身を裁いて落ち込んだり、悩んだりしている方々も同じことをしているのです)は、自分のしていることが、自分自身だけでなく、人をも一緒に滅ぼすことになるということに気づいてください。
 「何でそんなことが分かるんだ」「おれのしていることに口出しするのか」「人を助けることが何故悪いんだ」「あんたこそ危ないんじゃないのか」云々と言う方は、ここに書いてあることをもう一度よく読み直してみてください。自分の外側を見ていること自体が、自分の内側の○×に基づいて、すでに「裁いている」ということに気づいてください。私やこの本を裁くことは一向に構いませんが、「裁くココロ」を捨てないと、皆さん自身を含めて、皆アウトなのです。

 皆さんが、外側にあるものにイチイチ反応している時は、皆さんの内側の掃除は終わっていません。外側に何かを探していたり、楽になる方法を探していたり、外にあるものを善悪損得で見ていたりするときは、内側の掃除は終わっていません。そういう時の皆さんは自分の肉体を助けるものを探しているのです。人に口出ししたくなったり、人を助けたくなったり、人を可哀相だと思ったりするときも同じです。これが皆さんのお掃除をする時のチェックポイントです。
 自分が助かる方法を外に探している「保身」をもっている限り、逆に、最後の最後には助かりません。皆さんを助けるのは自分だけなのです。助かりたいなら、今までの人生で学んできた価値基準、手に入れたものをすべてを捨てる覚悟をすることです。このことをしっかりと今ここで確認しておくことが非常に大切です。

                            章

元つ話 517 お金とか地位とか名誉とか財産とか、それらはもう暫くすると無くなるもの

2012-12-13 Thu : 長谷章宏語録 
 現世利益を追いかけるゲームをしていると本当に取り返しのつかないコトになる
 皆さんが、お金とか地位とか名誉とか財産とかを失うことを恐れていても、それらはもう暫くすると無くなるものですから意味がありません。現世利益を求めるゲームはもう終わっているのです。そういうものを追いかけても、最後の最後ですべてアウトになって気づいて取り返しがつかないことがわかって呆然とすることになるだけです。
皆さんがやることは、新しい世界に生き返るための準備をすることなのです。新しい世界に生き返れば、皆さんが欲しいものはすべて来ます(実は、大掃除が終わると、今ここでも捨てたものが戻ってくるのです。いつまでも握っていることがかえって一度に放す結果になります。そして、もちろん掃除がなければ手放したものは戻りません)。
 皆さんの内側の大掃除が済めば、何が起きても皆さんは天国へと旅立てるのです。言い方を換えれば、内側の大掃除なくして天国はないということです。外側を分類すること、外側を探すこと、外側を批判すること、を続けることは、自分を守る、助けることにはならず、逆に、自分自身を「危険(魂が滅びる)」なゲームに導いていることを知ってください。そして、人を危険なゲームに誘い込むようなことも決してなさらないように、十分に注意してください。
 皆さんが「人を助けよう」としている時は掃除が済んでいません。掃除のことを知れば、「人を助ける」ということがどういうことなのか分かると思います。「人を救う」ということが善いことだというのは今までの幻想です。今回は、肉体を助けても、魂の掃除でなければ、肉体も魂も無くなってしまうのです。くれぐれも今までの教えに惑わされないようにしてください。善いことをやっても天国にはいかれないのです。
 これから先は、現世利益を追いかけていると、皆さんはアウトです。何せ、今ここにあるすべての道具は後数年の命ですから。最後の最後には、お金も地位も土地も制度も法律も自分以外の人も自分の肉体も、すべてなくなるのです。今までのゲームで皆さんが集めているもの、守っているものはもう無くなる運命のものばかりなのです。
皆さんがすることは「魂のお掃除」だけです。本当に天国を体験したいならば、今までのことはすべて忘れて(今までのものを裁いているとそこにとまります)、お掃除に専念することです。目の前の教材を使って、自分の内側を見て、今持っているものを手放して、お掃除をすることが、皆さんが欲しいものを手に入れる唯一の道なのです。今までとはすべてアベコベであることを常に知っておいてください。

                           章

元つ話 516 皆さんが見たものは自分の内側の反映

2012-12-12 Wed : 長谷章宏語録 
 今までのような人助けの宗教は自分も人も滅びる道を歩むことになる
 この先、混乱が進むにつれて、たくさんの宗教が出てきますが、皆さんが外側に探していると騙されることになります。教祖様たちは正しいと思ってやっているのですから、悪くありません。一人ひとりが、本当のことに気づくか気づかないかです。皆さんが本当に天国に行きたいならば、今ここで「真理」を知って、自分の内側の掃除をすることです。本当のことを知ったら、人を助けるというものがオカシイことや、人のことなどに構っている場合ではないことが分かるでしょう。外側に求めないことが、騙されないヒケツです。自分が外側を探していて気づかずに最後の最後に気づいてもそれは自分のしたことですから、そうならないように、しっかりと真実の目を開いて、これから始まる「大掃除への準備」をしてください。
 皆さんのすることは、外側のものを分類することでも、これから何が起きるか教えてくれる情報を探すことでもなく、自分自身の内側の大掃除をすることだけです。神様のことを知っても、過去世を知っても、一時の現世利益を得ても、何の意味もありません。皆さんが、今ここで求めるものは、現世利益を得る方法ではなくて、新しい時代に生き返る方法なのです。そして、それは、実は、一人ひとりの内側にあるのです。だから、外側の宗教では何も見つからないのです。この本はそのことを教えるための一つの教材ですが、単に、皆さんの外側に向いている視線を内側に向ける鏡に過ぎません。この本の内容が本当に分かったら、この本はいらなくなるのです。自分が自分を救う教祖様であると知ったら、もう外には何もいらなくなるのです。
 この本は、「自分教とはなんぞや?」「自分教の教祖になるには?」「内側の掃除をスムーズに進める法」等々を語った本でもあるのです。くれぐれも、この本や私を教祖にしないようにしてください。改めてお断りしておきますが、この本は、強制でも何でもありません。外側を見ている皆さん一人ひとりのお掃除の教材を提供しているだけです。神様はどっちの選択でも許していますから、選択の基準は、皆さん自身がどうなりたいかということだけです。自分のしたことが最後の最後に自分に戻ってくるだけです。
 皆さんという魂の今までの歴史は、今ここで皆さんが持っている内側の宗教が創りだしたものなのです。今この瞬間に過去のすべてのカルマを解消する材料があるのです。今ここからお掃除をしていくことで、カルマの解消は自動的に済むのです。カルマを解消する方法や楽になる方法を探しているとますますカルマを積むことになりますから、注意してください。そういうものを教えている方々も、ここで自分のしていることを改めて振り返ってみてください(その上で、そのまま続けたいならば続けても構いませんが、最後の最後でどうなるかは保証はありません)。
 皆さんは今ここですべてを掃除しなければ、次の「永遠の天国である神の世」には生き残れないのです。これは、一人残らず、世界中のすべての人間に言えることです。人が創った神の言うことを聞かなくても祟りはありません。「神を信じなければ祟りがある」などという宗教は、教祖様も含めて、信者すべてが最後の最後に外側の大掃除に巻き込まれてしまいます。本当の神様の言うことを聞かなければ、皆さんが最後の最後に天国に行けないだけのことです。そして、神様は、そういう選択をすることも許しています。
 全体の大掃除は神様がやります。そして、自分の大掃除が済んでいる人間だけを次の世のヒトにします。皆さんには、本当の神様を語ることができません。本当の神様を説明することはできません。本当の神様は、皆さん一人ひとりの内側に語りかけているのです。ここで言っているのは、別に、祟りとか裁きとかいうものがあるのではなく、単に、自分がどうしたいかという問題であるということです。皆さんが、今までのゲームを続けるならば、ただ、皆さんという魂がいなくなるだけのことです。
 「死ぬぞ」「殺すぞ」「家族はどうなってもいいのか」「先祖の祟りが」「悪霊が」云々という「脅し」を使ったコントロールに引っ掛かったら、皆さん自身がアウトになるだけのことです。そして、そういうことを言っている教祖様方は、騙すつもりはなくても、自分自身もアウトになるということを知っておいてください。実は、これを許しているのは、神様の最後の大掃除への舞台作りであり、「神様の仕組んだワナ」なのです。でも、そのワナに引っ掛からない方法もちゃんと示してくれているのですから、皆さんの掃除ができていれば引っ掛からないのですから、引っ掛かったら皆さん自身のせいだということになりますから、悪しからず。

 皆さんが恐れているから見えるだけなのです。恐れているということは見たいといっているのと同じなのです。神様は、皆さんが見たいものは何でも見せてくれますから、そのことをよく覚えておいてください。皆さんが見たものは自分の内側の反映なのです。内側を見るために外側に創りだしてくれたのです。自分の姿を見て怖がっているようなものなのです。皆さんの内側の掃除をしなければ、いつまでも見えつづけることになります。内側にあるものが外側にあるのです。外側にあるものは内側にあるものです。この道理をよく心得ておくことが掃除を進める際のポイントになります。
                           章

元つ話 515 「悪」を裁くココロを持っている魂は、新しい時代に行くことはできない

2012-12-11 Tue : 長谷章宏語録 
 皆さんの言う「宗教」や「哲学」こそ人生上の体験を創りだす「物理学」である
 皆さん一人ひとりが持っている「見方」「考え方」「行動指針」「方針」「基準」「ルール」「観念」「道徳」「マナー」「しきたり」「常識」「社会通念」等々といっているようなものは、たとえ皆さんが「哲学」や「宗教」という分類をしていても、すべて、皆さんが生まれてこのかた、親や学校や世間やテレビや噂や本などから教えられたものの中から、皆さん自身が自分の都合に合わせて選んだものであり、皆さんの人生の体験を創りだしている「物理学」なのです。「宗教」や「哲学」という分類をしているのも、皆さん自身の「宗教」に基づく、「自分勝手」なゲームなのです。
 見方を変えれば、皆さんの解釈や認識や現実を創りだす、すべての「考え方」、すべての「基準」が、皆さんがいっている「宗教」であるともいえるのです。皆さんが「宗教」であるとかないとか分類する基準そのものが皆さんの信じている(選んでいる)「宗教」であり、皆さんが皆さん自身の基準で、「自分の考え方は宗教ではない」と思い込んでいるだけなのです。
 皆さんの人生の体験というのは、皆さんが選択しているものに基づいて皆さんが体験しているゲームであり、皆さんが「その考えは選ばない」という選択を選んでいることで、その考えを選ばなかったときの、今、皆さんが選んでいる「宗教」に基づいて、その通りの結果を体験しているのです。
 実際のところ、「神様」も「仏様」も「常識」も、先ほどの「自分は~」のセリフも、すべて皆さん自身が創りだしているものであり、いうなれば、皆さん一人ひとりのもっている「オレの考え方」というものが、「宗教」そのものなのです。つまり、「宗教だ」「哲学だ」ということ自体が、皆さんの「宗教」であり、「哲学」なのです。議論というのは「オレの考え方」と「オレの考え方」の正しさの戦いであり、お互いに「自分は正しい」「自分は善いことをしている」と思っているから、終わりがないのです。
 戦いというのは「善と悪」ではなくて、「善と善のぶつかりあい」なのです。みんな「正しい」から際限がないゲームになるというわけです。みんな「善人」だから、相手を「悪人」にして争いになるのです。相手を悪くすることで自分を善人にして、勝ったつもり、守ったつもりになっているだけです。

 皆さんが外側に「悪」を見ているとき、それは、皆さんの中にある「悪」を映しているのです。皆さんが外側の「悪」と戦っている限り、外側の「悪」を排除しようとしている限り、皆さんは今回のハラとアタマの戦いに「勝つ」ことはできません。今回は、今までのような勝ち負けではなく、一つになった者が「勝ち」なのです。内側の戦いを終わらせた全員が勝つのです。その結果が、外(ほか)でもない「天国」です。外側に戦いを挑んでいる限り、皆さんは永遠に勝つことはないのです。それどころか、戦いを挑んでいる皆さんは、最後の最後は全員負けることになります。これが、「負けるが勝ち」の本当の意味です。勝ち負けゲームすらも、今までと全くアベコベの結果になるのです。


 皆さんがやることは、皆さんの外側のものを道具にして内側の掃除をすることだけ
 皆さんの外側には「悪」というものはないのです。皆さんが選んでいる「悪」という基準で外側を裁いているのです。自分の「善」「正しさ」を証明するために「悪」を否定するゲームをしているのです。自分だけを守るために、自分以外を排除して、自分を残すゲームをしているつもりになっているのです。「善」と「悪」というのは、それはどちらも自分の中にある、自分の持ち物であることに気づいてください。片方を排除しようとすることは、自分の中を二つに分けていることになるのです。これでは皆さんの内側は、永遠に一つになりません。皆さんの外側も一つになりません。「天国」は永遠にできません。
 戦っている宗教では、皆さんは救われることはありません。これから必要なのは、皆さん一人ひとりが自分の内側を掃除することだけです。一人ひとりが自分の内側を一つにすることです。「善」も「悪」もなくすことです。すべてを認めることです。すべてを許すことです。神様のココロになることです。それを実行することです。それだけが、皆さんを助けることになるだけでなく、皆さん以外の人も助けることになるのです。人を助けたかったら、自分を助けることです。人を助けたかったら、助けようとしないことです。
 自分が人を掃除することはできませんし、人が自分を掃除してくれることもありません。内側の葛藤は自分自身しかわからないのです。外にある「誰か」や「何か」が自分を助けてくれることもありません。一人ひとりが自分の内側を掃除するのです。外側にある「宗教」は要注意です。もっとも、皆さんが「自分の掃除」のことを知っていれば、外側を探しませんから、騙されたり、引っ掛かったりすることはありませんが。もし、騙されたとしても、それはその教祖様が悪いのではなく、皆さん自身の責任です。皆さんが外側を探していたのが原因です。教祖様を責めるのは、掃除が出来ていない証拠です。その「善悪」の基準、自分勝手、裁くココロを掃除することが実は、「内側の大掃除」なのです。


 皆さんを救うのは、皆さん自身が皆さん自身を救う「自分教」だけである
 皆さんを助けるのは、「自分教」だけです。皆さんの内側が戦っている(それは、外側が戦っているように見える、という結果で分かります)ならば、皆さんは一つになりませんから、皆さんは分裂したまま「最後の時」を迎えることになるのです。実を言うと、「悪」を裁くココロを持っている魂(つまり、一つになっていない魂)は、新しい時代に行くことはできないのです。だから、今回は、自分の中の「○×」「善悪」を消す大掃除をする必要があるのです。
 皆さんの目の前のものを鏡にして、自分の中の「偏見」「偏り」「裁き」を一つにしていく修行が必要なのです。皆さんの目の前のものを裁いていたら、いつまでたっても掃除は完了しません。外側を責めたくなったら、外側の悪を排除したくなったら、それは自分の内側の戦いが映っているものであると気づくことです。内側の戦いをやめることで、外側の戦いを終わらせることができます。いつまでも人を責めたり、恨んだり、戦ったり、分類したりしていると、自分自身が「危ない」ことを自覚しておくことです。

 皆さんの外側には皆さんを救ってくれるものは何もないのです。自分のココロという目には見えないものを綺麗にしていくお掃除が、皆さんを救う唯一の宗教なのです。このお掃除は、自分が自分をチェックするという作業ですから、一人ひとりにしかできないものなのです。自分のココロの戦い、ココロの葛藤を見ることができるのは自分だけです。これが分かっている人は、「助けてあげる」などとはいいません。人が自分を責めても、責め返すことはせず、それがその人の内側の現れであることを教えるだけのことです。自分しか自分を助けるものはないのですから、自分以外の人やモノや偶像や神様が助けてくれることはないのです。今回は、神様も「掃除なき者は助けられない」と言っていますから、勘違いなさらないようにしてください。

                           章

元つ話 514 自分の外側は自分の内側であるということに気づくこと

2012-12-10 Mon : 長谷章宏語録 
 皆さんの内側の「宗教」が「議論」や「争い」を創りだす原因である
 皆さんは、実際のところ、人間というものについての真実は何も知りません。今まで学んできたことは、そのほとんどが、人間という存在の真実を覆い隠してしまうものなのです。だからこそ、皆さんは、死を恐れ、「悩み」や「葛藤」を感じつづけ、「トラブル」や「問題」を創りだし続け、「平和」や「幸福」や「平等」を探し続けても、一向に見つからないばかりか、ますます思惑とは反対の方向へと進んでいっているのです。
 いうなれば、皆さんは目隠しをして、人間というゲームを歩み、目の前に現れた現象(トラブルも善いことも)を、自分の学んできた知識を使って、自分の都合のいいように解釈しているだけに過ぎないのです。皆さんは、その「知識」が本当に真実かどうかを確認しないまま、自分のシナリオに取り入れてきたのです。
 本当は、皆さんの外側には一つの「現象」がただ存在しているだけであって、「科学」も「宗教」も「常識」も「非常識」も「奇跡」も「偶然」も「善いこと」も「悪いこと」も一切ないのです。皆さんの内側で感じていることについても、「正常」とか「異常」とかいうことは一切なく、誰が何と言おうとも、皆さんが見ているもの、感じているものはすべて真実なのです。つまり、皆さんが外側に見ている「人の意見」とか「人の行動」とかいうものは、その人の内側を表現したものですから、「正常」とか「異常」とかいうものは一切ないのです。「正常なフリ」するというゲームは、皆さん自身が外側を分類するゲームをしている結果、自分を守るため、批判されないために必要だと思い込んでいるだけのことに過ぎません。実際は、自分を守る必要はないのですが。

「科学か宗教か」「存在するかしないか」「本当か嘘か」といった議論を創りだしている本当の原因というのは、皆さんの外側にあるのではなく、皆さん一人ひとりが選んで、一人ひとりが創りだしている「宗教」にあるのだということ、そして、そのお互いの「基準」自体を、またまたお互いの「宗教」で判断しあうことで、堂々巡りの、出口のない、いつまでやっても結論の出ない、議論や争いを創り続ける結果になっているということに気づいてください(この見方は、今この本を読んでいる皆さん自身にもあてはまるものですので、この先も、そのつもりで読み進めてください)。そのことに気づかない限り、これから先、皆さんは、何が何だかわからなくなっていくでしょう。


 新しい時代を知るには「宗教」についての認識を新たにすることが不可欠である
 私が、本の冒頭で、かくもしつこく「宗教」の話をもちだしたのは、実は、皆さんの間で、時代を超えて常に議論の対象となっている「宗教」や「哲学」というものについての真実を知ること。「宗教」や「神様」というものについての認識を新たにすることが、新しい時代に向けての出来事、人間というものの真実を知る上で欠くことができない非常に重要なことだからです。
 これは、私自身が四年間かけて、私自身、何度も何度も疑いながらも「新しいゲーム」(大掃除のプロセス)を実践し続けた結果、自分自身の体験から導き出した結論であり、この先もこの話題については、手を変え品を変え、しつこいくらいに何度も何度も書くことになりますので、「またか」などと言わずに、復習のつもりで「辛抱して」読んでください。何度も何度も実際に繰り返すこと(ドリル)が、新しいことを体験から身につけるための有効な手段ですから。
 皆さんは、これから、いわば、全く新しいゲームのルールをマスターするというゲームを始めるわけで、今までマスターしたルール(「あやま知」)をキレイサッパリ入れ換えて、癖を直していくことが必要なのです。皆さんに「修行」と言うと、特別な行為を思い浮かべると思いますが、実を言うと、こういうプロセス自体が、「人生の修行」そのものであり、「悟り」の境地というのは、自分の外側は自分の内側であるということに気づき、自分の内側と外側を一つにすることで初めて得られるものなのです。「悟り」を知らない皆さんには、基準がありませんから、「悟った」かどうかは分からないのです。
 本当の「悟り」は「内側の大掃除」をしない限り得られないものであり、日常生活を教材にして「自分の内側」を鏡に映して「○×の掃除」を進めるという自分自身の修行、体験を通してしか得られないものなのです。「修行」は皆さんの日常生活の体験でできるもの、いや、日常生活でしかできないものなのです。日常生活でできなければ、どこへいってもできないのです。皆さんの人生の質そのものを高めていくというレッスンなのですから、特殊な状況で「悟り」を開いても意味がないのです。実は、ここからが皆さんの本当の人生勉強なのです。

 このように、「宗教」と「科学」の論争を解結すること、今までの「錯覚」に気づいて「真実」を知ることが、新しい時代へ向けて避けては通れない関門であり、実は、私が今までやっていたことは、「宗教」と「科学」を一つに統合する作業だったといってもよく、「宗教」という内なる世界の「科学」について知ることが、すべての真実を知るカギであるといっても過言ではありません。

                            章

元つ話 513 皆さんが皆さん自身をトリックに嵌めている幻想

2012-12-09 Sun : 長谷章宏語録 
 皆さんは一人残らず「宗教に狂っている人間」である
皆さんの人生には、「絶対に正しいこと」とか、「ありえないこと」とか、「現実ばなれしていること」とか、そういうものはありません。皆さんに、そういうものが見えているならば、それは、皆さんが、「自分の見ている現実の中で生きよう」「自分の見ている現実だけが正しいのだ」という枠を自分自身に嵌めて、その通りに行動している結果、そういうふうに錯覚しているだけなのです。皆さんが、自分自身の選んだ結果体験していることを基準にして、目の前で起きていることを「判断」しているゲームに過ぎません。
皆さんのその体験を創りだしているのは、皆さん独自の「宗教」であり、その「宗教」に枠があれば、皆さんの体験にも枠があることになり、その枠の外のものが現れると、「ありえない」「起きるはずがない」と見えるというわけです。「皆がやっているから」というのも「宗教」の一つですから、いやならば、選択する必要はないのです。
 皆さんが「ありえないから」といって、それを排除していると、皆さんの体験として、いつまでも「ありえない」ままになってしまうのです。
皆さんが、「現実は」「社会は」「常識は」と言っているものは、そういうものが「存在する」という幻想を皆さん自身が創りだしているだけに過ぎません。いわば、皆さんが皆さん自身をトリックに嵌めているようなものです。皆さん自身が「そんなことは起きるはずがない」という前提を決めて、すべてのものごとを処理しているのです。
皆さんが、「できるはずがない」と思えば、皆さんはそれをしませんから、いつまでたっても「できるはずがない」のです。「できるはずがない」理由も、これまた、皆さんが創りだしている幻想なのです。
この見方について、アレコレ議論をすることもできますが、永遠に並行線のまま、結論はでないでしょう。最後には、「こいつは宗教に狂っているから、言っても仕方ない」と言いだすのがおちです。その議論を創りだすのも、そういう結論を導きだすのも、皆さんが皆さんの選んだ「宗教」に狂っている証拠なのです。
皆さんが、目の前の何かを否定したり、批判したりしたくなったとしたら、それは皆さんが、そういう見方をしているだけであって、その「何か」は○でも×でもないのです。その「何か」に決まった意味があるとしたら、議論というゲームは成立しません。皆同じものを見ますから、議論の余地はないのです。
皆さんが「否定しているもの」は、存在します。皆さんは「自分が何かを見て否定している」という、その「何か」があることを忘れています。ですから、何を議論しているかといえば、その「何か」をどう見るかという、お互いの「見方(宗教)」の正当性です。皆さんがやっているのは、「あんたと私のどっちの見方が正しいか」「どっちの見方をする人が数が多いか」というゲームなのです。これは、この見方自体の議論についても成り立ちます。この議論は、どっちかが折れない限り、どっちかが肉体的にいなくならない限り、永遠に続くことになります。
皆さんがそういうふうに見ていること自体、皆さん自身の「宗教」そのものであり、皆さんは一人残らず、すべて「宗教に狂っている」のです。実際のところは、「心理学」も「哲学」も「宗教」も「常識」も「非常識」もすべて一つのものなのです。すべては、皆さんが、皆さんの外側にある「誰かが言っている意見」や「目の前で起きている出来事」を皆さん自身の内側の「基準」で分類しているだけで、すべて、「自分教」の正当性を主張する、「自分教」の押しつけ合戦に過ぎないのです。

                            章

元つ話 512 今まで「三次元」に生きていながら「二次元」のゲームを苦しんでいた

2012-12-08 Sat : 長谷章宏語録 
 皆さんの多くは「あやま知」という「宗教」に狂っている
多くの皆さんは、「教祖様」が言っていることや、「○○教」の言っていることや、「神様」という言葉が出てくるものや、「目に見えない世界」のことが出てくるものを「宗教だ」と定義付けしているようですが、皆さんの回りの人が言っていることや、皆さん自身が「世の中は甘くない」云々と言っているのも、すべて「宗教」なのです。
「人生どう生きるべきか」「自分の見たものをどう解釈するか」という表現のものを「哲学」と定義付けしているようですが、これもまた「宗教」なのです。そして、他でもなく、「これは哲学、これは宗教」云々、と定義付けしている皆さんのその定義自体が「宗教」なのです。皆さんは、その基準に従って、目の前のものを見て、解釈して、動いて、形にしていっているということですから、その結果は、すべて皆さん自身の責任です。
皆さんが、「宗教」を特別な人がやる神様ごとであるとか、「哲学」を単なる学問であるとか、人のやっていることを見て「変な宗教に狂っている」などと思っているとしたら、それも皆さん自身の「宗教」であることはもちろんですが、皆さんは大きな取り違いをしていることにもなります。実は、そういう「宗教」で、ある「宗教」(自分が認めていること以外の見方、考え方、「宗教」)を拒否しているから、皆さんは真実を知る機会もなく、未だに混乱の中にいるのです。神様から見れば、皆さんは、ご自分のなさっていることを全くわかっていないという証明を自分自身でしていることになります。
これは、今まで学んできたことでは、納得できないかもしれませんが、それは、今まで学んできたことが、そういうことに気づくことができない、まったくアベコベの「大きな宗教(あやま知)」だからです。つまり、納得できないということは、皆さんが「あやま知」を選択している証拠なのです。皆さんがこれを認めないと、話が進まないばかりか、この先の自分自身の人生にも大きな影響がでてくることになります。
ここに書いてあることと今まで学んできた「あやま知」とは「裏と表」の関係です。つまり、皆さんがここに書いてあることについて「批判」や「判断」を始めること自体が、「あやま知」に囚われている証拠であり、「あやま知」を選んでいることを自分自身で白状していることになるのです。「私は違う」と言っても、それも自分の正当性の主張ですから同じことです。
皆さんは本来、いちいち自分が何を選択しているかを人に説明する必要はないのです。皆さんの言ったこと、したことを「批判」したり、「判断」したりすることを始める人は、「あやま知」の中にいますから、それにまた反論するならば、相手と同じことをしているだけでなく、皆さんは永遠にその中から出られなくなります。
そして、皆さんが、そういうゲームをしている限り、もう一つの現実を見ることはできません。今回の分岐点は、一方をキレイサッパリ捨てて、もう一方を選ぶという「どっちの宗教に狂うか」という、どっちか一つの選択です。
 皆さんの外側にはもともと○も×もないのです。皆さんが「判断というゲーム」ができるのは、皆さんの内側に○や×を持っているからです。そして、その○や×は「ある」のではなくて、皆さんが「選んだ」ものなのです。皆さんが、○か×か何方かを選んでいるのです。ということは、皆さんの目の前のものには○と×の二つの見方がある(言い方を換えると、目の前のものには意味はない)ということになります。
 皆さんが「○×は外側にある」という「宗教」を選んでいれば、その現実がいつまでも続くだけです。実際は、皆さんが二つの見方の片方を選んで、それにしがみついているだけのことなのです。「見ているものは同じなのに相反する二つの見方がある」というのはオカシイことだと気づいてください。「あいつの方がおかしいんだ」と言ったところで、「相反する見方」の方は消すことはできませんから、悪しからず。
 皆さんが、今まで、半ば「しかたなく」「あるのが当然のこととして」やっていた、「議論」も「裁判」も「話し合い」も「喧嘩」も「戦争」も、すべて、皆さん一人ひとりの「内側の○×」が創りだす幻想ゲームだったのです。皆さんが、今まで、人から学んできたり、人に教えたりしている「あやま知」というのは「○か×か」の二元論であり、それにしがみついている限り、絶対に結論はでないのです。そして、それは、「当たり前のこと」でも「真実」でもなかったのですから、本来は「強制力」はないのです。「あやま知」の創りだした「恐れ」を使って、力という幻想を創りだしていただけなのです。
皆さんは、今まで、「三次元(立体)」に生きていながら、「二次元(平面)」のゲームを楽しんでいた(苦しんでいた)というわけです。そして、この先は、もう、そのゲームを続ける必要はないということを今ここで提案しているのです。あとは、皆さん一人ひとりが、どういう選択をするか、を決めればよいだけなのです。「でも~」と言うのは、「あやま知」の選択ですから、そのつもりで。

                          章

元つ話 511 「魂(自分自身)」が消えるか残るかの瀬戸際にいる

2012-12-07 Fri : 長谷章宏語録 
 皆さんは、皆さんの「魂(自分自身)」が消えるか残るかの瀬戸際にいる
皆さんという存在は、「魂」が先にあって、「肉体」は後の後、つまり、「魂」があって「肉体」があるのです。(これは、「神」があって「人」がある=「神」なくて「人」はない、ともいえます。これが後々重要なことになりますので、ここでしっかりと覚えておいてください)。「肉体」で体験している「自分」という存在は、「魂」が「肉体」を通して創りだしている(感覚として翻訳している)ものなのです。皆さんは、(肉体がなくなる)「死」を恐れていますが、「魂」のイノチがなくなれば、「肉体」の命どころの話ではなく、「新しい時代」に生きることができなくなるのです。
今ここまできて、この後に及んで、「肉体の死」や「財産」や「地位」や「名誉」や「常識」や「病気」や「非行」や「不倫」や「損得」や「保身」や「裁判」云々で、大騒ぎしている場合などではないのです。

数々の予言書に書かれているような、世紀末の「天変地異、大掃除」というのは、「魂」が消えるか残るか、皆さんの「魂(今世の肉体ではありません)」が生まれて以来、三〇〇〇年たって初めて迎える、「魂(皆さん自身)」が新しい世界に生きるか、今世を限りに死ぬかという選択を迫られる「大峠」のことなのです。皆さんという「魂」は、今ここで選択を間違えば、本当の意味での「大変なこと」「取り返しのつかないこと」を体験することになるという瀬戸際にきているということです。
皆さんの今置かれている状況からすれば、皆さんが言っている「大変なこと」や「死にたくなること」や「肉体上の不老不死」や「損得計算」などは、取るに足らない、どうでもよい小さなことなのです。


 皆さんの外側には皆さんを「苦しめるもの」は何もない 
皆さんは、「○○があるから自分はこうしているのだ」と思い込んでいますが、本当は、「○○があるからこうするしかないと自分がきめているからそうなっている」のです。皆さんがそういうシナリオ(宗教、観念、想念、基準)を選んでいるから、そういうセリフを語ることになるような体験をしているのです。皆さんがつくった作品を見た結果を言葉で表わしているのです。皆さんがそれを言いつづける限り、その状況は変わりません。それどころか、皆さんに責任転嫁された「人」や「モノ」や「状況」にとっては、いい迷惑なのです。皆さんは、自分のしたことを自分以外のせいにして、平然と「自分の正しさ」を主張するという、神から見たら「真実を何も知らない(無知)」なことを自分から白状している気違いなのです。
皆さんがどんな理屈をこねようとも、皆さんが体験していることは、すべて皆さん自身が選んでいるシナリオが創りだすものです。つまり、皆さんの体験は、すべて皆さん自身が創りだしているものなのです。ですから、皆さんがどんな体験をしようと、本当は「人の責任であるものは一つもない」のです。これを否定すると、ますます「人の責任にしたくなるような」体験が増えていくことになるだけですので、悪しからず。
いつまでも「人の責任」や「状況の責任」にしていると、最後の最後に「すべて自分の責任である」ことを自覚することになるような出来事として、すべて自分のところに返ってくることになります。「人の責任ゲームをやめましょう」という提案は、神の仕組みに基づいた、皆さん自身のためのものなのです。
 皆さんは、「でも、現実に目の前にたくさんの問題があるじゃないか」というかもしれません。でも、それは、皆さんが、皆さんの選んだシナリオでそういう状況を自分で創りだしているからそこにあるのです。皆さんが「自分の体験は自分の外側に責任がある」という選択をしているから、そういうセリフを言う結果になっているのです。
皆さんの外側にあるものは、すべて、皆さんの内側のあるものの投影です。皆さんの内側が綺麗に掃除されていれば、皆さんの内側に○や×や責任転嫁がなければ、「困難」や「苦しみ」を感じる状況は目の前に現れなくなってくるのです。
「でも~」のセリフを言っている限り、「自分の外に問題(に見える出来事)がある」と責任転嫁をしていますから、その「問題」は永遠になくなりません。すべては、皆さん自身の自覚の問題(皆さん次第でどうにでも変わるということ)なのです。
 皆さんが体験している「現実」というのは、すべて、皆さんのした選択に忠実に「目に見えないメカニズム」が働いた結果です。本当は、皆さんの外側には、皆さんを「苦しめるもの」などというものは、何一つありません。皆さんが、「苦しみ」や「トラブル」を体験するのは、後で述べる「神の大きな法則」に反するシナリオを皆さんが描く(そういう「宗教」を創りだす)と、それをしていることを教えるために「困難」や「トラブル」や「苦しみ」を感じるようなメカニズムが働くからなのです。
皆さんの悩みを救うべき宗教が「大きな法則」に反した宗教であるとしたら、皆さんの悩みを救うどころか、ますます、悩みを創りだすことになってしまうのです。

詳しいことは後で書きますが、実を言うと、皆さんがこの道理を理解できないと、今までの堂々巡りのゲームからは永遠に抜け出せないばかりか、この先は、新しい時代に向けて、本来の方向へ戻す舞台作りが進みますから、このメカニズムに従って、今まで以上の速さで、ますますトラブルや悩みを創りだすことになり、「新しい時代」どころの話ではなくなってしまうのです。これは、皆さんが今まで学んできたこととは、まったくアベコベのメカニズムであり、おそらく、今回初めて聞かされたという方がほとんどでしょう。今まで教わってきたこと(「あやま知」)は、このメカニズム自体を否定することになる見方なのですから。でも、このことを認めないと皆さんは地獄への道を転がり続けることになるということを覚えておいてください。
                            章

元つ話 510 今回は、皆さんの「大掃除」の最後のチャンス

2012-12-06 Thu : 長谷章宏語録 
 皆さんの「今体験している現実」と「死後の世界」とは一つのものである
皆さんが「今体験している現実」と「死後の世界の(魂だけが創りだす)現実」とは、本当は一つのものなのです。今ここで、教えられてきた「善いこと」をいくらやっても、死んだあとに「天国」はありません。逆に、今ここで「悪いこと」をやっても、死んだあとに「天国」を体験することもできるのです。皆さんが言っている「善い悪い」は、皆さん自身の基準であり、今までの「あやま知」が創りだしたゲームですから、「天国の方法」を選択するにあたっては関係がありません。
皆さんが「宗教」と言っているのは、肉体を通して感じている(認識している)「想念」であり、それは、皆さんの本体である「魂の言葉」なのです。つまり、皆さんの体験というのは、「想念」が先にあって、それを肉体で感じ、選択して、行動して、「形」が後に創られ、その「形」を見て様々な意味付けをしているということなのです。
皆さんの持っている「肉体」の体験というのは、結果であって、原因ではありません。皆さんがどんな「宗教」を持っているかで、「肉体」の体験が決まるのです。
「肉体」というのは、魂の想念と肉体の外側にあるものとを結び付ける(両方を感じることができる)ための、物質の世界にいる皆さんにとっては、魂の世界を感じるための非常に大切な道具(媒体)なのです。   

先ほど書いた、「内側にある戦争」というのは、この「魂からくる言葉(本当の自分の宗教を翻訳したココロの声)」を「肉体を通して外から学んだ宗教(外側から取り入れた誰かの宗教を翻訳したココロの声)」で判断するゲームなのです。アタマで学んだこととハラから出てくることの戦いなのです。実を言うと、このアタマとハラの戦いを終わらせること(判断を一切やめること、○×善悪の裁きを一切やめること)を「自分自身の大掃除」と言い、「肉体」というのは、今ここで、人間の世界で、この大掃除をするための道具なのです。


 皆さんは「自分自身の魂の大掃除」をするために今ここにいる
皆さんが、何回も何回も「輪廻転生」を繰り返していたのは、実は、この「大掃除」をするためだったのです。ただ、今までの世では、「あやま知」を教育されること(「人間の存在」を説く「宗教」という教育自体も、「あやま知」に囚われていたので、全く気づかなかったというわけです)で、「大掃除」のことなどすっかり忘れ、「何のために生まれてきたのか」などという問いをずっと繰り返す結果になっていただけです。
このような、長い間にわたって結論が出ていない、堂々巡りの「問題創造ゲーム」をやめるには真実を知ることが唯一の道なのです。
今回は、皆さんの「大掃除」の最後のチャンスであり、皆さんが自覚して、意識的に大掃除ができる最初で最後の機会なのです。皆さんは、皆さんという「魂(肉体ではありません)」が生まれてこのかた溜めた、すべてのゴミやホコリ(「あやま知」、○×のこと)をキレイサッパリ掃除(囚われている「あやま知」、○×を外すこと)して、新しい世を創りだすため(天国を体験できるようになるため)にここにいるのです。
今回は最後の最後の転生であり、今までのすべてのゴミやホコリをもって生まれてきています。ここで、気合を入れてこの「大掃除」をしなければ、皆さんには「来世」というものはありません。
そして、この「自分自身の大掃除」を終わらせれば、これから起きる「外側の大掃除(天変地異)」は、何の影響もなくなり、大掃除を終わらせた人間(実は、「魂」)だけが、次の世界(新しい時代)の「ヒト」となることができるのです。
「宗教(魂)」が(肉体を通して)「形」になっているのですから、「形」が「天国」でなければ(「形」は「宗教」の結果であり、「形」が天国なら「宗教」も天国である証拠。結果を見れば原因の状態が分かるのです)、皆さんが死んだ後(魂の体験)は「天国」にはならないのは、当然の道理です。「肉体がなくても天国ならば、肉体があっても天国」なのです。皆さんが「肉体を手放して(肉の服を脱いで)」も天国になるには、ココロの大掃除が必要なのです。

皆さんが次の世界に生きていたいならば、世紀末に何が起きるか、どうすれば助かるか、と外を探すゲーム、大騒ぎする今までのゲームは、今ここ(「後で」はありません)でキレイサッパリやめることです。今ここからは、この道理を理解して、行動することだけが、世紀末の「大峠(天変地異、外の大掃除、外のお清め)」を越すために最も早く確実で大切なことであり、皆さんが「助かる(次の世界へ行ける、生き残れる)」(助けてもらうのではなく、自分で助かるのです)唯一の手だてなのだということを覚えておくことです。本当の本当、最後の最後に自分も人も神も助かるのです(このことについては、後ほど、詳しく書きます)。

                          章

元つ話 509 聖なる無関心

2012-12-05 Wed : 神語録 
  <ソウルカメラ>

全世界の殺処分される動物たちを一匹残らず救うことはできません。
それらを全部、自分がひきとることは出来ません。
そして、まもなく、このような悲しい地球の現状も、終わります。

  反応6「聖なる無関心」

元つ話 508 あなたは、遥か昔、あなたが産まれた時、本当の天国にいたのである

2012-12-04 Tue : 長谷章宏語録 
あなたがこれから体験する世界、生まれて初めて見る世界、それがあなたの天国への街道の景色である。『そんな世界は存在しない』という台詞を消すことである。それがあなたを天国に生かさないためのあなたの魔法の呪文、本当の天国を邪魔していた策謀の思想である。あなたがあなたにその呪文をかけていただけである。あなたが呪文を唱えるのをやめれば、ダムは決壊し、本当の天国という海に向かって流れ始める。急流や滝を恐れないことである。黙って信じるだけでよい。道が見えなくても踏み出すことである。底なしに思えても黙って落ちることである。本当の冒険にはリスクはない。天国という永遠のゴールが存在するだけである。天国への冒険は永遠の喜びである。本当の天国までの辛抱である。

今のあなたから見た未知の世界。しかし、その世界は存在する。あなたの周りが何と言おうとも、あなたにとっては、あなたの言うことが絶対である。あなたにとっては、あなたが本当の神である。あなたが誰かの神になることを、あなたが誰かを神にすることをやめることである。今までも、あなたという神が、誰かの言うことをそのまま鵜呑みにしていたのである。誰かの意見を自分の意見にしていた神が創り出す、自作自演劇である。今までのあなたの言うことは、本当のあなたの意見ではない。本当の神自身の言うことを聴くことが、本当の天国に帰るための、ただ一つの方法である。結局は、自分が自分の神であることは変わらない。自分が逆立ちをすれば、逆立ちの世界が見えるだけである。その世界を正しいものと見れば、それが自分の正しさとなる。自分が自分を騙すカラクリである。

あなたは、遥か昔、あなたが産まれた時、本当の天国にいたのである。あなたが幻に目がくらんで、そこから離れただけである。あなたの心の世界は天国を見ることができる。時空も生死もない。それがあなたの本当の姿であり、あなたが居る場所である。形に見えている世界、形の体で見ているものは、あなたの着ている服、あなたのかけている色眼鏡で見える仮想現実の世界に過ぎない。あなたのすべてを捨ててもすべてが残る。あなたの思い込みを全て捨てることである。あなたがもと居た本当の天国、あなたが想像の産物だと思い込んであきらめてしまった天国、あなたは、そこへ帰るだけである。いつまでもウソの教えに騙されていないで、早く目を覚まして欲しい。時が来れば、あなたという神の、その親神が、この世もあの世も、あなたが居るすべての世界を、ウソのあなたが生きられない本当の天国だけに戻す。本当の天国の舞台造りをする。ウソの天国の大掃除をする。その時が来たら、もうウソのシナリオは通用しない。その時が来て気づいても遅い。あなたが、本当の天国に戻ることを心底から切望するならば、必ず間に合う。『もう駄目だ』は禁句である。駄目かどうかは最後の最期、生きるも死ぬも考えず、ただ歩き続ければよい。

あなたが、あなたを本当の天国に導く天使である。本当の天国の門前には、本当の閻魔大王が待っている。ウソを大掃除する鬼退治、天国か滅びか二つに一つの本当の最後の審判である。ウソを一つ残らず祓い切るまでは、どんなに偉大な神仏であろうとも、門を入ることは絶対に許されない。ウソを抱えているほど、奪った宝が多いほど悶え苦しむ。鬼退治が始まるまでにウソをできる限り掃除しておくことだけが、鬼退治の艱難辛苦を軽くするための唯一の術である。そして、鬼退治が完了した瞬間、晴れて本当の天国が復活する。そこでは、ウソをすべて祓い切った真コトの民だけが、永遠の生を享受することになる。

            「実践・日本真道」 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

「実践・日本真道」を購入ご希望の方はリンク先≪長谷章宏氏の著書の紹介≫をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 507 今までの世界も現実であり、これから見える世界も現実である

2012-12-03 Mon : 長谷章宏語録 
本当の天国の道は、すぐには喜びにはならない。今までのウソを掃除する間は、苦しい状況や孤独の極致を体験することになる。甘い言葉やアメの誘惑に負けない強い覚悟が必要である。あなたが空想だと思っていた世界は現実になる。これを完全に信じることが、今までの幻想の世界から抜けるための鍵である。あなたの本当の天国への心の旅、魂の帰郷、本当のあなたの居る場所にあなたが帰る旅のガイドブックをあなたのものにして欲しい。

この本は、事実を語っている。どんな理屈をもってしても覆すことはできない。批判や抵抗や怒りで反応するなら、それは、覆せない証しとなる。これは、あなたの事実でもある。あなたが、この事実をすべて認めた時、体験を経て納得できた時、一点の曇りもなく腑に落ちた時、そこがあなたの本当の天国である。道は歩くものである。知識として分ってもわかったことにはならない。頭でわかったことを実行しなければ、わかったことにはならない。頭の理解は、理解ではない。「わかった積もり」である。知識と体験が一体になった時、本当にわかった時、あなたには、何もなくなる。何の混乱も、何の迷いも、何の引っ掛かりもなくなる。空気のように、すべてが当たり前となる。当たり前という言葉もなくなる。その時その時で分かったことをそのままやる、その繰り返しがあなたを本当の天国に導く。あなたが帰依する対象は、あなた自身である。その神は絶対に裏切ることはない。

本当の天国への旅は、あなたの心の世界の旅である。あなたの想像の世界にある現実である。あなた同士の喧嘩を止めない限り、本当の平和はない。新しいあなたが今までのあなたに体験という証拠を見せることで、今までのあなたが観念する。今までのあなたが、すべてウソを認めた時、あなたは一つになる。ウソがないのがマコトである。あなたがマコトを手にした時、本当の天国が現実の風景となる。まずは、心の入れ替えからである。ウソを捨てて生きることである。あなたがマコトを生きる時、ウソはあなたに近づけない。

マコトの体験を積み重ねることで、あなたの現実がどんどん変わる。あなたが見たこともない現実を体験する。誰にも教わったことがない現実、あなた以外全員が『おかしい』と言う現実を体験する。あなたが狂ったわけではない。今までの世界が狂っていたのである。どっちが狂っているのかハッキリと決めることである。そして、狂っている者には一切関わらないことである。狂っている者に狂っていることをわからせようとするなら、あなたはまだ狂ったままである。あなたがあなたにそれをわからせるのが、あなたのすべきことである。本当の天国が全存在で実感できるまで、あなたの思いがすべて何の抵抗もなく操れるようになるまでは、まだ途中である。何が起きても、何を見ても、何を感じても、何をされても、自分の歩いている道を絶対に疑わないことである。絶対に後戻りしないことである。今までの現実はウソが創り出す幻想である。本当の天国を『空想だ』と言うのが空想の世界の思想である。今までの世界も現実であり、これから見える世界も現実である。

あなたには現実しかない。それを分けていたその見方が幻想を生んだ源である。誰のせいでもない。あなたが騙されていたのである。騙されていることを誰かのせいにしていただけである。「あなたが」騙されたのである。「誰かに」ではない。主語は自分である。すべては騙された側に責任がある。『誰かが騙さなかったら』は詭弁である。それを使っても、あなたが本当の天国に帰ることはできない。自分以外のせいにすることが本当の天国への唯一の障害である。あなたがあなたの天国を邪魔していた張本人だったのである。これを素直に認めて、生きている間も死んだ後も、どんなことがあろうとも、誰かのせいにすること、裏を返せば、誰かの責任を引き受けることをキッパリとやめることである。自分ですべての責任をとれば、あなたは自由である。これを批判する者はあなたの世界から消えていくから無視すればよい。あなたが他人の現実に関わるのをやめればよいだけである。

             「実践・日本真道」 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

「実践・日本真道」を購入ご希望の方はリンク先≪長谷章宏氏の著書の紹介≫をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 506 少しでも今までの道に未練があればあなたは苦しむことになる

2012-12-02 Sun : 長谷章宏語録 
あなたが本当の天国に心底帰りたいと思うならば、たとえ、殺されることになったとしても、あなたが本当の天国を心身ともに実感するまで、最後の最後まで、絶対に言い訳をしないことである。絶対に疑わないことである。今までのウソの世界から完全に足を洗うことである。全存在で心底から信奉することである。あなたがこれを初めて実行する人間だとしたら、いったい誰に聞くのか、答えを聞くべき対象はあなた自身しかいない。あなたの答える答えが、唯一の答えなのである。他にはない。それがこの道を歩くための極意、奥義である。しかし、あなたは迷う。その迷路を抜けるためのヘルプとしてこの本がある。

あなたがあなたにあなたのすべてを明らかにしたとき、そこにあなたが本当に望んでいた、信じがたい光景が広がるだろう。本当の真実は、必ず成就する。それまでの辛抱である。これは、裏を返せば、『嘘の真実は滅ぶ』という本当の真実が成就することを意味している。目の前に本当の天国が広がるのを見ることができるのは、天国の真実を生きた時である。真コトに命を委ねるか、魔コト(嘘)に命を委ねるか、あなたにとっての究極の選択である。「信じがたい修羅の地獄」をあなたが目の当たりにしないことを、著者は切に願っている。

あなたは今までずっと嘘に導きを委ねてきたのである。誰かに責任を取らせて、保険をかけた(リスクを回避した)積もりになっていただけである。安全を確保しながら、本当の安全を手にすることはできない。本当の安全を手にしているならば、リスクは存在し得ない。リスクを回避するならば、それは矛盾した行動である。あなたは幻想の安全地帯を求めてさ迷い続けることになる。それもあなたの選択の結果である。あなたが責任を転嫁できるものは、あなたの外には存在しない。存在すると思い込んでいるだけである。存在しないとわかっていて責任転嫁するならば、それは故意の殺人である。それは結果として、あなたをあなたが処刑することを意味する。あなたがどんなに責任を逃れても、責任を誤魔化しても、あなたは自分の責任を回避することはできない。誤魔化しは自らの滅びを意味する。それがわからないならば、わからないまま滅ぶ。わかっていてやるならば、自覚した上で滅ぶことになる。あなたがいい加減なことをすれば、自分を甘やかせば、自らが消えるだけであり、神も他人も、万象万物には何の影響もない。自作自演の滅亡劇となる。

あなたは、初めて、あなた自身で、本当の天国にあなたを導くのである。あなたは、初めて、真実の真実を歩くのである。しかし、何も心配はいらない。あなたはあなたが自らリタイアしない限り、必ず、本当の天国に行き着くことができる。これを完全に信じることが鍵である。疑うという言葉をあなたの辞書から抹消することである。あなたはそのままならば完全に滅ぶ。この未知に見える道が滅ぶように見えるならば、結局は、どっちをとってもあなたにとっては滅びである。ならば、今までやらなかった全く逆さまのやり方に賭けてみればよい。どっちみち駄目ならば『どうにでもなれ』の心境で望めば、この道に入ることは簡単である。少しでも今までの道に未練があれば、あなたは苦しむことになる。

少しでも今までの世界に光があると思うならば、『もしかしたら』と思うならば、それは完全な信奉ではない。どっちか一つだけをハラを括って決めることである。決めたら一目散に進むことである。振り返ったり、よそ見をしている暇はない。そんな余裕はない。余裕があるならば、あなたは完全には信じていない。完全に信じていないならば、あなたは信じていないのであるから、それ相応の体験をすることになる。あなたの世界はあなただけの世界である。あなたにしか見えない世界である。あなたが一つになるまで、あなたが分離感を感じなくなるまで、絶対に立ち止まらないことである。本当の天国になっても立ち止まらないことである。どんどん天国が見えてきて、ある瞬間、天国に入ったことがわかるときが来る。あなたには終りはない。あなたは歩き続けるだけでよい。本当の天国の道に戻った時、あなたは混乱や闇を抜けながら、「本当の光の世界」を体験することになる。

             「実践・日本真道」 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

「実践・日本真道」を購入ご希望の方はリンク先≪長谷章宏氏の著書の紹介≫をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。