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元つ話 625 原理は非常にシンプルです「変えることを決めれば変わる」のです

2013-03-31 Sun : 長谷章宏語録 
 社会や政治に文句を言う前に自分のしているゲームを見直そう
 みんなが同意したルールが社会を創り出しているのです。つまり、同意するルールを変えれば全く別の社会が創れるということです。実際はこれ自体に皆が同意していないところにトラブルの芽があるのです。正確に言うと、社会というのは「多くの人が同意しているルール」が創り出したゲーム、「人数が多い意見が正しい」という幻想のゲームなのです。多数決、少数意見というものも、そのシステムの反映なのです。どっちが良いか悪いかという問題ではないのです。「大勢の人が一つの結論を時間内に求める必要がある」という幻想ゲームの中で「多数決」が必要になるというだけです。「少数意見」を聞いている暇はない、聞いているときりがない、という幻想ゲームをしているだけです。「少数意見を聞け!」と怒ったところで、今のままのシステムでは無理な話だということです。「みんな一緒に形を創りましょうゲーム」では、そういう結果になるのは当然のことなのです。「反対!反対!」と唱えても、損得ゲームをしているシステムの中では、何かを決める権限のある人物の損得勘定ですべてが決まるのです。
 政府のすることに反対しても、国が対外的に損をすることは、政府はやりません。個人レベルでも、自分が損をしないように、自分を守るように動くのと同じです。自分たちがやっていることと同じことを国や県や市や町や会社や学校でもやっているのです。結局は、個人個人の人間関係のメカニズムがおおきな組織にもそのまま反映しているのです。国と言っても、国という人間が何かをしているのではなくて、ある人間の意志が国の意志になるだけなのですから。
 政府のすることに反対しても、国が対外的に損をすることは、政府はやりません。個人レベルでも、自分が損をしないように、自分を守るように動くのと同じです。自分たちがやっていることと同じことを国や県や市や町や会社や学校でもやっているのです。結局は、個人個人の人間関係のメカニズムがおおきな組織にもそのまま反映しているのです。国と言っても、国という人間が何かをしているのではなくて、ある人間の意志が国の意志になるだけなのですから。
 国を変えようとする前に、政府に文句を言う前に、自分のやっているゲームをもう一度見直すことです。損する人もいれば得するひともいるゲームの中で、自分の望みをすべて満たそうとしても無理な話です。あるシステムの中で創り出されたものを見れば、そのシステムを創り出している原理自体を変えないかぎり、同じものが創り出されるだけです。創り出されたものを見て、それがあるからできないと言っているときは、そのシステムを続けることに同意しているのと同じなのです。「私は枠のなかにいます」と宣言しているようなものなのです。
 すべての現実を創り出している原理は非常にシンプルです。「変えることを決めれば変わる」のです。そして、それを決めるのは一人一人の自由な意志です。あなたが自分を生かすも殺すも「自分次第」なのだということです。

                         アキヒロ

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元つ話 624 家族といえども同じ行動をする必要はありません

2013-03-30 Sat : 長谷章宏語録 
すべての人が成功する「天国の方法」というものがある
 私は、常に自分自身に正直な選択をすることによって、あらゆる情報を自由自在に料理し、自分の人生に応用する方法をみつけました。それが、今ここであなたに提供している様々な情報なのです。「人に干渉せずに自分勝手に生きる」「自分のしたいことをする」「自分に正直に生きる」自分の直感に従って生きる」「自分優先に生きる」「今この瞬間を生きる」何とでも言えますが、皆同じ生き方を表しています。つまり、今までと全く反対の生き方を実践するということです。これは、すべての人が「天国」を体験できる唯一の方法なのです。
 この「天国の方法」を使うのには、何の資格もいりません。年齢も、性別も、経験も、学歴も、経済状況も、犯罪歴も、国籍も、宗教も、思想も、いままでやってきたことも、前世で何をしてきたかも、一切、何も関係ありません。この生き方をしようという意思があるならば、地球上のすべての人間に開かれている方法なのです。使いたい人だけが、自由に使えばよいことです。だれも干渉することは許されません。してもいいですけれど無駄なことです。
 この方法には、たった一つだけルールがあります。それは、「自分のしたことに責任を持つ」ということです。これさえ守れば、「罪悪感」を手放すほど、行動すればするほど、その効果を体験し、自分の夢を形にしながら、「この世の天国」に近づいていきます。そして、あなたは、自由自在に人生を遊ぶことができるようになるのです。みんなが遊べるようになったとき、みんなが成功できる「天国のシステム」が創り出されているということです。
 すべてのシステムはプロセスを一つ一つ歩んでいく結果なのです。創ろうと思って創っているときは、それを創り出すことはできません。「古いシステム」で「新しいシステム」を創ることになるからです。まずは、意識のプログラムを交換することから始めるのです。それを一つ一つ形にしていくことで、自動的にすべて形になっていくのです。
 「天国の方法」には、計画も反省もいりません。それをすると、かえって「天国の実現」が遅れることになるだけです。「前例」も「慣例」も「常識」も「良い悪い」も何も関係ありません。ただ、「今この瞬間にしたいことをするだけ」です。これは、大きな視点で「成功」するための方法です。完全に自由なプログラムを創りだして、毎瞬毎瞬、直感を通して、一つ一つ形にしていくだけです。今のこの瞬間を積み重ねていくことで、完璧なタイミングで天国への道を体験していくのです。つまり、そのプログラムで何が起きようとも、すべて成功しているということです。「天国の方法」では、「失敗」や「リスク」という概念は存在しないのです。あなたの人生を完全に思いどおりコントロールできるようになるため、欲しいものをすべて手に入れるために、唯一の安全確実な方法です。だから、「天国の方法」なのです。
 「天国の方法」を使うかどうかは、一人一人の問題です。家族といえども同じ行動をする必要はありません。あくまでも一人一人がどうするか、という問題です。あなたの選択を人にさせることはできませんし、人の選択をあなたがする必要もありません。そういうゲームが、今までのたくさんのトラブルを創り出していたのです。あくまでも、「一人一人が、自分の生き方を選びなおす」という作業なのです。「一人一人が自分が本当に生きたいシナリオを生きる」ということです。今ここにある様々なルール、制限はすべて「幻想」に過ぎません。あなたがそれにこだわっている限り、今ここでしている体験が続くだけです。あなたが創り出しているすべての制限やワク、ルールはすべてあなたの中にあるものなのです。すべての人が一斉にそのワクを意識の中から外すことを決めれば、一瞬のうちに、すべてのワクを無くすことも可能です。「そんなことはできるわけがない」というのもあなたが創り出している制限なのです。自分がそう言っている限り、それが続くだけです。その制限をどうするかというのはあなたの自由です。
 結局は、あなたの人生というのは、あなたという意識が、いろいろな観念、ルールという道具の中から、好きなものを選んで、シナリオというパズルを組み立てて、肉体という服を着て、物理次元という遊び場で形にして遊んでいるだけです。わざわざ苦しいドラマを創る必要はないのです。「遊び」というのは楽しいものです。「仕事と遊び」「勉強と遊び」があるのではなく、全部「遊び」なのです。

                        アキヒロ

元つ話 623 自分で責任をとればあなたは何でも自由にできる

2013-03-29 Fri : 長谷章宏語録 
 お互いに自分勝手であることを認めればトラブルは消える
 人間というのは、もともと「自分勝手な存在」です。「自分が気分悪いからやめてくれ」「自分が迷惑だからやめてくれ」と言いながら、その発言自体が、「相手にとって迷惑であること」に気づいていないのです。「自分は正しい」と思い込んでそれを疑うことすらせず、自分が心地悪いものを見ると、「やめろ」と平気で言っているのです。その理由は、「みんながやっているから」「常識だから」「法律できまっているから」なのです。ほとんどの人が自分の人生を相手に預けている結果、全体としてこういうシステムができあがってしまっただけです。そういうシステムになっているからと言って、「どうにもならない」というわけではありません。
 一人一人の行動、生き方が、全体の生き方を創りだしているのです。要は、一人一人が(あなたが)どんな行動をとるか、ということです。それぞれが、自分の現実を変えるために、本当にしたいことが行動できるかどうか、という一人一人の生き方の姿勢の問題です。あなたが(自分が)見方を変えて、別の方法を行動に移せば、自由になれるのです。そして、それにつれて周りの状況も変わってくるのだということです。
 今までも考え方を変えることで、法律も制度も変えてきました。ただ、この大きなシステム自体を変えない限り、大なり小なりトラブルは創り出され続けるということです。「それは仕方ないことだ」と言っている限り、それは絶対に変わりません。「トラブル」も「ストレス」も「病気」も、本来、形としては存在しないものなのです。「ストレスがない人間はいない」のではなくて、「ストレスがないのが当たり前」なのです。大きなシステム自体を変えるには、今までとは全く反対の考え方を行動に移す必要があります。一度、「原点」に戻って、人間の本当の姿を思い出し、自らの「創造性」を無限大にすることが必要なのです。
 あなたが周りを気にしていると、自分を下に見ている(そういう風に決めている)と、あなたは何もできません。それは、今までのゲームが創り出す見方、行動のパターンです。そのゲームの中にいる限り、何も変わりません。あなたが、ほんとうに自由になるためには、現実を変えるには、「それがあるからできない」をやめて、「それがあるけどやる」と言えばよいのです。「見たら信じる」「形が変わったらやる」という生き方から、「信じたら見える」「自分がやれば形が変わる」という生き方に変えることです。
 すべては、あなたが心の中に創り出した想像上のシナリオ、あなたが創ったプログラムから始まっているのです。そのシナリオを、「俺のやりたいようにやる」「俺のシナリオは絶対だ」「俺のシナリオは正しい」「俺のシナリオは変えない、お前が変えろ」というゲームをすることで、あなたの計画通りの期間でそのまますべて形にしようとして、外を変えようとする行動をとることが、トラブルを創り出してきた原因なのです。「これは常識だ」「これは誰が見てもそうなのだ」「これは正しいことだ」「世の中そんなものだ」「これだけは変えられない」というのもあなたの選んだシナリオに過ぎないのだということに気づくことです。
 あなたが決めていることというのは「何ひとつ絶対的なものはない」ということです。すべてあなたがあなたの自由意志を使って選んでいるものなのです。あなたがどんなドラマを体験していようと、それはすべて、あなたが選んだ、あなたの創ったシナリオ通りに、あなたの望みどおりのドラマが実現しているのだということです。文句があるならば、人に言わずに、自分に言ってください。
 あなたが、あなたの望む人生を自由に生きることに、何の「罪悪感」もいりません。誰かが「迷惑だ」とあなたに言うとしたら、それはあなたにとって迷惑な話なのです。あなたのしたいことを、その人は「するな」と言っているのですから。どっちもどっち、お互いさまなのです。「どちらの意見が正しいか」ということはどうでもよいことなのです。もともと、そんな議論は必要ないのです。その人は、それを理由にしてあなたを制限することで、自分の欲求を満たそうとしている、自分の安定を崩したくない、だけのことです。その人が自分の人生をあなたに預けていなければ、自分の感じることがあなたの責任だと思っていなければ、あなたが何をしようと、その人はあなたに何を言う必要もありません。あなたの行動が自分に影響すると思っていているから、自分がしてはいけないと思っていることをしているから、あなたにアレコレいうことになるのです。そして、あなたが人にアレコレ言っているとき、あなたもそれをしているのだということです。
 あなたが、誰かの「迷惑だ」を聞き入れて、自分の行動をその人の言う通りに変えると、あなたはその人のシナリオで、その人のプログラムで、その人のために生きていることになってしまいます。つまり、あなたはその人の人生(その人そのもの)を生きることになってしまうのです。その時のあなたはあなたではありません。それは、その人が自分のシナリオをあなたで実現しようとしているゲーム、その人が生きたい人生を自分の外に見ようとしているゲームに過ぎません。あなたはご丁寧に、サービス精神旺盛に、自分の人生を後回しにして、その人の人生を形にして見せてあげているのです。これは俺の人生じゃない、と感じながら。
 でも、その人に文句をいっても始まりません。それは、あなたが選んだことなのです。今ここのシステムで「教育」「躾け」と呼ばれているものは、そういう要素が大きいのです。親が子供に、「反抗している」「抵抗している」「逆らっている」というとき、子供が悪いのではなく、「あなたは私の思いどおりにしない」と言っているだけのことです。それは、上下関係が創りだす「幻想ゲーム」です。子供からすれば、親が「反抗している」ことになるのです。「問題児」というのは、「常識」から見たらそう見えるだけであって、「問題児」から見たら、「常識の中で苦しんでいる方が問題だ」ということになるのです。「どっちを上にするか」「どっちを正しいとするか」という視点の問題です。
 人がこういうゲームをあなたに提案してきても、あなたはそのゲームに乗る必要はありません。あなたはあなた自身の人生を生きればよいことです。そして、あなたが人に「迷惑だ」と言うとき、あなたも同じゲームをやろうとしているのだと気づいてください。自分がどのくらい正しいか、どのくらい勝手なのか、ということをよく考えてみることです。
 「自分勝手なことをするな」という自分勝手な発言、「あなたは自分の事だけしか考えていない」という自分の事だけしか考えない発言、「人の気持ちを分かっていない」という人の気持ちを分かっていない発言を、お互いに平気でし合っているのです。お互いに初めから自分勝手なのです。
 お互いに何のトラブルもなく、欲しいものを手に入れるためには、それを認めた上で、「自分のしたいことを自由にする、人のことを干渉しない」というルールで生きることです。それぞれが、本当に自分がしたいことをすることです。あなたが人をコントロールしようとするとき、あなたもその人にコントロールされることになります。あなたが人に「するな」というとき、それはあなた自身にもあてはまります。自分だけはしてよくて、人はしてはならないというのは、まさに都合のよい究極の自分勝手なのです。あなたがそれをするならば、人に「するな」と言っても、何の強制力もありません。あなたが「するな」と言ったとしても、それをどうするかはその人の自由なのです。あなたが自由になりたければ、人を自由にすることです。人を自由にすれば、あなたも自由になれるということです。自分がすることが(したこと)が自分に返ってくるのです。
 人間は、お互い自由、お互いに対等な関係です。「上下関係」や「権力」「優先関係」というのは、それが必要なシステムに同意している人が創りだした単なるルールに過ぎません。そのゲームをやっていない人は、それを道具に何かさせようとしても何の効力もありません。あなたは、人に何かさせることもできないし、何かさせられることもないのです。すべては自分の自由な選択の結果です。すべてあなたがそれをすることを決めているのです。
 「来るものは拒まず、去るものは追わず」あなたが誰かに執着していると去る者を追うことになり、その人の選択を邪魔することになります。なおかつ、あなたの期待は叶わないかもしれません。でも、それはあなたが勝手にしていることですから、誰にも文句は言えません。あなたが誰か「気にくわない人」がいるとき、来るものを拒むことになります。あなたはその人をどうやって排除するかを考えることに忙しくて、あなたが本当にしたいことができないことに気づきません。そして、あなたはその人から得られるであろうたくさんの情報、それをしている間に出会えるであろうたくさんの人を永遠に逃してしまうことになるのです。
 あなたが肉体で体験する瞬間は、どんどん過ぎていきます。そして、その瞬間は二度と体験できません。出会いは瞬間のドラマです。今ここにあるものを今ここで体験し続けることが、あなたがこの世界でやっていることなのです。まずは、自分自身のしていることを許すこと、自分を認めること、自分を自由にすることから始めることです。そうすれば、あなたの周りにある情報を一つ残らず自分のモノにして、自分の人生を楽しむことができます。自由に人生をエンジョイすることができるのです。
 あなたが自由になりたいならば、人が何をしようとも、ほっとけばよいのです。「私は勝手にやりますから、あなたも勝手にどうぞ」と。表面上は冷たいように見えて、それがお互いトラブルなく、自由に生きられるベストな方法なのです。お互いに一切干渉しないこと。自分が自由になりたいなら、人を自由にすることです。結局は、お互いに、自分に自信がなくて、「何かしてもらいたい」「自分は責任を負いたくない」「一人で不安だ」という感情から、「してくれない」「してくれてもいいのな」「ありがたいと思え」「感謝の心がなければ人間じゃない」「世話してやったんだから」「あんたが悪いんだ」「自分のことしか考えていないんだな」云々とたくさんのトラブルが創り出されているのです。どんなに自分が正しいか、自分が悪くないかを主張しても、その理由は、自分に都合のよいものだけを取り出しただけです。反対の見方もできるのです。「自民党」と「社会党」、「検事」と「弁護士」のゲームはそれを示しています。「法律」という基準がなければ、永遠に結論が出ません。(裁判官の判決も、裁判官の理屈に過ぎないのですが。)
 みんな、本当は自分勝手に生きたいくせに、責任を負わされないように予防線を張っているのです。それが自分自身を苦しめること、自分の首を絞めること、そして、相手にも迷惑をかけることになっているのだということに気づいていないのです。それは、人が創り出す責任追及を恐れているだけのことなのです。あなたが何をしようと、人が何を言おうと、すべてお互いに自分の責任なのです。人がどう感じるか、ということにあなたは責任を負う必要はないのです。そして、あなたが感じることも自分の責任なのです。そういうことを知っている人ならば、あなたに文句を言うという行動はとりません。自分の感情と行動に責任を取っているならば、人に干渉することは一切ありません。つまり、自分で責任をとれば、あなたは何でも自由にできるのです。

                        アキヒロ

元つ話 622 「混乱」があれば必ずそれを「統合」する方法が存在する

2013-03-28 Thu : 長谷章宏語録 
あなたそのものが情報である
 人の意見というものは単なる参考に過ぎません。ただ、私の提供する情報は、使っていくプロセスであなた自身に証明されると同時に、プロセス自体が、あなたの望む人生に直結しているのが特徴です。あなたが自分自身に使え、自分自身に証明されれば、それでよいのです。人に証明しようとすると困難を体験することになります。すべて情報はあなたのための情報なのです。
 あなたの目の前には、たくさんの情報があります。そして、あなた自身の声も情報です。言わば、あなたそのものものが情報であり、実際は、あなたとあなたの周りとはひとつなのです。あなたの外側に優先関係や上下関係はありません。人が何と言おうと、すべてあなたが創りだしている幻想に過ぎません。あなたが関係そのものなのです。あなたが人生そのものなのです。でも、あなたが疑ったり、無視したりすることで、情報は単なる情報で終わってしまいます。あなたが、過去を後悔し、未来を心配する事ばかりやっていると、今ここにある情報を見逃して、永遠に欲しいものが手に入らないことになります。
 あなたに必要な情報は、今この瞬間にすべてあります。あなたが、どのくらいココロも体も今この瞬間にいるか、どのくらい周りと一つに溶け合っているか、どのくらい自分自身の声にアンテナを張りめぐらしているかによって、あなたの人生を大きく左右する情報に出会えるかどうかが決まるのです。あなたが何かを気にしたり、何かに気を取られたりしていて、今ここにあるものを逃がしても、すべてあなたの責任です。

上か下かの関係がすべてのトラブルを創り出している
 今までの「常識」の世界では、あなたがやりたいことをすると、誰かが「迷惑」に見えるようなシステムができ上がっています。長い年月をかけて、足を引っ張り合い、夢を実現させないシステムが形になってしまっているのです。「自分の心地よさを得るために、人の心地よさを犠牲にする」「人を制限して自分が自由になる」「自分の期待するものを手に入れるために自分以外を変えようとする」そういうやり方が形になっているのです。そして、「人に迷惑をかけないようにしなければならない」「弱い者や目上の人は大事にしなければならない」「しつけや教育は大人の義務だ」「悪いことはしてはいけない」「悪いことをさせないようにすべきだ」「(自分を犠牲にしても)人のために生きることが良いことなのだ。」「自分勝手、自分中心の生き方は良くないのだ」等々、そういう考え方が「常識」となり、そのシステムの中で、それが当然であるかのように教えられ、皆そろってそういう行動をしてきたというわけです。その結果が、今ここで起きている様々な混乱の状況なのです。それを続ける限り、その観念の伝達が永遠に続き、そのシステムが永遠に存在し続けることになるのです。どこかで方向転換しない限り、この先もずっと永遠にそれが続くだけです。
 それはすべて「幻想」が形になったものに過ぎません。変えようと思えば、いつでも変えられるのです。「そういうことはできない」「それはちょっと無理だ」と言っているから変わらないだけのことです。その「AかBかを決める、価値判断するゲーム」を手放さない限り、何も変わりません。現在の社会システムは、「どっちが上でどっちが下か」「どっちが優先か」「どっちが正しいか」といった力関係を決めないと、行動できなくなるシステムですから、自分の欲しいものを手に入れるためには、自分の表面上の力を創り出す必要が出てきます。それが、脅し、ワイロ、ゆすりといった行動を創り出す結果になっているのです。その大きなシステム自体を取り替えない限り、「悪いことだからやめさせよう」としても、永遠にいたちごっこが繰り返されるだけです。「悪いこと」や「犯罪」を無くしたければ、「それを無くそうとすること」をやめることが必要です。
 これは、今のシステムの中で創りだされる当然の結果です。自分の欲求を満たすためには何をやってもよいという自由意志を今ここにシステムの中で使うと、そういうことが始まるのだということなのです。それが「悪いこと」だというわけではなく、自分が欲しいものを手に入れたい人間の欲求と「本来の自由な存在であるという性質」が、今ここのシステムと作用しあうと、そういうゲームが創りだされるというわけです。
 そこでは、「親子」「師弟」「上司部下」「恩や義理」といった表面上の関係を、力を創りだす道具にして、自分以外の人をコントロールして、自分の欲しい状態を手に入れ、自分の期待通りの行動をさせるというゲームが平然と行われることになります。「目上の人には礼儀をもって接すること」「恩や義理を欠くのは人間として悪いことだ」といった上下を表す考え方を都合よく使って、自分の欲しいものを手に入れるゲーム、このシステムを教え込むゲームが、大なり小なり「正しいこと」「当然のこと」として行われているのです。それが「法律に触れたとき」だけ、犯罪と言われる行為になり、「社会的責任」なるものが生じてくるとされているだけです。「法律を守らなければならない」というのもこのシステムを運用していく上で必要があって創り出されたものに過ぎないのです。
 本来は、すべての人が「対等な存在」であり、考え方や意見の上下というものはないのです。でも、それは今までのシステムの中では通用しません。そういう考え方は「理想論」であり、「そんな甘いことを言っていたら生きていけない」という結論になるからです。「自分を心地悪くするものはすべて悪いこと」「悪いことは迷惑なこと」「迷惑なことはやってはいけない」「やってはいけないことをする人には罰を与える」という論理でたくさんの制限が創り出されているのです。何らかの理屈をつけて自分の力を誇示しなければ、欲しいモノは手に入らない競争システムなのです。あなたが人を傷つけずに自分の心地よさを得るために、別のシステムを選び、生き方を変えたとしても、それがその人にとって都合が悪いものであったとき、その人は、いろいろな理屈をつけて、それがどんなに(自分にとって)悪いことであるかを説いて、平気で「やめろ」というゲームを始めることになるのです。 
 「自分の利益優先」「自分の心地よさ優先」「自分の感情は自分以外の人の行動が創るのだ」というゲームが、今までの社会を創りだしていたのです。「人の迷惑省みず、自分だけが得すればよいという自分勝手なゲーム」「できるだけ多く、できるだけ早くモノで満足を得るゲーム」「得たモノを失わないように、またまた力を使ってそれを守るゲーム」が今までのゲームであり、今ここで、そのツケが様々な形で混乱として現れているのです。そして、そのシステムのままで、その考え方を使って、その混乱を解決しようとして、どんどん泥沼の中にはまっていっていることに気づいていないことが、今ここで起きている混乱を増幅する原因なのです。
 「混乱する」というのは、実は「お互いを統合する」という意味です。「混乱」というのは悪いことではなく、統合するためのきっかけなのです。「混乱」があれば必ずそれを「統合」する方法が存在するのです。もともとはすべてひとつのものです。そのシステムから抜け出すこと、つまり、全く新しいシステムを創り出すことが必要なのです。「混乱しないようにする」ことが、実は、「より大きな混乱を創り出す」ことになるということ、言い換えれば、「混乱するのを黙って見ている」ことが「混乱を収拾する唯一の方法」だというわけです。

                          アキヒロ

元つ話 621 自分が「これはいける」と感じたものを片っ端から使ってみる

2013-03-27 Wed : 長谷章宏語録 
新しい時代を生きるあなたへ(2)


 この章は、新しい人生を始めようとしているあなたの参考にしていただくために、私がこの生き方を始めた経緯について、簡単な体験談を書くことから始めることにしたいと思います。

自分を信頼したときにすべての真実が明かされる
 私は、人生のある時期から、自分の「内なる声(直感)」を信頼し、「周りの声(今までに学んだ常識)」ではなくて、常に、「自分の声」を聞き続けて生きるという生き方に切り換えました。「人間は本来、この生き方が自然であり、この生き方がこれからの時代の生き方なのだ」という情報に出会ったことがそのきっかけです。それまでの私は、そういう生き方は、「自分勝手だからだめだ」と教わってきて「なるべくそれをしないように」生きていたのです。そして、この生き方を実際に生きていくプロセスで「自分にとっては、どちらが本当の生き方なのか」と、常に自分自身と対話していく中で、「本当は自分はこの生き方を望んでいたのだ」とハッキリと気づき、自分が望んでいた素晴らしい体験が連続して起きるという現実を目の前にして、そのままこの生き方を続けてよいのだと許すことができたのです。
 「今までの生き方を続けている人達」の中にいて、この生き方を自分自身が受け入れること、周りの抵抗の中で実際に行動し続けることは、非常に勇気のいることでした。でも、「周りの声」を選ぶ人生で何が起きるかということは、嫌というほど今までの人生で体験していましたから、このチャンスに、その生き方を選ぶ決心をしたのです。
 新しい生き方を生きると決めたとは言っても、今までの価値観と全く正反対の生き方をする訳ですから、そのプロセスでは、自分自身、「本当にこの生き方をしてもよいものなのか」と何回となく疑いました。でも、「周囲の人達がどう見ていようと、それが自分にとって最も効果的な、楽な生き方なのだ」と感じる体験を積み重ねていくうちに、その疑いというのは、自分自身の行動や考え方を「良い悪いを判断する今までの生き方」で見ていただけ、自分が人の評価を気にしていただけ、「自分が自分を疑っている」からそう見えていただけだったと気づくと同時に、どんな考え方でも、「自分が信じればその通りになるのだ」ということを確信していきました。実のところ、今までも、「自分が信じていた生き方をしていただけ」であり、この生き方、体験は、「ただ信じるものを変えるだけ」で悪いことでもなんでもないのだ、ということを知ったのです。それが分かっていても、なかなかできないというのが、今までの生き方で身についた癖、今までのシステムの特質なのです。そして、周りの抵抗というのは、私自身のすることを「良いか悪いか」で判断しているのではなく、「単なる生き方、モノの見方の違い」によるものに過ぎず、それを価値判断することからそういう結果になっているのだということも段々とハッキリ見えてきました。そして、「今までのモノの見方は、自分で自分をワクにはめる見方であり、自由になるためには、その見方を変えていく必要があるのだ」ということに気づいていきました。このように、新しい体験や気づきを重ねるにつれて、「自分にとっては、この生き方のほうが真実なのだ」と確信するようになっていったのです。
 「自分に正直に生きる」という生き方を自分自身が実際に体験すればするほど、これが「人間にとっての自然な生き方」であることをあらためて実感していくことになりました。今までは、「正しい生き方」というものがあると錯覚し、自分のしたいことをせずに、自分を良く見せる、ひとの期待にそう生き方、「正しい自分」を見せるゲーム、「自分は正しい人なのだ」というフリをするゲームをしてきただけだったのです。人に、「正しい自分」を見せる演技、「自分は正常なのだ」と見せる演技をしてきたのです。それはただ、「自分の評価が下がるのを恐れていただけ」「人の良い評価が欲しかっただけ」のパフォーマンスに過ぎなかったのです。そこには、「自分のしたい生き方を認めていない自分」「本当の自分を偽っている自分」がいたのです。
 今までの自分は、「常識」や「社会」という幻想の中で、何も言わずに、波風を立てずに生きることを選んでいただけだったのです。その方法として、「人の期待通りに生きること」が最良の方法なのだと学び、それをそのまま演じていただけなのです。それが楽に生きていく方法、それが人生というものだ、と信じて、自分が自分を疲れさせているとも知らずに、本来の自分と偽りの自分に分裂して(「本来一つの意識である私という存在を自ら分けて、自然と一体である意識を分けて」)生きてきたのです。
 このような自分の体験を通して、数多い自然界の生物の中で、人間だけが唯一、「不自然な生き方」をしている存在なのだということもハッキリと気がつきました。そして、「世の中というのはそういうものだ」「現実はそんなに甘くないのだ」というフレーズが、自分で自分の行動を止める、自分にはめる最大の落とし穴、トリックだったことを知ったのです。
 このような、「自分がしたいことをやり続ける」というプロセスにおいて、完璧な、見事なタイミングで、自分の人生を効果的にするさまざまな人や情報と出会い、「自分の本当にしたいこと」「人生のメカニズム」「今までやっていたゲームの真実」「今この世界のシステムの矛盾」「自然(宇宙)の創造の法則」等々に気づくような、数多くの体験をしていくことになります。そして、自分が今まで避けていた「未知の世界」を生きていく中で見つけた、自分の人生を効果的にしていく様々なアイデアを、試行錯誤しながら自分用に加工して、使い続けてきました。
 それは、「今まで抑えていて行動、無理だと思っていたことを実際にやったらどうなるだろう」「非常識を行動に移したらどうなるだろう」「皆ができないでいること、結果を心配してやらないでいることをやったらどうなるだろう」「自分の声だけを聞きつづけたらどうなるだろう」と、人生のメカニズムを知るために、自分を実験台にしていろいろなことを試してきたプロセスでもありました。その結果として、「非常識だ」「迷惑だ」「問題だ」「狂ったんじゃないか」「人間として失格だ」と人から言われることに飛び込むという体験も数多くしました。当然のこととして、周りからそういう反応をたくさんもらうことになりました。でも、それに反して、やればやるほど「自分がどんどん楽になっていく」のを感じ、今まで起きなかった「自分が望む現実」が簡単に実現していくのを見て、実は、「常識」の方が、自然(宇宙)からみると「非常識」だったのだ、「自分勝手に」「あまのじゃくで」生きることが夢を実現する唯一の方法なのだ、ということをハッキリと確信していきました。そして、その解決のプロセスで自分用に見つけた新しい方法を実際に使い続け、その方法ですべて解決できることを自分に証明できたのです。
 自分がこの生き方を続けるうちに、「自分に使えたことを、同じ人間に使えないわけはない」「誰にでも応用できる、使える方法として整理できないか」「自分の体験から得たことを自分以外の人の悩みを解決することに使えないか」と、実際の日常生活の中で応用し、実用的なサポートができるように様々な研究を重ねてきた結果が、ここに「新しい時代の生き方」として提供している様々な情報なのです。その体験の中で、「同じパターンの生き方をしていては現実は変わらない」こと、「現実も感情もフィーリングも、すべてを自分が創りだしていること」を「身をもって」体験し、気づいていったのです。
 ここに提供する情報は、宗教でも、哲学でも、誰かの受け売りでも、机上の空論でもなく、今まで書いてきたように、そべて、自分自身が試し、自分自身の日常生活での体験の結果としてまとめられてものなのです。
 あなたは、もう、自分の悩みを解決するために、アレコレ試行錯誤することはありません。科学者が試行錯誤して発見した方法を、学校で簡単に教えてもらえるようにどうぞご自由に私の情報をお使いください。あなたが「これだ」と感じたものを試してください。書いてあることを眺めていても、結果を想像していても、あなたの人生において、あなたの悩みを解決するために有効なのかどうかは分かりません。私に起きている形を見ても、書かれていることを判断していても、あなたにどう作用するか、あなたがどんな体験をするかは分かりません。すべての情報は、使ってみなければその効果は分からないのです。あなたの期待通りの結果を創りだすかどうかは別にして、少なくとも、「この情報が使えるかどうか」は必ず分かります。
 慌てることはありません。考えているあいだに、実際に行動すればよいのです。考えていると、次から次へといろいろ可能性が顔を出し、終いには、「そんなことが起きたら困るからやめておこう」という得意の結論に達してしまいます。今までの生き方では、冒険を、リスクを避けようという心理が働きますから、想像の世界でも、そういう結論になってしまいます。でも、その結論はすべて想像上のものに過ぎません。そういうパターンを繰り返している限り、あなたの問題は何も解決せず、解決のチャンスを逸するとともに、次なる問題が湧き上がってくるだけです。自分が「これはいける」と感じたものを片っ端から使ってみるということをお勧めします。

                         アキヒロ


元つ話 620 テレビは止めて下さい。テレビのニュースは聞かないで下さい。

2013-03-26 Tue : 神語録 
親愛なる皆さん、どうかお願いします。これは本当に重要なことです。あなた方の貴重な意識を、混沌として痛みと苦しみに満ちて出現する、あなた方がみている外の世界に、たとえほんの僅かでも、集中しないで下さい、お願いします。というのもあなた方が注意を向ける事は火に油を注ぐ様な物で、状況をますます悪くします。それはそういった状況を引き起こすものに文字通りエネルギーを継ぎ足している事になります。あなた方の注意が向けられる所にエネルギーが流れます。困難な問題に集中する事はもっと問題を持ち込むことになるだけです。いいですか、親愛なる皆さん、私は強調しますが、どうか、あなた方の注意を あなた方が望まないものに向けるのではなく、これ迄以上に、あなた方が望む物に向けて下さい。

この事は状況を無視しているとか、又は非現実的な世界に住んでいる様な事と解釈されるかもしれません。愛しい皆さん、変化は内部から生じて来なければなりません。あなた方自身の中に存在せねばならず、ただ平和で調和がとれた世界だけを見て、その場所から行動しなければなりません。愛しい皆さん、戦争や、病気そして辛い事からのイメージから注意をそらした方が良いという事を愛を込めて提案します。テレビは止めて下さい。テレビのニュースは聞かないで下さい。恐怖をより広めようとする宣伝に過ぎないのですから。

  新しい地球

  ニュースで見なければ、知らないことではないですか?


元つ話 619 この方は空気みたいなものでござる

2013-03-25 Mon : 長谷章宏語録 
そなたがすでに真コトの者でござれば、そなたは喜びだけの天国でござる。喜びが当たり前の世界に居るのぞ。当たり前と申すのは、至善にできること、取り立てて議論せぬことでござる。この方は、空気みたいなものでござるぞ。健常者が、我(われ)は歩けたなり!と一々喜んでござろうか。もし、誰かがそう申せば、そなたは、歩けるのが当たり前じゃと申すでござろう。至善、当たり前と申すのは、何も思考せず、何も議論せず、何も葛藤せずにできること、してしまうことを申すのでござる。そなたが真コトを生きて居れば、うまくいって当たり前でござる。奇跡はござらん。この神は何でもできる元つ神でござるから、この方の申す通りにやって居るならば、苦も悩みも謎も何もござらん。夢はすべて実現しておる。すべて実現して居るから、神頼みも、夢を追うことも、神について議論することも必要無きことぞ。そなたはこの方と共に居るから、この方とそなたは一体でござるから、空気みたいなものでござるから、親子でござるから、取り立てて議論しようとも思わんぞ。神じゃ、宗教じゃと大騒ぎして居るのは、真コトの神から見れば、滑稽(こっけい)なことでござるのぞ。そなたは、この方が居らねば存在しない身魂でござるぞ。そなたが現界でアレコレ成すことができるのは、神あってのことでござるのぞ。

そなたが神を信じないと申すならば、そなたがそこに居るのは何故なのか、そなたが病気も死も自然も想い通りにならんのは何故なのか、そなたの回りの自然は誰が創りだしたのか、そなたが申すエネルギーは誰が創りだしたのか、いろいろな神が居るのは何故なのか、病気や事故や死や争いや葛藤や悩みや謎や不思議が無くならんのは、超常現象や幽霊や超能力があるのは何故なのか、あり得ないことが次々に起きるのは何故なのか、創造主とはいかなる存在なのか、地球や宇宙は何故あるのか、この者がこのようなフミを出せるのは何故なのか、そなたが分からんことを語れるのは何故なのか等々、そなた自身に、そなたの回りに、納得いくように、矛盾がないようにすべて説明してござれ。そなたがそれをできないならば、魔釣りのアタマで創りた屁理屈をこねるのはいい加減にやめて、この方に素直にアタマを下げて、この方の申す通りにやりなされ。この方が善きようにしてやるから、赤子に戻って素直に出直しなさるがよいぞ。

このフミをすべて読み終えても、ツベコベ申してあくまで抵抗致すならば、それでも構わん。得心行くまでそなたの理屈をこねて、お好きなようになさって居るが善いぞ。じゃが、近い将来、そなたがアタマを下げる時が必ず来るから、その時では酷きことになるから、後になって気づいても、いよいよとなってこの方にすがって来ても、掃除なければもう遅いから、その点、ご承知あれよ。この方、今ここで確かに申し渡したぞ。この方がすべてを教えた今今からは、そなたにはもう何も知らんとは言わせんから、分からんとは言わせんから、言い訳は一切許さんから、ハラを括ってやりなされよ。この方に抵抗致しても無駄なことでござるから、いい加減に素直に致せよ。我(われ)には関係ござらん、我(われ)は神なり、我(われ)は無神論者なり、神など居らん等と申す者は、臭き魔釣りの信奉者なるぞ。悪魔も地獄も犯罪も神も超能力も科学も宗教も世俗も何も批判せぬ、どんな意見も否定せぬ、神も社会も自分も人も何も責めぬ、神も霊も天国も喜びも奇跡もすべてのすべてが当たり前、何のこだわりも不安も恐れも特別も無い、普通の人間が真コトのミロクの民でござるのぞ。ただの一点なりとも苦や葛藤や悩みや不安や恐れや疑問や不思議や謎や希望や夢や想い通りにならんことがござれば、そなたはこのフミを読むべき者でござるぞ。そなたが学んだ屁理屈はすべて一旦棚上げして、ツベコベ申すのは後の後の後にして、まずは最後まで黙って読み通してくだされよ。一歩の前に○歩があるぞ。ゼロが調和でござる。このフミ黙って読むことがそなたがミロクで神成るための修行の始めの○歩でござる。

                           立日十

元つ話 618 最も掃除が進むように今世の関係となって生まれて来ておる

2013-03-24 Sun : 長谷章宏語録 
そなたがアレコレと屁理屈申して居るならば、人のことを心配致して居るならば、人に手出し口出ししたくなるならば、まずはそなたの掃除が先ぞ。そなたがそなたの世話をすることが先でござる。人のことはこの方に任せて、アレコレと心配するそなた自身の大掃除を致してくれよ。そなたが心配して手出し口出しすれば、かえってその者の掃除を邪魔することになるぞ。一人一人にこの方が語りかけてござるから、横やりを入れて、その者の選択(洗濯)を、掃除を邪魔することの無きようにお願い致すぞ。自らの満足のために、身欲のために、正しさを保つために、いい子を演じるために、他人の自由意志を侵害するゲームはもう終わらせてくれよ。心配しないことが人のためでござる。迷惑をかけてはいかんと申して、自らのしたいことを我慢することが、したくないことをして葛藤を創ることが、マコトに迷惑なことでござるぞ。今までとはアベコベでござるから、家族や子供をほおっておいてよいのか、と申すような罪悪感は必要ないぞ。身魂の系は肉体の家系とは別でござるぞ。霊統と血統は一致しておらんぞ。そなたの家族と申せども、身魂は全く別の独立した存在でござるのぞ。そなたらの霊統の元の元はこの方でござるぞ。すべての家系はこの方から始まってござるのぞ。この方のお子同士で喧嘩するのはもうやめてくだされよ。この方の計画通りに、全員ミロクへ行けるようにしてあるから、もう人の世話はせんでも宜しいから、そなたは自分自身の世話をしなされよ。

そなたとそなた以外の者とは、独立した魂が、最も掃除が進むように今世の関係となって生まれて来ておるだけぞ。そこには、どんな上下関係も、制限も、義務も、強制も、一切ござらん。一人一人の自由意志で、一人一人が独立して、自立して生活してよいのでござる。親と申すのは、子が自らの意志で行動できるようになるまでのお役目でござるぞ。子が自らの意志を持ち始めた後で、アレコレと考え方に口出ししおれば、それは信教の自由の侵害でござるぞ。子供だから、学生だからと申すが、子供を子供として扱い、肉体の年齢や性別で一律に教育することが平等じゃ等と申す魔釣りの者に騙されて、自立できんようなシステムを創りだしたのはそなたらでござろう。小学生は小学生ではござらんぞ。そなたらのやり方次第で、独立した社会を創れる立派な神の臣民でござるぞ。子供だから無理じゃと申すのは、そなたらの創りだした社会だけで通用するものでござる。家族も他人も関係ござらん。形の上で、家系を追っても、それはその時その時でまったく別の霊統の魂が演じておった肉の身の名前でござる。そなたの墓が沢山あるぞ。家系を継ぐ必要はござらん。今世で終わりでござる。そなたがどんなに心配しようとも、どんなに苦労しようとも、どんなに世話しようとも、最後の最後はそなたにはどうすることもできんぞ。そなたは人の身魂のメグリをすべて知って居るのか。真コトの掃除の手伝いは、この方にしかできんのでござるぞ。そなたら一人一人がこの方の申す通りにしてくだされば、それがどんな状況を創ろうと、お互いの援助となるのじゃ。たとえ家族と言えども、そなたには口出し出来ん。人のことを心配する暇があるなら、そなた自身の掃除を進めてくれよ。

目に見える世界は霊界の映しでござるぞ。霊界の光がそなたを通して影を創って居るのじゃ。影をいじくっても何も変わらんぞ。そなたの心配はそなた自身が一人になること、そなた自身の大切なものが傷つくこと、無くなることでござる。それはそなたの一人よがりでござるぞ。そなたが心配して居る者は、何の心配もござらんぞ。そなたが口出しすれば、かえって迷惑でござるのぞ。肉の身の形はどうであれ、身魂は障害者でも病人でも怪我人でも狂人でも犯罪者でも子供でもないぞ。形を見て判断するでないぞ。この方はすべての者とつながって居るから、すべての者の真釣り外しを帳面に書いてあるから、どの者とどの者を引き合わせれば最も掃除が進むか、真釣りに戻れるか、分かるのでござるぞ。一つのズレも無く、ピタリピタリと出合わして、過不足なくすべての者にメグリを渡すことができるのでござるぞ。完璧に掃除が進むのでござるぞ。すべてこの方が決めて居るのじゃ。そなたには、すべての者がミロクに行けるように仕組むことなどできはしまいが。すべては霊界で動いて居るのじゃ。霊界の動きが現界に現れて居るのぞ。そなたが魔釣りの世の責任とやらで、自らしたくない世話をするのはこの方は望んでおらん。かえって身魂の掃除の邪魔になるだけでござる。その者が苦しくとも危なくとも、その状況を体験して、初めて掃除が進むのでござるぞ。人のことはこの方に任せて、そなたはそなたの世話を致せよ。形は子供や障害者でも、すべての者がミロクに行けるように仕組みあるから、何も心配ござらん。家族も他人もないから、血統と霊統は違うから、形の関係で強制することはできん。責任を取ったり、取らされたりする必要はござらん。人のことはそなたが心配することではござらん。そなたはそなたの心配をすれば宜しいぞ。

                         立日十

元つ話 617 相対二元の分裂思考では平和などありもうさん、早う立体に入ってくだされよ

2013-03-23 Sat : 長谷章宏語録 
片方からの目は、すべて偏見の目でござる。そなたという人間から見れば、死や障害や赤子や痴呆等に見えるが、この方から見れば、そうではないぞ。この方から見れば、善も悪も神も人もないのでござる。すべてはこの方の中でござるからぞ。この方の世界の中にそなたの世界がある。神あって人あることを思い出してくだされよ。神の目が客観でござる。そなたらがどんなに客観的に見ておる積もりであろうと、それはすべて主観でござるぞ。相対二元の平面の物質の世の魔釣りの善悪正誤の目でござる。善は悪、悪は善、正は誤、誤は正、絶対的観念でござれば、議論の余地はないのでござる。差別だ、偏見だ、と申すそなたの目が、差別の目、偏見の目でござるぞ。神の目は、そなたらの善悪両方とも見えるのでござるぞ。戦って居る両方の心が見えるのでござる。相対二元の分裂思考では、平和などありもうさん。早う立体に入ってくだされよ。そなたらの元はこの方でござるのぞ。神心になると申すのは、この方と同じ心になると申すことでござるのじゃ。

魂の世界が肉の世界の元でござるから、この方はすべての者と心でつながって居るから、そなた以外の者にはこの方が直接語るから、直接見せるから、魂の世界で出会いを創るから、この方の家来に指示して魂の世界で動かすから、そなた以外の者に頼んで世話をさせるから、必要なものはこの方がすべて渡すから、魂はこの方が面倒を見るから、そなたから見たその者の肉の身が無くなろうとも(死んでも)魂は生きて居るから、この方から見れば死んでは居らんから、この方が服を脱がしただけでござるから、物質の世でどのようなことが起きようとも、どのような姿になろうとも、どのような状況になろうとも、そなたの心配することではござらんぞ。そなたはそなた以外の身魂の世話はできんぞ。そなた以外の者から見たそなたも同じでござる。そなた以外の者はそなたの身魂の世話はできん。肉体の世話は出来ても、身魂の世話は誰にもできん。掃除をするのは一人一人でござるぞ。人がどうであれ、そなたはこの方の申す通りに素直にやってくれれば宜しいぞ。それがそなたの為であり、人の為でもある。ミロクはそなた一人だけでも結構ぞ。

そなたらは、やれ援助だ、世話だ、心配だ、ボランティアだと大騒ぎしてなさるが、困って居る者に援助するのは当然じゃ等と申しておるが、そなたは死んだ後の魂の責任まで持てるのか。そなたがその者の魂を、最後まで責任を持って面倒を見られるならば、世話をしてくれてもよいが、そなたは何でもかんでもすぐ物質の援助をしたがるが、そなたの持ち物はもともとこの方のものでござるぞ。そなたがモノを与えようとても、この方が許さねば、モノがなくなれば、そなたは何もできんぞ。金も薬も食べ物も本も警察も、すべてのものは末は無くなって行くものばかりでござるぞ。そなたらは何も考えずとも宜しいぞ。この方の申す通りにハイハイと動けば宜しい。アレコレ考えるから、堂々巡りから出られんのでござるぞ。こ度は死んでも続く大掃除でござるから、身魂の大掃除でござるから、表面上は物質的に満たされておっても、身魂が磨かれて居らねばミロクはないから、本当に助けたことにはならんぞ。物質的に満たされておらんでも、肉の身がどんな状況であろうとも、身魂が磨かれておれば助かるのでござる。今度ばかりは、身魂磨きが済んでおらぬそなたが人の面倒を見ることはできんぞ。人を本当に助けることはできんぞ。

                          立日十

元つ話 616 何でもかんでも二つに分けるから、永遠に一つにならん

2013-03-22 Fri : 長谷章宏語録 
そなたの判断の基準は相対二元の善悪でござる。そなたの基準は物質の世の肉の身でござるぞ。そなた自身を肉の身だと思って居るから、肉の身の生死を基準として、善悪、危険安全、有る無し等の議論が創りだされるのでござるぞ。そなたは二つに分けることになるぞ。そなたの混乱の原因は、何でもかんでも二つに分ける、永遠に一つにならん、分かつ知でござるぞ。魔釣りの世を創る素のアヤマ知でござる。早う身魂の眼に戻ってくだされよ。身魂の眼になればそなたには何も問題はござらんぞ。そなたが出来ないと申すことがあるならば、そなたは枠の中を生きて居るぞ。そなたが、この方を忘れて、勝手に怖がって、勝手にやめて、しないだけでござるぞ。そなたが勝手に悪を裁いて居るのでござるぞ。そなたが悪と決めて居ることは、そなたは行動致さんから、形にならんぞ。そなたがうまくいかないだけでござるぞ。どんな考えも、どんな行動も、この方が許しあるから形にできるのでござるぞ。そなたらの目から見れば、時間が掛かったり、思ったように行かなかったりするが、もっと大きな眼で見なされよ。この方の目から見れば、すべては成就するのでござるぞ。そなたらは今今の魔釣りの世のように、この方を忘れてしまう仕組みをも見事に形にできるのでござるぞ。そなたらが、たとえ魔釣りの世を創りだそうとも、この方は黙って見ておるのでござるぞ。そなたが外の悪を裁くのであれば、制限するのであれば、やめさせるのであれば、自らの自由意志もそなた以外の者の自由意志も侵害して居ることになるのぞ。この方は悪も形にするのぞ。真コトの自由を知らんそなたは、そなた以外の者の語ることや為すことに口出しする資格はござらんぞ。

そなたが悪と申すものも、必要があるから形となるのでござる。そなたが「悪」を語れるならば、そなたは「悪」を持って居る。そなたは何をみて「悪」を語って居るのか。そなたの外に「悪」がござると申すが、何故に「悪」とわかるのか。そなたが「悪」を想像できなければ、そなたが「悪とは何か」を語ることはできんのぞ。そなたが許せんと申す「悪」を、自らの内に持って居るのはいかなることでござるのか。自らを許せんと申して居るのと同じことぞ。神を許せんと申して居るのと同じことぞ。外の「悪」が、どんな必要があって許しあるかは後々、存分に聞かせてやるから、このことはこ度の大掃除で避けては通れん一番大切な事でござるから、そなたらの最大の取り違いでござるから、よくよくハラに入れて置いてくだされよ。「悪」(「開(あ)く」)の仕組みが分からねば、こ度の大峠は越せんから、ツベコベと屁理屈こねて居ると、そなたの身魂の真コトのイノチが無くなるから、ツベコベ申す者は悪の仕組みが分かっておらんことを白状して居ることになるから、その積もりで、この方の申すことを素直に取りなされ。このフミを読んで居るそなたらは「善」と「悪」を持っておるぞ。そなたが善悪の議論をして居る時、そなた以外の者の申すことを批判して居る時、そなたは何をしてござるのか。そなたが、議論や批判をする時は、その対象物を想像しなければならんから、肉眼で見たり、聴いたり、心で見たりすることができなければ、そなたらは議論も反論も批判もできまいが。そなたらは内に「善」「悪」を持って居るぞ。そなたらはすべてを見ておるぞ。

そなたが想像できるものは、すべてこの方が霊界にて創りだすものでござるのぞ。神が先で人があと、霊が先で体があと、そなたらは先に心に出てからその後で行動するのでござろうが。そなたの心に出たものを行動して形になって居るのでござろうが。形に成って居るもの、心に想像できるものは、すべてこの方が許して居るものでござる。そなたのココロに出ないものは、そなたは行動できん。そなたのココロに出ないものは、そなたには有る無しは申せんぞ。そなたは何を議論して居るのか。そなたは何を裁いておるのか。そなたの心やそなたの外に「アル」ものを、そなたの理屈で認めんだけでござろうが。そなたが許さんと申して居るだけでござろうが。そなたが信じられんと申して居るだけでござろうが。この方が認めて許して居るものが、そなたの心やそなたの外に現れて、そなたに認識できるのでござるぞ。そなた以外の者が言葉や行動にて表現するものは、その者のココロに出てきて居るものでござるぞ。形あるものの基はココロでござる。そなたが認めんのはそなたの勝手でござるが、この方が許してすべて「アル」ものでござる。そなた以外の者が話すこと、成すこと、造るもの、出来ておるものは、すべてこの方が許しあるものでござることをお忘れ無きよう。神、たのむぞ。

                          立日十

元つ話 615 正しい解釈と申すものはござらん

2013-03-21 Thu : 長谷章宏語録 
人がそなたの申す通りに動くのは、その者が制限や恐れを持って居るからぞ。自らのセルフマインドコントロールが、人からマインドコントロールされる原因ぞ。そなたの体験はすべてそなたの責任でござる。人の体験も人の責任でござる。お互い自らの責任でござるから、責任転嫁や争いと申すゲームは本来無きものでござるのぞ。そなた自身も人も自由にしてやれよ。そなたは何でもしてよいのぞ。何でもしてよいと申せばすべてはそなたが選んで居ることぞ。そなたの体験はそなたの責任でござるぞ。罪悪感も質問も要らなくなるぞ。自分のことは自分で決められるのが真コトぞ。質問してはならんと申すわけではないが、質問はいらんということぞ。そなたの答がそなたの正解ぞ。正しい解釈と申すものはござらん。そなたが今までの知識で正常じゃ異常じゃと判断して居るだけぞ。そなたがそうして居るのでござる。そなたの外には常識も社会もござらんぞ。そなたが創った常識や社会や神を使ってそなたがそなたを制限して居るだけぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて人に文句を申すのはいかなることか。自分勝手もいい加減に致せよ。

そなたらは、自らの出した答を何故に判断するのか。何故に人に聞くのか。何故に宗教に聞くのか。そなたがそなたの答を疑えばそなたは分裂するぞ。今までのやり方がマチガイぞ。この方のマチガイの基準で判断したら、そなたらのして来たことは大マチガイになるぞ。そなたが判断のゲームを抜けることが、そなたも人も自由にすることになるぞ。社会のため、人のため、家族のため、神のため、そして、そなた自身のためになる真コトの方法ぞ。誰も損はせん。誰も傷つかん。そなたがしたことを悪じゃと判断しておる者が反論するだけでござるぞ。反論する者は調和を乱しておる。そなたが判断せずに行動し続けることが、その者に真コトを見せることになるぞ。その者の目を覚ますことになるぞ。そなたに反論する者にいくら言葉で説明致してもその者は受け入れんぞ。そなたはその者から見れば悪でござるから、そなたの申すことは悪でござるから、その者は何も聞かんぞ。人に証拠を見せるためではなく、そなたがそなたのために行動すれば、一つ一つ形になるから、それを人が見ることになるから、結果として人に見せることになるぞ。そなたがサンプルになるのでござるぞ。そなたが真コトを教えたければ、教えようとするのをやめてまずは自らの掃除を致せよ。そなたが真釣りに戻れば、真釣りが形に成るのでござる。真釣りを見せようとするのは魔釣りでござるぞ。霊が体に現れる、心が形に現れる、「する」のではなく「成る」のでござるぞ。そなたの心の通りにこの方が現すのでござるぞ。自分以外に責任というものはござらん。責任追及をしたり責任についてアレコレ議論したりすることは、本来はオカシキことでござるのぞ。

そなたが今持っている目は今までの人間の世界を基にした目にてござる。肉の眼で見えるもの、物質の状態、物質の有無をもとにして判断して居るだけでござるぞ。そなたが「ナイ」と申すものは、すべて「アル」のでござる。そなたが「認めない」「許せない」と申すものは、この方がすべて許して「アル」のでござる。そなたは、何について「認めない」「許せない」と申して居るのか。いったい何が「ナイ」のでござるか。何を基準に「認めない」「許せない」と申してござるのか。そなたが想像できるもの、議論できるもの、形に見えるもの、聞こえるもの、ココロに出せるものは、信じようが信じまいが、認めようが認めまいが、許そうが許さなかろうが、そなたが何と申そうとも、すべて必要があってこの方が許して「アル」ものでござるぞ。そなたが判断出来るものはアルのでござるぞ。そなたが考えたことを、そなたが決めた善悪で、そなたが学んだ過去のデーターで、アレコレと判断して居るだけでござるぞ。そなた以外の者が語ることや為すことを、そなたが選んだ善悪で、そなたの過去のデーターで判断して居るだけでござるぞ。神など居らんと申せるのはそなたがアルからでござるぞ。そなたはナイと申して居るものを見ておるのじゃが、そのことに気づいて居るか。そなたが神を否定すれば、そなたは居らんのでござる。そなたが居るのは神が居るからでござるぞ。

                          立日十

元つ話 614 今までの学や教や知に囚われて居るとそなたが自由にならん

2013-03-20 Wed : 長谷章宏語録 
この方は、何度も何度も同じようなことを繰り返すが、それは、そなたにとって真コトに誠に大切なことでござるからぞ。そなたが永遠に死ぬか、永遠のイノチを得るかの瀬戸際でござるからぞ。これを逃してはマコトのマコトにもう取り返しがつかん、そなたの身魂の人生で一度コッキリの分水嶺でござるからぞ。後になって知りたくなっても、欲しくなっても、その時にはこのフミもこの者も無くなるから、今ここから始めねば間に合わんから、今ここで聴かねばもう二度と聴けんようになるから、手を変え品を変え、しつこくうるさく厳しく申して居るのでござるぞ。今今の魔釣りのそなたらにとっては、厳しいことや苦しいこともたくさん申すが、しつこい等と申さずに、我(われ)には関係ござらん等と申さずに、この方の親心に免じて、辛抱してくだされよ。これも真釣りに戻る修行でござるぞ。そなたらは一人残らずこの方のお子でござるから、世界全員この方の信者でござるから、今今の現(こ)の世で申す善人も悪人も、日本人も外国人も、男も女も、子供も大人も、神々も人間も、天使も悪魔も、科学者も宗教家も、占い師も霊能者も予言者も、教師も生徒も、教祖も信者も、上の者も下の者も、富める者も貧しき者も、社長も社員も、王様も人民も、誰も彼も、全員、最後まで神妙に聴いてくだされよ。

そなたらは心配性でござるから、自分は分かるが、自分は大丈夫だが、そなたらの申す先祖や死者や障害者や赤子や胎児や文盲の者や痴呆の者や動物や植物等がどうなるのかと申すが、それはそなたには何の関係もないことでござるぞ。そなたはそなたのことだけを考えていれば宜しいぞ。そなたが他の者のことを心配してくれるのはありがたいが、そなたがアレコレと心配しても、今度ばかりはそなたにはどうすることもできん。一人一人の身魂の掃除でござるから、そなた以外の者のことは、この方とこの方の家来が引き受けるから、そなたはそなたのことだけを考えてくれれば結構ぞ。そなたが人を心配するのは、そなた自身の身の不安の裏返しでござるぞ。そなたは死んでも生きて居るから、初めから生き通しでござるから、肉の身を脱いだそなたがそなた自身でござるから、そなたの肉の身は無くなってもそなた自身には「死」はござらんから、初めてのことで怖いのは分かるが、そなたのことはこの方が善きようにしてやるから、この方が手を引いてやるから、足元を照らしてやるから、その時その時に必要なことを一つ一つ教えて差し上げるから、そんなことは信用できん等と申さずに、アレコレと今までのデーターを持ち出して屁理屈をこねずに、アタマであれこれ思案せずに、先先を案ぜずに、何も心配致さずに、何が起きようとも、ミロクが開くその瞬間まで、この方の申す通りに素直について参れよ。

今までのやり方はすべてアベコベでござるから、すべてのすべてを棚に上げて、この方の申す通りに、ゼロから、赤子から始めてくれよ。判断を持ち出すのは、今までのやり方が残っておる証拠でござるぞ。コントロールや判断をすれば、そなたも人も自由にはならんぞ。そなたがそなたに制限を課しているのでござるぞ。そなたがそなたを動けなくして居るのでござる。そなたが動かずに人を動かそうとすれば、そなたも人も自由ではござらんぞ。人をコントロールして自由になった積もりになっても、それはそなたの創りだしている幻想でござる。人が人をコントロールすることはできん。人が人を変えることはできん。そなたに出来るのはそなたがそなたを自由にすることだけ、そなたがそなたの内を変えることだけでござる。そなたには死はないぞ。そなたには終わりはないぞ。人間はいつかは死ぬのじゃからそんなはずはない等と申すのは、そなたの嵌めた制限でござる。そなたの今の肉の身はそなたという身魂の服でござるぞ。服を脱いでもそなたは居るぞ。今までの学や教や知に囚われて居ると、そなたが自由にならん。そなたが自由にならんと、そなたの理屈で人を操作することになるから、人も自由にならんぞ。そなたも人も共倒れになるぞ。そなたがどんな操作をしても、制限を外した者には何の効果もないぞ。そなただけが動けなくなるだけぞ。制限も恐れも持たん者を操作することはできんぞ。

                           立日十

元つ話 613 犯罪や戦争や天変地異は危険なことではござらんぞ

2013-03-19 Tue : 長谷章宏語録 
この先は真コト無き者はどんどん厳しく、規則通りにビシビシと、滅びの道に居ることをハッキリ知らせて差し上げるから、そのままでは大変なことになるぞ、元の真釣りの真コトの神の力がどんなものかを、ハッキリと見せる時節になりておるのぞ。今までのように甘い心で居る身魂は、耐えられん事になるから、今ここで改心結構ぞ。真釣りを外したことを真コトにお詫びすると申すならば、今ここから即、真釣りに戻りなされよ。口だけではこの方は許さんぞ。そなたが申した通りに一〇〇%態度で示せよ。心と口と行いを寸分違わず一致させよ。今までの善悪分けるその考えを、苦楽分けるその態度を、キレイサッパリ捨てなされ。それが真釣りの大道の入口ぞ。真釣りの身魂に苦はないぞ。苦はそなたの真釣り外しの結果でござる。苦は苦として受入れよ。雨は雨じゃと濡れて行けよ。そなたが判断やめ、自由にして行動すれば、苦は苦で無くなるのでござるぞ。そなたは、この肉の身でどうなろうと生きておるのぞ。身魂がそなた自身でござるのぞ。肉体の心は身魂の態度でござる。死を恐れるその心、善悪分けるその心、苦を避けるその心、その心がそなたの永遠の死の基でござるのぞ。それがマコトに危険なことでござるのぞ。犯罪や戦争や天変地異は危険なことではござらんぞ。こ度は身魂の掃除無くしてどこに逃げても無駄でござるからそのお積もりで居られよ。身魂の掃除だけが、真コトの安全得る法ぞ。

この方は一つとして戒律は設けておらん。そなたは、どういう考え方をしてもよいのでござるぞ。変なものや非常識なものやオカシイものはござらんぞ。そなたが選んだものは、そなたの意志で選んだのでござるから、すべてそなたの責任でござるから、責任転嫁は一切認めんぞ。そなたには何の制限もないのでござるから、そなたが何を選ぼうが自由でござるのぞ。そなたが何でもできるのならば、そなたのしたことは、そなたの選んだ結果でござるのぞ。責任転嫁など本来ありえんことでござるのぞ。当然の結論でござろうが。責任や被害と申すものは元々ござらんから、神の世には法律はいらん。神の世には争いはないぞ。損得もないぞ。そなたが体験して居る制限の状況は、そなたのしてきた結果でござるから、不平不満を申すのはオカシキことぞ。そなたはどんな考え方でもできるのでござるから、してよいのでござるから、外に不平不満を申す必要はないのでござるぞ。そなたのものは何もないのでござるから、損害や被害はござらんぞ。そなたの制限は自らのした結果でござるから、誰にも責任はござらんぞ。今のその状況の中でそなたのできることをせよ。そなたが自由になる考え方を選んで行動せよ。この方はそなたには、何も制限は渡して居らんぞ。そなたにそれができれば抜ける手だてが見えてくるぞ。そなたがそなたに嵌めて居る制限を自由にして行動すれば、次の手だてをこの方が見せて差し上げるぞ。

神のバチや神の呪いや神の祟り等と申すものはござらん。魔コトの神を魔釣って居るからそなたに苦や悪が現れるのでござるぞ。不幸が悪ではござらんぞ。不幸を悪の仕業じゃと申すそなたが悪でござるのぞ。そなたが祟(たた)って居るのはそなた自身でござるぞ。そなたが魔釣りに生きるから、魔釣りの神がつくのでござるぞ。そなたが自らが悪魔を味方にしておるのぞ。自業自得でござる。神のバチを避けるそなたは真釣りを外しておるぞ。真釣りを外せば不都合出して調和に戻すが神仕組み。調和に悪はござらん。恐れもござらん。祟りやバチを恐れる心は真釣り外しの証でござるのぞ。そなたが魔釣りに居れば、悪魔も見せるぞ。悪を表に出したのは、そなたの善悪分ける心ぞ。そなたらの悪避けるココロぞ。そなたらの楽を求めるココロぞ。苦を避けようとするココロぞ。元つ真釣りのこの方のお子であるそなたらに、苦があるのはオカシキことでござるのぞ。この方は、そなたらに自由意志を与えて居るから、そなたらが、我(われ)善し、保身(ほしん)に走り、自らだけが得をしようとするのを分かって居ったから、一度魔釣りに走ったら楽を求めて苦を避けるから、自らでは改心出来んから、そのままほおっておいたら滅ぶから、魔釣りの神々にお願いして、そなたらの内にある悪を外に悪を出して教える仕組みを構えありたのぞ。そなたがうまくいかんのは、そなたが苦しいのは、そなたが辛いのは、そなたが怖いのは、神や人や社会を責めて居る、そなた自らの責任でござるのぞ。

                           立日十

元つ話 612 厄を祓うその心、悪魔の心と知り居れよ

2013-03-18 Mon : 長谷章宏語録 
こ度の大掃除の仕組み、ミロクを創る計画、ミロク世に至る神仕組みは、そなたらの身魂が生まれたその時からすべて出来て居ったのぞ。そなたにはどうすることもできんから夢取り違えなされるなよ。そなたが世界を変えるのではなく、そなたがこの方の世界に合わせるのぞ。この方がすべてのすべてを新たにするから、そなたらは自らの掃除をしてくれよ。自らの世界を調和に戻せよ。自らが調和に戻ればそなたはミロクに生き返れるのでござるぞ。そなたが世を直すのではなく、この方が直した世にそなたが行くのでござる。肉の服を脱いでミロクの服を着るのでござる。死して生き返る仕組みぞ。次の世紀は半霊半物の世でござるぞ。このまま変わると思ったら大きな間違いでござるぞ。取り違いして居る者、はなはだ多いぞ。不調和の身魂がこの世でミロクを創ろうとしても残念ながら無理な話でござる。この方の生き方をしたら、そんな自分勝手をしたら混乱するから善くないぞ等と申すそなたが、すでに混乱して居るのでござるぞ。善いか悪いか分ける者が混乱を創りだす素ぞ。この方の申す通りにする者を責めるそなたが、調和を乱す者にてござるのぞ。反論して、反抗して、責任転嫁をして、悪を裁いて、善悪分けて、文句を言って、やめさせて、奪い合いをしておりて、何が調和でござろうか。何が平和でござろうか。何が自由でござろうか、何が自然でござろうか。そなたらは、調和も平和も自由も自然も全部壊してきたのでござるのぞ。壊した元はそなたらの魔釣りのやり方でござるぞ。魔釣りで創りだしたものは、末は解(ほど)くもの、無くなるものばかりでござるのぞ。ホトケの世をホドケの世としたのはそなたらの神成る自覚なき魔釣りの心でござるのぞ。

真釣りを外せば滅びるのが神の掟でござるのぞ。神の掟と申すのは、神の中に産み生んだ、宇宙や自然や人間の掟でもござるのぞ。天国を壊す者は、自ら改心せねば、消えていく定めでござる。ルール違反は責任を取るのがそなたらの法律でござろうが。道徳、倫理でござろうが。そなたらの申す、「邪魔者は消せ」の論理でござる。調和を乱せば邪魔になるから、消えて頂くことには依存なかろうな。この方は、真釣りを外したそなたらを、本来なればその場で消える身魂を、我が子を天国に連れていきたい親心で、自ら改心してくれるのを願って、情と花の仕組みにすべてを託し、万物万象に変化してメグリ相応に苦を渡し、悪を見せ、自主的改心を願って、今まで何世にも渡って、そなたの身魂をここまで生かしてきたのでござるぞ。わが子とミロクを遊びたい、親神の情けでござる。されど、それもこれもあとわずかのことでござる。この方の創った天国を壊してきたそなたらの所業を辛抱に辛抱をして、最後の最後で改心させる、いよいよ最期の時となりたぞよ。これから先は真コト無き者はおられんようになりたから、ここでお知らせしておくぞ。

この方は、調和、自由、平和、天国の世界の中に、そなたらを産み生んだのでござるのぞ。現(こ)の世のことは、すべてのすべてをそなたら人間に任せたのでござる。任せたら手出し口出しせんのが真コトでござるぞ。一度任すと申したら、何があろうとギリギリの最後まで任すのが真コトでござるぞ。この方が創った調和の世、その世を壊した責任を取るのが、そなたら一人一人の成すべき役目でござる。不調和を調和に変えるのがそなたらの元のハタラキでござるのぞ。自らの魔釣りを真釣りに戻すのが神成る修行でござるのぞ。魔コトの魔釣りの神と申すのは、調和を乱すそなたらのアヤマ知を解(ほど)き、そなたらを真コトに導く御役目を担った、この方の産み生んだ神であることをお忘れくださるなよ。真コトを魔コトにして居るのはそなたら自身でござるのぞ。そなたらが魔コト魔釣りに生きて居らねば、魔コトの神々の出番は無かったのでござるぞ。悪魔を恐れるそのココロ、魔釣りでござるを知り居れよ。厄を祓うその心、悪魔の心と知り居れよ。

                          立日十

元つ話 611 現の世に被害者と申す者は一人も居らん

2013-03-17 Sun : 長谷章宏語録 
そなたらは、調和を乱した中で手に入れたその調和や平和を守ろうとして、調和や平和を乱すように見えるものを排除するゲームをして居るだけでござる。自らが調和や平和を乱しておいて、自らの持ち物を壊す者を責めると申すのは、いったい何を致して居るのでござろうか。自らのものなど何もないのでござるぞ。そなたの世界の元の元はこの方の産み生んだ資源、至善でござる。そなたが壊したものはすべて神のものでござるのぞ。調和を生きれば調和ができる道具にてござるぞ。そなたらが魔釣りのやり方で見事に壊した世界が今の世でござるのぞ。そなたらは、ここへ来てまで、まだ壊すと申すのか。調和だ平和だ平等だと申しても、一人一人の心の中は葛藤、戦いだらけでござろうが。人を責めて居るでござろうが。喧嘩をして居るでござろうが。悩みや病気があるでござろうが。武器を使った戦争もあるでござろうが。そのまま続けば全滅ぞ。神はその前にすべてを取り替えるから、そなたは身魂の掃除をしておけよ。掃除無き身魂はミロクには行けんぞ。

そなたが調和を乱すココロをもって居るから、眼で見て分かるように、葛藤や病気や戦争を形にして教えて居るのでござるぞ。そなたらが調和を乱す内の葛藤を持っておらねば、病気も戦争も形に成ることはないのでござるぞ。戦争や病気があるのは、そなたらのココロの型示しでござるのぞ。肉体を持ったそなたらは、形に見せねば気づかんでござろうが。形はそなたのココロの型ぞ。心の映しぞ。外の形を責めるは自らを、自らを責めるは神を責めることでござるのぞ。そなたが、自らは被害者でござると申すならば、自ら以外を加害者にするゲームになるでござろう。裁判所ゲームの究極は、自らが自らを滅ぼす世界丸潰れの運命が待っておるのでござるぞ。自らが損をする、壊れる、失敗するのを避けようとするそのココロが、そなたが既に調和を壊して居る証拠でござるぞ。自らが神のものを壊しておいて、自らを壊す者を裁くとは何事か。そなたがしたことが、そなたに返って来て居るだけでござるぞ。そなた以外の誰にも責任はござらんぞ。枠の中で全員が責任転嫁をすれば、最後は自分自身に返ってくるでござろうが。最後の最後はその枠を壊してしまって取り替えるのでござるから、堂々めぐりの責任転嫁ゲームは、そこまでで終わりでござる。全員が自らの責任を取る、真コトの平等でござるぞ。戦争を裁く、病気を避けるそのココロをやめることが、調和に戻す第一歩でござるぞ。そなたが調和乱した分、そなたが苦しみをもって責任をとる。+と-でゼロでござろうが。調和乱せば、偏れば、ゼロに戻すのが調和の仕組み。肉の身はこの方の貸しものでござる。肉体を自らの体じゃと申すその考えが、調和乱す基でござる。自分のものを壊された、壊したものが悪いのじゃと申すそなたのその理屈、その心が世界を壊した基でござるのぞ。

現(こ)の世に被害者と申す者は一人も居らん。そなた自身が悪いのでござる。そなたには外を責める資格は有り申さん。すべてのすべて、そなたがしたことがそなたに返って居るだけのことぞ。そなたがこれを認めねば、外を責めつづければ、そなたに返ってそなたが苦しみ続けるだけでござるぞ。そなたが何と申そうとも、すべてのすべてがこの法則通りに成って居るのでござるが、まだお気づきにならんのか。我(われ)は悪いことはして居らん等と申すその言葉が、調和乱した証でござる。真コトの調和と申すのは、内にも外にもただの一つの葛藤も争いもござらん。嬉し嬉しの世界のことでござるのぞ。戦争に反対するそのココロ、自分が危ないからやめさせると申すそのココロ、自分のものを壊した者を責めるそのココロ、そなたのそういうココロが世界の調和を乱して来たのでござるのぞ。いつまでも続けておっては調和も平和も自由も平等もござらん。ますます壊し続けるだけでござるのぞ。悪は至善に滅びるのぞ。滅ぼすのではござらんぞ。自らが自らを消すのでござるぞ。自らのしたことが自らに返るのでござるから、外を壊せば自らが壊れるのでござる。そなたらが世界を変えるのではござらん。この方が変えた世界にそなたが入るのでござるぞ。そなたから見れば、世界が変わるのでござるぞ。取り違いなさるでないぞ。外を操作しようとする者、悪を滅ぼそうとする者には次の世はござらんぞ。その態度が今今の乱れた世を創ったのでござるぞ。もうこれ以上壊さんでくだされよ。

                           立日十

元つ話 610 そなたらの内の戦いが口論、喧嘩、武器、軍隊、核兵器を創り出して居る元

2013-03-16 Sat : 長谷章宏語録 
自分を殺して人を立てるのは調和ではござらん。人を殺して自らを立てるのも調和ではござらん。自分も人も立てるのが調和でござる。自分も人もうまくいくのが天国でござるのぞ。そんなことができるわけはござらん等と申すそなたは、不調和の身魂でござる。善悪二元のそなたの眼では調和の神のミロクは見えんぞ。その態度を改めて行動せよ。そなたらは戦争を反対して居るが、武器を使わずとも、喧嘩をせずとも、内の葛藤が戦争そのものでござるのぞ。そなたらの内の戦いが口論、喧嘩、武器、軍隊、核兵器を創り出して居る元ぞ。そなたら一人一人の内の葛藤が外の戦争の素でござるのぞ。外の戦争の被害者と申す者は一人としてござらんぞ。全員が加害者でござる。自らが自らの加害者でござるのじゃ。戦争をして居る者を責める資格はござらんぞ。戦争犯罪人を裁く資格はござらんぞ。悪を裁くことが悪でござるから、悪人が悪人を裁いても無効でござる。ただの遊びでござる。善悪の法律には何の根拠もござらんぞ。そなたらは、人生はサバイバルじゃ等と申して、何でもかんでも戦って、勝手に自らを苦しめて居るのでござるぞ。この方から見れば、そなたら自らわざわざ戒律を創って、制限を創って、枠を嵌めて、苦し苦しの遊びをしておいて、自由にならんと申して戦いを挑み、自らが創りだした一人芝居の戦争の責任を人になすりつけて居る、大アホ集団の茶番劇でござるぞ。戦って居るから戦いが無くならんのでござるぞ。調和を乱す者は最後に勝手に潰れるから、そなたらがわざわざ戦って潰さんでも宜しいぞ。戦争を無くしたいならば、そなたの内の戦争をやめなされ。

相対二元の世界で人の上に立とうとする、人に勝とうとする、頂点を目指そうとするその心が、我(われ)善し自分だけ勝手の、調和を乱す基でござる。自からが生きる、安定する、生き残るためには人を落とす、負かす、消す必要があると申すのは、そなたが戦いのシナリオを生きておる証でござるぞ。戦争に反対するのはそなたが戦いをして居る証、戦争をやめさせれば平和になると思って居る、臭き悪魔の心でござるぞ。最後はそなたが滅びるぞ。人を落として上に立つ世界では全員が一番にはなれん。たとえ世界を征服しても、そなたの征服したその世界は後わずかで大掃除でござる。そなたが手に入れたものは、すべてこの方にお返し頂くぞ。モノカネどんなに集めても、全世界の肉の身を支配しようとも、そなたの身魂の掃除が無ければそなたはそこで消え行くぞ。枠の中の奪い合いをしておりては、いつまでたっても平和も自由も平等もござらん。一人一人の望むものを一人一人が交換で手に入れたらお互い自由でござるのぞ。今の世は奪い合いの世界、偏った世界、調和はござらん世界じゃから、このまま続けてももう元には戻らんから、最後の最後には世界を入れ替えて、始めから創り直すのぞ。今の物質の世は後少しで掃除でござるぞ。そなたが身魂を磨けば、そなたがしただけ返してくだされば、そなたの心が調和に戻れば、そなたは新しい世でゼロから天国を体験できるのでござるぞ。これからは、身魂の掃除の時間でござるぞ。いつまでも消え去るモノを集めても、そなたが消え去るだけでござるぞ。大掃除が始まるその前に、一人一人がミロクの民の態度を身につけておいてくれよ。

                        立日十

元つ話 609 今今のそなたらは生きる元がアベコベでござるのぞ

2013-03-15 Fri : 長谷章宏語録 
そなたらは、自ら滅ぶ魔釣りをいつまで続けるお積もりか。末は滅ぶ悪の中の戯れ言をいつまで申すお積もりか。いつまでやっても調和も平和も天国も自由も平等も公平もござらんぞ。そなたらは自らが消える滅びの坂道を下って居るのでござるぞ。上り坂に見えるのは、そなたらの曇った眼(まなこ)が創りだす幻想でござる。今の世のそなたらがして居ることは、この方の大きな目から見れば、すべてのすべてが、善悪創って至善を壊す、調和を乱す悪でござるぞ。魔釣りで壊したものを魔釣りで繕っても元の真釣りには戻らんぞ。魔釣りで魔釣りを魔釣り縫い、ますます魔釣りを進め行く。魔釣りで魔釣りの綻(ほころ)びを縫っても真釣りに戻れぬぞ。最後の最後に気づいても、もう掛け違えたボタンを元に戻すことはできんぞ。今ここでこの方が、ボタンを掛け違えて居るぞとお教え致して居るのでござるから、素直に掛け直してくだされよ。今今のそなたらは生きる元がアベコベでござるのぞ。今のままでは滅びの坂道ぞ。早う真釣りに戻ってくだされよ。そなたの内の戦いをやめなされ。この方はすべて許して居るぞ。罪悪感はいらんぞ。そなたの心を素直に生きれば、それが真釣りでござるのぞ。真釣りかどうかを問うのは魔釣りでござるぞ。いいのかどうかと問うから、善くないぞと申す魔釣りの者に引っ掛かるのでござるぞ。そなたが原因でそなたが騙されておるのぞ。誰のせいでもないぞ。そのまま行けばそなたにはミロクはないぞ。ミロクの出口は潰れておるぞ。嘘じゃと申す者は、誠か嘘かの二元の戦いをして居るぞ。誠は一つ。嘘はござらん。簡単なことぞ。そなたが苦しいのはそなたがしてきた結果でござる。辛抱が、真釣りに戻す、神成る修行でござるのじゃ。

自分で決められることを何故にこの方に聞くのじゃ。この方に聞くのは、この方に責任を着せて居るのと同じことぞ。この方はすべてを許して居るのぞ。殺人も窃盗も強姦も横領も戦争もすべてのすべてを形にしておるぞ。そなたらがしておる真釣り外しをお知らせする為でござるから、この方のことを悪魔じゃなどと勘違いなさるなよ。そなたらの身魂は生き通しでござるのぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しものでござるぞ。真釣りに戻れば、そなたには死はござらんぞ。そなたには危険はござらんぞ。肉の眼から見れば、死や怪我や病気と申す状態があるだけでござるぞ。そなたらが申す失敗と申すのは、そなたが思いをそなたの時間で区切った枠のその中で、そなたの計画、そなたの思った形通りにならんことでござる。そなたは身魂でござるぞ。やりつづければ成功しかないのぞ。そなたには何の危険もござらんぞ。現(こ)の世は、そなたが肉の服を来て演じて居る神芝居でござるのぞ。元は自由の世でござるのぞ。何故に他人のすることを邪魔なさるのか。何故に自らのすることを邪魔なさるのか。何故に他人の申すことを批判なさるのか。何故に起きて居らんことを理由にやめさせるのでござろうか。そなたが真釣りに居れば、そなたには死も危険もござらんぞ。魔釣りに居れば、どんなにさけても危険が来るぞ。肉体から見れば危険になるが、身魂には死はござらん。自らの真釣り外しの清算でござるから、避ければ魔釣りが進むだけでござる。人が人のすることを邪魔する理由は一つとしてござらんぞ。そなた自らの勝手なご都合で、そなた自らの勝手な理屈で、人の掃除の邪魔をするのはやめなされよ。

そなたが肉の身でどうなろうと、そなたはこの方の中でござる。そなたらは何を以って悪と申しておるのか。悪と申して、悪を裁くから自由も天国も無くなったのでござるぞ。自立する者に不都合が出るのは当たり前。自ら決めたことを自らの責任で行ってみよ。それがミロクの民の生き方でござるぞ。自ら以外の責任にしないと申すことぞ。自らの内を判断致すなと申して居るのぞ。結果がどうなろうとそなたの思うままに生きてみなされ。そなたに善悪なければ、できないと申すセリフはそなたにはござらんぞ。ここでできない身魂はミロクの民としては失格でござるぞ。人間とはヒトになる間の身魂のことでござるから、そなたらは人間失格でござるぞ。掟を乱す犯罪人の説教を聞く者はもうだれも居らんぞ。犯罪人同士の足の引っ張り合いの茶番劇はもうやめなされ。調和を乱して居る者が、調和を乱す者を裁いてもただの戯れ言でござるぞ。調和を乱すと申しても、そなたらの思って居る調和とは違うぞ。そなたらは、調和を乱した今の世で、恐れや弱みをつっつき合って、脅し合って、コントロールし合って、制限し合って、自らだけが安定しようと、自分だけ善しで人を脅し、人の気持ちを考えると申して自分を殺して意見を言わず、人のわがままに合わせて混乱を避けた積もりになって、善悪の世界だけの表向きの調和や平和を創り出して居るだけでござるぞ。人を説得するのも、人の説得を受け入れるのも、コントロールゲームでござる。脅す方も脅される方も同じゲームをして居るだけぞ。我(われ)善しの、調和を乱した世をますます進めるだけでござるぞ。お互い様でござる。自業自得でござる。どっが悪いかと申すなら、両方悪いのでござる。お互いに自ら自身のせいでござるから、今の世でも責任転嫁や争いがあるのはオカシキことでござるのぞ。自らの真釣り外しを知らん者ばかりであるから、今の乱れた世と成ったのぞ。自分勝手な者の気持ちを考えて自らの正直な気持ちを言わぬなら、自分勝手の世を許すことになるぞ。

                           立日十

元つ話 608 あなたが体験しているトラブルはすべてあなたが解決できる

2013-03-14 Thu : 長谷章宏語録 
 あなたにはもともと悩みは存在しない
 私はあなたに何も強制はしませんが、その代わりに、あなたが本当に正直にならないと、私の情報はすぐなくなります。あなたがいらないならば、すぐに引っ込めますから。今までのように、「もしかしたら助けてくれるかもしれない」「迷っていれば待ってくれるかもしれない」という期待は通用しません。あなたは、本来迷う必要はないのです。今までの生き方では、迷う時間の方が圧倒的に多かっただけです。
 自分の欲しいものを確実に手にしていく生き方や方法、態度を癖にしていくためには、「直感を即行動に移す」という行動を訓練する必要があります。あなたが、あなたの欲しいものを手に入れていくために、いかに無駄な時間を使っていたかということを見てください。迷っている間はあなたはどっちつかずの状態で止まっているのです。あなたのために大切な「行動する」ということをしていません。その時間は本来、必要ないものなのです。「時間がない」のではなくて、あなたがほんとうにしたいことをする時間を、あなたが自分で無くしていたのです。
 あなたに提供された情報をどう料理し、何を見つけ、どう応用していくかは、すべてあなた自身に任されています。あなたを援助するために私が使う方法は、すべて実際に効果を確かめてあるものばかりです。そして、そのプロセスでの障害を乗り越えていくための援助は、あなたが本当に欲しいとき(想像の世界ではなく、あなたが実際に行動して壁にぶちあたって動きが取れなくなったとき)だけに、あなたのために有効なものになります。つまりあなたが本当に欲しいときだけ、私の情報があなたに有効に作用するのです。
 あなたにはもともと、問題というものは一つもありません。あなたが一つのものから質問を分離して、その答え(解決する方法)を、「これは絶対に違う」「これは不可能だ」「これはありえない」「これはできない」「これは無理だ」「これをしたらおわりだ」と言って、自分で排除しているだけです。「質問」と「答え」が一つになったときを「解決」というのです。
 「質問と回答」というのは、あなたが分けたものをくっつけるゲームを、あなたの外側でやっているだけなのです。「知識」と言われるものが答えになる「質問」をしたときには、それはあなた以外の創りだしたものですから、「知っているかどうか」という問題であり、それは「調べれば分かること」です。「どのくらい名前を知っているか」「どのくらい人が創ったものを知っているか」を調べるのが「学力試験」というものです。あなたの人生において必要かどうかは別にして、そのゲームを完璧に近くやり遂げた人を「秀才」というのです。
 あなたの人生の答えは、すべてあなたが持っています。あなたの人生の答えは、「智慧」というものです。あなたの人生の質問にスムーズに答えるには、あなたが持っている「智慧」をいかにスムーズに引き出せるか(肉体のイメージとして感じられるか)ということにかかっているのです。「智慧」を引き出す道具を「直感」というのです。「直感」を認めてないならば、あなたは自分の人生を自分で放棄しているのと同じことになります。あなたが自分の「直感」に従って次々に行動に起こしていったとき、最も早く、あなたの欲しいものが手に入るのです。本当に望んでいる人生を生きたいならば、人に文句を言ったり、人に頼ったり、人を気にしたりしている暇はないのだということです。
 本当は、あなたが体験しているトラブルは、すべてあなたが解決できるのです。今までは、あなたが、解決を誰かに任せることができると思い込んでいただけです。その結果、誰かに任せたつもりになることで、思いどおりの成果が出ないときに、文句を言ったり、責任追及をしたりする逃げ道をつくっていただけです。あなた以外にあなたの人生に対して責任を負える人はいません。どんな問題も、どう解決していくということを、様々な情報を参考にして、すべて、あなた自身が決めるのです。私は、それをお手伝いするだけのことです。
 私が、あなたの問題についてどうこうできるものではありません。私が、あなたに何かさせようとしてもできません。あなたがすることを決めない限り、あなたは動かないのです。本当は、あなたが問題だと思っているものは、あなたが問題にしているだけのことです。あなたの悩みは、あなたが自分以外のものを選ぼうとしているときに創られるのです。あなたが自分自身の答えを正直に受け入れたとき、それは見事に解決するのです。

 すべての情報はあなたの意思で選んでいる
 どの情報も絶対的なものだと思わないでください。あなたが使いたくなければ、信じたくなければ、それで結構です。あなたの、自分自身の素直な気持ちを優先してください。常に、自分の直感に答えを聞いてください。どうするかは、あなたの自由に、好きなようにしてください。あなた自身はどう言っているか、その自分自身の声を聞いてください。あなたが、批判したければ、そうしていただいても結構です。ただ、その時のあなたは、私に影響されていることになります。あなたの人生が、私の行動によって左右されることになります。その現実にずっととどまり、そのフィーリングを感じつづけることになります。私の情報が間違っていると証明するまで、あなたは自分のことができません。あなたの持っている問題は、解決しないまま存在しつづけることになります。
 あなたが何を選ぼうと、私には一切関係ありません。あなたが何をしようと全く影響はありません。あなたが、何かを批判するとき、自分の正しさが崩れるのを恐れているだけなのです。あなたが、何からも完全に自由になったとき、議論は意味がなくなります。あなた自身が出した答えが、唯一あなたの結論になりますから。
 あなたが何か自分が弱みだと思っているものを持っていると、あなたは人の言うことを聞くという行動を選ぶことになるかもしれません。たとえ、あなたが誰かに「させられた」ように思えても、実は、あなたがそうすることを決めているのです。あなたは、持っているものを失いたくないから、その人の言うことを選ぶことにしたのです。あなたがそれを手放せば、誰の言うことも聞く必要はなくなります。あなたが選んだもので、あなたのシナリオ、あなたのプログラムが構成され、それを実行することになるのです。
 あなたの意識の中で行われている会話は、すべてあなたの意思で変えることができるのだということを覚えておいてください。そして、それができるのは、あなたしかいないのだということです。それと同時に、あなたが誰かの意識をどうにかしようしても、それは無駄な努力だということです。あなたが欲しいものを手に入れるためには、自分の中の枠や境界を外す努力をすればよいだけです。あなたの夢を実現するのにコントロールする必要はありません。あなた以外の人は、あなたの協力者になりうるだけなのです。

                          アキヒロ

元つ話 607 「不備のあるシステム」を何千年にも渡って使いつづけてきた

2013-03-13 Wed : 長谷章宏語録 
 あなたの悩みはあなただけが解決できる
 あなたが今ここで持っている悩みも、視点を変えることで、不思議なくらい楽になります。今までうまくいかなかったことが、視点を変えることで、不思議なくらいうまく回りはじめます。それまでのあなたから見れば、「偶然」や「奇跡」と言われている出来事をたくさん体験しはじめます。ストレスを感じていた人も、嘘のように感じなくなります。病気がちだった人が、不思議なくらい病気をしなくなります。心穏やかに、自由になっていきます。
 あなたが、今まで苦しんでいたのは、誰かの言ったことを、自分の声を無視してそのまま受け入れていたからです。「友人」も「恋人」も「親」も「先生」も「カウンセラー」も「精神科医」も「人生の先人」も「歴史上の名著」も、誰であろうと、あなた以外の人に、あなたの悩みは解決できません。その人の意見は、あなたに、悩みを解決するためのヒントを提供できるだけです。あなたに強制するかのような態度の場合は、要注意です。あなたは、それをすべて情報として聞くだけにしてください。決してそのまま受け取らないでください。
 「あなたの人生についての最も偉大な専門家は、あなたの自身」なのです。あなたの人生のすべてを知っているのは、あなたという学者だけなのです。そのあなたの研究成果だけが、あなたの人生の唯一の指針なのです。どんなときにも、最後の決定はあなたがするのだということをしっかりと覚えておくことです。あなたの人生の「天の声」「鶴の一声」は、あなた自身だけにしか発することはできないのです。誰かに相談するというのは、あなたの内側の声を、その人の声を通して確認するというだけのことです。その人が何を言おうとも、選ぶのはあなたです。どんなときでも、それをしっかりと覚えておくことが大切です。
 本当は、皆がお互いにこれを理解して行動していれば、トラブルという状況は起きるはずがないのです。どんなシステムでもそうですが、人生のプログラムにおいても、トラブルや矛盾があるということは、そのシステムが偏っている(不備がある)ということを教えているのです。「作り替えるのが大変だ」「作り替えるのは面倒だ」「作り替えるなんて不可能だ」と言って、そのまま使い続けている限り、問題を創りつづけるだけです。人間の歴史というのは、「不備のあるシステム」を何千年にも渡って使いつづけてきた結果なのです。そのシステムの創りだす問題を解決するシステムが他にあるのです。それに切り換えない限り、いつまでも同じ歴史が続きます。
 今までの方法では、あなたの自由に、楽になりません。常に、何らかの問題を抱えつづけることになります。あなたが楽になる方法というのは、あなたが「罪悪感」をすべて手放したときにやって来ます。あなたが、「100パーセント自分勝手をしたとき」、「正直に自分の提供する『解決方法』を実行できたとき」に、あなたのストレス、悩みは一つ残らず解消します。
 「そんな夢みたいな方法があるわけがない」「そんなことはできるはずがない」「人に迷惑をかけてまでそんなことはしてはいけない」という、あなたがあなたに課しているその見方が、自分が苦しみ続けている原因なのです。そういう見方をするのが、今までのシステム、今までの宗教なのです。あなたが生きるべき本当の人生というのは「苦なくて楽のみ」なのだということを覚えておいてください。あなたがあなたの中で創っている枠が、あなたの創っている境界が、あなたのストレスや悩みを創りだしているのです。それを取り去ることができるのは、あなただけなのです。
 私は、あなたに対して、直接何かをすることはできません。あなたの悩みやストレスというのは「あなたの意識の部分」が創りだしている結果だからです。あなたの意識を操作できるのはあなただけなのです。そして、私にはあなたを変えてやろうという意志も全くありません。そういうことはできませんし、私も自分の人生を生きるのに忙しいのです。もっとも、あなたが援助が欲しいときは、いつでも歓迎しますが。
 私も含めて、あなた以外の人は、あなたが、悩みやストレスを解決するためのお手伝いができるだけです。あなたが、その気になったときだけ、あなたが欲しいときだけ、お手伝いができるのです。あなたがいらないというものを、無理やり押しつけることはしません。
 「学校教育のトラブル」を解決する鍵は、どうもこのあたりにありそうです。「平等」という名のもとに、「必要でないものを必要でないときにみんな一緒に強制的に与える」という大きなシステム(教育の原理)を見直さない限り、表面上のシステムをいじくっても、結局、別の問題を創り出すだけなのです。そして、それは社会全体のシステムについても言えることなのです。社会という幻想を創り出す「大きな宗教」を見直さない限り、大きな変革は望めません。

                        アキヒロ

元つ話 606 「宇宙」はあなたの注文どおりのもの

2013-03-12 Tue : 長谷章宏語録 
 目の前の出来事について議論は必要ない
 あなたが現実だといっているものは、「あなたが信じているもの」を見ているのだということをよく覚えておいてください。「宇宙」は、あなたの注文どおりのものごとを見ることができるように創られています。あなたは自分が見たいものだけを見ることができます。あなたの中にしまってあるすべての真実を見ない限りは、あなたは何らかの苦しみを味わうことになります。「宇宙」は安らぎの世界です。でも、あなたには、何を体験するかという自由意志があります。あなたが「苦しみ」を選びたいときは、あなたが好きなだけそれを体験できるのです。それはすべてあなたが選んでいることなのです。あなたがそれを認めて、あなたが別のものを見ようとしない限り、その体験は、永遠に続いていくことになります。
 あなたは、常に自分に都合のよいものだけを見ようとしています。すべての出来事には決まった意味というものはありません。あなたが、賛成反対の議論をしているとしたら、あなたはどちらか一つの決まった意味だけを見ていることになります。あなたに反対する意見が存在するということは、もう一つの見方があるということを示しているのです。片方の見方だけが真実だと言っているならば、あなたは物事の本質を見逃していることになります。単に、自分の意見に抵抗するから腹が立つ、というだけならば、それをやめることです。目の前の出来事についてはどんな見方でも自由にできるのです。「正しいと証明すること」も「インチキだと証明すること」もできるのです。「パラドックスが現れたときに、そこに真実を見る鍵がある」のです。すべてを中立に見られるようになったとき、すべての意見を許せるようになったとき、あなたの中から一切の議論、争い、怒りは綺麗に消えます。同時に、あなたはそういう現実を実際に体験することもなくなり、永遠の安らぎと平和の中でくつろいで生きていけるようになるのです。
 これは理想でも宗教でもなく、真実のところの話です。実際のところ、あなたが議論しているときは、ほとんどの場合、何らかの都合で、「自分の正しさ」を人に認めさせようとするゲームをしているに過ぎないのです。そこから、自分がどんな体験をすることになっているかを見てください。それはすべてあなたが選んでいるものなのです。


 目の前の情報をどう使うかはあなた次第
 私は、「あなたに情報を提供するだけ」です。あなたの外にあるものは、すべてただの情報に過ぎません。そして、あなたの内側から聞こえる声、あなたの心の声も、ただの情報です。それをどうするか、何を真実とするか、何を信じるか、何を選ぶかは、あなたの自由です。何を、いつ、どこで使うかも、すべてあなたの自由です。私にも、他の誰にも強制はできません。強制しようとする人もいますが、それをどう扱うかはあなた次第です。ここにある情報も、私という人間がいることも、一つの情報にすぎません。それを使うかどうかは、すべてあなたが決めればよいことなのです。必要ないならば、無視してもらっても、バカにしてもらってもいっこうに構いません。あなたがしたいようにすればよいのです。「するな」「やめろ」と言っている人も、もっともらしい理由をつけて、実のところ、「やめさせる」という自分のしたいことをしているだけなのです。
 あなたの生き方は、あなたしか決められません。あなたが人に頼っているときも、最後に決めるのはあなたです。あなたが気づいていたかどうかは知りませんが、今までも常にそうだったのです。今までは、自分に都合が悪い結果を人の責任にしていただけです。あなたが、今ここで確認しておくことは、「自分がすべてを決めているのだ」ということと、「すべての結果は自分の責任なのだ」ということです。私は、あなたが望む人生について考える上での参考として、「こういう情報がありますよ」「あなたが望むなら、いつでもお手伝いしますよ」と、お知らせしているだけです。あなたが自分の人生を効果的に変えていくために、あなたが持っている情報に一つ加えていただくだけでよいのです。それをどうするかは、あなたがあなた自身と相談の上で、あなたがあなたのためにあなたの責任で自由に決めてください。
 あなた以外のものは、あくまでも、あなたが困ったときの助け船です。すべて、あなたの要請で出動し、あなたが必要なときに、あなたが必要なことだけを提供してくれているだけなのです。あなたが以前、「全く関係ない」とか「くだらない」と言って見過ごしていたことが、ある時はあなたがいちばん気になることになっている、ということがたくさんあります。まさに、「気になったその瞬間が、あなたに必要な時」なのです。そこにある情報が何かを教えてくれているのではなく、あなたがその情報を自分の必要に応じて自分の道具にしているのだということです。あなたが気になることというのは、その時のあなたの欲しいものを教えてくれているのです。あなたの周りの情報を批判的に見るのではなく、その情報がどう見えるかという見方で、あなたの中にある欲求とか、あなたが許していないものとかを見るためのあなたの鏡として使えばよいのです。
 あなたが反対しているときは、それ自体が悪いのではなく、あなたがそれを許していないということです。あなたは(意識の中で)それを二つに分けているのだということになります。その境界を外したときに、あなたは自由になるのです。そうでなければ、それが出てくるたびに、あなたは心地悪い感情を感じつづけることになるのです。
 あなたが楽になりたいならば、あなたの中の「よい」「わるい」を一つにすることです。すべてを中立に見ることです。賛成反対という分け方を、「別の視点から見た見方」という風に見ることです。あなたがどの見方を選ぼうともあなたの自由ですが、すべての見方は、一つのモノを別の視点で見ているだけなのだということを知っていてください。あなたが分けている部分が、あなたの苦しみを創りだす原因になっているのです。

                          アキヒロ

元つ話 605 今この瞬間の自分自身の声を聞く

2013-03-11 Mon : 長谷章宏語録 
 新しい生き方を始めるあなたに一言
 この生き方では、「フィーリング」「感情」「エネルギー」という視点を重視します。そして、今までのあなたに起きた出来事、これから起きるすべての出来事を、「自分の行動の責任は、すべて自分にある」「自分の感じるフィーリングは、すべて自分が創り出している」という見方で見ていくことになります。これが、トラブルを創り出さないための唯一の方法なのです。
 このプロセスでは、一人一人に合わせたプログラムを、マイペースでこなしていくことになります。あなたのプロセスに応じて、あなたが十分に処理できる分量だけ、無理しない程度に、あなたが受け入れられる部分だけ、少しずつ、変えていけばよいのです。どのくらいのスピードで進むか、どのくらい早く手に入れるかは、あなたの姿勢、自分の今までの制限や固定観念をすべて外すのだ、という意志の強さ(コミットメント)にかかっています。すべては、あなたの態度次第できまるのです。だれも強制はしません。だれも邪魔できません。すべては、あなたがあなたの自由意志で決めていってください。あなたの周りの様々な情報や方法は、あなたの観念を変えるための道具に過ぎません。どう使うかは、あなたが決めればよいことです。そして、私は、あなたが選んだ行動を実現するための援助ができるだけなのです。
 あなたが、今までの生き方を転換するには、多少のリスクを伴います。なぜならば、今まで慣れ親しんできた生き方、いわば、あなたに染みついている「生き方のくせ」を別の「くせ」に変えていくことだからです。実際は、今までの生き方をしているあなたから見ると、持っているものを手放す、自分がいなくなるような不安を、リスクとして感じられるということです。この生き方に慣れるにしたがって、リスクとして感じなくなってきます。制限を感じることが少なくなり、勇気を使う必要がある場面がだんだん減ってきます。今までの生き方が、あまりにも染みついているため、変えたつもりでも、知らないうちに前の生き方に戻っている、そんな体験をたくさんすることになると思います。
 この生き方、この方法では、特に、効果の現れ方や起きる出来事は一人一人みな違うのだということを覚えておいてください。あなた以外の人に起きている表面上の出来事、周りの反応は、あなたに一切関係ありません。あなたは、自分の中で起きている自分自身の会話だけに注意を向けていてください。今までの価値判断は一切手放してください。あなたが、今まで避けていたような行動を取った時、表面上は否定的な意味付けをすべて肯定的なものに変えていくこと、それが、自分の人生を取り戻していくために、今までの生き方から自由になるための鍵なのです。あなたが「否定的に見ている」と永遠にそういうモノが見えます。あなたのシナリオから、一切の制限を取り去ったときに、あなたは天国にいるのです。

 あなたを制限するのはあなただけ
 今までの生き方を続けている限り、あなたは、今までの現実、今感じているフィーリングを感じつづけることになります。今までの生き方は、「その現実があるからできないのだ」「(それが真実だという証拠を)見たら信じる」という生き方です。その枠を外さない限り、その制限をやぶらない限り、それをシナリオに組み込んでいる限り、あなたの人生は変わりません。今まで「その」生き方で生きてきて、「その」モノの見方・考え方で行動してきた結果が、今のあなたが見ている現実、感じているフィーリングとして現れているのです。
 あなたが、自分の創りだしている現実を、自分が行動できない理由にしている限り、あなたは、枠の中で堂々巡りをし続けるだけなのです。あなたの外には、何も枠はありません。すべての制限、すべての枠、すべてのできない理由は、すべてあなたが創っている想像上の産物なのです。あなたが、何かの理由で、それを創る必要があったというだけです。
 あなたが、あなた自身のすることを許すだけで、あなたが自由になります。あなたの制限は、あなたが創ったのです。あなただけが、それを消すことができる唯一の人です。あなたを制限する唯一の制限はあなただけです。あなたの枠や境界は、あなたが創りだした想像上の産物なのです。
 あなたが、あなた自身のすることを許すだけで、あなたが自由になります。あなたの制限は、あなたが創ったのです。あなただけが、それを消すことができる唯一の人です。あなたを制限する唯一の制限はあなただけです。あなたの枠や境界は、あなたが創りだした想像上の産物なのです。
 あなたの人生のプログラムは無限にあります。あなた自身が、何をいつどこでどうやって実現するかをすべて決めているのです。いちばん楽に、トラブルなく、あなたが欲しいものを手に入れられる方法もあるのです。それが、「今この瞬間の自分自身の声を聞く」ということです。あなたという意識は、初めから、天国のプログラムを持っているのです。それを一つ一つ実行していくだけで、必ず、天国を体験できるのです。

                         アキヒロ

元つ話 604 苦しくなったときはあなたが何かにこだわっている

2013-03-10 Sun : 長谷章宏語録 
今まで避けていたことを行動することであなたは自由になる
 私は、あなたに、これからの新しい時代(「ニューエイジ」)を最高の自分で生きるため、人生をエンジョイするため、そして、新しい、いや今まで忘れていた自由な自分を感じられるようになるために、自分以外のものに影響されずに自由自在に自分の人生を創りだしていけるようになるための様々な新しい情報を提供できればと考えて、この本を書き始めました。そして、あなたがそれを実行する(「新しい生き方」に切り換える)プロセスにおいて生じてくる様々な「混乱」「悩み」「迷い」「疑い」を解決していくための援助をする準備も完了しています。
 私が持っている情報は、すべて、あなたが今まで抑えていた自分を解放するために有効なものばかりです。言わば、科学的に実験済みの「自分を完全に自由にするための宗教」「この世の天国を創るための宗教」なのです。私の情報を信じて使ってみようとするか、バカにして無視するかは、あなたの自由です。ストレス解消の酒の肴に使っていただいても構いません。あなたがこの情報をどう料理するかは、あなたの責任で、あなたが自由に決めてください。
 もし、あなたが、自分もやってみようと決めたならば、今まであなたが大事にもっていた体面も、立場も地位も名誉も財産も、すべて手放す覚悟をすることが必要です。そして、自分で責任をとるということについて理解した上で、自分に100パーセント正直になって行動してください。あなたが今まで見ないふりをしていた内側の自分を正面からすべて見てください。あなたがあきらめていた部分を行動してください。
 そのプロセスで起きることは、必ずしも、楽しい出来事ばかりではありません。何せ、あなたが今まで避けていたことをすべて実行するのですから。でも、あなたが本当に自分の欲しいものを手に入れることを決めたならば、そのプロセスで起きる様々な体験は今まで感じていたような苦しみとは違ったものを感じさせてくれるはずです。そして、様々な体験の中でたくさんの学びがあり、たくさんのプレゼントを手に入れることができます。今までの自分では考えられなかったようなたくさんの新しい出会いや、たくさんの奇蹟を体験していきます。「奇跡」は奇跡でなかったことに気がつきます。そういう体験を繰り返しながら、一歩一歩自分の夢に向かって歩んでいることを体験していくでしょう。
 ここでは、常に起きることを肯定的に見ていくことと、決してあきらめないことが大切です。どんなに八方塞がりに見えても、必ず出口があるのです。あなたが何かに執着しているとき、それが見えません。苦しくなったときは、あなたが何かにこだわっているのだと思ってください。あなたが、答えをわざわざ二つ以上創り出しているのです。あなたがどうしたいかというのは一つだけです。でもなぜか、もう一つ答えを見つけてしまったのです。そのもう一つの答えに合わせている焦点を本当の答えのほうに戻すことができるかどうかということが、この生き方のポイントです。
 あなたが焦点を合わせる答えはたった一つです。本来は悩んだり、迷ったりする必要はないのです。ストレスも悩みも、すべてあなたが自分で創っているのです。あなたが本当に正直になっているとき、答えは一つだけしか見えません。「宇宙」というのはそのくらいシンプルにできているのです。「そんなに簡単に考えてはいけない」「そんな簡単なわけはない」というのは、複雑な世界を創りだしてきた人間から見たときの見方です。たった一つの「宇宙の法則(あなたが与えるものが受けとるもの)」に従って、すべてのモノが創り出されているのです。ほんとうにすべてが見事なほど単純にできているのです。それを発見したときは、少し驚くかもしれません。「こんなに簡単に考えてよかったのか」と拍子抜けするかもしれません。
 私も、3年間に渡ってそんな体験を繰り返しながら、今この瞬間、自分の本当の人生、自分の夢の世界に立っているのです。そして、そこから学んできた様々な成果をこのような文章の形であなたの目の前にお見せしているというわけです。

                         アキヒロ

元つ話 603 内面の行動範囲が大きく作用する

2013-03-09 Sat : 長谷章宏語録 
あなたは自分流のお話を創って理解しているだけ
 あなたが、話しているときに、相手が「理解できない」「分からない」と言ったときは、あなたが「難しいことを言っている」のではなくて、相手の中でイメージを創れないということです。あなたは、文章を読んだり、話を聞いたりしたとき、その文章や言葉を聞いているのではなく、その文章や言葉を映像に置き換えて「理解」しているのです。あなたがどのくらいたくさんの言葉を映像に置き換えることができるか、あなたがどのくらいたくさんの冒険をしているか、どのくらい自由に発想を広げられるか、ということが、あなたの「理解度」を決めるのです。私の文章がすべて理解できるという人は、かなり冒険をし、かなり自由に想像することができる人です。小学生が大学の授業を聴いても、ほとんど「わからない」というのが本当のところでしょう。それは、小学生と大学生の行動範囲、冒険、体験の違いなのです。
 物事を理解する上では、表面上の行動だけではなく、内面の行動範囲が大きく作用します。文章を読んだり、話を聞いたりしても、すべてをイメージ化しているわけではなく、自分の都合のよい所だけを切り貼りして、勝手に編集して、自分流のお話をつくって、分かったつもりになっていることが多いのです。そして、あなたがほとんどイメージ化できないとき「わからない」ということになるのです。それは、あなたの側の問題で、文章を書いた人や話をしている人の責任ではないのです。
 すべては、あなたが自分のイメージの世界の映像を見ながら、あなた流の見方で解釈し、その結果を言葉や文章で表現しているだけなのです。お互いに自分の守備範囲で、自分勝手に、分かったつもりになって安心しているだけなのです。そして、わからないとなると、「もっと分かりやすく言え」というわがままを言って、相手の責任にして当然のような顔をしているのです。難しいならば、あなたが読むものを変えればよいだけです。あなたがもっと行動すればよいだけです。
 あるところでは分からなくても、別のところで別の表現を見たときに分かるということもあります。いずれにしても、あなたの前には、一つとして同じ情報や無駄な情報はないということを覚えておいてください。そういうものがあるとすれば、あなたがそういう風に決めているだけです。
 すべてはただの情報に過ぎません。あなたがそれをどう見るか、どう解釈するか、自分が欲しいものかどうかによって、どうにでも見えます。「モノを見る」というのは、あなたの「イメージの中で処理した、自分流の映像を見ている」ということをしっかりと理解しておいてください。
 あなたが誰かと話しているときも、会話が成り立っているようで、実は、相手の話を自分流に解釈して、その自分と話をしているということです。「海の話」をしているとすれば、お互いにイメージしている海は違うかもしれません。細かいところをどんどん見ていくと、全く違う海について、あたかも、共通した海であるかのように話していたのだと気づくかもしれません。初めは同じような考え方の人だと思って仲良しになることを選んでいたけれども、細かいところまで見ていくと、実は全然違っていた、ということもあるのです。わざとそういうフリをするということもできます。表面上の表現の形は、必ずしも、その人の内面の形とは一致しないのです。すべて、あなたが勝手に解釈して、信じているだけなのです。人間というのは、そのくらい「ファジー」な、「いい加減な」「自分勝手な」生き物なのだということを知っておくことです。「自分勝手なことをするな」「迷惑かけるな」などとは、もう二度と言えなくなります。
 「理解度」と年齢とは関係ありません。長く生きているから経験が豊富だということではありませんし、同じ年齢だからといって同じものを理解できるというわけではありません。あなたが欲しいもの、知りたいものならば、どんな難しそうに見えることでも、文句一つ言わず、一つ一つ自主的に学んで、簡単に理解してしまいます。あなたが欲しくない、知りたくないならば、どんなに簡単なことでも、学ぶ気になりません。「レベル」「難易度」「評価」「学年」「年齢」「カリキュラム」「個人差」「平等」等々の意味をもう一度考え直してみる必要がありそうです。

                        アキヒロ

元つ話 602 自分自身を裏切る人生はもう終わりにしたらいかがでしょうか

2013-03-08 Fri : 長谷章宏語録 
新しい時代を生きるあなたへ(1)

 さて、これから後は、あなたが実際に「新しい生き方」を行動に移していくために参考になる情報について書いていくことにします。重複する部分もありますが、毎回違う気づきがありますので、復習のつもりで読んでみてください。

 人生はもっと楽しく遊べるもの
 この本のすべてを通して私が提案していることは、「人に自分を良く見せるための人生、人に自分の正しさを証明するために自分自身を裏切る人生は、もう終わりにしたらいかがでしょうか?」ということです。あなたは、あなたの望む人生を自由に生きることができるのです。もっと楽に、もっとゆったりと、もっと楽しく、もっと安全に、もっと自由に人生を選ぶことができるのです。文字通り、人生を「遊ぶ」ということです。
 あなたの人生は、あなたという意識が「物質の世界(物理次元)で遊んでいるゲームです。今までのあなたは、「してはならない」というゲームを遊んでいただけです。あなたがどうやって遊ぶかは、あなたのシナリオで決まります。そのシナリオを創る素を「宗教」というのです。「宗教」というのは何も特別なものではありません。ゲームのルールも「宗教」の一つです。「宗教」というのは、人生を遊ぶためのルールとでも思えばよいのです。
 あなたの人生に、義務も強制も何もありません。あるとするならば、それ自体もただのルールです。そのルールを制限があるものだと感じるならば、あなたは制限のドラマを演じることになるのです。あなたが自由に遊びたいならば、それに見合ったシナリオを創ることが必要です。子供が自由自在にルールを取り替えて遊んでいるように、やりたいように自由に遊んでよいのです。
 テレビ番組のように、楽しく自由に遊んでよいのです。テレビ局のスタジオで遊ぶか、劇場の舞台で遊ぶか、あなたの家で遊ぶか、どれも同じことです。あなたが子供だろうと大人だろうと男だろうと女だろうと何歳だろうと「意識のあなた」には関係ないのです。あなたがどんなに「仕事」「遊び」「現実の人生」「ゲーム」と分けたとしても、あなたという永遠無限の意識から見れば、どれも同じ遊びなのです。そんなに真剣にならなくても、あなたは好きなだけ何回もやり直しができるのです。あなたに「おしまい」はありません。もっと自由に自分の人生を遊んでみてはいかがでしょうか?
 この本の中には、人生を遊ぶためのたくさんのヒントがあります。そして、もしあなたがお望みならば、「新しい生き方」を具体的に実行していくための、人生を遊ぶための様々な方法やアイデアを、あなたに直接提供することも可能です。お入り用の節は、ご自由にお声をおかけください。

 人生に「退屈なこと」というものはない
 あなたが同じように見えるものでも、あなたがそう見ているだけで、それ自体は全く同じではありません。そこには、毎回違う情報が含まれています。「同じ人」に会ったり、「同じ所」に行ったりしても、それは毎回違う人であり、違うところなのです。あなたの周りにあるものは、一瞬たりとも同じ状態ではありえません。もちろん、あなたもそうです。あなたが「同じだ」と見ているから、同じに見えているだけです。その結果、「退屈だ」「何かいいことないかな」「おもしろいことないかな」と、自分の外側に何かを探すことになり、テレビとか、遊園地とか、ファミコンとか、競馬とか、マージャンとか、そういう遊びを創り出したのです。
 「必要な人がいれば、創る人がいる」「必要な人がいれば、ビジネスになる」のは当然の理屈です。「ファミコン」や「ギャンブル」が悪いわけではないのです。必要だからそこにあるというだけのことです。そのシナリオで、その「宗教」でゲームをしているから、それが必要になったというだけです。そこにあるもの、起きたことを「悪いこと」と決めつける前に、自分たちがしているゲームのシナリオの方を点検してみてください。
 シナリオが変われば、ゲームも変わります。「皆が楽しめるゲーム」や「良いことだけのゲーム」もできるのです。「退屈なこと」や「無駄なこと」があるのではなく、「退屈な人」や「無駄だと思っている人」がいるだけなのです。あなたが特定の何かにこだわっているとき、期待しているとき、決めつけているとき、そういう状況になるのです。
 あなたの人生にあるすべての道具は、あなたの料理の仕方でどうにでもなります。あなたが、「過去」や「未来」の想像の世界にいるとき、目の前にあるたくさんの材料は、ほとんどあなたの役には立ちません。目の前に、どんなにすばらしいものがあろうと、自分が欲しいものがあろうと、遠くをみていることで、一生それが手に入らないということもあるのです。
 「灯台もと暗し」あなたが、あなたの足元、あなた自身に光を当てようとしない限り、あなたが本当に欲しいものを手に入れることはできないでしょう。あなたがどのくらいアンテナを張りめぐらしているか、あなたがどのくらい見えるものの本質を見ているか、ということが、あなたが自分の望む現実を体験するために大切なことなのです。何かを見るときに、あなたの先入観を一切手放して見ることを心掛けてください。そういう訓練をしていくことで、少しずつ、あなたが今まで見過ごしていたものを見ることができるようになっていくのです。

                          アキヒロ

元つ話 601 自分が地球の核心とつながっていると思うこと

2013-03-07 Thu : 神語録 
  トム・ケニョン

地球の磁場に起きている衝撃は彼らの支配の範囲をはるかに凌駕しています。これから先数年間は磁場の増加の摂動が見られることが、私たちの超次元物理学的な観点から言うことができます。

エネルギーに敏感な人たちは、今の時点でこれを最も強く感じていますが、これから先2年ないし3年の間にはほとんどの人が、何故だか分からないとしても、これに意識的に気が付くほどにまで影響を受けるようになるでしょう。

このような状況に対処するためにいくつかのことをお勧めしたいと思います。
お勧めの第一は、最も容易なことです。それは自分が地球の核心とつながっていると思うことです。エネルギー的な存在として、あなた方の肉体と血液に加えて、意識の地球の核心との関係を形成することが出来ます。このような理解又は方向付けは、あなた方が地球の磁場に浸漬し、囲まれているということです。地球の磁場の生成の場である核心と心理的に同調することによって、あなた方はエネルギー的に安定となるのです。
意識を持つ者としての地球は、あなた方の文化が対応する言葉をもっていないので、言葉では表し難い方法で自分を表現しています。そして、あなた方は最大の強みであるこれに気が付かないように操作され、支配されているのです。

地球の核心との同調を果たすと、地球をより意識を持った存在として認識が出来るようななります。このつながりを通じて、あなた方は、地球の混乱の増加が起きても、一種のエネルギー的な連帯を形成するようになります。

しかし、これについて奇妙なことは、このような感覚が得られるようになると、偽情報、操作、マインドコントロールを通じての人間の想念流の支配をしている勢力による支配や操作を受けにくくなります。

言い方を変えれば、地球の核心との直接の意識的なつながりが形成されると、ネガティブな生命操作技術の影響を受けにくくなるのです。

   「地球の磁場とマインド」

元つ話 600 裁判官とそれに同調している者がどんな運命を辿るのか

2013-03-06 Wed : 長谷章宏語録 
結局は、罰という概念は、あなたが選択した価値観に従って自分の何かを×している自分が自分に課す自己審判である。社会を構成する全員がその幻を信奉していれば、形としての刑務所が現れる。形があるから実体なのではなく、実体だと思い込んでいる自分がそれを実体化したのである。万象万物は神である。言い換えれば、すべてが自分の世界であるから、その万象万物を使うことで、神自身が思った通りの世界を作れる。出来た世界は思いの顕現である。今持っている思い込みをすべてひっくり返さなければ、人類の永遠の夢である本当の天国は実現しない。本当の天国を自ら壊したことを忘れ、天国を作ろうとした末に現実となっているのが、現代社会という形の世界である。神も含めた支配者から大衆まで、全員が罹っている集団催眠、自らが自らに嵌めたマインドコントロールを外せるのは自分だけである。「すべて」は自業自得であり、自分の生死を決める神は自分である。

現代社会にある学校、刑務所、神社、お寺等々は、実は、自分がいる世界を自分の外に作り出したものである。現代社会にあるものは、現代社会のクローンであり、この世の姿そのものなのである。現代社会そのものが、真釣りに戻すための学校であり、刑務所であり、神社である。学校のすべての課程を修めれば卒業して社会に出る。刑期を終えれば、娑婆に出る。神になれば、神社はいらない。つまり、それらがある世界というのは、わからないことがある者の世界であり、自らの罪を償っていない者、自らが神であることを忘れた者の世界である。言い換えると、すべてを知る気がない身魂、神法違反の責任を押し付けあっている身魂、神に戻る気がない身魂の作り出す世界である。現代社会の仕組みを学び、現代社会でいう罪を償い、現代社会でのご利益を願っても意味はない。その中の学校で何を学ぼうと、刑務所で刑期を終えようと、神社で神に祈願しようと、本当の自由も平等も天国もできない。神法に違反して天国を壊した世界で作ったもので何をしようと本当の天国には帰れない。ますます、違反が進み、学校が乱れ、刑務所が意味をなさなくなり、神のご利益がなくなり、結局は、その世界は、混沌、混乱、混迷、問題だらけの世界になる。

『神が許しているから裁いてもよいのだ』というのは「許しているものを禁じる」という矛盾を封印して、自らの生き残りを図るために邪魔者を消す行為を続けるための詭弁である。この世で存在が許されているものを殺すという思想を持つ者、言い換えれば、犯罪者(悪人、この世でいう悪魔)を裁いている裁判官とそれに同調している者(善人、この世でいう神)がどんな運命を辿るのか(自らがいったい何をしているのか)をよく考えてみて欲しい。元つ真釣りの天国には、何の問題もないから、秩序しかない。秩序の維持という思想は、言うなれば、天地の掟を破った悪神が自らの支配する世の維持を図って大神を封じるための策略であり、その企みは絶対に成就しない。どんなに悪あがきをしようとも、悪神が創った世界は、必ず滅びる。真釣りという神法に違反したことがすべての問題を生み出した根源であり、問題は元々どこにも存在しない。つまり、「問題解決」という概念自体が幻想であり、源が魔釣りである以上は、問題が解決されることは絶対にありえない。

             【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
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元つ話 599 今の世でいう罪は罪ではない

2013-03-05 Tue : 長谷章宏語録 
魔釣りの源の神に気づかれずに、いや、気づかれても絶対に天国に戻れる方法が一つだけある。魔釣りの戒律に逆らうのでも、魔釣りの神を殺すのでもなく、魔釣りの戒律を越えた世界に移ってしまえばよいのである。魔釣りの戒律は元々何の力も持っていない。魔釣りの戒律に力を与えているのは、魔釣りの世をすべてだと思って、その世界から死ぬことを恐れている自分である。そういう生き様をしてきた集団が展開してきたのが、神話も含む人類の歴史であり、そのまま進めば、魔釣りの神もろ共、本当に人類滅亡が現実となる。実は、現代社会の源を知るということは、真釣りを思い出すことであり、魔釣りの神を倒しても天国はできないことに気づくことである。魔釣りの源を倒すのではなく、自ら内にあるアヤマ知、即ち、自らの囚われている魔釣りの響きをすべて消せば、元々持っていた真釣りの響きが復活し、魔釣りの支配の及ばない世界に移ることができる。その真釣りの響きを保ち続けていれば、必ずやって来る魔釣りの世の消滅と同時に、真釣りの天国に生き戻ることができる。真釣りに戻れば、魔釣りの神の戒律を素通りして、真釣りの掟に戻ることができる。真釣りの掟は生死時空を超えた絶対真理であり、この世でも生死の響きが消えるから、自らにとっては、恐れを使った魔釣りの脅しは全く意味をなさなくなる。つまり、真釣りの掟に戻れば魔釣りの掟は相対的戒律となり、自らに全く影響を及ぼさなくなるのである。真釣りの真コトに戻ることが、魔釣りの神を越える唯一の道なのである。

今の世でいう罪は罪ではない。罪そのものは実体ではなく、真コトを闇に葬った神が支配の道具として作った嘘に過ぎない。神が人を、人が人を罰する「裁き」という概念も幻である。罪悪感というのは、そういうものがあると信じている自らが作り出す幻想である。罪と罰の幻想に基づいたマボロシの世界が神から始まった人類の歴史であり、現代社会は、そのマボロシを究極まで実体化してしまった世界なのである。今となっては、自らが「被害」を受けて訴えないのは狂人であるかの如く、他人を裁くことに疑問を差し挟む余地はない世界となっている。神から主権を奪って民主主義を進めてきた現代社会にある逆さまの常識(宗教、科学、経済、道徳等)を信奉している限り、自らが自らの現実を創った神であるという自らの正体に気づけるはずもない。裁き合いの世界は永遠に止まることはなく、その究極の行動である戦争も永遠に終わることはない。そして、核兵器を握ることで、睨み合いをしたまま時が経ち、最後には、我慢の限界を超えて核のボタンを押す瞬間がくる。

心の葛藤が究極まで煮詰まれば、あなたの意思でその爆弾を止めることは絶対に出来ない。あなたが今自分だと思っている肉体は、命の器に過ぎず、今の世で学んだ「死の怖れ」は、嘘の響きが見せる幻である。形の世界は、心の世界の顕現であり、本当の実体は、心の世界にある。心が完全な暗闇であれば、それは即ち、あなたがすでに死んでいることを意味し、本当の真実=天地自然の掟が復活した瞬間、あなたは二度と生き返れない即死となる。自らの本体が、生死のない魂(霊)だと気づき、自らがすべての源であったことを認めない限り、死んでも苦しみから逃れることは出来ず、最後は自爆して果てる末路となる。現代社会は、逆さまの世界を究極まで形にした結果であることを覚えておくことである。これを否定するならば、それは、あなた自らが永遠の滅びを呼び込んだことに他ならない。あなたが自らの真釣り外しの責任をすべて引き受けない限り、あなたに救世主は来ない。

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元つ話 598 罪悪感とは魔釣りの神が支配する世に封じ込めるために考え出された道具

2013-03-04 Mon : 長谷章宏語録 
魔釣りの響きは、真釣りを外した響きであり、万象万物の創造主に逆らっていることになるから、これ以上の反逆、これ以上の悪は存在し得ない。真釣りを闇に葬ることで成立つ魔釣りの神の戒律は、言わば、天地に反逆する組織に加担させるための掟であり、それに従うことは、本当の絶対天国の掟である真釣りに違反することを意味する。魔釣りの神は真釣りの真コトの一厘と引き換えに生まれた神であるから、真釣りの存在は知らず。今の今までこのことには気づいていない。世の黒幕自身が自らを滅ぼす世界を作っていることを知らないのであるから、盲目的にそれに従うすべての存在は、自らを滅ぼす末路が待っていることに気づけるはずもない。魔釣りの神をも生かしある元つ天地の大神の掟である真釣りの響きは絶対に消滅することはない。もし、消滅するなら、魔釣りが真釣りを生かしていることになり、天国は絶対に実現しない。即ち、真釣りを外した世に加担したすべての存在は、魔釣りの世から足を洗わない限り、真釣りの復活と共に破滅するのである。あなたが魔釣りの戒律(法律、道徳、常識等)に同意しているならば、自らのしていることに気づいて、生き様(態度、思想)を根本から改めない限り、あなたもその道を辿る。罪悪感とは、魔釣りの神が支配する世に封じ込めるために考え出された道具なのである。

逆さまの世界に生きている人類は、心の世を脳が作る幻想だと思っているから気づかないが、魔釣りの戦いの世界では、この世でも、あの世でも、人間の世界でも、神仏の世界でも、殺し合いが基である。人類の語る形の殺人や、戦争は殺し合いだとすぐわかるが、心理的な殺人というのも、実は、あの世での殺し合い、霊的殺神なのである。従って、魔釣りの響きの世界では、誰も殺さないで全員が天国になることはありえない。脅した相手を含めて、誰かを殺さない限り、自らの生きる道は閉ざされるのである。魔釣りは善と悪の戦いの世界であり、善の言う悪自身は善であるから、悪の潰し合いが永遠に続く。死刑やそれを望む心が許されているのならば、それは、悪を殺すことに罪悪感を持つ必要はないと言っているのと同じことになり、悪が罪悪感なく善を殺せるとするなら、善も悪も含めた全員が天国になることは永遠にありえない。それは、言い換えれば、命の略奪合戦であり、どんな選択をしようとも、魔釣りの世界には滅びの道しかないことを意味する。

魔釣りの響きで生き延びたいならば、自らが魔釣りの神を支配するしか方法はない。つまり、魔釣りの神の座を自らの力で奪わない限り、魔釣りの源の神の支配の中からは永遠に出られないのである。しかし、自らの命の源を倒すということは、自らを倒すということであるから、自らを倒さなければ天国はないという矛盾したことになってしまう。自らを倒せば、自らは消えるから、天国は体験できない。天国がないなら、天国は語れないが、自らが消えて天国が実現するなら、始めから天国があることになる。魔釣りの神を消して天国が実現するなら、魔釣りがすべての世界ではなく、源の神を倒さずに天国を実現する道があることを示している。魔釣りの源を倒したいならば、源の上を行かなければならない。しかし、源の神はすべてを知っているから、自らを倒そうとする企みも知っている。真釣りの仕組みも同じことで、魔釣りの神をも生かす本当の源を倒せば、自らの命は永遠になくなる。真釣りを外し、思い違いをして自らを滅ぼしてあなたの命がなくなったとしても、真釣りの仕組みは成就して天国は実現するから、あなただけが天国にいないことになる。あなたが「罪悪感」を捨て去らない限り、魔釣りの正体は見えず、魔釣りの言いなりのままに真釣りを外し続けて、最後は、自らを自らで殺す末路に自らを導くことになる。

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元つ話 597 魔釣りの神は真釣りの神を殺すことに何の躊躇もない

2013-03-03 Sun : 長谷章宏語録 
あなたは、自分が自分を刑務所に入れたことを綺麗サッパリ忘れている。自分の意思で神法違反をしたことを忘れているから、自分が自分を裁いた裁判官であり、自分が自分の刑期を決めている刑務官(神)であることに気づいていない。自分が自分の違反を清算すれば、刑務所が娑婆に変わる。刑務所から出ればそこは天国であるが、神法違反の刑務所は死んでも消えず、次元を超えて存在する。神法違反を清算しない限り、自らが刑務所を作り続けて、その中で、できない自由を求めて彷徨い続ける。罪を清算(差し引きゼロに)しなければ、永遠の天国には出られない。もし、逃れられない罪や誰かが与える罰、神の裁きというものがあるとすれば、現代社会を作り出した歴史の源の神を倒さない限り、人類は永遠に天国を体験することはできないことになる。魔釣りの神の裁きは、自称「絶対権力者」の神の気分次第であり、神の言うことを聞けば死なないが自由はなく、言うことを聞かなければ命はない。言うなれば、おのれが死ぬか、最愛の者を殺すか、どちらか選べというのが、魔釣りの神の踏絵である。魔釣りの神、言い換えれば、世の黒幕は安泰である。それはそのまま、魔釣りのアヤマ知の現代社会での究極の場面の選択(脅し)であり、自己犠牲か、自己保身か、の選択を迫られることになる。死ぬのはいやだが、誰かを殺すのもいやだ、と思っていれば、脅した相手に服従するしかないのである。自分が死ぬか、誰かを殺すか、脅した相手に反旗を翻すか(それは、自らの死を選ぶのと同じである)の自由意志の選択があるようで、実は、一つの道しか用意されていないのである。罪悪感を持っている限り、たとえ死んでも魔釣りの神の支配する世界の奴隷から自由にはならない。

魔釣りの神は、真釣りを外すことに罪悪感は持たない。真釣りを見失っているから平気でできることではあるのだが、天地の理法を破った結果、自らの命の源を忘れ去り、自らの力で何でもできると思い込んでいるから、自らが世を支配している神の如くに振舞って、平然としているということである。結局は、魔釣りの神(その神の末裔である現代社会の支配者=上に立つすべての者)は、真釣りの神を殺すことに何の躊躇もないのである。その神の戒律に同意しているすべての者も、同罪である。現代社会は、真釣りの神を殺すことで成り立っている世界であり、真釣りの神を認めることは、世の破滅に加担することを意味する。しかし、現代社会が魔釣りの世であるなら、世の破滅とは、天地の掟に反した神の作った世界を滅ぼすことであるから、実は、天国の復活を意味する。本当の悪から足を洗うこと、本当の悪の戒律を無視することに、罪悪感はいらないのである。悪を滅ぼすことに異議を唱える者はいない。善から見た悪にとっては、善は悪であるからテロの論理が成立つのである。結局は、「悪を滅ぼすこと」に罪悪感は一切いらないということである。『本当にそれでいいのか』と問い続けるならば、魔釣りの罠から抜け出すことはできない。

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元つ話 596 悪を使って悪を祓う仕組み

2013-03-02 Sat : 長谷章宏語録 
聖書で言う「サタン(悪魔というのは、元々は、天の掟を破って地に落ちた神である)」の陰謀とそれを終わらせる「千年王国を創る神(ヤハウェ)」の戦いは、魔釣りの知恵の神と真釣りの真コトの神の戦いの映しである。光を一つ落とした「情けと花の仕組み」、つまり、ヤハウェの掟を真釣りの大神、サタンを魔釣りの蛇の知恵の神、と置き換えれば、まさに元つ天地の真釣りの大神の大掃除と同じ話である。ヤハウェとサタンを産んだ神(大きなサタン)が知恵の神であり、魔釣りの神である。その知恵の神を産んだ元つ大神が大きなヤハウェであり、真釣りの神である。真釣りの元つ大神がヤハウェであり、魔釣りの知恵の神がサタンと置き換えれば、本当の天地創造と人類滅亡の真実が見える。つまりは、聖書の「千年王国」自体がまだサタンの世であり、千年王国の千年王国があるということである。聖書のヤハウェの作る千年王国は実はサタンの世であり、現代社会はサタンの中のサタンの戦い、悪と悪の共食いの世である。悪を使って悪を祓う仕組みは、その通りであるが、その仕組みを使って悪を祓う神も獣だったのである。つまり、獣が獣を使って悪を祓う世界の神ヤハウェの正体は、獣の王なのである。そして、獣の世を終わらせる獣の王ヤハウェこそ本当のサタンであり、そのサタン(つまりは、蛇の知恵の神)を使って、悪を払って本当の千年王国、ミロク(三六九)の世を創るのが、創造神ヤハウェとたとえた本当の神であり、すべての罪を負わさせられた正神真神のカムスサナルノオオカミ様である。日本の国土をご神体とするヒノモトの国祖はクニトコタチノオオカミ様であり、カムヤマトイワレヒコノミコトが本当の神武天皇である。そして、すべての仕組みを産み産んだのが、ナギ、ナミ様を始めとする元つ天の大神様なのである。一つ上の次元から見れば、ヤハウェはサタンである。ヤハウェというサタンがサタンというサタンを使って天地をマ釣り戻す仕組みを作り、それを成就しようと仕組まれたカラクリがイシヤの仕組みなのである。それを実際に進めてきたのは、秘密結社の頂点に立つ十人の王の円卓会議である。現代社会のすべての国家政策のシナリオは、影の黒幕の合議で決まり、その黒幕の指示に基づいて、各国と国連が政策を立案し、世界統一の計画が実行されているのである。大衆がアレコレと不平不満を言っても、社会変革の運動をしても、すべては茶番に終わる。何も変わらないどころか、最後は虫けらの如く葬り去られてしまうだけである。世論というのは、操作の道具に過ぎず、大衆が社会を変えようなどと思っても、世界のカラクリ上、それは絶対に不可能である。しかし、この世を統べる影の黒幕も、サタンの手下であり、そのサタンもヤハウェの世界征服の使い走りである。一般大衆から見たら、とんでもなく荒唐無稽な話であるが、これがこの世を動かしてきた裏の裏の水面下のカラクリなのである。

大衆も政府も国連もサタンもヤハウェも、どう足掻いても抹殺できないのが元つ大神であり、元つ大神を抹殺しようという響きは、自らを破滅させる響きである。元つ大神の真釣りの響きは天地自然の掟であり、それは、万古末代消えることはない。そして、元つ大神の真釣り世に戻す世の大掃除の計画は、誰が何を企もうとも動かない。つまり、今の世でいう天地創造神から一般大衆まで、元つ大神の真釣りに戻らない限り、戻らない者だけが滅ぶのである。真釣りをこの世に現す役のヒノモトが目を覚まさなければ、世界の破滅である。そのゆえに、最後の最後にヒノモトの民を覚醒させるためにこの本が書かれたのである。ライオンハートの首相ではないが、眠れる獅子が蘇った時、世界は天国に戻る道に帰る。日本人が現代社会で一番神の世界を知らない人種であり、蛇の知の神の世界で国力を誇示し、金と口と手を出して自らの真釣り外しが産んだ貧困国の援助に精を出し、弱肉強食の国際社会で平和憲法を盾に国際貢献に勤しむということは、神仕組みから言ってとんでもなく恥ずかしいことなのである。真釣りを知る唯一の国、世界の父親の元つ親国が、自由、平等、博愛、民主主義、金融経済、IT国家、人類は一家兄弟姉妹、友好親善云々の、アヤマ知の国際社会で『名誉ある地位を占めたい』とはなんとも情けないことである。

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