スポンサーサイト

-------- -- : スポンサー広告 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元つ話 566 言葉が必要なのはあと少しの間ぞ

2013-01-31 Thu : 長谷章宏語録 
そなたらは、不平等になるから、不公平になるからといって、アレコレとルールを創って、形を一つにしようとして、自分たちで不自由にしているのぞ。悪いこと(望まないこと)にならないようにしているからそうなるのぞ。競争しているからそうなるのぞ。人間のゲームで勝っても負けても、魂の掃除なければ人間の世界だけのことぞ。魂から見れば人間の世界はほんの一瞬のことであるぞ。人間のゲームは一瞬の天国、永遠の地獄であるぞ。この方のやり方は全員が勝つのぞ。そなたがほしいものはすべて手に入るのぞ。信じない者は信じない限りわからんのであるぞ。「そんなうまい方法はないぞ」という声もあるがそのセリフがこの方のやり方をやっていない証拠であるぞ。この方のやり方をやれば天国が見えるのぞ。こういうセリフはでないのであるぞ。この方は「天国の方法」を一から十まで。ヒト(一十)に成る方法を全部教えているのだから、神ゴコロというものをすべて教えているのだから、みんなが勝つ方法を教えているのだから、この方は人間の親としての責任を果たしているぞ。子であるそなたがどうなろうとそれはそなたの自由ぞ。

そなたが何と言おうとも、そなたが体験しているのはそなたが選んだそなたの体験であるぞ。そなたの選んだゲームであるぞ。誰の責任でもないぞ。そなたが決めた成功という形を追い求めると失敗するぞ。そなたがこの方の声に従って動けば成功という形になるのであるぞ。そなただけでなく、たくさんの者がそなたの生き方から恩恵を受けるぞ。自分も人も嬉し楽しであるぞ。人を負かさずにそなたの思い通りの人生を体験する方法はこの方の言うことを聞くことだけであるぞ。この方はすべての者のシナリオを知っているのであるぞ。振り分け、ガイド、交通整理ができるのはこの方だけであるぞ。この方の言うことに文句がある者は納得いくまで相手をするぞ。ただし、そういうそなたはこの方の分身であるということを忘れるでないぞ。そなたは何をしていようとこの方の仕組みの中にいるのぞ。そなたの失敗も成功もすべてこの方の仕組みの中で体験しているゲームであるぞ。そなたが相手にするこの方は今までの相手とは違うのぞ。すべてを創ってすべてを知っている元つ神であるぞ。勝ち負けゲームをやっても勝ち目はないぞ。いい加減に不調和創る戦いのゲームをやめなされ。何年続けても自由も平和も平等もないぞ。皆が天国になることを望んで皆が地獄になるゲームをしているのぞ。そろそろ夢から目を覚ませよ。

「言葉」は肉体をもった人間の世界だけで必要な道具であるぞ。子宮内宇宙だけで必要な臍の緒であるぞ。英語も日本語も方言も標準語も共通語も、すべては想念(ココロ、イメージ)を別の形で表現しただけであるぞ。「意味」は同じであるぞ。言葉になる前のイメージはどれも同じであるぞ。魂で見ているものをシンボルに意味を与えて表現しているだけぞ。出す方と受け取る方が同じ意味を付けた言葉でやりとりしているだけぞ。同じ意味でも同じ意味でないぞ。お互いのイメージは見えないからであるぞ。言葉が必要なのはあと少しの間ぞ。言葉を学ぶより、そなたが今持っている言葉でそなたの○×の掃除をせよ。神の真理を早く学べよ。思い出せよ。学んだ者は神の真理を伝えよ。今度の大変、大掃除には人間の学は通じんぞ。知でも教でもお金でも越えられんぞ。次の世は神の世ぞ。神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神のココロになれば魂の掃除完了ぞ。神ゴコロとは何かというのを今までの人間に聞いてもわからんぞ。だから、この方がこの者を通して教えているのであるぞ。そなたに神の基準がなければ掃除はできないからな。
                           章

スポンサーサイト

元つ話 565 神さまは今は一番下にいるんだ

2013-01-30 Wed : 長谷章宏語録 
キリスト教の「原罪」ってのは、神さまのルールに違反してることを言うんだ。仏教で言う「無明」ってのは、神さまを忘れちゃったことだよ。罪を許すも許さないも、神さまは「神さま自身が無視されてること」も含めて全部許してるんだけどねぇ。完全自由に「戒律」なんてないんだけどねぇ。統合の神さまを忘れて、二つに分裂しちゃって、罪をなすりつけ合って戦争ばっかししてるんだよなぁ。神さま自体を忘れちゃってるから「原罪」や「無明」そのものが見えなくなっちゃって、今だに「原罪」や「無明」(つまりは、神さま)を探して、議論して、どんどん真っ暗になったんだよ。神さまを忘れたままで、神さまとつながれるわけがないだろ。キリストとシャカを別ものにしてたら、本当の「悟り」なんてわかるわけがないだろ。「神道」すら神さまのことは無視してんだよなぁ。「神仏合体」とか言ってるけど、親(神さま)と子(神サマ・仏様)を一緒にするなんて失礼な話だぞ。大元の神さまを無視してるから神様と仏様がごっちゃになっちゃうんだよ。

重力が下(中心)に向かってるのは『一番罪を被ってる(君たちが責任転嫁してる)「神さま」は一番下にいるんだよ』って教えてくれてる「型示し」なんだよ。君たちは下に行くのが嫌いなようだけど、神さまは今は一番下にいるんだ。『できない』って言ってるのは魂が重い証だよ。君がルール違反を繰り返すほど重くなっちゃって動けなくなる仕組みってわけよ。動けなくなったのは君のせいなのに、誰かのせいにするなんて、なんてことをしてたんだろうね。永遠に責任転嫁を続けたら最後は誰を責めることになるのかね? 神さまが責任を引き受けるのは嫌だって言ったら君はどうなると思う? 最期はこの世を壊してきた「真犯人」が「本当の責任」を取って「本当の死刑」になるんだけどね。

今までは、苦しくしたり楽にしてくれたりして、少しずつ清算させてくれてたけど、最後の最期は、今まで(の全部の転生で)の君が仕出かしたことを全部まとめて清算(収支ゼロに)しない限りは絶対に楽にはなれないから、今から覚悟しておくことだね。それがいやなら、今ここから文句を言わずに一つ一つ清算していくことだね。『自分がしたことに自分で責任をとる』のは「当たり前」のことだろ。「自己責任の原則」ってやつだよ。今の君には、人のしてることにとやかく言える資格はないんだぞ。今までのすべての「前世」の、君という魂の全部の人生の、総決算だよ。君が「霊界」でやったこと全部の総ざらえだよ。期末出血大バーゲンとか棚卸しセールなんてやって客集めしてる場合じゃね~んだぞ。今の君たちが言ってる『自分がやったことの責任を取れ!』の「責任」とはわけが違うんだよ。「責任転嫁」や「責任追及」の繰り返しじゃ、まったくアベコベだろ。

「責任のなすり合い遊び」をやってたら「平和な世界」や「自由な世界」なんて、いつまでたってもできるわけないだろ。『責任転嫁をしてた自分自身に責任がある』って全員が認めない限りは。「本当の責任者」が責任を取らない限りは、「責任転嫁ゲーム」は終らないんだよ。損害賠償や戦争や犯罪はなくならないんだよ。「無責任者」ばっかじゃ自由なんて無理だろ。簡単なことだよ。まったく、何も知らないんだな、君たちは。

どんなに知識があろうとも「肝心要のこと(神さまの掟/自然の法則)」がキチンと実行できなくっちゃアホと同じだろ。赤ちゃんどころか犬や猫や、はたまた細菌にも及ばない奴らばっかし揃ってんだな。君たち以外はすべて「神さまの掟」通りに破壊再生を繰り返して「自然の法則」通りに文句言わずにやってんだぞ。「文句を言ってる木」や「損害賠償してる犬」や「愚痴をこぼしてる赤ちゃん」や「死を恐れてる細菌」を見たことがある奴はいるかい? 『ムツゴローを原告にした裁判』だって? ムツゴローが「裁判してくれ」って言ったのか? 『ムツゴローも文句いいたいだろう』って? 君が環境破壊を許せないんだろ。文句を言いたいのは君だろ。『蔓が巻きついてる木は文句を言ってるかもね』って君が勝手に考えてるだけだろ。君の言ってることは、ぜんぶ、君の心でやってることの映しだよ。君の喋ってることを聞いてりゃ君がどんな遊びをやってんのか丸見えなんだよ。「神さまの掟違反」をしてる「市民団体」云々が大きな顔してられるようじゃ、世もいよいよ末だな。

君たちはいったい何のためにお金儲けや権力争いをしてるんだい? 何のために宗教を信心してるんだい? 君たちは自殺をしたいのか? 「神サマ」教の幹部連中の企みにモノノ見事に乗せられて、何も見えなくなって、地位や名誉やお金を握って離さない「偽の天国」に大ボケした奴らばっかじゃ全員の改心はないから『最期に神さまが手出しして「自己責任を取った奴だけ」を天国に連れて行く』って仕組みになってんだぜ。

                          ウナム

元つ話 564 人間たちに好き勝手なことを黙ってやらせてるのは「大きな計画」があってのこと

2013-01-29 Tue : 長谷章宏語録 
神さまが、本当の感謝のカの字の中のノも無しで、何も知らずに神さまの掟に反してる人間たちに、好き勝手なことを黙ってやらせてるのは「大きな計画」があってのことなんだぜ。神さまが黙ってるからって、いつまでも君たちの思い通りにできると思ってたら大魔違いだぜ。いよいよの時になって吠えヅラかいたってもう遅いんだぞ。こうして長谷先生を通して「手紙」で教えてもらってるうちに「幻の天国」から覚めておかなきゃ大変なことになるぞ。神さまが本当に全力を出したら君たち人間は何もできなくなるんだぞ。

神さまにとっちゃ、肉体上の生死なんて関係ないんだよ。君たちは物質っていう道具を使ってイメージを創って、そのイメージを操作して物語を創ってるだけなんだよ。君たちは形を見てるようで、実際に見てるのは心の世界なんだよ。本当は、形の世界じゃなくて、見えない世界を言葉っていう道具を使って表現してるだけなんだよ。そのイメージ上の生死を語ってるだけであって、生死を想像してる君自身は生き続けてるんだな。君たちがやってるのは、見えない世界を肉体を通して交換し合うお芝居なんだよ。神さまから見たら、物質の世界で展開するただのドラマに過ぎないんだよ。君たちから見た「死んだ人間」ってのは、魂に戻って神さまのところへ帰ってるだけだからね。ただし、今までの死後の世界は、「幽界」っていう、掃除が済んでない魂が帰る「霊界」だったんだけどね。

神さまから見たら、人間の世界(「現界」)も「幽界」も同じドラマだってことだよ。君の動きは神さまには全部筒抜けなんだよ。君の心の動きも肉体を着て生まれ変わる前の魂の行動もだ。つまり、現界の行動も幽界の行動も、今世も前世もそのまた前世も、今まで君がやってきたことの調べは全てついてるってわけだ。人間同士じゃ隠せることがあっても、神さまには何も隠せないんだよ。秘密隠匿合戦やスパイ合戦は人間同士の遊びであって、神さまは、君っていう魂が生まれてから今までのすべての転生でやってたことを一つの漏れもなく記録してるっていうわけさ。これを「えんま帳」と申すなり、ってね。

神さまは、君が、ミロクが開く(21世紀になる)までにルール違反を清算して、神さまの世界(「神界)」に帰れるように、「えんま帳」の記録に従って教材を渡してくれてたってわけだよ。神さまは君がどんなにルール違反してようとも、君が天国に戻れるように、ご苦労してくれんだぜ。有り難いことじゃないか。君が神さまのルールに従って神さまが渡してくれた教材をこなしていかなきゃ最期は本当のイノチがないんだぜ。法律違反をした奴を自分の都合で片っ端から逮捕して死刑にする人間とはワケが違うんだぜ。

「閻魔大王の裁き」なんてどこを探してもないんだよ。「裁かれてる」なんて思考をしてるから「閻魔大王」なんて創り出しちゃったんだよ。君が神さまの掟に反している分だけ苦しい状況になってるだけのことさ。君が今までのすべての転生で仕出かしたことを全部いっぺんに清算するのはきついから、神さまは一つ一つ清算する機会を渡してくれてたってわけだ。そんなことは露も知らず、君たちは、こともあろうに、その状況を逆恨みして、責任転嫁を繰り返して、どんどん「罪」を積んで重くなっちゃったんだよ。本当は「罪」なんてものはないんだけどね。君が勝手に違反を重ね続けちゃったってことさ。

                            ウナム

元つ話 563 本当の「動物」ってのは君たちの「戦う心」のこと

2013-01-28 Mon : 長谷章宏語録 
君たちは、食物連鎖の一部分だけを見て「弱肉強食」なんて言ってるけど、君たちだって「動物」を食べてるんじゃないの? 「植物」だって土を通して間接的に「動物の死骸」を食べてるんだから『俺は菜食だから動物は食べてない』なんて言わせないぜ。君が脱いだ後の「肉体」って服も、最後は「土」に帰るんだぜ。神さまのもとに戻るだけなんだけどね。君たちだって間接的に植物や動物に食べられてるってわけだよ。もっとも、それは形の世界で見える映画であって、君そのものは食べられちゃいないんだけどね。君たちが心得違いを直すために、肉体っていう服を着て、物質っていう教材を使ってやってる、神さま学校の「理科の授業」でのお話さ。君たちは、形に見える生きてる動物同士の狩りだけを見て、悲惨だとか、可哀想だとか、勝手なことを言ってるけどね、見えないつながり(神さまの仕組み)が全く見えてない証拠だよ。そんなに「悲惨」が嫌なら戦争なんてキレイサッパリやめちゃぇば? 『戦争反対!』や「裁判」っちゅう戦争も含めてさ。

『動物は戦う生き物だ』って思ったら大魔違いだよ。それは『今までの世界で習った見方では』っていう条件付きの話でね、これから先はそうはいかないんだよ。君たちが今持っている「常識」ってのはもう通用しないんだぜ。本当の「動物」ってのは、君たちの「戦う心」のことを言うんだよ。形だけで見てるからわからなくなっちゃうんだよ。君の外側で展開してることは、君自身の霊界が映った鏡なんだよ。君が見てるのは君の姿なんだぜ。君たちが勉強してきた「常識」ってのは「絶対普遍」じゃないだろ。誰かの都合でコロコロ変わるだろ。君の都合でコロコロ変えるだろ。アッチについたり、コッチについたり、フラフラとね。偽の天国に酔っぱらってることを知らないから、アッチコッチぶつかって喧嘩してるんだよ。だいいち、君たちが言うように、『人間は動物だ』っていうならね、つまりは、人間ってのは「戦う生き物」だっていう結論になっちまうじゃないかよ。

「闘争本能」だって? そんなものどこにもないんだよ。「戦う生き物」がどうやって「万物の天国」を創るってんだい? こんな簡単なことにも気がつかないのかい、今の君たちは。全くもって矛盾してるよな、言ってることが。「生存権」だって? 「日照権」だって? 「人権保護」だって? 「被害者救済」だって? 君たちは全員「神の世の掟破り」をしてるんだぜ。本当ならとっくのとうに死刑になってる筈の奴らだぜ。神さまの大情けで生かされてる「ゾンビ」共が、感謝こそすれ、「生存権」云々なんて言える柄じゃね~だろ。ちゃんちゃらオカシイぜ。自分が何をしてるのかも知らないで何を血迷ってるんだよ、まったく。「地獄の中の天国」に酔っちゃって、形の楽ばっかし追いかけて、便利だ、得した、進歩(発達)した、一番だ、って喜んで、都合がいい未来だけ見てる「極楽トンボ」ばっかしだから、本当のことが何にも見えなくなっちゃったんだぞ。今の世の中がオカシイことだらけだって気がつかない君たちの方がオカシイ奴らなんだぜ。

ここまで世の中がオカシクなってきてるのに、まだ、科学技術とか、法律の改正とか、システムの改革とか、今までの人間の常識とか、今までの宗教とかで何とかなるなんて思ってんだから、呆れて開いた口がふさがらないよ。頼むから長谷先生のアゴだけは外さないでくれよな。君たち人間はね、神さまが創った資源や神さまが創った仕組み(神さまの力)がなけりゃ何もできないんだぜ。幽界や神サマたちも全く同じ仕組みさ。君たち人間は、肉体を着てる(生きてる)間も、肉体を脱いで(死んで)からも、「神さま無し」じゃ何にもできない奴らだってことだよ。君にできるのはね、君の心の変革だけだよ。

                            ウナム

元つ話 562 神さまの世の「死刑猶予囚」

2013-01-27 Sun : 長谷章宏語録 
君たちは全員、神さまから「死の告知」をされてるんだぜ。神さまの世の「死刑猶予囚」なんだぜ。「死の宣告」を受けてはいても、神さまの言う通りにきちんとやりゃ、君には「本当の死」はないんだよ。「イノチ」ってのはね、神さまのものなんだぜ。神さまが産み生んだものだよ。君が今着てる肉体も命(生死)も君の自由にゃならんだろうがね。神さまが君の命の素なんだぜ。君自身にゃ「死」なんてないんだから、神さまに断りなく勝手に命を捨てたり賭けたりするなよな。神さまが肉体を解かないのに「苦しい」からって勝手に人生を終わらせようとするなよな。本当の君からみたら「死」なんてないんだから『いつ死ぬか』『どうやって死を迎えるか』なんて議論してるんじゃね~よ。「死」とか「地獄」とかいう幻想を創っちゃったから、自分を殺さないために略奪や戦争をすることになるんだよ。死んで生きるんだから「死」なんて思考はキレイサッパリ殺せよな。「生」を殺した「死」を殺せば、「生」が復活だ。同じことを二度やれば元にもどるよ。

人間が「万物の霊長」だって? 本当の「万物の霊長」ってのは、神さまのことだよ。『人間って動物は~』だって? 誰からそんなことを教わったんだ? 『人間って何か?』っていう質問の答えは、今さっき神さまから教わったろ。「動物」ってのはね、ただの生き物じゃないんだよ。君たちは人間も動物だって思ってるようだけど、違うんだよな。君たちの「取り違い(何でもかんでも争って貪り合ってる今の姿)」を見せるために、神さまがわざわざ「動物」に化けて戦ってくれてるんだよ。『戦ってるとどうなるか』ってことを教えるためにね。「動物」って、母性愛も人間以上だけど、自立させる厳しさも人間以上だぜ。子供を守る時は守るけど、突き放す時は鬼になって突き放すんんだぜ。「自然の掟」には逆らえないんだ、ってことを見せてくれてるわけだよ。神さまは「動物」っていう姿になって「母性愛」や「父の威厳」や「自然の掟」を教えてくれてんだけど、君たちは何を見てるんだかね。自然の掟(神さまのルール)に反したら自然淘汰なんだぞ。

自然の掟(つまりは、神さまの掟)に逆らって生きてられるのは人間だけなんだぜ。神さまが許してる「仮の世」がある間だけのことだけどね。この世のすべての出来事ってのは、君たち人間っていう「ミロクでヒトという神になる魂」にマコト(本当の姿)を教え直すために、神さまが仕組んだ「地上天国創造の神芝居」の舞台で展開する立体映画なんだよ。君っていう魂が「本当のこと」を学び直すために、神さまが見せてくれた「物質っていう道具を使ったお芝居」だったんだな。君が死んだとしても、それは「今世の肉体上の」出来事であって、本当の君には「死」なんてどこを探してもないんだよ。君の人生(体験)ってのはね、形を変えて永遠に続いていく物語なんだよ。勝手に区切るなよな。

『科学全盛時代にそんなバカバカしい考えは~』だって? 君がそういうことを言う「根拠」はいったい何だい? 君の言うことと長谷先生の言うことと、いったいどっちが真実なんだろうね? 君の言う「科学」っていったい何者なんだ? 「科学」で全部が説明できてるのかい? 「バカバカしい」ってどういう意味だい? 「宗教」だ、「科学」だ、って分けてるけど、いったいどう違うんだい? 元々は一つのものなんだけどね。

                          ウナム

元つ話 561 「略奪人間の歴史」の繰り返しはもう終わり

2013-01-26 Sat : 長谷章宏語録 
「自分ダケ天国」を創ろうとして争いや略奪を繰り返してる奴らが、形だけで世界を一つにしようたって、どう逆立ちしても、そんなことは無理なんだよ。世界全員、みんながみんな、自分と自分が戦って、『俺が俺が』って勢力争いや権力争いをして、『俺だけは損したくない』って保身をして、「自分だけの王国」を創ろうなんて考えてたら、戦争や政権交代の繰り返しの堂々巡りの歴史が出来ちゃうのは当たり前だろ。とどのつまりが「人類滅亡の危機」だ。君たちがそのままやり続けるんなら、本当に滅亡しちゃうぞ。

『大雪の恐れがある』『経済システム崩壊の恐れがある』云々って当たり前のように使ってるけど、君たちはいったい何を恐れてるんだい? ただ『自分たちの基準で見たらたくさん雪が降る』『お金っていう遊び道具で遊べなくなる』ってだけのことだろ。霊界の君から見たらただの映画だろ。それが君自身の体験を創る上で何か問題があるのかい? 君自身の本当のイノチと何か関係があるのかい? 何を避けてるんだい? ただ『明日は雪が降るでしょう』『システムが崩壊するでしょう』って言えばいいだけのことだろ。『ハトの糞が落ちる被害が~』『農作物に甚大な被害が~』って、いったい何を害したんだい? 『~の被害が』って何の疑いもなく使ってるけど、よく考えてものを言えよな。

君たちは、そのまま行ったら、どんなに避けたって、どんなに逃げたって、どんな対策を練ったって、心の掃除をしなけりゃ、最期は「問答無用」で、有無も言えずに「仮の世」もろとも「永遠の消滅」なんだぜ。君たちが言う「形に見える悪や邪魔者」をどんなに潰したって、封じ込めたって、排除したって、「形に見える損や破壊」をどんなに避けたって、止めようとしたって、「永遠の天国」は絶対にできないんだよ。形を壊してる奴らが『自分に都合が悪いものを壊そう』『「自分ダケ天国」の崩壊を止めよう』なんて、自分勝手以外の何者でもないだろ。最期の大掃除に向けて神さまがやってることを君たちが止めることなんてできるわけないだろ。神さまのすることに抵抗するってことは、君たちが望んでる「本当の天国」を拒否してるってことになるんだぜ。いつまでも「自分ダケ勝手」な幻の天国を創ろうなんて企んでると、幻の天国と一緒に君ダケが消えちゃうぞ。

神さまは、君たちに改心のチャンスを与えるために、3000年間っていう期限付きで「仮の世」を創ったんだよ。神さまの世には元々ない幻の世界なんだから、期限が来たら、ツベコベ言ってる奴らもろとも大掃除しちゃうんだぞ。そのままやってるなら、君は幻の世界で親分や金持ちになろうとしてただけの「幽霊」で終わっちゃうぞ。神さまの世にないものは、21世紀になったら一つ残らず消すんだよ。君の穢れた魂も、肉体も、物質の世も、全部だよ。今の「物質の世」は消すけど、新しい道具で作り替えた世になるんだよ。君が今ここで神さまの言う通りにやってなけりゃ、新しい道具は一切使えないぜ。

『歴史は繰り返す』ってのはよく言ったもんだな。その言葉の本当の意味は「神さまの世界」っていう歴史が繰り返す(「神さまの世」が復活する)ってことなんだな。『正神(=本当の神様)ルネッサンス』ってとこだな。君たち人間から見たら「復活」って言葉になるけど、元々は「相対二元」の「分裂世界」なんてどこを探してもないんだよ。神さまから見たら、「相対二元の世界」なんて、本当は「ナイ」世界なんだよ。つまりだな、物質を使って創り出した「略奪人間の歴史」の繰り返しはもう終わりだってことだよ。

                         ウナム

元つ話 560  古いエネルギーは新しい世界では存在し得ません

2013-01-25 Fri : 神語録 
   偉大な天の指揮者

   「これから先の旅」

分離主義的な思考を続ける者は、既知の思考から、今存在はするものの、まだ見たことのない可能性の海である、未知の思考に踏み出すのを怖がると感じられます。彼らにとっては、自分と他者、あるいは他のグループとの比較をして境界を明確に出来る分離状態を続けるほうが快適なのです。彼らがそこに留まりたいのなら、これが彼らの選択ですが、彼らは惑星が五次元への旅を続けると、落伍してしまうでしょう。私たちは彼らの自由意志を尊重します。

古いエネルギーは新しい世界では存在し得ません。新しい世界には、思考や存在の形態にしがみつく個人又はグループの存在の場所はありません。彼らが歓迎される場所は他にありますが、新しい地球の上ではありません。

従って、方向の選択の時が再びやってきました。親愛なる皆さん、あなた方が地球の周波数の中に存在するあらゆる瞬間にこの選択をしなければならないことに注目してください。なぜなら、地球は、出身がどこであろうとも、全てのソウルにとっての試練の地だからです。あなた方が物理的な形態をとった時、あなた方のソウルはその延長には、分離の幕を乗り越え、あたかもふるさとに電話をかけるように、つながりを持ち、地球から至高の天にまで拡張されている広大な存在の一部としてのその真の存在への気付きに至る賭けをしているのです。

地球という試練の地は今までも、今でも、ソウルにとっては厳しい場所であり、全ての者が合格するわけではなく、自己発見と、この地球の上を歩む一人一人の中の永遠の炎が燃える隠された庭の発見の旅の途上で一つ一つ必要なことを探り当てる努力をするという、想像上の苦悩に満ちた生涯に次ぐ生涯を通じての転生を続けなければならないのです。

厳しい学校として存在できる、この特別の惑星に割り当てられた時間は終わりに近づいています。終わりはゆっくりとしたもので、分離のエネルギーの現象と統一のエネルギーの成長の、多くの者にとって、既知のものを手放し、地図も無い未知の世界に踏み込む不快な調整期間です。愛と開放のエネルギーを越えた未知のエネルギーとしての、怒り、失望、批判、継続的な恐怖への囚われを増すものは、この将来の不確実性なのです。

元つ話 559 そなた次第でゴミにも宝にもなるぞ

2013-01-24 Thu : 長谷章宏語録 
そなたが体験していることはそなたがしたことであるぞ。文句や愚痴を言っているならばますます不調和ばらまいているのであるぞ。自分のしたことの責任をとっていないのであるぞ。ますます「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」を体験することになるぞ。責任追及や裁判をやっている者は早く気づけよ。そなたにメグリ、真釣り外し、不調和ばらまくことがなければ「損」も「被害」もないのであるぞ。そなたが受け取っているものはそなたのメグリに応じて、そなたが耐えられるだけの分量をこの方が与えたものであるぞ。そなたの加害者はそなたであるぞ。「偶然」などというものはないのであるぞ。自分のものもないのぞ。この方のものであるからこの方が自由につかえるのであるぞ。最後には一度に与えるのであるぞ。「原始時代」の民はこの方と共にいたのであるぞ。病気も事故もないから医師も裁判もいらないのであるぞ。自らしたことだと知っているからこの方と共に直していたのであるぞ。「苦」も「病気」も「事故」もお互いのメグリ合いであるぞ。すべてこの方が与えたものであるぞ。

この方の言うことを聞くことだけが「調和」を創りだすやり方であるぞ。不調和はメグリ積むだけであるぞ。メグリあれば平和も自由も天国もないぞ。遊べないぞ。メグリを掃除しなければ、自分のしたことを自分で自覚しなければ、そなたは新しい世界も死後の天国もないのであるぞ。今ここの天国もないのぞ。善いことをしてもだめであるぞ。世紀末のことや神のことを知っても何もならないのであるぞ。そなたがすることは「あやま知」の掃除だけであるぞ。文句言わないことであるぞ。愚痴を言わないことであるぞ。人を責めないことであるぞ。口だけの感謝はだめであるぞ。感謝しているならば、自分の責任をとっているならば、文句も愚痴も言えないのであるぞ。わかったら態度で示すことぞ。行動することぞ。この方の言うことを行動することであるぞ。そうすればこの方はそなたの掃除を手伝うぞ。きついならきついなりに一番はやく一番楽に掃除できるような材料を与えるぞ。掃除終わればオカゲをやるぞ。最後のプログラムはこの方が創ったのであるぞ。こうやってこの者を使ってすべての種明かしをしているのだから素直に改心結構ぞ。

どっちがよいか、どっちが得かのゲームは問題を創るだけであるぞ。物事を二つに分け続けるだけであるぞ。ねずみ講であるぞ。どんどんワケが分からなくなっていくだけであるぞ。そなたらは分けに分けてそなたとこの方の関係まで見えなくなってしまったのであるぞ。宗教とか哲学とか言って学問や他力本願の対象にしてしまったのであるぞ。この方を忘れてしまって、自分が何をしているかわからなくなってしまったから「問題の山」を前にして途方に暮れてしまっているのであるぞ。そなたらは自分で問題を創って自分で悩んでいるのであるぞ。これ以上「あやま知」に占領されたアタマを使って外側の情報を創りだしては神の世界がますます見えなくなるだけであるぞ。ますます混乱が進むだけであるぞ。ますます思惑とは反対の方向に行くだけであるぞ。平和も平等も自由も安全も全部遠くなっていくぞ。分けがわからなくなるだけであるぞ。何とかしようとするほど何とかならなくなるのであるぞ。人間にはもう何も解結できないのであるぞ。今ある問題は、神の世界を創る大掃除の序曲であると同時に、そなたらの魂のお掃除をするための材料であるぞ。神の視点になる訓練をする教室であるぞ。そなた次第でゴミにも宝にもなるぞ。

そなたがすることは今までのあやま知をきれいさっぱり捨て去って、調和を創る神の仕組みを生きることであるぞ。生きる基準を変えることであるぞ。そなたの魂のお掃除を始めれば今起きていることが見えてくるのぞ。今起きていることがそなたとは関係なくなるのぞ。そなたが見方を変えなければどんどん怖いことになっていくのぞ。そなたが今までのゲームを続ければ続けるほどそなたが危なくなるのぞ。そなたとそなたの回りとは関係ないのぞ。そなたが掃除済めば、何が起きようが気にしないで遊べるのであるぞ。そなたがメグリ持っている分だけ遊べないのであるぞ。「遊べない」「できない」と言っているからずっとできないのであるぞ。そなたは物質を使って遊ぶ魂であるぞ。今世はメグリなければ嬉し楽しの遊び場であるぞ。

外を探していても何も答えはないぞ。二十一世紀というのは全く別の世界になるのぞ。魂の世界と物質の世界が半分ずつの世界になるのであるぞ。今のそなたが想像しても分からないのであるぞ。想像するよりも掃除をすることぞ。掃除をすれば見えてくるのぞ。どうなるか、何が起きるか、どうすれば助かるか、をやっていると助からんぞ。何もわからんぞ。肉体を守っても魂がなければ何もないのぞ。肉体の死を恐れていると魂が死ぬのぞ。神の世界の規則通りに生きればそなたに死はないのぞ。肉体の死はあってもそなたに死はないのぞ。そなたは物質ではないぞ。そなたは魂であって肉体であるぞ。そなたが守っているものは今までの遊び場で与えられた遊び道具であるぞ。今までの遊び道具を握っていると新しい遊び道具を渡すことができないのぞ。新しい道具がほしいならば今までの道具を放すことであるぞ。新しい世界は今の肉体では遊べないのであるぞ。一度肉体を脱いで新しい肉体(服)を着る必要があるのぞ。そなたという魂が新しい世に合った行動をしていないと新しい服は着られないのであるぞ。

今までの知識が今までの物質の世がこのままずっと続くと思うなよ。今までの「当たり前」や「常識」が続くと思うでないぞ。いつまでも「我よし」や「保身」や「損得勝ち負け」ゲームや「私はどうなるのでしょう」ゲームや「利害関係調整」ゲームをやっていると残念が出るぞ。もう後がないのぞ。この方は、新しい世を創る時が迫っているから、すべてのすべてのカラクリを公開して、後悔しないように準備をさせようとしているのであるぞ。

                           章

元つ話 558 今怖いものはもっと怖くなるぞ早く始めるほど楽に天国になれるぞ

2013-01-23 Wed : 長谷章宏語録 
そなたは身魂の掃除なくして新しい世の民になることはできないのであるぞ。そなたが掃除をするかしないかでそなたの身魂の永遠の生死が決まるのであるぞ。そなたの身魂が死ねばそなたは永遠に消えるのであるぞ。肉体の生死、財産、地位、名誉、金、信用、世間体云々どころの話ではなくなるのぞ。そんな小さなことにこだわっているとそなたはいなくなるのであるぞ。取り返しのつかないことになるぞ。疑えば疑うほどそなたは死に近づくのであるぞ。新しい世へのプログラムは決まっているのであるぞ。掃除を先に延ばせば延ばすほど厳しくなるのであるぞ。大変になるのであるぞ。最後はすべての人間が掃除を体験することになるのぞ。そなたがたよっている外のものをすべて壊して、いやでも掃除をせねばならない状況を創るのであるぞ。今そなたの回りで起きている天変地異や事故や問題はすべてその前兆であるぞ。少しずつ体験させているのであるぞ。今までのやり方で何とかしようとすればますます泥沼にはまるのであるぞ。そなたの今までの見方では怖いことばかりおきるのであるぞ。最後の最後には身魂の掃除ができたかできないかの身魂改めがあるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての関所であるぞ。関所の通行手形は「掃除の終わった(神ゴコロに戻った)身魂」であるぞ。今度の今度だけは裏工作もワイロも学問も知識も地位も財産も何も通用しないのであるぞ。すべての者が平等にできることであるぞ。最後の最後に必要なのは「掃除が完了した身魂」だけであるぞ。

身魂の掃除というのは「ココロ」の声を使ってそなたが持っている「あやま知」を「神の智」に交換して行動する練習をすることであるぞ。そなたのココロにある基準を取り替える(十理=神を替える)ことであるぞ。そなたのココロをこの方のココロと同じにすることであるぞ。そなたは、そなたがココロに持っている基準通りの物語を体験するのであるぞ。そなたが持っているシナリオを変えなければ体験は変わらないのであるぞ。「天国創る神のやり方」を実践すれば形は天国であるぞ。今までのシナリオは地獄の物語であるぞ。自分だけが満足して勝つ、争いを創るシナリオであるぞ。この方は「天国のパズル」が完成するように一人ひとりの想念を通して指示することができるのであるぞ。そなたがいくら考えてもすべての人間を天国にすることはできないのであるぞ。
すべてのすべてを調和のもとに機能するように創ったこの方の言うことを素直に聞かなければ、個人的な問題も社会的な問題も、すべてのすべてがもう何も解結しないのであるぞ。不調和創り出している限り平和も自由も平等も何もないのであるぞ。この方はそなたが不調和を創りだしたときに自分自身で気づいて調和に戻せるように「情けと花の仕組み」を創ったのであるぞ。そなたがバラまいた不調和と同じだけの「苦」を与えて知らせて自分のしたことを自覚させて、お詫び、感謝、改心したら「楽」になるようにしたのであるぞ。改心というのはそなたが分かったこと、気づいたことを行動することであるぞ。お祈りや感謝の言葉だけではだめであるぞ。そなたが分かったことをそのまま行動することで改心した証拠になるのであるぞ。神を信じているならば、神の言う通りに動くことであるぞ。判断を入れたらそなたは神を信じていないことになるぞ。言い訳や理由はいらなくなるのであるぞ。疑いをもったら改心していないのであるぞ。

この方は、この方の仕組みで肉体をもった身魂であるそなたが肉体の世界で掃除できるようにココロというものを創ったのであるぞ。肉体を使って魂の掃除ができるようにしてあるのぞ。ココロを使って神の心に戻れるような仕組みを創ったのであるぞ。そなたは今まで「あやま知」にとらわれていたからそのことに気づかず、自分の「苦」や「葛藤」や「混乱」や「問題」を自分以外の責任にして、ますます不調和をバラまいて、ますます混乱や苦しみを創りだしていたのであるぞ。そなたの「苦」というのはそなたが創ったものであるぞ。そなたが不調和ばらまいたことを知らせるお知らせであるぞ。そなたがバラまいたと同じだけの苦を体験しているのであるぞ。そなたがしたことが返ってきているのであるぞ。「あやま知」にとらわれているそなたが気づかないことがわかっているからこの方が人間の言葉に翻訳してここですべてを教えているのであるぞ。「知恵」と「智慧」は違うのぞ。知恵は人間の創ったものであり、智慧は神のものであるぞ。「知」の下に「日(火、一、霊=神)」があるのが智慧であるぞ。神の教えであるぞ。そなたがとらわれているのは神の智とアベコベの、混乱をつくる、「自分だけ善しの知恵」であるぞ。そなたらはみんな自分勝手であるぞ。人のすることをとやかく言える筋合いはないのであるぞ。そなたは正しくないのであるぞ。そなたは普通でないのであるぞ。そなたはキ違いぞ。

自分のしたことの結果を人のせいにするというのはどういうことであるかよく考えてみよ。そなたが感じている「苦」はそなたがそなたのまわりに、見える世界見えない世界に宇宙にばらまいて神や人に与えた「苦」と同じであるぞ。神の世界は天国であるぞ。そなたが不調和ばらまけば天国の安らぎはないのであるぞ。そなたがばらまいただけのものはそなたに体験してもらうのであるぞ。これは一人として避けられないものであるぞ。そなたが安らぎや天国を感じようとしてもそなたが蒔いた分だけは引き受けることになるのであるぞ。そなたがこの方の言うことを理解したとしても、そなたがまき散らした分だけはしっかりと引き受けてもらうのぞ。そなたがしただけのものは返してもらうのぞ。そなたがこの方の言うことに反論したり疑ったりすればますます不調和をまき散らすことになるのぞ。そなたのしたことの結果はそなたに戻るだけであるぞ。そなたはこの後に及んでまだ「苦」を体験したいのか。そなたの「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」は、そなたが不調和出していたことに気づかせるために、この方がこの方の家来を使って、そなたが出した分だけ、忠実に、一つのもれもなく、多くも少なくもなく、ピタリピタリとそなたに返しているのであるぞ。今ならばそなたが耐えられる分量ずつ渡せるが、最後の最後はまとめて渡すのぞ。そなたがすべて返済するまで、お掃除が終わるまでそなたは天国になれないのぞ。後ろの期限は決まっているから、先に行くほど纏(まと)めてやることになるぞ。先に延ばすほど自分が苦しくなるのぞ。今怖いものはもっと怖くなるぞ。早く始めるほど楽に天国になれるぞ。楽であるが楽ではないぞ。そなたの身魂が生まれて今まで何世代にもわたってまき散らしてきたものを全部清算するのであるからぞ。

                           章

元つ話 557 そなたの肉体の世界の出来事はそなたの魂の世界の出来事の結果である

2013-01-22 Tue : 長谷章宏語録 
そなたという身魂はこの方の分身であるぞ。そなたという身魂のすることを肉体という物質の体に翻訳しているのが人間であるぞ。そなたの死後に残るのは身魂だけであるぞ。そなたの「考え」「ココロ」「想像」そのものがそなたであるぞ。新しい世はそなたのココロがそのまま現れる世であるぞ。そなたのココロに地獄があれば、そなたのココロに制限があれば、そのまま見るのであるぞ。戦いがあれば戦うのであるぞ。そなたとこの方は想念の世界で対話しているのであるぞ。この方はそなたの想念をすべて見ることができるのであるぞ。そなたらすべての想念を見ることができるのであるぞ。そなたらが何をするか、何を創るかはこの方はすべて知っているのであるぞ。悪の企みもすべて知っているのであるぞ。この方はそなたの考えることはすべてわかるのであるぞ。そなたがどんな反論をするか、そなたが何をしようとしているか、そなたがどういう見方をしているか、分かるのであるぞ。そなたのやり方でやるとどうなるか、結果は全部分かるのであるぞ。

この方はこの方が創った仕組みの中でそなたが何をしたらどうなるかすべて知っているのであるぞ。この方はそなたらの混乱の原因も収拾の方法もすべて分かっているのであるぞ。そなたらの悪の企みも嘘も建前もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密をバラすこともできるのであるぞ。そなたらはこの方の創った仕組みの中で遊んでいるだけであるからぞ。そなたがやっていることは何もないのであるぞ。この方が許しているから悪の企みができるのであるぞ。これからは不調和創り出す今までのやり方はこの方は許さないのであるぞ。自分だけがうまくやろうというのでは天国はこないのであるぞ。そなただけが良く成ろうとしているつもりであるが悪くなっているのであるぞ。身魂の視点で見ればそなたは得しているようで損しているのであるぞ。そなたの人間というゲームはそなたの選んだルール通りに体験する身魂のゲームに過ぎないのであるぞ。そなたはどんな体験も自分で選べるのであるぞ。選べるのではあるがそなたがするのではないぞ。そなたの注文をこの方が聞くのであるぞ。

そなたが使っているのはこの方が創ったモノであるぞ。この方が許さなければ使えないものであるぞ。この方が創ったものはこの方がどうにでもできるのであるぞ。そなたのものは何もないのであるぞ。この方のことを知らぬそなたの今までの思い込みはそなたの自分勝手なものであるぞ。そなたが自分を正当化するどんな理屈も通用しないのであるぞ。人のことを人が決めるゲーム、人のすることを賛成反対するゲーム、許す許さないゲームには自由はないのであるぞ。この方はすべてを許しているのであるが、そなたらは何をしているのであるか。許しているから賛成反対ゲームも、自分のしたいことをするゲームもできるのであるぞ。お互い自由なのであるぞ。裁くゲームは迷惑であるぞ。そなたの肉体の世界の出来事はそなたの魂の世界の出来事の結果であるぞ。そなたの魂の世界はこの方の仕組み通りに成るのであるぞ。魂の世界で成ったことが肉体の世界に映し出されているのであるぞ。そなたが人生だと思っているのはすべて幻想のゲームであるのぞ。

この方はそなたら皆を天国にすることもできるのであるぞ。この方は、だれが何を欲していて、だれが何をあげたいのか、どうすれば満たし和えるかをすべて知っているのであるぞ。一人ひとりを組み合わせてお互い満たし合って嬉し嬉し楽し楽しの天国のパズルを組み立てることもできるのであるぞ。この方の御用をするこの者もこの方と同じものが見えているのであるぞ。そなたもこの方の言う世界が見えるようになるのであるぞ。そなたの肉体の世界はそなたの魂の世界の鏡であるぞ。そなたは鏡の世界を変えようとしているのであるぞ。元を変えずに鏡の像をいじくっているのであるぞ。元がそのままならば鏡を何枚割っても同じものが見えるのであるぞ。気にくわない者の肉体を奪ってもそなたは安心できないのであるぞ。外を変えようとするそなたが迷惑であるぞ。そなたはそなたの責任を逃げているのであるぞ。自分が選んだ体験が都合悪いと自分以外のせいにしているのであるぞ。そなたが外側に見ているのはそなたが持っている○×善悪正誤美醜であるぞ。魂の世界が天国でなければ肉体の世界の天国はないのであるぞ。肉体の世界の天国は、魂の世界、即ち肉体で認識するところの「ココロ」を掃除することでできるのであるぞ。そなたは肉体をもって魂の世界を知ることができるのであるぞ。神の世界を見ることができるのであるぞ。この方の語る話を聞くことができるのであるぞ。

そなたは、この方の言うことを素直に実行すれば神の世界を体験することができるのであるぞ。この方の言う通りにすれば肉体の世界でも天国を体験することができるのであるぞ。この方がそなたの注文を聞いてこの方の創ったものを使ってそなたに必要なものを与えているのであるぞ。この方の言うことを疑えば天国はないのであるぞ。どっちが本当かを比べていても分からないのであるぞ。そなたが今やっているやり方とアベコベを実行して初めて体験する世界であるぞ。そなたは今そのやり方をしているからその体験をしているのであるぞ。アベコベのやり方をすればアベコベの体験をするのであるぞ。「もし失敗したら」「もし騙されてたら」「もしもしもしでもでもでも」をやっているのは今までのやり方であるぞ。今までのやり方から出ていないのであるぞ。この道理分かるか。

                           章

元つ話 556 「内側にある戦争」が「外側の戦争」を創りだしている

2013-01-21 Mon : 長谷章宏語録 
皆さんの「内側にある戦争」が「外側の戦争」を創りだしている
 皆さんが知っている、あるいは、体験してきた今までの戦争の歴史というのは、こういうメカニズムが働いて繰り返されてきたものなのです。実は、戦争を無くそうとすることは、戦争を創りだそうとしているのと同じことなのです。「戦争は悪いことだからやめるべきだ」といっても、永遠に戦争はなくなりません。これは、今までの歴史を見れば、明白なことです。未だに「戦争」が世界の何処かで起きていますから。そして、皆さんがた一人ひとりの日常のいざこざという戦争は絶えることなく繰り返されています。
 皆さんは「言葉」に出す以前に、必ず、自分の内側で「自分と自分との戦争」をやっています。「内側にある戦争」というのは、自分の外側にあるものを○か×かで(ココロの中で)判断するゲームです。本当に戦争を無くしたければ、外側に見えている「人の宗教」に戦いを挑むのでも、自分の正しさを証明しようとするのでもなく、「自分が戦いたくなるのは自分の内側にある○×が原因である」と自覚すること、つまり、皆さんの内側を「自分が自分のすべての現実を創りだしている」という「宗教」に入れ換えることが必要なのです。
 戦争(議論、争い、喧嘩、いじめ等々)というものは、皆さん一人ひとりが、戦争を創りだす、争いを創りだす、議論を創りだす、判断を創りだす、葛藤を創りだす、皆さんの「内側のメカニズム」に気づいて、それを変えなければ、永遠になくならないものなのです。つまり、「外側にある戦争」というのは、皆さんの「内側にある戦争」を解結しなければ、無くならないのです。
 戦争に限らず、皆さんの外側にあるものはすべて皆さんの内側にあるものの反映、鏡なのです。言い換えれば、皆さんの外側にある(見えている)ものは、皆さん自身の作品なのです。皆さんのもっている○×、善悪、正誤、良否等々の基準が外側に映っているだけなのです。このことを理解しているならば、人の責任にしたり、責任転嫁をするのは自分勝手であることに気づき、二度とできなくなるはずです。

 というわけで、戦争(けんか、いじめ、争い、議論等々)を無くすための根本的な対策というのは、皆さんの外側にはないのです。皆さんの外側をいくら探しても、残念ながら、永遠に見つかりません。外側に探せば探すほど、「善悪という基準」を使って無くそうとすればするほど、ますます、「戦争」を創りだす結果となるのです。
 皆さんが、長い間、苦労して創りだそうとしてきた「平和」というものは、守るものでも、創るものでもなく、初めからあるものなのです。「平和」を守るために「戦争」をするというのは、本来、オカシイことなのです。皆さんの内側が平和ならば、外側も平和です。皆さんの外側に見える「人の宗教」やその成果である「人の作品」を批判し合っている限り、自分の正当性(裏を返せば、相手が間違っている、相手が悪いということ)を主張し合っている限り、永遠に「平和」という形はやってこないのです。

 ここでまたまた、「そんな考え方は~」と私に「戦い」を挑んでくるならば、皆さんの外側から、永遠に「争い」や「戦争」や「競争社会」や「トラブル」や「苦しみ」がなくなることはないでしょう。

 実を言うと、今ここで、このことに気づいて、言動を改めていかないと、近い将来、皆さんが嫌だと言っても、一人残らず、身を持って「内側の戦争が外側にある」ということをいやというほど知ることになるプログラムが用意されているのですが・・・・・・。
 アレコレ書きましたが、実際のところ、もうこの「議論、戦争」ゲームを続けること自体がだんだんと難しくなってきているのです。
 このあたりの事情については、後で書きますので、そちらをご覧ください。


 皆さんの体験の原因(スタート)は皆さん自身が選んでいる「宗教」にある
 皆さんの多くは、「○○という現実があるから自分はそうするのだ」「○○という現実があるからそうするしかないのだ」「したいけれども、○○という現実があるからできないのだ」と言っています。皆さんに気づいてほしいのは、「○○という現実がある」と決めているのは、皆さん自身であるということです。ここに気づかなければ、皆さんのやりたいことは永遠にできないということになります。
 先ほどのセリフを使えば、「競争社会」が先にあるのではなくて、まず初めに、皆さん自身が「自分は競争社会に生きる」というゲームを選び、「競争社会で生き残るには○○をするしかない」という「宗教」を選ぶことを決めて、それに従って行動して、その結果を体験して導きだされたのが「自分は~」のセリフなのです。
 「自分は~」のセリフというのは、自分が今やっている行動の理由ではなくて、自分のやっている行動の結果なのです。つまり、皆さんは「暇」がないのではなくて、自分で自分の「暇」をなくしているということになります。
 皆さんが、「宗教」や「哲学」の話を避けてしないということは、自分で自分の成功、幸福、永遠の安らぎ、夢の実現を放棄していることと同じことなのです。本当は、この話題は、人間として避けて通れない大切な大切な話題なのです。

 実を言うと、皆さんが、このセリフを言っている限り、皆さんのこの人生だけではなく、皆さんが死んだ(肉体を離れた)後も、皆さんには、永遠に「天国」はありません。今この人生の今ここの現実が「天国」でなければ、あの世へ旅立っても「天国」ではないのです。今ここが「天国」ならば、いつ旅立っても「天国」が約束されているのです。
 それはつまり、言い換えると、皆さんがもっている最大の恐れ(「死」の恐れ)から永遠に解放されると同時に、永遠のイノチを得るということでもあるのです。(「天国」といっても、「快楽」の一時だけの天国ではだめで、別の意味の「天国」を創りだすことが必要ですから、悪しからず。その方法について書いたのがこの本です。)

 こういうような真実を知ることによって、「臓器移植」や「延命治療」の是非や、それに係わる「脳死」や「生体移植」や「安楽死」や「医療ミス」等々、「肉体の死」に係わる様々な問題は、一気に、綺麗サッパリと解結してしまうのです。そして、議論に使っていた時間を自分の好きなことに使うこともできるのです。これは、この問題だけではなく、すべての悩み、すべての問題に当てはまることです。

                           章

元つ話 555 最後のシナリオはすでに回避されています

2013-01-20 Sun : 長谷章宏語録 
 この本には皆さん(人類)の今後を左右する決定的な情報が語られている
 このようなプロセスを経て、今回、ようやく、私自身の体験を通して、先の問いかけに対する、自分自身が納得できる、真実であると確信することができる「決定的な答え」を見つけるに至ったというわけです。
 それと同時に、その「決定的な答え」が、人類全体(実は、皆さん自身)の今後を左右する性格のものであることを知って、自分が何と言われようとも、どう見られようとも(そう見られることにはもう慣れてしまっていますが)、これは絶対に伝えておくべきものであると感じ、この本を書き始めた(実は、始めることができた)という次第です。
 この本では、新しい時代への変化についての話題と合わせて、ここにあげたような、今までの歴史を通していまだに結論が出ていない「人間という存在」についての永遠のテーマについても、皆さんが初めて聞くような情報や新しいモノの見方を通して、ハッキリと答えを出していきます。ですから、皆さんは、今まで学んできたことを、すべて一旦棚上げにして、暫くの間、一切の価値判断(「でもね」「そうはいってもね」というのも含めて)をキレイサッパリやめて(と言ってもすぐ判断を始めるのが皆さんの癖ですが)、人生についてのメカニズム(=自分の現実を創りだしている法則、神の仕組み)について学び直すつもりで(すべてを初めから学ぶつもりで)読み進めていってください。
 ここでひと言お断りしておきますが、この本を読むにあたっては、皆さんが今までやっていたように、アレコレと理屈をこねて抵抗することをやめて、この中に書いてある情報を素直に受け入れることだけが、皆さんが探し求めている真実を知るため、トラブルや悩みや苦しみを解結し、本当に平和や平等や自由や幸福を創りだすための早道であるということ、そして、自分自身を次の時代へと導く唯一の方法であるということをぜひ覚えておいてください。何せ、初めて語られる情報なのですから。

 というわけで、この本は、今まで書いた二冊の本と今までの講演会での内容の曖昧だった部分や分かりにくかった部分を明確にする意味も含めて、「決定的な答え」とやらを、皆さんに提供できる形にして整えてお知らせしておこうという趣旨のものであり、私が自らの体験を通して学んだ、私が持っているすべての情報を公開する「三度目の正直」「神の仕組みの学習の三段階の上級編」「三部作の最終決定版」とでもいえるものであることを冒頭でお伝えしておきたいと思います。


 皆さんの人生に、単なる「宗教」や単なる「哲学」というものはない
 ここからは、本文にはいる前段階として、新しい見方(実は、人生についての本当の見方、真理)についての予備知識を得ることを兼ねて、「普通の」言葉で一通りのことを書いてみることにします。
 まず初めに、基本の基本から。皆さんは、私が前の二冊でも提案していた、最初にあげたような問いに対して、今ここでは、どんな答えをお持ちになっているでしょうか?
 皆さんの中には、「自分はこの競争社会を生き残るのに忙しくて、そんな哲学や宗教の話をしている暇などない」という方もいらっしゃるかも知れません。でも、皆さんの人生には、実際のところ、皆さんの人生に全く何の影響も及ぼさないような、単なる「哲学」や単なる「宗教」」というものは一切ないのです。本当は、「哲学」や「宗教」というものは、皆さんの体験を創りだす原因となる非常に大切な道具なのです。つまり、他でもない、今ここに提示した、このセリフ自体が、皆さんに「哲学や宗教の話をしている暇をなくす」体験を創りだしている「宗教」そのものなのだということです(ここでは「見方」「考え方」「基準」「観念」「想念」「哲学」「(今までの○○教という)宗教」等々をすべてひっくるめて「宗教」と言うことにしますので、そのつもりで読んで下さい。
 皆さんの体験というのは、皆さんが選んでいる「宗教」によって、自由自在に、どうにでも変わるものなのです。皆さんの選択次第で、「自分が望むことは何でもできる」と言っても過言ではありません。実を言うと、皆さんの体験は、すべて皆さんが言っているセリフ通りになっているのです。そして、皆さんは、外側に原因を求めていますから、その見つけた原因が自分自身の創りだした作品であることを知らずに、そのセリフを言い続けることになるのです。
 皆さんがもし、「そういう考え方はおかしい」と言うとしたならば、それもまた、皆さんのもっている「宗教」の産物であり、その「宗教」をもっている限り、いつまでもそのセリフを言いつづけることになります。そして、もしやりたければ、またまた「いやそういう考え方は~」というように、やりたいだけ、永遠に、いくらでも、お好きなだけそのゲームを続けることもできます。さらに、「あんたは、バカにしているのか?」などと言うとしたら、本文をよーく読んで、それがどういうことか、よーく自分で考えてみてください。本当のことが分かったら、二度とそのセリフは言えなくなるでしょう。

 皆さんが、私がここで書いていることを受け入れない限り、皆さんが「や~めた」というまで、皆さんがやりたいだけ、永遠に、こういう議論を続けることもできるのです。

 言い方を換えると、「自分の現実は自分が創りだしているものである」ということを皆さんが認めない限り、「どっちが正しいか」「どっちが本当か」「どっちが正常か」「どっちが素直でないか」等々の、外側を分類判断する、結論の出ない、対立や争いのゲームを永遠に続けることになり、それに付随して、様々なトラブルを創りだし、果ては、殺し合い(戦争)というゲームまで発展し、最後には、人類滅亡というシナリオまで用意されることになってしまうのです(ただし、皆さん自身がどうなるかということは別にして、この最後のシナリオは、すでに回避されていますので、ご安心ください。詳しいことは、後ほど)。

                           章

元つ話 554 新しい時代への変化は皆さん自身の内側の変化である

2013-01-19 Sat : 長谷章宏語録 
 皆さんの体験している新しい時代への変化は、皆さん自身の内側の変化である
 私が最初の本『人生というゲームの新しい遊び方』を書き終えてから早くも一年がたちました。その間、巷では、「新しい時代への変化」を予見させるような様々な出来事が何度となく伝えられ、「二十一世紀」とか「新しい時代」とか「改革」とか「変革」とか「革新」とか「過去最高」とか「史上初めて」とか「前代未聞」とか「歴史上始まって以来」とか「聞いたことがない」とか「ありえない」とか「信じられない」とかいうような言葉が絶えることなく飛び交い、「人類滅亡説」とか「宇宙人」とか「古代史の謎解き」とか「占い」とか「宗教」とか「精神世界」とか「死後の世界」とか、今までは「ありえない」「うさんくさい」と言われていたようなものが公の場で議論されるようになるなど、日本が、世界が、人類が、かつて経験したことのない新しい時代に向けての大きな転換期にさしかかっていることを誰もが認めるような状況になってきています。
 そして、「神」とか「UFO」とか「幽霊」とか「超能力」とか「セックス」とか「チャネリング」とか、少し前ならば、皆の前では公然と話せなかったような内容も、当たり前のこととして語られるようになり、情報公開とか規制緩和とか自由化とかいった言葉で表現されるように、すべてがオープン化の方向へと変化してきています。
 が、その反面、「人口増加」「戦争」「飢餓」「難民問題」「食糧問題」「犯罪の増加」「ローン地獄」「倒産、失業、就職難」「伝染病の発生」「地震、噴火、異常気象」「事故」といったような、その原因や解結の糸口が見つからないような不安材料が次々に現れ、先行き不透明で、この先何がどうなるのかわからない、自分がいったいどうなるのか、どこへいくのかわからない、といった「世紀末」特有の不安感がますます広がってきているというのも事実です。

 後で詳しく述べますが、この新しい時代への変化というのは、実は、単なる皆さんの外側の変化であるというだけではなくて、「神の仕組み」という大きなメカニズムに基づいて、皆さん一人ひとりの「内側の変化」が形となって現れてきているものでもあるのです。


 この本は、私自身の「決死の覚悟」の実験の結果として書かれているものである
 このように、たくさんの人々が、「新しい時代の変化」を感じ、それについてアレコレと語り合ってはいても、では、その変化の本質とはいったい何なのでしょうか?

 はたしてどのくらいの人が、二十世紀末の、この「大転換期」の「変革」の本当の意味というものを知っているのでしょうか?
 はたしてどのくらいの人が、それを知った上で、目の前で起きている出来事について、見て、感じて、考えて、行動して、コメントしているのでしょうか?
 雑誌や単行本やテレビやラジオや講演会等々を通じて、社会の変化や世紀末の出来事や二十一世紀という時代についての様々な情報が提案され、議論されていますが、いったい、どれが本当で、何が真実なのでしょうか?
 今、目の前で次々に起きている問題は、一体どうしたら解結するのでしょうか?
私たちは、実際のところ、新しい時代に向けて、どんな生き方をしていったらよいのでしょうか?
  新しい時代とは、本当のところどんな時代なのでしょうか?
  新しい時代に向けて、いったい何をすればよいのでしょうか?
  これから先、いったい何を信じて、何を頼っていけばよいのでしょうか?
  そして、この先、私たちはどうなるのでしょうか?

 もっとつっこんだ問いかけをするならば、

  私たちはいったい何のために生まれてきて、何のために生きているのでしょうか?
  私たちは今ここでいったい何をしているのでしょうか?
  私たちはどこからきてどこへいくのでしょうか?
  私たちはいったい誰なのでしょうか?
  人間というのはいったい何者なのでしょうか?
  そして、人間を創ったという「神」や「創造主」とは、本当はいったいどんな存在なのでしょうか?
  人生とは、現実とは、いったい何なのでしょうか?

 私自身は、この四年間というもの、朝から晩まで、寝ても覚めても、トイレの中でもこの問いかけが頭から離れませんでした。先の二冊でも書いたように、この間ずっと、片っ端から自分のノートに出てきたことを実践に移して、今まで出会わなかったようなことをたくさん体験していく中で、一つ一つこれらの問いに対する自分なりの答えを見つけていくことができましたが、同時に、なぜかそれだけでは納得のいかない自分がいることにも気づいていきました。
 そして、ある時点から、この問いかけに対するハッキリとした答えを出して皆さんに伝えるのが自分のライフワークであると直感し、自分だけでなく、自分以外の人達にも使えるように、分かるように、提供できるような形を求めるプロセスに入っていきました。
 それからというものは、今まで学んできたものや今まで手に入れたもの(人間関係、仕事、財産、評価、考え方等々)をすべて捨てる「決死の覚悟」(なぜ「決死の覚悟」が必要だったのか、ということについては後の章をご覧ください)をして、ハラをくくって、今の今までずっと、回りから何と言われようとも、人にどう見られようとも、私自身、何がどうなるのかわからないまま、前の本で触れた「自動書記ノート」の情報に基づいて、(今まで学んできた常識から見たら全く「非常識」「アベコベ」に見える)「自分自身の答え」に忠実に行動するという実験を今の今までやり続けてきました。
 そして、そのプロセスの中で、今まで触れることがなかった様々な貴重な情報と出合い、今までの人生では考えられないほどの様々な人達と出合い、様々な奇跡を次々に体験をすると同時に、自分自身の体験したことや、新たに出てきた矛盾をその都度、自分の中で整理統合して、さらに新しい実験をすすめるというプロセスを繰り返してきたのです。
 ここに至るまで、私自身が体験してきたことについては、人に聞かれたとしても、言葉では説明できず伝わらず、気違い扱いされたり、白い目で見られたり、相手にされなかったりと、言葉では語り切れない、それはそれは苦しい道のりの連続でした。
 と同時に、その中で、私の話を必要としている方々や、自分と同じような見方をしている方々、同じような考え方を研究している方々が数多くいらしたということが、私のしていることは価値のあるものなのだと、私を勇気づけてくれたのも事実です。そうでなければ、今ここまで、ずっと続けることはできなかったでしょう。

 今まで出版した二冊の本は、こういうプロセスの中で皆さんのもとにお届けすることができたものですが、それでもまだ、本人の中には、何かもの足りない、スッキリしないものが残っていました。そして、今ここまで、終わったようで終わっていない、見えたようで見えない、分かったようで分かっていない、まだ何かあるが見えない、という釈然としない感覚を持ちながら、新しい遊び方の実験を続けてきました。
 今思うと、実は、これで終わりではなくて、二冊目の本を出版して以来、今この瞬間まで私がやってきたこういうプロセスそのものが、それがいったい何なのかということを明確にして、皆さんに提供するための準備をするプロセスだったのです。
 ここでもまたまた、まだこんなことが残っていたのか、というような、思いもよらなかった様々な「困難」に見える出来事や、自分のしてきたことが「否定」されるように見える出来事に次々に出会うという体験をしていきました。それは、今までの自分からみたらとても耐えられない出来事の連続でもありました。終わったと思っていても、まだ、そういう「困難」に見える状況に飛び込んで、自分の今まで学んだことを総動員して自分の中の様々な葛藤や混乱を乗り越えていくという体験を重ねるレッスン(修行)を通して、それを一つ一つ整理統合する、最終段階の作業が待っていたのです。
 それは、大掃除を済ましたあとの、一見、綺麗に見える部屋の隅に残っているホコリを探しだして掃除するようなものでした。そのプロセスでは、終わったと思っていたのに終わっていなかったこと、勝手に終わらせただけだったことを何回も気づかされるということの連続でした。
 そして、今、大掃除が終わって気づいたのは、そのスッキリしないものの正体というのが、実は、これから少しずつお話ししていくような「人類(実は皆さん一人ひとり)の今後を左右する非常に非常に大切な情報」だったというわけです。

                           章

元つ話 553 「教育」という強制的洗脳制度

2013-01-18 Fri : 長谷章宏語録 
文明社会は、「教育」という強制的洗脳制度を作り出し、拒否する自由を許さず、当然のこととして、何千年にも渡って、アヤマ知の常識を代々継承し続けて、現代社会に至っている。指導者たちは、アヤマ知の知恵に基づいた教育を通して、その時々で社会にとって都合がよい体系化された知識や思想を強制的に植え付け、アヤマ知の世界に貢献することに全人生を捧げることが人間として価値のあることだと思い込ませてきた。アヤマ知の作る社会を当たり前の世界だと思い込んだ人民は、アヤマ知を基にして、自分も含めた他者の言動を価値判断し、同意したり批判したりしながら、自らの生き残りをかけた戦いの世界を彷徨い続け、夢を実現することを夢見て一生を終える。ある時は他者を攻撃し、ある時は他者に迎合し、アヤマ知の常識をその場のその場で都合よく使って、自分の立場や優越感を保持するための戦いを繰り返している。『あなたのために言っているんだ』『自分のことだけ考えればいいのか』『そんな考えはよくない』『こんな常識も知らないのか』『そんなことをしていたら社会人として失格だ』『目上の者にそんな口の利きかたをしていいと思ってるのか』『家族だからこそ心配してるんだ』『ご先祖様を粗末にするとバチがあたるぞ』『いつまでも夢みたいなことを言ってないで真面目に働け』『働かない者食うべからず』云々、その殆どは自分の優位を保って生き残るための武器である。アヤマ知の世界で生き残ることが何を意味するのかを知らないまま、実現しない自由を求めて、今も戦い続けている。

あなたが、闇がある世界を当然のことと思っているならば、自らが消滅する時が必ずやってくる。あなたの肉眼には闇が見えるが、そこには、星が輝いている。真っ暗になるのは、窓のない壁で囲った場合だけである。窓がある限り、どんなに暗くても、薄っすらと見える。真っ暗になったとしても、真っ暗だと感じるあなたが存在する。真っ暗だとしたら、あなたが『自分はこの世にいる』と思い込んでいても、そこはあの世かもしれない。あなたは、この世にいるのかあの世にいるのか判断できない。あなたが、『自分は生きている』と判断する根拠は何か。この世とは、あの世とは、どんな世なのか。その判断の基はあなたの中にある。今の世の形、風景が見えなくなることを死というならば、あなたには死がある。しかし、実際には、この世もあの世も同じ仕組みであり、「あの世」に行ったあなたは、『自分はこの世にいる』と認識する。自分の存在を認識できることを「生」と言うならば、あなたには「死」はない。「死」を避けること、言い換えれば「生」に執着することが、すべての争いを産む源である。今で言う「生死」、生きているか死んでいるか、は、形の有無のことであり、確実に言えることは、それを考えているあなたは死んではいない、ということである。つまり、あなたには「この世の生」しかないのである。闇を認識している限り、あなたは「生きて」いる。すべては、あなたの思い込みが作り出す幻想である。あなたの中に闇(病み、汝病み=悩み、疑問)が全くないならば、あなたは光の世界に戻ったことになる。すべての世界が、光のみの真コトの世に戻れば、目の前の闇もなくなる。それが、本当の天国である。心の闇を持つ者が作る天国は地獄の中の光の世界であり、その天国の光を追い求めるほど、その裏の心の闇が形になっていく。すべての闇が形になった時、それが、本当の地獄、地獄も天国もない究極の地獄、本当の死、つまり、滅びである。地獄にいる神は神ではなく、悪魔は悪魔ではない。従って、あなたが光と闇の地獄にいる限り、いかなる神に祈ろうとも(悪魔を祓おうとも)、あなたは、本当の天国には戻れない。

『自分は何者なのか』『自分はどこから来て、どこに行くのか』『自分は何のために生きているのか』『自分はなぜこの世に生まれたのか』『自分が生きる価値はあるのか』等々、自分について何も知らない者同士が、何も見えない世界を道案内しあっても、闇の中を右往左往するだけである。どこに向かっているのか誰もわからず、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、問題を解決しては問題を創ることを繰り返して、混迷を深め、お先真っ暗な混沌の世界を漂っている。わからない者が導けば導くほど、益々わからなくなる。『自分はいったいどうしたらよいのか』と訊くことになる。『自分はいったいどうなるのか』と他人に訊くことになる。あなたにわからないことを誰がわかるのか。具体的にどんな現実が起こるのかは言えなくても、あなたが滅びの時を迎えることは保証する。自分以外の事ばかりあれこれ語る者は、自らが滅びの道中にいることを知らない。それは、滅びの道の過程での出来事を評論しているに過ぎない。今のままなら、どんな奇跡が起きようと、誰に助けてもらおうと、あなたは確実に滅びの時を迎える。あなたが真釣りに戻れば、たとえこの世で殺されることになろうとも、確実に天国への道を歩き続け、天国の永住者となれる。

              【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

  参考までに〈【実践・日本真道】より追加抜粋)
 元つ大神から、昭和19年に、岡本天明氏を通して、「日月(ひふみ)神示」が降ろされている。これは、黒住、金光、天理、大本と、近現代日本を通じて、元つ大神が、時代に合わせて世界の親であるヒノモトに向けて降ろした、真コトの神仕組みと世の立て替え立て直しを予告する一連の神示の流れの預言である。平成4年には「火水伝文」が、現代の日本人に分かる文章で降ろされている。著者のこの本は、その集大成であることをお伝えしておく。

元つ話 552 光と闇の戦いをなくすことが「戦争」をなくす唯一の解決策

2013-01-17 Thu : 長谷章宏語録 
魔コトの世の光をほんの僅かでも残すならば、真コトの世から見れば、雲を残していることになる。魔コトという雲をすべて祓うというのは、魔コトの世から見れば、魔コトが滅び、光がすべて消えるということである。あなたに魔コトの光が残っているならば、あなたは消滅することになる。真コトの世には闇はない。魔コトから見た「闇のみ」という状態は、真コトの光そのものを意味する。完全なる闇というのは、魔コトの世界から見た現実であり、それは、真コトの光のことである。真コトが自らの現実であれば、自らの世界に闇はない。魔コトの者は闇のない真コトの世には生きられない。真コトの者には闇はなく、魔コトの者は滅ぶから、完全なる闇は誰も体験することはできない。魔コトの者は真コトを知らないから、天国を想像することはできるが、そのままでは本当の天国には入れない。真コトを消した闇の中の光が魔コトの光であるから、それを完全に消すということは、魔コトの世が消えるということである。魔コトの世は、相対の鏡の世界であるから、自らの光は相手の闇であり、自らの闇は相手の光である。魔コトの世では、真コトは闇であるから、魔コトの者は、魔コトの世界がすべてだと認識している。ゆえに、光を消すことは滅びを意味する。魔コトの世は光と闇の勢力争いの世であり、闇の光の中で光を奪い合う「光と闇の戦い」が続く。滅びは避けるから、魔コトでは光を完全に消すことはできない。完全に闇を消すこともできない。実際には、真コトの世から見れば、魔コトは始めから存在しない世界である。魔コトの世の光と闇の光源は真コトの光である。真コトが復活することは、光と闇が一つになり、争いが完全に終わることを意味する。光と闇の戦いをなくすことが、「戦争」をなくす唯一の解決策である。戦争反対を叫んでも戦争はなくせない。光と闇の戦いが終わるということは、戦争反対の叫びも同時に消滅するということである。あなたが自らの内にある光と闇の戦いを終わらせた時、そこが永遠の天国である。

なぜ、光と闇が同居しているのか。光と闇は同居できないはずなのに、実際には、光と闇が存在する(ようにみえる)。この矛盾を解く鍵は、あなた自身がすでに持っている。それは、あなたという存在の謎を解く鍵であり、今のあなたが持っているすべての疑問、悩み、ひいては、現代社会に存在するすべての問題を解決するための究極の方策である。あなたが持っている思考のパターンのトリックに気づくことが、この問いに答える第一歩である。

現代社会は、魔コトを基にしたアヤマ知によって作られた世界である。従って、アヤマ知が、世の普遍的真理、人間としての生き方の模範であるかの如く、堂々の常識として闊歩している。自分がいかに物知りであるかを証明するためにアヤマ知の蘊蓄を語り、自らの能力の高さを誇示するためにアヤマ知の優劣を強調し、自らの優位性を保つためにアヤマ知の論理で他者を攻撃し、自らの正しさを主張するためにアヤマ知の正誤で論争し、自らがいかに社会に貢献しているかをアヤマ知の清濁で証明し、不都合な勢力を抹殺するためにアヤマ知の善悪の思想を使う。何の躊躇もせず、罪悪感も感じず、法律や道徳や教育、社会制度を強制し、それに沿わない者を処罰する。それらは、自分がその世界で優位を保つため、その世界で自由勝手に振舞うため、その世界で安全を確保するために、アヤマ知の世界で身につけた、アヤマ知の世界で生き残るための術である。しかし、それは、アヤマ知の世界だけで通用する価値観であり、その世界だけで通用するやり方である。真コトの世界から見れば、逆に、自分はいかに愚かな存在か、自分はいかに何も知らないか、自分はいかに世を乱しているかをわざわざ宣伝して回っていることになり、何の意味もない正しさであり、優位性であり、蘊蓄であり、論理であり、善悪であり、美しさなのである。

『そんな天国はありえない』『そんなことをしたら終わりだ』『何の役にも立たない』『何の金にもならない』というような、自分が居心地がいいアヤマ知の世を終わらせないためのアヤマ知を握っていれば、自分で自分をアヤマ知の世界に封じ込めることになってしまう。なぜそれを握っているかといえば、アヤマ知の世が終わったらアヤマ知によって永らえた自分の命が終わってしまうからである。それを言い続ける限り、法律と、それによって規定される社会制度、個人と個人の関係、国同士の関係、口の利きかた、服装、態度、行動の仕方、果ては、個人の考え方、生き方、死に方、哲学、思想、倫理観、死生観まで、すべてのあり方をアヤマ知によってがんじがらめにされ、アヤマ知を義務や強制の正当性の根拠にしている世界で右往左往し続けることになる。自分の立場を維持することしか頭にないから、何の恥じらいも感じずに、自らの無知と愚かさと偽善を延々と自らで垂れ流すことになる。アヤマ知の善悪を使って法律を定めれば、死刑という殺人や、戦争という殺し合いも正当化される。アヤマ知の世の決まりに逆らうことは、社会を乱すことであり、それに反することは、社会に反抗することになり、自らの命を危険にさらすことになる。こうして、革命や社会変革や制度改革や秩序維持の名の下に、多くの血が流されてきたが、平和な世界、自由な世界になるどころか、今に至っては、人類滅亡の危機すら迫っている。

               【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 551 闇が存在できるのは光があるゆえであり

2013-01-16 Wed : 長谷章宏語録 
終り、終末、淘汰、滅び、滅亡、消滅、破壊、崩壊、沈没、地獄、という、「死」を連想する概念は、「死」という概念が存在することが前提となる。戦争、殺人、略奪、不安、恐れ、孤独感、喪失感、さびしさ、の根底には、「死」がある。あなたが不老不死=永遠の生を望むならば、それは死の呪縛に囚われている証である。現代社会に存在するすべての問題は、各々が略奪の地獄の世界の中に自分を生かすためにしてきた行動がもたらした結果なのである。『死は避けられない』という思想が前提にあって、『いかにして生き残るか』という問いが現われる。避けられないなら、先に延ばそうと思考する。しかし、必ず、死は訪れることになる。だから、今度は、『子孫に自分の遺伝子を残そう』『自分の生きた証しを残して子孫に自分の実績を伝えよう』と言い出す。そして、そのために時間と労力と資金を費やして研究に明け暮れ、形の成果を残すことに生きがいを見つける。自分はいつか死ぬから自分の存在の証だけでも永遠に残そう、と。肉体が無くなったら命は終りだと言うが、その裏では「永遠の生」を主張する。ここに、あなたという存在、ひいては、人間という存在の真実が隠れている。真実を覆い隠している源は、あなたの思考パターンなのである。

すべて問題(争い)は、死が存在することが前提である。死が存在し続けると思っている限り、戦いの世界は永遠になくなることはない。その世界で平和や自由や不老不死を望んでも、はかない幻を追いかけているだけに過ぎない。「死」という概念を形成した原因を明らかにすることが、あなたという存在の本当の真実を取り戻すための、第一歩である。

この本は、あなたの本当の姿を明らかにすることで、あなたの生き様を見直すための材料を提供する。あなたが今まで見たことも聞いたこともない言葉や考えも数多く提示されている。自分は今まで何をしてきたのか、自分はどうしたらよいのか、自分はいったい何者なのか、いったい何が真実なのか。本当の自分を知るために、あなたの本当の天国に帰るために、今持っている生き様をすべてリセットして真実のイロハから学び直して欲しい。

あなたは、もともと、万象万物を産む力と共にあった。神も仏も、人も、生き物も、エネルギーも、すべてのすべてを産み生んだ、大元の力。万象万物のイノチの元、その響き、音色、力を元つ大神と言う。資源は有限ではない。天恵は無限である。元つ大神は、今もずっと、永遠無限の創造の響きを奏で続けている。絶対不変の真実を真コトと言う。絶対不変の天地の理法、正神真神の決まりを真釣りと言う。絶対不変の真実ではないものを魔コトと言う。天地の理法を破った法則、悪神の決まりを魔釣りと言う。魔コトに基づいて導き出される考え(思想、知恵、知識、道徳)をアヤマ知という。絶対不変の真実は覆し得ない。真コトを覆えすことは、自らを消すことを意味する。覆そうと試みることはできるが、覆すことは不可能である。真コトと魔コトは裏表の関係であり、元は一つに繋がっているが、そのハタラキは全くの逆さまである。真釣りは、万古末代弥栄の響きであり、永遠に滅びることはない。悪の影さえも存在できない。魔釣りは、真釣りを外した快欲の響きを追いかけ、滅びに至る響きである。本来、両者が同居することはあり得ない。真コトを光、魔コトを闇と置き換えれば、光と闇が同居することは絶対不可能なことなのである。

今の相対的比較の世界の「光」は光ではなく、「闇」は闇ではない。闇が認識できるのは自らが光そのものだからであり、自らの世界に映る闇は自らが作り出す影に過ぎない。自らが作り出した影である闇そのものを消そうとしても、闇は永遠に消えない。原因を取り除かなければ、その結果である闇は、どんどん濃くなるだけである。太陽そのものは影をもたない。地面に映る影は雲の影であり、物の影である。日食の影は月の影である。本来は、光の存在が闇を作り出すことはありえない。それができるのは、自らの光を雲が遮っているからである。あなたの光を遮る雲というのは、自らが囚われたアヤマ知という雲である。

あなたは、自らに原因があることを知らず、結果である悪を抹殺しようとしている。あなたは、自らの光を遮る雲が、自らが呼び込んだ雲であることに気づいていない。だからこそ、雲を従えたまま、影を消そうとするのである。自らが自らの光を曇らせた源であるから、あなた自らの意思でアヤマ知を捨てない限り、あなたの光が照らす世界の闇は消えない。あなたの内にある悪の芽を摘まない限り、あなたの現実にある「悪」はあり続け、あなたと悪との戦いは永遠に終わらない。あなたが存在するすべての世界からアヤマ知が一掃された時、あなたがアヤマ知を抱えたままなら、すべての世界からあなたも一掃される。

絶対的光には、闇は存在せず、絶対的闇には、光は存在しない。つまり、光のみ、闇のみ、が真実である。しかし、光のみの世界になれば、闇は完全に消滅する。闇が存在できるのは光があるゆえであり、闇のみの世界というのは、実際には存在しない。「光のみ」の世界には「光」という認識(概念、言葉)はない。闇のみの世界というのは、自らの光が完全に雲に遮られた世界であり、それは、自らの消滅を意味するから、闇という認識すらできない。真コトと魔コトは裏表であり、真コトならば魔コトはない。魔コトの世界である今世でいう「完全な光(全き光)」は、本当の意味での完全な光ではない。魔コトの世の100%の光は真コトの光ではなく、真コトの光を消した闇の中の光である。魔コトが真コトの雲であり、魔コトをすべて祓えば真コトの光の世界になる。真コトの雲である魔コトの光がすべて消えても「すべて」を産む真コトの光は消えない。言い換えれば、魔コトという雲を祓うということは、魔コトの世が消滅することであり、それは、真コトの世が復活するということを意味する。全き光には闇はない。あなたが魔コトの世に生きているならば、真コトが現われた瞬間、闇であるあなたは消滅する。消えたあなたが闇を認識することはありえない。生も死も認識できない。それがあなたの完全なる消滅、本当の死である。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 550 今まで依存してきた世界があなたの望みを邪魔するものであるならば

2013-01-15 Tue : 長谷章宏語録 
あなたは、あなたの人生を、正確に言えば、あなたの命を、誰に預けているのか。あなたは、誰のために働いているのか。あなたは、誰に自分の命を売り渡しているのか。あなた以外のものに対して、『自分の状況を何とかしてもらいたい』と望むならば、あなたの状況はますます悪くなるだけである。自分の状況の責任を誰かに転嫁しているならば、あなたは、永遠にその誰かの都合で振り回されることになる。あなたは何のために生きているのか。あなたはどんな状況になったら100%満足するのか。『そんな状況はあり得ない』と言うならば、あなたには永遠のやすらぎはやって来ない。あなたはあり得ないことを望んでいることになる。あり得ないことを望んでも、それはあり得ないのだから、実現しない。あなたは、安心を望みながら、実は、危険や、混乱を望んでいることになる。あなたは、安定を望みながら、不安定を望んでいることになる。あなたは、あり得ない天国を創るために、自殺競争を楽しんでいる。永遠の生を望みながら、滅びの道で殺人競争をしている。

あなたが望んでいることを実現するためには、あなたの矛盾した行動を修正することが不可欠である。思いと行動を完全に一致させることが絶対条件である。自分も含めたみんなの幸せを望みながら、自己犠牲を美徳とし、他人を責め、奪い合いをしている。全くアベコベの世界の真実を真実としている限り、あなたは絶対に天国を体験することはできない。あなたが本当に天国を体験したいならば、あなたが今持っているすべての常識をリセットする必要がある。あなたがそれをリセットしても、あなた自身は死ぬことはない。あなたが今まで依存してきた集団から出るだけのことである。『リセットしたら死ぬ』という思いを捨てられるかどうかが鍵である。それがあなたの天国を止めている手かせ足かせである。

あなたが今まで依存してきた世界が、あなたの望みを邪魔するものであるならば、その世界に固執することに意味は無い。天国を望んでいるのにもかかわらず地獄から抜けようとしない、という矛盾した行動をしているならば、あなたは地獄を望んでいるのと同じである。結局は、自分が望んでいるものを手にしているのである。逆立ちから正立に戻る時は、世界がひっくり返る。その体験を怖いと思っていれば、いつまでも逆立ちのままである。そして、必ず倒れる時が来る。正立すれば楽なことを知っていながら、いつまでも逆立ちにこだわる理由は何なのだろうか。あなたがいつまで逆立ちしていようが、一向に構わない。あなたがその状況を体験し続けるだけのことである。「社会」は、あなたとは関係なく動く。社会というのは、あなたの中にある世界であり、あなたの目に見えている形(状況)に自分の持っている観念を投影して生み出した幻想である。その社会を変えようとするならば、あなたの持っている観念を取り替えるしかない。略奪の世界で、制度を変えるために法律をいじくっても、全員が満足する社会を作ることはできない。必ず争いになる。それぞれが社会というシステムを「自分の社会」に合わせて都合のいいように変えようとしているからである。あなたが、何かに依存して自分の生存を企てているとしたら、その何かを操作することが社会の変革をもたらす方法となる。しかし、あなたの社会は、あなたの個人的現実であるから、社会そのものを自分の都合よく変えることはできない。必ず引っ繰り返される時がやってくる。勢力争いを通じて、誰かに都合よく世界を変える戦いをずっと繰り返していたのが人類の歴史である。そのままのやり方では、世界は壊れていく。あなたが、社会のため、他人のため、と言って逆立ちをする根拠を言い張っても、あなたが疲れるだけである。あなたがいつそれをやめるかは、あなた自身が決めることである。それをやめられるのはあなただけである。自分次第で、自分が体験する現実が変わる。

あなたを含めて、すべての人間、いや、人類の共通の望みは、何の問題もなく、苦もなく、病もなく、死もなく、自由自在に何でも思い通りになること、永遠に生き続けることである。一言で言えば、「神様」になることである。しかし、人間は不完全な存在だからそれは不可能だと言う。不完全な存在だから、成長し続け、学び続けることが人間の義務である、と。一生かかってもすべてはわからない、一生が勉強だ、と。すべてがわかってしまったらつまらない、と。そして神を信仰し続ける。あなたは、本当の本当にそう思っているのだろうか。正直、本当のところは、どうなのか。100%そう思っているのだろうか。自分自身に、本当に正直に問いかけてみて欲しい。自分にウソをついても何にも得るものはない。他人の顔色をうかがっても、善人のフリをしても、何の意味もない。あなたが今まで学んできたこと、今まで常識だと思ってきたことは、何の強制力も無い。あなたは、なぜ、それに従ってきたのか。誰がそうしろと言ったのか。なぜ、それを鵜呑みにしたのか。

人間は神にはなれない、と言いながら、不老不死、天国、極楽、自由、平和を望み、他人を支配し、利益を独占し、他人を思い通りに動かそうとし、社会を変えよう、地球環境を何とかしよう、他人の命を救おう、とするのはなぜだろうか。あなたが実際に自分の力で無から産み出したものでなければ、あなたにはどうすることもできない。「神でなければ不可能なこと」を、人間はやろうとする。人間としてできる限り最大限に、と言いながら神の世界を目指して行動し、平和や自由や天国を作るために戦争をする。という矛盾。その矛盾の気づいているかどうかは別にして、それをいつまでも続けているのはなぜなのだろうか。おかしいと気づきながら、やめないのはなぜか。他人の顔色を窺うのはなぜなのか。

              【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 549 相手を自由にすることが自分を生かすことになる

2013-01-14 Mon : 長谷章宏語録 
相手を自由にすることが、自分を生かすことになる。相手を自由にするとは、悩む自由や自殺する自由や悲しむ自由や掟を破る自由や世を乱す自由や悪魔信仰をする自由や自由になりたくない自由等も認めることが含まれる。もし、これらをやめさせようとするなら、それは、あなた自身の他者依存の証であり、その理由は、自分が困るからである。それをすれば、自分が自由にならないだけのことである。自らが体験している現実は、自分という神のしたことに基いた自業自得の結果なのである。自分のしたことはすべて自分に戻る。

現代社会の仕組みは、すべて、力の奪い合いを基に作られている。略奪を誤魔化すための相互依存という仮面をつけた「人類の歴史」の結末は共倒れである。形の上では一見、清く正しく美しく思えるものであっても、本当に正直に見てみれば、それは略奪の行為であって、結局は誰も助からない。ウソを信じている集団が作り出すシステムは、一人勝ちの社会をつくる。相互依存の世界の一人勝ちというのは、実は、誰も勝てないことを意味している。現代社会というのは、誰も天国になれない社会なのである。その社会を変えようとしているならば、それは、そのシステムの中で生き残ろうとしていることに他ならない。あなたはウソを信じていることになる。あなたが保護しなくても、地球は再生する。あなたが何もしなくても、社会は変わり、地球は変わる。あなたの発想はすべて、形をどう変えるか、形をどう維持するか、形の崩壊をどう食い止めるか、である。それをしないと困るならば、あなたは偏った世界を自分の居場所だと思い込んでいることになる。あなた自身は、地球がどうなっても死ぬことはない。生き残ろうとする争いをする理由はどこにもない。あなたの思い違いが、あなたの混乱の原因である、本当は、誰も死なないのである。

あなたがどう考えるか、あなたが何を信じるか、あなたがどんな考え方を選ぶか、が、あなたの現実に影響する。つまり、あなたがあなたの現実を作っているのである。あなたが、考え方(思想)を変えない限り、常に同じ行動をし、同じ反応をし、同じ感情を作り出し、同じ世界を体験し続ける。誰かがあなたを変えてくれると思っていれば、その誰かを操作しようとすることになる。『誰かの都合で自分の人生が左右される』と考えるなら、その現実を体験する。すべては、あなたの思い込みの反映である。『思い込みではない』と思い込んでいるならば、思い込みであることを気づかずに、あなたはその言葉を使い続けることになる。すべては、あなたの思いのままになっている。あなたがあなたの唯一の神である。すべてはあなたの思い込みであり、自分がそれを変えない限りあなたの世界は変わらない。

今あなたがどう考えていようとも、この事実は動かせない。なぜ、あなたは「死」という概念を持っているのか。あなたが持っている思想は、どうやって形成されてきたのか。あなたが教えられてきたことは、本当に真実なのか。その答えは、あなたが体験している現実にある。あなたが本当に望んでいる究極(最高)の状態と、今、自分が体験している現実とを比べてみれば、答えは出る。あなたが望んでいるものを、実現するために選択してきた数々の知識、思想、概念、習慣、方法、考え方、生き方が、あなたの望む現実を作り出しているかどうか、をみればよい。あなたの思い通りの現実でないならば、それは、全くアベコベの世界のやり方を選択した証である。今の現実があなたが望んでいるものから離れているほど、あなたは逆さまの世界に嵌まっている。本当に望む現実を成就させるためには、それらをすべて捨てる必要がある。あなたの現実が本当に望んでいるものから離れていればいるほど、戻る道は険しくなる。しかしそれは、あなた自身が険しくした道である。例えどんなに険しくとも、あなたが望む現実を形にするには、その道を戻るしかない。

あなたは、自分自身を誤魔化している。自分を説得して、自分に言い聞かせて、本当の望みを実現できなくしている。あなたがあなたを封じ込めれば、自分自身で、自分の「本当の創造力」を殺すことになる。あなたは、自殺の道を辿ることになる。あなたが本当にすべての力を出したら、いったい誰が困るのか。今あなたが持っている思いは、あなたのものではない。あなたが『自分の考えだ』と思い込むように仕向けた誰かが作った考えである。あなたがそう思ってくれると都合がよい誰か、が考え出したものを、いつの間にか、常識、当然、普遍と思い込んでしまっただけである。あなたは、あなたに力を出されたら困る誰かが巧妙に仕掛けた罠にはまったのである。あなたは、何でも自分の思い通りにできると思っている。『できない』と言うとしたら、それは、自分が怖がっていることを隠すために、誰かから教わった言い訳を使って、自分の責任を回避しているに過ぎない。それをして、最も「損」をするのは誰か。それは、あなた自身である。あなたは誰に言い訳をしているのか。あなたは自分の力の無さを誰に証明しようとしているのか。あなたは不平不満を誰に言っているのか。あなたは、それをして自分の望みが実現すると思っているのか。

あなたの現実はあなた以外のものによって創られるのではない。今の現実は、自分以外のものに依存するという選択をした結果として、あなたが創ったものである。あなたがあなたの責任を回避している時、あなたは、あなた以外の何かを変えようとする。デモ、苦情、反抗、請願、訴訟、革命、策略、報復、支援等々、どんな方策もあなたの現実を変えるものではない。あなたの期待を縮小するものでしかない。自分を操れるのは自分しかいない。

                 【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 548 偽の天国から見れば鬼、悪魔、冷血漢の思想

2013-01-13 Sun : 長谷章宏語録 
あなたが真実を生きることで、自分が助かり、他人も助かる。今の世では、形の上では自己犠牲に見えるが、その自己犠牲が、本当の意味で他人を助けることになる。自己犠牲でない自己犠牲、自己救済の自己犠牲である。自分は死なないで、他人も助けることができる。自分が生きて他人も生きる。あなたが『そんな世界はあり得ない』と言っている世界は、現に存在する。後は、あなたがそれをいつまで否定できるかの問題である。否定するものは存在する。存在を否定すれば、自分はその存在の中には存在できない。表をすべてリセットするということは、表が真っ暗になることである。今持っているすべてを消したら、裏の世界が現われる。見える。それが裏表の関係である。『手を離したら助ける』と言われたら、手を離すだけでよい。手を離すことがリセットした証明であり、表の世界から死んだ証明である。『助けてくれたら手を離す』では絶対に見ることはできない。裏と表は、両方を同時に手にする(同居する)ことはできない。絶対誤魔化しの効かない踏絵である。

死んだら死がわかる。死んだら生がわかる。生きたまま死をわかろうとしてもそれは不可能である。生死がある世界では、生きたままで死はわからない。実際は、死はないから、死後の世界という生に生きれば、生の世界を両方見たことになる。死んだ瞬間に、生も死もわかる。つまり、すべてがわかる。死が消えると同時に、生も消える。何もなくなって、すべてがある。「ただある」「存在する」の意味が体感できた時、それが、天国なのである。そして、それは、「生きて」いる間でも個人的現実として体験することができる世界である。

天国は死後にあるのではない。いつかできるのではない。今ここの天国を見えなくしているものをすべて取り払えば、天国が戻ってくる。地獄はずっと地獄である。永遠に天国にはならない。地獄のない世界が天国であるから、戦いで作ろうとしている天国は自分だけの天国である。天国には悪人はいない。『悪を滅ぼせば天国になる』と言う時は、悪が存在する。悪が存在するなら、そこは地獄である。『悪がある』という自分の目がその悪を生んだ源であるから、その目を消せば、本当の天国が見える。外に見える悪を滅ぼそうとすれば、自分の悪の目(芽)を育てることになる。自分が滅びれば悪の源が滅びて、天国が現われる。しかし、そこに自分はいない。自分が存在する天国を実現するには、一切の矛盾を解消しなければならない。自分の思い込み、「生」への執着をすべて白紙に戻さなければ、矛盾は解消しない。思いが形になる。天国の思いをそのまま実行すれば天国が形になる。

天国を思って、地獄のやり方をしているなら、それは天国を消していることになる。あなたが今持っている価値基準、観念は、天国から見て本当に正しいのか。天国を創れるものなのか。本当の天国に生きる者に死はない。従って、抵抗することも、反抗することも、邪魔することも、命乞いをすることも、他人を救おうと思うこともない。言い換えれば、そういう反応をする者こそ、自らが掟を破ったのに、自らの死を恐れて(地獄で生き残ろうとして)神の抹殺を図ろうとしている悪魔である。そういう者の言いなりになれば、逆に自分を殺すことになる。『死を殺す』つまり、真実に抵抗するその思いを捨てていくようにすることが、地獄の民の命乞いに反応しないことが、本当に自分を助ける命綱になる。

これは、偽の天国から見れば鬼、悪魔、冷血漢の思想である。しかし、本当の天国から見れば、そのままなら確実に死ぬのであるから、本当の意味で助けるためには、鬼になる必要がある。自分で自分を助けられる者には、鬼も悪魔もいない。自分を助けてくれない者を悪魔と呼んでいるだけである。自分で天国を捨てておいて、自分の責任を自分以外に被せる。そういう自分こそ、他人の天国を邪魔する、自分の罪を他人に着せる、地獄の道づれにする悪魔である。自己保存を他人に依存するのは、地獄の民の特性である。自己保存のために他者の力を奪い合い、結局は、自分も他人も滅びるのが地獄なのである。地獄に生きる者の言い分を聞いて自分が滅びても、それは、あなたの責任である。自分がどれだけ鬼、悪魔に徹せられるか、地獄の民からの依存、自分への干渉をどれだけ切れるか、自分にすがる者をどれだけ無視できるか、それが本当の自立への道しるべである。あなたが自立すれば、相手はあなたに依存できなくなるから自立するしかない。自分を助ければ。相手も助かる。自分が依存すれば、相手も依存するから、共倒れになる。すべては自分次第である。自分を完全に生かせば、相手に生きる機会を渡せる。それを使うかどうかは相手の問題である。相手がどうしたかは追いかける必要はない。あなたは自分のために生きるだけでよい。どれだけ自分に集中できるかが鍵である。誰かの邪魔をすれば自分も死ぬ。

                 【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。問合せ先の「都の風」が表示されます。
  

元つ話 547 突き詰めれば、その目的は「自己保存」である

2013-01-12 Sat : 長谷章宏語録 
生死のある、略奪の世界では、あなたが本心から他人を助けたいと思っているつもりでも、それは『自分が助かりたい』の裏返しである。相互依存、需給バランスの世界では、あなたが依存している他人がすべて死んだら、それは自分が死ぬことを意味する。自分が生き残るためには、他人がいることが条件である。自然を、地球を、世界を、動物を保護しようとするのも、環境破壊を問題にするのも、戦争に反対するのも、突き詰めれば、その目的は「自己保存」である。『それが当然だ』と言うならば、あなたは略奪の世界に生きていることを証明したことになる。その世界にいる限り、『他人を生かす、助ける』という思想は、真っ赤なウソだということになる。「全員が死なない考え方」が本当の真実である。本当は「誰も死なない」というのが真実である。どんな世界ならば、全員が生きられるのか。

自分と自分以外の関係をどう処理したらよいのか。自分の思い通りにならない原因はどこにあるのか。社会システムの矛盾を生み出した本当の原因はどこにあるのか。社会問題の本当の責任は誰にあるのか。この世がいつまでたっても天国にならないのはなぜなのか。あなたがこれらの問いにすべてはっきりと答えられない限り、あなたは本当の天国には戻れない。あなたはすべてを知っている。あなたがあなたの答えを×しているだけである。誰かにその答えを聞いても(何冊本を読んでも、ホームページをいくら検索しても)、あなたの問いの答えは得られない。なぜなら、あなたがあなたの答えを認めていないからである。あなたが何かを探している時、誰かに質問している時、その目的物や答えはすでにあなたの中にある。あなたが、何かを見つけた時、それだとわかるのは、あなたの中にその何かがあるからである。あなたの中に何もなければ、探すことも、問うこともしない。あなたは、どれくらい誰かに確認すれば、自分の答えを認めるのだろうか。あなたがあなたをすべて受け入れない限り、あなたの悩みや問題はどんどん膨らんでいくだけである。あなたの答えを×しているあなたは、嘘を教えられている。本当のあなたには、生も死もない。時空も超えている。あなたがあなたの答えをすべて○しても、死ぬことはありえない。

あなたの体験する現実は、すべて自分の思考の体現である。その意味では、自分が自分の神である。自分が神であるならば、自分の体験はすべて自分の生み出した結果である。従って、あなたの現実の責任は自分にしかない。誰かに教えられた通りにして、思い通りにならなかったとしても、それも自分が選んだことであり、他人に選択を委ねた自分の責任である。裏を返せば、他人が体験することはすべてその本人の自己責任である。他人が体験しているいかなることも、あなたが責任を負うことはできない。あなたの側に責任があると思い込んで、責任を引き受けたならば、それはあなたの現実であるから、あなたの責任となる。あなたの体験することは、一つの例外もなく、すべてあなたの責任なのである。

人間として、人類として、誰だって、普通は、という言葉を使うならば、自分にも他人にも成り立つ仕組みがあることになる。自分も他人も同じ仕組みである。そして、それが、争いを作るものならば、それは絶対普遍の真理ではない。天国を求めながら争う。争うなら天国はない。天国を思考できるならば、争わないやり方があるはずである。それを無視して争っているなら、全員が自己責任を取れば、結果は、すべて各自に戻る。自己保存をしようとしている者は、この考えは認めない。都合が悪いからである。認めないから自己責任を回避しようとする。回避するから自己責任が取れない。取らないから、責任転嫁が続く。責任転嫁をするから争いになる。たとえ、第三者が調停役をしても争いは残る。ここで自己保存を図れば、本当の自分が危うくなる。つまり、今までの世界は「真っ赤なウソ」に基づいた世界であり、そのことに気づけば、自己責任を取った場合の危機感や恐れも、その世界での幻に過ぎず、死も幻想であると気づく。他人を助けることはできず、他人が助かるかどうかは本人次第であることに目覚める。自己責任をとる事が自分を本当に助けることになり、他人もそれをすれば助かることになる。「自分のためだけ」に生きて他人を助けることもできる。あなたが真実に生きなければ誰も真実を知らないままである。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先の「都の風」が表示されます。

 

元つ話 546 心配しているのは国の滅亡ではなく「自分の滅亡」なのである

2013-01-11 Fri : 長谷章宏語録 
どこまで自分の本心を偽れるか。どこまで他人を思いやるフリができるか。弱肉強食の世界は、有限のものの取り合いが前提である。自分が生き残ろうとしても、他人を助けようとしても、実は、どちらを選ぼうとも、最後は誰もいなくなるのである。なぜなら、最後のひとりは誰からも奪えず、自分自身で産み出せなければ、それは死を意味するからである。もし、自分自身で産み出せるのならば、始めから弱肉強食の世界にはいない。『有限だ』とはいわない。無限の永遠の生を生きているからである。つまり、有限の世界で生き残ろうとしても、結局は、全員が生き残れないのである。『限りある資源を大切にしよう』と言うが、大切にするのは、自分が死なないようにするためである。資源を思いやるように見えるが、実際は、資源をダシに使って、自分を思いやっているのである。国破れて山河在り。滅ぶのは、「略奪の社会」を生きていた者だけであり、自然はそのまま残るのである。

略奪の世界では、どんな表現を使おうとも、行動の目的は、すべて「自分のため」である。自己保全のために都合がよい思想に同意しただけである。心配しているのは、人類の滅亡、地球の破壊、国の滅亡、家族の崩壊、ではなく「自分の滅亡」なのである。略奪の世界を選んでいる者には、他人を生かすことは絶対にできないのである。『人のため、社会のために役立つように生きたい』と言うのは、真実を何も知らない極楽蜻蛉、本当に救いようのないお人よしである。自分がどんな世界にいて、その世界がどこに向かっているのか、しっかりと目を開けて見てみるとよい。自分が今どういう状況にいるのかを本当に正直に見れば、本当の命の存亡の危機に直面していることに気づくはずである。あなたが、死を避けたいならば、必ず危険な状況を回避しようとするはずである。自分の命が危ないとなれば、どんな行動をとるか。本当に他人を思いやれるのか。本当に動物を、地球を、資源を保護しようと考えるのか。本当に自分を捨てられるのか。思いやり、やさしさ、助け合い、保護、を語っている間は、まだ余裕がある。命に影響しない頭の体操、思考の遊びをする暇がある。自然保護や人助けや社会奉仕に現を抜かすことができる。全員を助けられないなら、自分の死なない範囲で助けるのなら、それは、本当に助けることにはならない。『自分以外の何か(誰か)のために』は綺麗ごとである。自分自身の生き残りのための対策に余裕がある証拠である。今は何とでも言える。何とでも誤魔化せる。どうにでも本心を隠せる。しかし、自身の存亡に関わる極限状況で、果たして本当にそれが実行できるのか。

『その状況になってみなければわからない』という詭弁をいつまで使っても別に構わないが、「その状況」になった時にあわてても、それまでしたことは消せない。あなたが今やっていることはすべてアベコベであり、そのままいけば、あなたは永遠に滅ぶことになる。あなたが万象万物を無から産み出せるなら別だが、そうでないなら他人を生かすことはできないのである。神や仏やお金や他人や本や自然や商品に依存しているなら、あなたはあなた自身を生かすこともできていない。そんなあなたが他人を生かすことなど絶対にできない。あなたが誰かの人生を代わりに生きることも、誰かの現実を天国に変えることもできない。あなたが誰かの考え方を、本人の意思を無視して、直接変えることもできない。あなたにできるのは、相互依存の世界の商品を手に入れるお金か物を渡すことと、その肉体を使って誰かの代わりに何かをすることだけである。本当の救世はあなたにはできない。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先の「都の風」が表示されます。

 

元つ話 545 すべてのすべてが逆さまであり、ウソが支配するのが現代社会である

2013-01-10 Thu : 長谷章宏語録 
現代社会に咲く花は、咲いては散る仇花である。土、肥やし、種、水、花、実、種の循環は、自然の理、世の仕組みの真コトを教える型示し。なぜ種が育って実に成るのか。園芸や生け花に興じていても、真コトの意味は分からない。ウソですっかり曇って、有る物を材料にして形を作り、形を替え、ウソの天国を建設しようとした人類の歴史は、時が至れば、すべてが灰になる、とんでもない世界なのである。逆さまのウソの真実に騙されて、世を挙げて、本当の真実を空想の世界に押し込めてしまった現代社会に生きる人間たち。その本当のルーツは、ウソのアヤマ知で曇りに雲って見えなくなってしまった、かつて生きていた本当の天国である。本当の天国は未来に存在する世界などではなく、遥か昔に住んでいた世界なのである。いつまでも、死ぬのを怖がって睨み合い、大人のフリをしてイキガっていても、自らの命を縮めるだけである。大人気取りをやめて、天真爛漫な子供に帰って生きることである。本当の天国は、実現するもしないもあなた次第である。元いた世界にあなたが帰るだけである。今のあなたが信じようと信じまいと、事実は事実である。あなたがそれを認めるか認めないかである。あなたの選択次第で、あなたの現実が決まる。

本当の天国にはどこにも戦いはない。生き残ろうと考える必要もない。空気は吸っても吸ってもなくならず、海は汲んでも汲んでも干上がらないように、すべてのすべてが有り余る世界である。奪う必要などどこにもない、永遠無限絶対の創造の力の産み出す天恵の溢れる、世界中どこでも自由自在に暮らせる、争いなどどこにもない光輝く天国。その天国を作れる者だけが社会を構成する、信じられない理想郷のような世界。それは現実に実在する。あなたは始めに生まれた時そこにいた。そこにあなたが帰るだけである。自らが封印した真コトを取り戻した時、あなたはその故郷に帰ることができる。その天国の実現を僅かでも疑った時、あなたは幻の天国の中で命を終えることになる。天国か滅びか、永遠の命か、今生限りの命か、二つに一つの分かれ道にあなたは立っている。本当の天国とは、永遠無限の天恵が世界に溢れる、本当に本当の桃源郷なのである。『そんな世界はありえない、マヤカシだ』と言うならば、その台詞は今の世界の話であり、本当の天国をありえないマヤカシに思い込ませているウソのアヤマ知を綺麗サッパリ祓うことが、本当の天国を実現する唯一の術である。すべてのすべてが逆さまであり、ウソが支配するのが現代社会である。そこで生き残ろうとすれば、あなたは永遠に生き返ることはできない。本当の天国は死んで生きる世界である。本当の天国が実現するかどうかは、あなた次第で決まる。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先の「都の風」が表示されます。

  (参考までに「実践・日本真道」より追加抜粋)
 元つ大神から、昭和19年に、岡本天明氏を通して、「日月(ひふみ)神示」が降ろされている。これは、黒住、金光、天理、大本と、近現代日本を通じて、元つ大神が、時代に合わせて世界の親であるヒノモトに向けて降ろした、真コトの神仕組みと世の立て替え立て直しを予告する一連の神示の流れの預言である。平成4年には「火水伝文」が、現代の日本人に分かる文章で降ろされている。著者のこの本は、その集大成であることをお伝えしておく。


元つ話 544 最後は、文字通り『石がものを言う(お喋り)』時が来る

2013-01-09 Wed : 長谷章宏語録 
土をはじめとした「鉱物」がなければ、文明社会は作れない。その鉱物を「生命のないもの」として、好き放題に掘り、壊し、使う。『石がものを言う』と言えば、狂人扱いとなるのが今の社会である。それは、石がしゃべるという意味だけではなく、石が何かを教えてくれるという意味でもある。石の文明の盛衰が見せる「無言の教訓」を素直に受け入れるかどうかで、本当に『石も木も動物も花も鳥も喋る』世界を体験できるかどうかが決まる。最後は、文字通り『石がものを言う(お喋り)』時が来る。それは、心象風景がすべてそのまま現実になる時である。その時になって初めて目が覚める者もいる。今のあなたは、幻の世界にいる。しかし、それはいつまでも続かない。今の生き様では天国はない。今ここで目を覚まして真コトに戻るか、その時になって更なる試練の中で真コトに戻るか、あるいは、目を覚まさずに、そのまま永遠の死を迎えるか、それはあなたが決めることである。

幼い子供の内なる世界こそ天国そのものであり、それを空想にしていく理性の教育こそ、すべての闇(争い、問題、悩み)の基である。子供(社会、文明)が成長するほど問題が起きるのは、教えられたことがアベコベだという証である。子供の反抗期というのは、ウソをホントと思い込んで離さない親に真実の問いかけをする時期である。親が『子供が親に反抗するなんて許さない』と言いながら教育し続けるなら、天国どころか、汚泥混濁の世を進めて崩壊に導く人間を養育し続けることになる。悪を裁く新生児はいない。大人が持っているすべての価値観は教育されたものである。大人の中にある子供の心、純粋な天国をそのまま生きれば、現代社会でも天国の響きの社会が実現できる。そして、そのままで文字通りの天国が形になれば、それが、本当の天国の実現である。まずは、一人一人が自らの生き様を正直に見直していくことが、現代社会の混迷から抜ける第一歩なのである。

自然の掟は自然が続くように仕組まれている。「鉱物」と科学で作った文明都市が、大地震で一瞬にして崩壊する。崩壊するものは、不自然な形である。現代社会では、不自然な世界を進めることを進歩、発展というらしい。本当の自然、本当の神、本当の自分を知らない者が、神の真似事をして、世界を支配しようと企んでも、絶対に天国などできない。限りがあると言っている世界で、無限の欲望を満たすことはできない。限りあるものが減るに従って、無限の欲望が満たされなくなって来た時に本性が現れる。本当の共食いが始まる。元々天国にいた者がなぜ地獄の苦しみのある世界に生きているのか。自らの生き様、物事の処理の仕方を根底から見直すべき時である。本当の天国は永遠の歓喜弥栄の世界である。

               【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先の「都の風」が表示されます。

  

元つ話 543 もうすぐ終わるマヤカシの世界

2013-01-08 Tue : 長谷章宏語録 
本当の天国とは、元の初めに皆が住んでいた世界である。本当の天国に戻るには、すべてのマヤカシを自分の中から一掃することである。あなたの中にあるアヤマ知を一掃すれば、本当の天国が見える。今ここで天国の響きで生きることである。今までの常識の「世の中」から足を洗うことである。今までの常識で生きる人たちの世界に迎合したり、批判したりしないことである。ただ、自らの新しい真実に従って生きていけばよいだけである。あなたが本当の真実に生きれば、今でも自由になる。時が至れば、本当の天国が文字通りの現実となる。もうすぐ終わるマヤカシの世界から抜け出して、その時が来るまで、天国の響きで日々の暮らしをしていればよいのである。天国の響きに成って、天国を待つのである。

「弱肉強食」の世界は、サバイバルの世界であり、綺麗ごとを言えば自分が死ぬことになる。「弱肉強食」をそのまま実行すれば、自分が生き残るために誰かを殺すことになる。この世界では、他人を助けるのは、自分が生き残るためである。『みんなで分け合って』も、結局は、どんどん分け合うものがなくなり、最後はサバイバル合戦そのもの、バトルロイヤルになる。雪山の遭難で、食糧がなくなってきたらどうなるか。この世界の縮図である。

本当の天国では、天恵は永遠無限である。花は咲きっぱなし、実は採っても採っても実る。空も飛べるし、海の上も歩ける。形も自由に変えられるし、自らの意志に反して壊れることもない。時間旅行も自由自在。何の不都合も不自由もない。お金などどこにも存在せず、万古末代、二度と死ぬことはない。歓喜弥栄の生き通しの世界。思いのままに何でもできる、夢が現実になる世界がミロクである。現代社会で言う「お伽話」や「空想の魔法の世界」を永遠に体験し続けるのがミロクの世なのである。世界の親国が『花は散るのが美しい』などとしたり顔で宴会に打ち興じて、酔っ払っているようでは、本当の命の花を散らす末路が待っている。花見や桜吹雪が日本の風情だというが、自らの命も散るのが美しいなどとは言わない。「植物」の本当の意味が分かったら、サバイバルはしないはずである。

             【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 542 奪う者と奪われる者が必要不可欠な世界

2013-01-07 Mon : 長谷章宏語録 
「限りあるもの」を奪い合う世界では、自分が何かを得るためには誰かの死が必須条件となる。「略奪の世界」では、自分の死は誰かの生、誰かの死は自分の生、である。自分は死にたくないが、誰かの死を望む。自己犠牲の美しさを語りながら、自分は生き残ろうとする。『それは当然のことだ』と言えば、「自己犠牲の美しさ」はウソになる。この世界では、矛盾を解消しようとすることはタブーである。なぜなら、矛盾を解消したら、自らで産み出さずに何かを得るシステムが成り立たなくなるからである。言行不一致という矛盾に目をつぶり、誤魔化すことが、このシステムの中で生き残る条件であり、この世界を維持する方法である。従って、そのタブーを破ろうとする者は、生き残りを邪魔する者として抹殺されることになる。『社会の秩序を乱す』という理由で、非常識な人間として血祭りにあげられる。「略奪の社会」では、真実に目をつぶることが、生き残るための正しい生き方となる。奪う者と奪われる者が必要不可欠な世界では、みんなが自由に生きることは不可能である。心の内に独占願望を隠し持つ「独裁者」同士の生き残り合戦の場だからである。

誰もが『自分だけは生き残ろう』と思っている世界は、言い換えると、みんなが殺し合う世界である。『みんなで渡れば怖くない』は、自分もみんなも怖くなる、共食いの挙句に全滅をもたらす思想である。『みんなに合わせる』と言うのは、自分を殺す自己犠牲であり、最後は自分が死ぬ。逆に、『自分だけよければそれでよい』は、他人を殺す危険思想となる。

略奪の響きの世界では、みんなに合わせようと、自分だけよければよいと言おうと、どちらを選ぼうとも、結局は、生き残ることは出来ない。死とは、生命は言うに及ばず、望み、体験、立場、財産、自己、計画、家族、幸福、安全等を「失う」ことにも言える。略奪の世界であなたが失うものは、奪ったものである。自分のものは何もない。すべては天地自然を産み生んだ元つ天地の大神のものである。あなたが真釣りの本当の天国の響きで生きていれば、必要なものは与えられる。あなたが本当の真実、本当の天国に生きているならば、失うことはありえない。本当の天国は誰も「犠牲」にせずに、誰もが、いつでも、どこでも、自由に、好きなことをすることができる世界である。その世界を壊す思想に基づいて作られた末に行き着いたのが現代社会であり、略奪の破壊を誤魔化すための仮面が文明である。失うものは元々なかったものである。幻想を捨てることに罪悪感はいらない。本物を捨てることに罪悪感を微塵も持たず、壊れるバベルの塔の建設に勤しんできたのが、人類の歴史である。今回の「バベルの塔」の崩壊は、幻想の崩壊であり、本当の天国の創世である。

日本沈没、人類滅亡、ノアの箱舟、ムー大陸の沈没、アトランティス文明の崩壊、神話、伝説、聖書の物語はただの空想ではない。空想も心の中では現実である。すべては境界のない一つの世界である。世の不思議をただの空想だと片付ければ、真実は見えない。これらが何の象徴なのかを考えてみると良い。現代社会そのものが「バベルの塔」の中である。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 541 失うことを恐れているだけ

2013-01-06 Sun : 長谷章宏語録 
あなたは、永遠無限の「生き通し」の存在である。あなた自身は、今持っている肉体の有無とは関係なく「永遠無限の生」を体験し続けている。「永遠無限の生」は絶対普遍であるから、「生」自体に疑問は存在しない。「永遠の生」には、「死」という概念は存在しないから、『生き残ろう』と思うこともない。あなたが「永遠の生」を殺した時に、あなたの現実に「死」が現われる。「生」と「死」を分離できるのは「生しかない」証しである。あなたが恐れている、避けられないものと思い込んでいる「死」は、条件付きの「死」である。

どう生きるか、言い換えれば、死とどう向き合うか、死をどう迎えるか、死をどう受け入れるか、の問いは、『死がある』のが前提である。あなたは、あなたの生に「死」という概念を持ち込んで、「生」を混乱させている。死を考えているあなたは、今、死んではいない。あなたが死の淵から生還したとしても、まだ死んではいない。『他人が死んだらどうなるか』は『自分が死んだらどうなるか』である。あなたは、誰かが死んだことを悲しんでいるのではない。自分の世界の構成要素の一部を失ったことが悲しいのである。あなたは、自分が悲しいのであって、その人の死を悲しんでいるのではない。死後に死という体験をどう感じているかは死んだ本人にしかわからない。あなたは死者の思いなど全く考えていない。自分の喪失感を他の何かにすりかえて、自分の現実を誤魔化そうとしているだけである。

『死んだら悲しまなければならない』という決まりはどこにも存在しない。あなたが関心があるのは他人の死ではない。あなたが心配しているのは自分の死である。自分が死んだらどうなるのか。それは、あなたが死なない限り、あなたにはわからない。しかし、あなたが『死んだら終りだ』と言うならば、「自分が死んだら自分という存在が消える」ことを意味するから、あなたが死んだ時、あなたは死を認識できない。あなたに死が認識できるのならば、その時、あなたは生きている。『死後の世界がある』と言うならば、あなたはそこで生を続ける。つまり、あなたは、今のこの世で、自分のものだと思っているものを失うことを恐れているだけである。それを守るためにどうするか、を考えているだけである。

あなたが永遠の生に生きているならば、あなたには無限の時間がある。慌てる必要はどこにも無い。何かを奪い合う必要も無い。「命は限りあるもの」と思っているならば、あなたは、慌てることになる。『我先に』と行動することになる。思いやり、優しさ、譲り合いの大切さを語りながら、その裏では、早い者勝ちの椅子取りゲームに参加することになる。命の大切さを語りながら、自分がそこから何かを得るために、誰かの死を望むことになる。

               【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::

【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先「都の風」が表示されます。

元つ話 540 私たちは招待されて今ここにいる

2013-01-05 Sat : 神語録 
  <キーシャ・クラウザー>
あなたはこの惑星を変えることができるのだ・・・ということ
あなたは自分を変えることができるのだ・・・ということ
あなたの力で変えることができるのです

  地球人として生きること

  私たちは最強中の最強


元つ話 539 地球と人類

2013-01-04 Fri : 神語録 
<エックハルト・トールとヘヨカ・シャーマン>

今私たちは母なる地球から欲しいだけのものを取り続け・・・
でもそれはやり過ぎでした

  思考に支配された人類

  母なる地球は反応している


元つ話 538 ”ローマは一日にして成らず”

2013-01-03 Thu : 神語録 
    <ガイアとアルクトゥルス>
 親愛なる地球の者たちよ私はガイアです

・私の古い極度の偏向は、低周波数の先端から閉じて行きつつあります。ですから、感覚を高次元の段階にまで拡張しないような選択をした人たちは、崩壊しつつあるマトリックスの中に取り残されるでしょう。

・三次元の思考が人間を幻想の中に閉じ込め、恐れは分離と制約を生み出しました。しかし、又繰り返しになりますが、私は、他者の恐れを越えての意識の拡張を助けた人間に感謝をしなければなりません。

・多くの人間は、この変化のために生涯の間待っていたと感じています。しかし、私も待っていたことを忘れないでください。私はあなた方を待っていました。もしも私が五次元に突然変態したとしたら、私の三次元の世界は、もはや居住不能になっていたことでしょう。ですから、私は辛抱します。

・多くの人間が自分自身の闇に立ち向かい、自分の生命の支配を許しませんでしたので、私は、ゆっくりと移行する選択肢を取ります。それゆえに、人間は光をしっかりと捕捉し、いまだに井戸の底から這い上がる道を探っている者を導くことが出来ます。又、銀河ファミリーがより多くの物資と他者に対するより多くの権力を得るために私に損傷を与える者を拘留したので、私は住民のために安全なペースで変態することが出来ます。

・しかしまず第一に、恐れと貪欲の灰をきれいに片付けなければなりません。

・最も暗い闇の中にいるように見える者の内のいくらかは、極性の維持のために、闇の役割を自発的に演じるように申し出た者です。これらの光の存在たちは、他者に目覚めの機会を与えるために三次元のマトリックスを開いています。三次元のマトリックスが存続し得なくなると、彼らは絞られた弓から放たれた矢のように、高次元へと飛翔します。

・闇の勢力の中には、ちょうどあなた方が自身の闇を解消するために内側から浄化しなければならないように、多くの内部で動いている二重スパイがいます。

・あなた方とガイアが周波数を同じような調子で上昇させると、あなた方も同じ割合で変化し、あなた方と惑星との間には急激な差は生じないでしょう。

・上向きのガイアの遷移のペースとあなた方の意識を合わせられる者は新しい地球の基礎として役に立ちます。

・時間と物理的現実への執着をまだ持っていると、あなた方のミッションは困難になるでしょう。しかし、エゴを完全に解き放つと、惑星の統一意識の栄光が感じられるでしょう。

・以前は期限とゴールラインがあったのに、あなた方は、今では、無限の時間の無い今の中に移動しました。この、今、はあなた方の感覚の中に流れ込み、一つのものは、あなた方を無条件の愛で包み込むでしょう。


元つ話 537 ガイアはいつも大勢の人の特徴を測定しています。

2013-01-02 Wed : 神語録 
   <Lee Carroll>
意識が通用する所にガイアあり。ガイアが通用する所にDNAあり。

・先住民は雨乞いをしませんでした。収穫の祈りをしませんでした。神を崇めませんでした。彼らの現実では地球を感じ、自分と同じだ、繋がっていると知っていました。それがすべてでした。だからいつも地球とひとつでした。雨も実りもガイアとの共同によるものでした。繋がる儀式を行いましたが、お願いの祈りはしませんでした。欲しい物が手に入らないと、繋がっていないことを知りました。

・知っておいてください。地球の全システムは皆さんを軸にして巡っているのです。これは、人間のすることにガイアが反応する際、人間がより良く生きやすくするためのサポートシステムです。

・科学は、DNA分子が、実際に宇宙で回転する量子の場に情報を送ることができるということを知り始めてきています。これは、DNAが量子的なエンジンであるという意味です。

・DNAはそれだけで存在しません。ファミリーがあるのです。人間の体の中には100兆強以上のファミリーがあります。でも、科学はそう見ていないので皆さんには謎です。どうしてDNAはファミリーを知るのでしょうか? 今のところ、科学はDNA分子間にコミュニケーションがあることさえ分かりません。その場が分かっていません。

・全DNAがひとつになって働くのです。頭のてっぺんから爪先まで、この分子は一揃いの指示書として機能します。これはユニークな情報です。あなたの持つDNAと同じ物を持つ人は地球上に誰もいません。

・科学者がそばを通りかかった時に、思いやりや不安、愛の長さを測定できるかどうか聞いてみてください。それは何ですかと。ものさしを持っていますかと。それは化学反応ではないのですかと。存在するばかりか、測定もできるのです。でもまだです。近い将来、おそらく、「測定できないものは存在しない」という考え方が変わるでしょう。

・人間は頭がいいですが、奇妙なことに、自分の体で何が起きているのか知るほどは頭を働かせていません。

・ガイアは人と協力します。ガイアはいつも大勢の人の特徴を測定しています。

・DNAはガイアから情報をもらっていました。人の青写真であるDNAは、ガイアと一緒に動くようになっています。ガイアは人の意識に反応するようになっています。

・人の周りの場はガイアとよく繋がっており、お互いに相手に応じて変化します。古代の人はそれを知っていました。そういう意味で彼らは地球とひとつでした。

・皆さんのDNAは100%効力を発揮する設計になっていますが、今は30%止まりです。皆さん、それが、今変わろうとしています。DNAは今、もっと高い効率で働き始めようとしています。というのは、意識が変化しているからなのです。皆さんは、生まれてくる子供たちを見てそのことが分かるでしょう。

・地球のエネルギーはオールドソウルの皆さんにシグナルを発する体制に入っており、皆さんは自分のテンプレートのエネルギー場を変えられる、意識、純粋な意図を持つことによって、他人を思いやる心をもつことによって変えられるということが分かり始めています。思いやりによってDNAの量子的刻印を変えられるのです!

・地球が変化し、クリスタライングリッドが実際にベールをわずかに引き上げています。そしてDNAはそれに反応しています。最初の反応は子供の中で見られるでしょう。子供たちは既にこれまでと異なった概念的性質を備えて生まれて来ています。皆さんのように直線的な見方をしません。

・時が経過するにつれ、益々変わります。やがて、もっと高効率のDNAが出現し先天的なものと通常の人の頭脳との間にある失われた橋が生まれ繋がり始めます。

・預言者エリヤElijah、イエス、ブッダ、モハメッド、パラマハンサ・ヨガナンダなど多くの人たちは90から100%DNAが動いていました。彼らはそうしようと選択しました。

・自分の細胞が純粋で完全に健康になっていると見なしてください。そうすると、地球が長生きしようと思っている人間の皆さんの役に立ってくれます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。