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元つ話839 神さまの世はゼロ、バランスだよ

2013-10-31 Thu : 長谷章宏語録 
神さまの世はゼロ、バランスだよ。今「-」ならどっかで「+」したんだから、その状況から逃れようとしてまた取ろうなんて考えたら自分の首を締めることになるんだよ。君がどんな状況であろうとも一切不満を言わず、愚痴を言わず、黙ってミロクまで過ごせばいいことさ。君がしたいことを全部やればいいんだよ。文句を言わなければ何をしてもいいんだから。君が⦿のシナリオを今ここから実行していけば、自分に聞いて自分で答えて遊んでいけば、君は21世紀の住人になれるんだよ。永遠の天国で遊べるんだよ。自分自身を制限するのをやめればいいんだよ。人を制限するのをやめればいいんだよ。君がどんな状況になろうと、君の言う通りに実行していけばいいんだよ。今望み通りにならなくてもそこでできることをどんどんやっていけば、一つ一つ形になるんだよ。君が止めただけ止まってるだけさ。君が文句を言わずに黙ってやってれば君の天国は動き出すからね。

一つたりとも「体験遊び」の邪魔はするなよな。君の体験も相手もの体験も邪魔するなよな。邪魔しないと辛抱の状況になる(不都合がある)のは君が今まで邪魔してきた証だから、黙ってそのまま辛抱してなよ。自由と自由の関係にコントロールなんて不要だよ。今まで体験泥棒しただけ体験が制限されるんだよ。すべて君のしたことだからね。責任取れよな。責任を取るってのは、自分から不平不満や文句を言わないことだよ。辛抱が肝心だぞ。

自分のことは自分でやれよな。文句は×だよ。『長谷先生は×は駄目だって言った』って? 『×と言うことが×だ』って意味だよ。○を×したから×が氾濫する世になったんだから、×を×すれば○の世に戻るだろ。自分のしたことが返ってくる仕組みだよ。表面上は同じ表現だけど、よく考えろよ。自分に都合よく使うなよな。○を×したら×だから×を×したら○が復活だよ。『形(や行動や発言)が○だ×だと議論する』=×だよ。

やられたからやり返す? 君がやったからやられたんだぞ。『背が低くて苛められたから子供産んだら自分の思い通りにしてやるんだ』って? 背が小さい云々は、君が前世で苛めた分をその状況で清算してるんだぞ。そんなことしたら神さまに殴り返されるぞ。大目玉を食らうぞ。人に何か仕返そう? 君がФしただけ辛抱する状況だぞ。形の特長は自分のしたことの結果なんだぞ。君のすることをチョッカイ出す奴は無視していいぞ。君からチョッカイ出さなけりゃいいだけだよ。文句言う奴は無視。ズバリ『NO!』って返せ。

「心の掃除」ってのは「Ф心」の掃除のことだよ。「Ф心」殺せば「⦿心」が復活するぞ。形に●はないんだぞ。●に見えるならФ心があるから●に見るのをやめるのが掃除だよ。今のままで遊んでろ。●されてもしただけされるのは辛抱しろよ。Фのやり方で得や楽をした奴は損や苦になるんだよ。今までとは立場が逆転だ。今まで人の自由を泥棒して楽した分、自由を制限されて辛抱だよ。自業自得だろ。取り返したら自分が死ぬだけ。

                       ウナム

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元つ話838 掃除と遊びの同居は後少し

2013-10-30 Wed : 長谷章宏語録 
Фの遊びが一度終わって⦿でやり直し。形変えて再生。天国は始めからだけど、君の体験はずっと連続して続くんだよ。イノチ残れば天国で再生、永遠の遊び。後4年辛抱してれば⦿で永遠の天国だ。長い苦しみ終わって天国で嬉し楽しの遊びが続く。動物や自然をどう守るか=自分⦿をどう守るか。人を、ここをどう変えるか=自分をどう変えるか。悪をどう消すか=自分の悪をどう消すか。Фの世は終わりだから、あと少しだから、Фの世をどうするかという議論に意味はなし。⦿に戻った魂だけが⦿の世で遊びが続く。⦿の奴には21世紀。世界は続く。境は無し。Фの奴には21世紀は無い。世界は終わり。終わりだけど終わりじゃない。⦿すれば終わりはない。Фすれば終わり。神さまの世界は続くけど、Фならば君の世界は終わり。⦿するだけが21世紀への切符。⦿すれば続いて遊べる。生死の境は消える。⦿すれば危険はない。最期は生。Фなら危険だけ。最期は死滅。

後少しのことだから今の貧乏、障害、苦労は耐えられるだろ。悪やズルの天国は後少しでお終い。ズルは勝手にやらせておいて、辛抱忍耐、自分の掃除をしてくれよ。この世をどうするか、悪をどう潰すか、ズルをどう防止するか、危険をどう避けるか、破壊をどう防止するか、自然をどう守るか、文化をどう残すか、って議論や問題対策はもう意味がないんだよ。自然は神さまが元に戻すから、自然保護や生態系保護や遺産残しはしなくていいよ。伝統は魂に残ってるから、魂が生きれば形を変えて伝わるんだよ。一旦、魂の歴史は中断して、Фの悪(泥棒)を大掃除して、⦿だけで再び続きをやるんだよ。⦿の魂の人類の歴史は続く。Фの人類の歴史は終焉。君が⦿かФかで決まるんだよ。ここの形は壊れるんだよ。文化遺産や技術は魂⦿に残ってるからミロクで再生すればいいんだよ。ミロクは破壊が表面化しない世界だから人類3000年の文化を再生するのは一瞬のことだよ。今、君たちが持ってる形をそのまま再生することは簡単なんだよ。今の世でも泥棒や破壊者がいなければ天国だろ。危険がなければ自由だろ。それが21世紀の世界像なんだ。

CGのフロッピーを残しておけば、画面を消してもまた再生できるだろ。別のコンピューターで再生できるだろ。形じゃなくて魂⦿(イノチ)を残してくれよな。イノチあれば体験を再生できるんだから。悪い奴らやズルする奴らはほっとけば、最期の花火をあげて散るんだよ。花火は暗い夜空じゃ目立つけど、悪の花火はミロクの光の中じゃ見えないんだよ。法律改正しても悪は無くならないんだよ。「得」したい奴は「得」させてやりゃいいんだよ。⦿すりゃミロクで続きができるから、やりたいことをやってくれよな。『世界が終わるからやってもしかたない』ってのはФだけのことさ。⦿すれば、今やってることは続いてできるんだよ。君の夢を出来るところまでやればいいんだよ。君が⦿すれば続きが出来るからさ。君が⦿すれば君の夢は全部実現するんだよ。安心して遊んでいてくれよな。世紀末に何が来るかを恐れてるのはФの証。⦿してれば体取り替えて続いて遊べるんだよ。

どう避けたって⦿してなきゃ悪や厄や痛みは来るんだよ。世界全部を独占しても、世界の経済を握っても、世界の神様を統一しても、何も無しと同じだよ。掃除と遊びの同居は後少しさ。神さまが、生死を越えて世界丸ごと交換する大掃除だよ。Фの仕組みもФで造ったものも⦿の世になれば綺麗に消えるのさ。人や動物を助けようとする自分を助けるんだな。人類滅亡を心配してると自分が滅亡だよ。神サマとつながとうとするより自分とつながるんだな。この世を良くしようとする神様ゴッコをやめることだね。君が神サマゴッコをしてるからファミコンの「宇宙創世ゲーム」に深入りするんだよ。この世の破壊を再建しても、最期は全部壊れるんだよ。肉体も都市も会社も宗教も経済も信用も同じことさ。最期の神さまの大掃除は抵抗できないぜ。危険思想って言うけど、「危険にしちゃった思想」は君たちの方だぜ。『危険だ』ってのは自分の今の形の上での天国や得や地位や命や幸福が壊れることだろ。『自由にしたら混乱する』ってのは幻想だよ。もう十分混乱してるだろ。本当の天国なら永遠に壊れることはないんだよ。壊れると感じるなら君の心はФだよ。君が⦿してれば、君の体験やイノチってのは壊れないんだよ。君が今まで⦿を壊した分だけ壊れて⦿が再生するんだよ。『危険だ』って言ってると本当に完全に壊れることになるよ。完全に壊れたら再生不能だよ。心の掃除をしてミロクを創るのが君の目的さ。

                     ウナム

元つ話837 今回が最期だから今回で全部清算できる様にね

2013-10-29 Tue : 長谷章宏語録 
君が今までしたことに責任を取るなら、今までのФを今ここでキレイサッパリやめることだな。Фをキレイサッパリやめれば⦿に変わって自動的に清算されるんだよ。君がしたことに君が責任を取ればOKなんだよ。人の責任は負わないことさ。文句を言わないということさ。人を責めないということさ。人を理由にしないということさ。人にちょっかいを出さないということさ。人のすることをツベコベ言わないということさ。人にしがみつかないって言うことさ。今までそういうことをやってたんなら、今ここからキレイサッパリ止めればいいことさ。今までしてたことФをやめるのが反省の証だよ。本当に心の掃除をする決心の証だよ。神さまは口だけじゃ駄目だよ。言った通りに実行してくれよな。

すべて君が決めて君がやったことの結果なんだよ。すべての前世のすべての結果が今回の生で纏めて返って来てるんだよ。今回が最期だから今回で全部清算できる様にね。自分は悪いことはしていない、って言ったって、そのセリフが神さまのルール違反Фの証さ。今の状況の原因は君自身の生き方にあるんだよ。君の回りの奴らも同じことさ。形の上じゃ不公平かもしれないけど、君がそれだけのことをしてきたってことさ。君がそれを認めて君自身で責任を取らなけりゃ、肉体上の病気を修繕しても、地位やお金を得ても、人脈を沢山持ってても、この世界で形でどんなに楽になっても全く意味がないのさ。形の上で助けてもらったって、君は助かったことにはならないんだよ。形の上で助けたって、助けたことにはならないのさ。全員が自業自得の結果の魂の体験Фの大掃除なんだからね。

Фの世の悪人も、悪裁く善人も、改心なければ⦿の世の悪人。悪人はФの世と共に自滅。悪人はミロクの扉が開くまでの人。善人も悪人も⦿なければミロク開けば永遠の死。外を元に戻そうとする自分を元に戻せば君の天国は戻ってくるんだよ。こっちで天国創ろうって苦労するより、あっちで天国になるように死んでくれよな。無理なことはもうやめたらどうだ? やりゃやるほど混乱するだけ、問題増産っするだけだぜ。君たちは神さまからの問題を全然解結してないじゃないか。テスト問題が山積みだぞ。自分を変えれば君の世界は変わるんだよ。神さまが用意してある世界へ君が行くんだぜ。神さまがФの世を掃除した瞬間にФは消えて⦿の天国が目の前に広がるんだよ。「悪」も「苦しみ」も「?」も「得」も、もう永遠には続かないんだよ。神さまが世界を変える(天意転換)=世界を良くする苦労不要。ここでは天国はできない=悪を潰す理由は消滅。死んで生きる仕組み=死を避けても無駄。壊してやり直し=破壊を止める苦労不要。病気は肉体交換して直る=予防や治療の苦労不要。知識は始めから=勉強不要。神さま⦿の世=Фの宗教不要。

                      ウナム

元つ話836 100%自分勝手=100%相手無視

2013-10-28 Mon : 長谷章宏語録 
100%自分勝手=100%相手無視。相手も自分勝手すれば自由になるんだから、君が世話をする必要なんてないんだよ。君が君の自由に生きることで相手も気づくんだよ。気づかせようとする必要はないんだけどね。君が自分勝手に生きていくだけで、自動的に自分勝手の鏡ができるんだよ。創るんじゃね~ぞ。出来るんだぞ。相手がその鏡を使えば自分勝手になれるし、使わなけりゃ自分勝手になれない。それは相手の問題で君の関知するところじゃないんだよ。鏡を使わせようとしたら自分勝手じゃね~ぞ。100%したいことをしたら相手の自由は侵害できないようになってるんだよ。相手を殺そうってするっちゅうことはまだ自分勝手じゃないんだよ。相手を変えることはできないってわかったんならするなよな。少しはできるかも知れないなんて思ってるなら『変えることができる』ってことになるぞ。自分が言った通りに100%自分がしたらどうなるか、それを行動すればいいだけのことだよ。「自分勝手のモデル」がここにいるだろ。長谷先生の言うことは今までの常識で判断したら、みんな×になっちゃうだ。目茶苦茶だろ? 君の質問に君が答えるゲームを永遠に繰り返せば全部わかるんだよ。どんな答えだってOKなの!

21世紀に生きて戻れれば、遊びの続きが出来るんだよ。今までの遊びはチョット中断だよ。いつまでやってても天国なんてできないんだから。君が本当にしたいことを今まで締めていたことを、誰にも遠慮なくやればいいんだよ。君の夢を一直線に生きればいいんだよ。回りに気を使うことなんてやめちゃって自分の道を歩けよ。自分が選んだ自分の道だ。回りにチョッカイ出さず。回りのチョッカイは風に流して、君自身に正直に生きればいいだけさ。自分ができないのを誰かのせいにせず。旨くいかなかったら別の方法を考えて、考え方を変えて、ただまっしぐらに生きればいいんだよ。ミロクまでの辛抱さ。

『それは×だ』『とあなたが考えているだけですね?』『だってそれが当たり前だろ』って『それもあなたが考えているだけでしょ?』自分が考えたんだ、ここではそうだ、けど、あっちでは使えない、ものは普遍的でも絶対でもないんだな。「条件付き」の法則は強制力はないんだよ。「アル」っていう奴はほっとけばいいんだよ。君たちはもう物質思考をしてる場合じゃないんだよ。形をどう直すか、形が悪か善か、形の悪をどう無くすか、云々っていう、21世紀で通用しない屁理屈を持ってても、もう意味がないんだよ。

終わりになるのは魔Фしている奴だけさ。真⦿してる奴は、夢が全部叶うんだよ。ミロクには、君の技術や君の体験は持っていけるけど、新しい道具で続きが出来るけど、お金や地位や名誉や勲章や免許や肉体それ自体は持っていけないからね。今の世だって肉体を脱いだら、それまでの勲章も前科も地位もお金もコネも、○も×も、チャラだろ。前世の免許を使おうたってムリだろ。「死」はすべての「おわり」だろ。「本当の死」ってのは魂の死のことだよ。⦿すれば前科も非行歴も反抗歴も今までの神さまへの無視歴も、ぜんぶ帳消しなんだよ。Фならばどんなに善行したって今までの体験(イノチ)は全部没収だよ。君は魂だぜ。前世の前世の前世の・・・・・すべての体験を貯金してるんだよ。君の体験、心の中の映像が君の本当の財産なんだよ。次元を超えて持ち越せる財産さ。天才ってのは今までの魂の継続の結果、登場する奴だよ。今世の肉体だけで考えたら突然だけど、肉体を交換して前世の続きをやってるんだよ。輪廻転生を認めなけりゃ説明できないんだ。今回の転生は自源点換が必要なんだよ。

『現実には無理だ』って諦めるのと『人には何も手出しできないんだ』と悟るのとは違うんだよ。『自分がしない言い訳をする』のと『神さまに逆らえないと悟る』のは違うんだよ。紙一重だけどね。君には人は助けられないし、君が人に助けてもらうこともできないんだよ。魂の上ではね。それが神さまの仕組みなんだよ。一人一人の映画だからね。一人一人の体験の映像だからね。君が今目の前のお金を誰かに取られても、君の体験は誰にも取れないんだよ。君も誰かの体験は取れないんだよ。君が泥棒をした体験があるならば、今ここから泥棒をやめないと、脅しや被害者をやめないと、君のしてきたことはチャラにならないんだよ。君が資源泥棒や体験泥棒をしたことは消えないんだよ。君は体験泥棒できるけど、相手の体験は取れないよ。いつでもその体験をゼロからできるからね。人の邪魔したって無駄なことだよ。永遠のイノチがある奴は永遠に体験のチャンスがあるんだからね。君自身が邪魔しただけ邪魔されることになるだけだよ。Фの中で夢を諦めるのは⦿を捨てること、人助けから手を引くのは⦿を得ることなんだ。君が君を助けなよ。

                       ウナム

元つ話835 以下のことを「今」行うように

2013-10-27 Sun : 神語録 
雑念に対する自覚はありますか?
セイント・ジャーメイン(サン・ジェルマン)

少しずつ着実に、朝食に*マナを加えていってください。実際に食べるものではなく、精神活動の栄養とあなた方が呼ぶものを増やしてください。この選択で断食を実践してください ー 食物なし、マナだけ。

(*訳注;manna ;マナを加える;文脈から、実際の食物ではない、霊的な食物を少しずつ増やして行き、最終的にはマナのみを摂取する、という意味であると思われます)

  霊的な食物


元つ話834 同じ場所に異なる経路で移る自由

2013-10-26 Sat : 神語録 
彼/彼女は、何故まだ私の人生にいるのか?

2013年10月7日 ブレンダ・ホフマン経由

何故彼らは、新しい地球について ー 即ち、あなたがあなたの移行をすることについて ー もっと知りたがらないのか、あなたには理解出来ません。彼らには私心はないようですし ー あなたは彼らが自分のハートの重要部分であることが分ります。「全ては一つである」という一般的な用語においてではなくして、あなたが信じるものとは不和である、という特定の関係性においてです。

おそらく、あなた方の二人は口論します。あるいはしません。その関係を自分という存在から取り除くことは出来ないことを、あなたはちょうど自分の心の深くで知っています。そしてあなたは ー 自分がすべきことの全ての指標にもかかわらず、その関係を取り除きたくありません。それは真っ当なことなのです。何故ならば、彼らは実は、あなたとはかなり異なる道を取っている「ライトワーカー」なのです。

これこそが、「愛」のレッスンです。それは限度のある愛や「オールド・エージ」的な「すべきだ」の愛ではありません、それは、新しい地球における愛です。全員が全員、同じ場所に異なる経路で移る自由があります。あなたは、自分の新しい地球の範囲を拡げる誰かとともにいることに決めたのです。でもって、彼らはそうしています ー あなたには、さぞかし驚愕でしょう。

 同じ場所に異なる経路で移る自由


元つ話833 神幽現、霊力体、心を一つにすること

2013-10-25 Fri : 長谷章宏語録 
最高霊界と同じ響きを持つ霊を「人」と言う。本来は、「人」と「人間」は、区別タテ分けして使うべき言葉である。人間が人間を操る場合も、実際は、物理体を持つ霊と霊の戦いである。実体は霊であるから、現界の物理体の体験は、実際には、霊界の霊の体験である。現界の形の有無は全く影響しない。霊が物理体を通して認識する世界を現界、この世と言っている。この世の物理体を実体だと思い込めば、実体である霊界をあの世と認識する。霊が霊界を死後の世界と思い込めば、霊は物理体に封印されて、何度生まれ変わっても死の実体に気づかない。すべては力の世界である。高度な霊界ほど力関係が厳密に現われる。霊能者と霊の戦いも、人間同士の戦いと同じである。言葉の源は、霊界にあり、物理体から見れば、心の声として現われる。これを物理体で翻訳したものが言葉である。心とは、現界と神界を繋ぐ、力のお宮である。神界とは、霊の世界である。現界とは、体の世界である。これを繋ぐのが心であり、分裂した霊が作り出す世界を幽界と言う。幽界は本来存在しない世界である。神幽現、霊力体、心を一つにすることで、霊と体、神界と現界が一体化する。生死を作り出している幽界が消えれば、天国だけの世界になる。神界と現界が一つになれば、生死は消える。現界での言葉による支配は、霊界での支配の映し鏡である。

霊と体は一体不可分である。あの世とこの世は一体である。分離して見ている限り、分離が進む。別のものと見ている自分が本来の自分であり、両方を合わせた世界が自分そのものである。自らを分離したその見方は、分裂した世界として投影される。すべての争いの源である。自分が悪を分離すれば、その悪が苦として自分に戻る。すべては一つで一体不可分であるから、分離したものは統合しようとする。すべては一つであるから、分離の力より統合の力の方が強い。常に上回っている。中心は動かない。中心から離れるほど、統合の力が加速度的に増していく。離れるほど維持に力が必要になる。分離すればするほど、分離しようとする力が弱まる。統合の力が勝ると、統合の力に抗しきれなくなり、分離できなくなる。すべては中心に向かう。すべては一体化に向かう。自然に向かう。自然から離れるほど、分離するほど、思い通りに行かなくなる。そして、最後は、神と悪魔、物質と反物質、あの世とこの世、光と闇、生と死が一つになる。分離の響きは消え、元の響きのみが残る。分離した自分を自分と思っているならば、それは、永遠の死を意味する。すべてのすべてが元に戻った時、その世界に存在できるのは、統合を果たした、分離をすべて統合できた魂だけである。そして、そこから、二度と滅ぶことがない、本当の天国、本当の平和な社会の建設が始まる。これは宗教でも、神話でも、空想でもない。創造のメカニズムに基づく、ただ一つの帰結である。この帰結に反論するならば、このメカニズム通りにあなたは本当の死を迎える。一体不可分の世界を分離できるのは「幽界」だけである。

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元つ話832 足場は科学にある

2013-10-24 Thu : 長谷章宏語録 
物理体を持つ霊を人間という。本体は霊である。高位の霊はより低位の霊を操ることができる。霊は人間を動かすことができる。従って、霊が霊を操れば、物理体の動きとして現れ、物理体に認識できる言葉として聞くことができる。それゆえ、憑依、神懸り、狐憑き、イタコ等々という形で、この世に現象化できる。本体が霊である人間は、すべて神懸りであり、自らの同調する霊界と同じ思考をする。人間の思考のすべてがいずれかの霊界に存在するが、実際は、最高霊界(神界)の響きと同調する霊界のみが存在し、本来は、幽界に属する霊界は存在しない。最高霊界の掟に反した霊を最高霊界に戻す仕組みが許されている間だけ存在が許されている、言わば、期間限定の霊界である。最高霊界の響きを持つ霊を「人(ヒト)」という。「人」が快欲に囚われると、快欲のみを追い求め、分裂した戦いの響きを持つ霊となる。その霊を「獣(ケモノ)」という。人間とは、物理体を持つ霊のことである。人間という姿が人間の実体ではない。幽界がある間だけ、ケモノも物理体を持てるが、幽界が消滅すれば、ヒト以外は、どこにも存在できない。「獣」の末は滅びである。

幽界は、獣の響きの霊から見れば存在するが、人の響きの霊にとっては存在しない世界である。神懸りが宗教の専売特許だと思っているならば、科学が神懸りであることを見落とす。宗教とは、霊界と現界の関係性を法則化する時空を超えた科学であり、科学とは、霊界の体現である現界の現象を形の世界で法則化する時空を制限した宗教である。言い換えれば、人間界で言う科学とは、霊界のメカニズムを加味しない霊界の箱の中で現象を意味付けた、限界限定の宗教である。霊界を加味した、神智学、形而上学、超心理学云々の「宗教もどき」もあるが、足場は科学にある。科学とは、条件付きの宗教なのである。従って、二極分裂を基にした「科学」では、神現一体の霊界のすべてを知ることはできない。すべての霊界は最高霊界の響きの中にあり、各々の霊は、最高霊界の掟に反する度合に応じて低位の霊界としか繋がれなくなる。現代社会は、幽界と繋がる獣の響きを持つ霊が、自らが存在可能なようにシステム化した末の世界である。その世界でのシステム、善悪、正誤、美醜、生死、時空等々の対立(分裂)概念は、神界では実体はなく、全く意味をなさない。

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元つ話831 霊の核である真中の響き

2013-10-23 Wed : 長谷章宏語録 
人間に語るというのは、物理体を通して霊に語るということである。霊界には、物質体を持たない霊もいる。さらに、その霊を体とする霊もいる。霊は、入れ子の箱のように無限に繫がっているのである。物理体というのは、霊の一番外側の体であり、それを体に持つ霊を人間と呼び、人間の霊を体にする霊がおり、その霊を体にする霊もいる、というように、その内側に、無限に霊が存在している。人間界の表現ではこのようになるが、実際には、その境はない。一番内側の霊を神といい、神のみが天国を作れる。そして、各々の霊に対応する霊界があって、当然のことながら、霊界も無限に重なっている。内側の霊ほど、外側に霊界があり、人間の霊の世界は、物理体の世界よりも広い。一番内側の霊の世界をミロクと言い、万古末代弥栄の響きの光のみの世界である。霊がどこまで目覚めているかによって、物理体を通して感覚できる世界が異なる。その最奥の神の霊を産む神の種を真中という。霊の核である真中の響きは、元つ大神の響きと一体不可分であり、すべての霊界はその種を源として作られる。しかし、神の霊を対極に分離した霊が一番内側だと思っているならば、永遠に争う幽界を産み出すことになる。「身魂の大掃除」というのは、大神と共鳴している霊体の種のみを残す作業である。その種のみになるから、完全に幽界の虜になっている場合は、自我を生み出す霊はすべて消滅することになる。霊体の種とミロクの体が一体になって、ミロクの天国を体験できる現実が実現する。ミロクの体に入れなければ、ミロクの現実はない。実体がある霊界はミロクのみであるから、実体の無いすべての霊界は霧のようなものと言える。物理体から見れば実体がある「この世」も、実際には存在しない幻の世なのである。最後の大掃除を超えるためには、真中の真コトのみを磨き出すしか術はない。元つ大神の響きに完全に同調しない限りは、「自己」の生存は絶対に保障されることはない。この世の生き様も含めて、自らが思考することは、全霊界に影響を及ぼし、その結果が自らの現実に反映し、現実に対する思いが再びすべての霊界に返るという繰り返しで、自らの体験が変容していく。自らの体験を変えたければ、自らの思いを入れ替える必要がある。人間に語ることは、同時に、すべての霊界の霊に語ることである。

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元つ話830 現界の物理体を通して見た「生まれ変わり(輪廻転生)」の現象

2013-10-22 Tue : 長谷章宏語録 
幽界は略奪の世界であるから、現界と幽界の間の行き来を繰り返しながら、奪っては捨て、捨てては奪うを繰り返し、自らの産み出す響きを消していくことになる。現界の物理体を通して見た「生まれ変わり(輪廻転生)」の現象である。幽界を抜けた霊は生まれ変わりの概念はなく、自らの心から時空も生死も消え、永遠の生に生きる。元つ響きがすべての幽界を消滅させれば、霊と体、霊界と現界が一つになり、霊体一如でその現実を体験することになる。もはや死はなく、万古末代弥栄の神代に生き通しとなり、人類が追い求めてきた自由、平等、博愛、平和が一つになった天国がすべての世界の現実となる。これが、永遠の天国、ミロクの世、元つ真釣りの神代と呼ばれている、霊界で唯一の実体世界である。

幽界に囚われている霊が永遠の天国に生き戻るためには、相当に厳しい試練を体験することになる。それは、神界の掟を破った自らが招いた試練であるから、自業自得であり、それをすべて引き受けることしか、永遠の天国に生きて戻る方法は存在しない。「神」とは、天地自然の掟通りに生きる、自らで自らのすべての現実を産み出せる霊のことである。深奥の神の響きを封印したまま、天国を創ろうとして幽界での戦いに明け暮れているならば、それは、自らの滅びを意味する。自らが自らで自らの天国に戻るのが、人間界でいう「身魂の大掃除」である。それは、すべての幽界の霊線を切ること、人間界で言えば、アヤマ知の創る世界の現実から(嘘の天国の道から)奇麗サッパリと足を洗うことである。自らが霊であることを自らで封印してしまったことで、『生まれ変わりがあるかどうか』の議論をしているが、「生まれ変わり」という概念を想像していること自体が、それがあることの証である。議論とは、自らが認める(認めない)世界についての物理体の世界での発言権争いに過ぎない。『存在するものを許すかどうか』の議論であって、霊的には全く意味がない。『存在するかどうか』の議論は、物理世界の実体として見えないもの、が対象である。幽界は、現界で言う『して欲しいから訴える』『してくれないから恨む』の戦いの世界である。

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元つ話829 自らが霊であることを自覚すること

2013-10-21 Mon : 長谷章宏語録 
本来は、他者が他者の霊線を繋ぎ換えることはできない。自らが霊線を繋ぎ変えることで、どんな世界のことでも物理体を持ったまま認識し、その世界の現実を体験することが可能である。自らの意思で、天国も、地獄も、消滅の現実も体験できるということである。そのためには、その霊自体が自らの意志で実行し、自らが自らにしているマインドコントロールを変換しなければならない。『何かが自分をそうさせた』と思い込めば、その自分が自分にその霊界を体験し続けるための操作をしたことになり、戦いによって自らの霊力が無くなれば、それは自らの消滅を意味する。最高霊と同調しない限り、戦いは自らの霊的な死を意味する。すべては自らの選択した霊界の体現であることを自覚しなければならない。

霊能者、陰陽師、エクソシストというのは、物理体を持ったままで、霊界(正確に言えば、幽界)に影響を及ぼすことができる(現界の如くに霊界に干渉できる)力を持った物理霊である。マインドコントロールというのは、人間の本体は霊であるがゆえに自らを自らでコントロールできる、という特性を使って、言葉を媒介にして、物理体を持った霊を物理次元から操作する技術である。他者に操られているかのように思うが、その実体は自己操作である。自らが自らを操作していることを認識している度合いが弱いほど(依存が強いほど)簡単に操られることになる。自らの実体を自覚しない限り、その操作から抜け出すことはできない。他者へ責任を転嫁しても自由になることはできない。その現実は、自己の実体を知らない自らの招いたものだからである。自らが霊であることを自覚することが物理体の世界での制限から抜け出す唯一の術である。それが自覚できれば、天国の実像や神の実像を思い出すことができ、自らが体験している現実を劇的に変化させることができる。争いというのは、結局は、現界と神界の戦い、物理体を持つ霊と持たない霊が創り出した幽界での戦いである。人間界の「戦争」は、物理体を持つ霊同士が物理体で戦っているに過ぎず、その実体は、霊と霊の戦いである。それゆえに、死という現実はなく、結果として、幽界が消滅するまでは、物理体を破壊しあう(殺しあう)戦いはなくならないのである。

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元つ話828 より低位の霊ほど、集団を支配したり、集団に依存したり・・・

2013-10-20 Sun : 長谷章宏語録 
人間界というのは、姿形は人間という一種類の分類となるが、その中身は全霊界の同居した物理次元の霊界であり、そこには、すべての霊が共存している。どの霊界に所属するかで、人間としてのハタラキが変わる。それぞれの人界、それぞれの個体に感応する、物理体を持たない霊界が干渉しあうため、幽界が存在している間は、霊戦の世界が展開される。霊同士の支配干渉の主導権争いの世界である限り、大元の響きの体現である自由や平等や平和を創ることは不可能である。霊同士は、霊格が違っても、その粒子の粗さの違いにより重なって存在できるが、物理体同士は同時同空には一体のみである。従って、存在位置の奪い合いとなる。思想というのは、霊界を人間界で認識し、言葉にしたものである。高度な霊界の思想は、低位の霊界の霊には理解することはできない。高位の霊界ほど、霊界の実体を認識できるから、依存関係は必要としなくなっていく。また、生死を超えているため、死を恐れず、人間界の支配や操作には感応せず、より低位の霊を操作するための人間界の制限にも影響されなくなる。より高位な霊ほど、人間界の言葉で言う「自由」「天国」を個人的現実として体験することができる。より低位の霊ほど、集団を支配したり、集団に依存したりして個人的な自由を獲得しようとするから、自由を獲得するための争いが激しくなる現実が実体となっていく。より低位の霊ほど、物質への執着が強く、金を命の源と錯覚して、金を神として崇め、機械に依存する。高度な霊界についての話は、高度になるほど緻密な響きになるから、人間に霊が見えないのと同じ理屈で、低位の霊がその物理体で体験して解釈できる具体例をあげないと理解できない。霊格の差が大きいほど、低位の霊は高位の霊の響きを拒絶する。苦しさゆえ、自らと同等以下の霊界に居座ろうとするからである。人間界では『認めない、あり得ない、許せない』等の言葉として体現される。

霊界に時空はないから、仮に物理体の抹殺を図ったとしても、自らが持っている響きは消えない。人間界を去れば、どこにも逃げられず、高位の響きをそのまま受けることになる。人間界は、霊界の響きの共鳴現象の体現の場であり、物理体同士の霊の場合でも、何も言葉を発しないとしても、霊の響きが体を通して感応するから、低位の霊の方が苦しくなり、その響きから逃れようとして暴れる。それが、怒りや暴力、「理性を失った行動」となって体現する。完全に拒否した場合は、自分の世界から外界を遮断してしまい、冷徹な言葉をぶつけたり、俗に言う「意味不明な反応」をしたりすることもある。人間界での「会話」は成り立たなくなる。高位の霊が低位の霊に干渉しようとした場合は、高位の霊も苦しくなる。低位の霊が自覚して、高位の霊界に移ることに同意しない限り、低位の霊が改心することはない。『わからせる』『わかってもらいたい』という願望は、幽界のコントロール合戦に自らを留めることになり、逆に自らの霊格を落とす結果になる。自らの霊格を自らの意思で上げない限り、高位の霊界の実像を知ることは出来ず、支配、操作合戦を永遠に続け、結局は、人間界での自らの立場も失う。自らの自由、安定を確保すべく他者を操作しようとすれば、それは、自らの苦痛と霊の堕落という形で自らに返る。自らがしたことは、自らの現実に影響を及ぼし、そこから霊格を上げるには、さらに厳しい試練を受けることが必要になる。永遠の天国では、他者を操作しようとする霊は消滅する。他者の操作というのは、最終的には、自らの永遠の死を意味する。実際は、他者を操作することはできない。

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元つ話827 「預言者」と言われる人間達

2013-10-19 Sat : 長谷章宏語録 
物理霊の意思に関わらず、高位の霊界から直接アプローチすることもある。物理霊がそれを拒否することは絶対に不可能であり、拒否するほど自らが苦しくなるだけである。そして、結局は、それを受け取るしかなくなる。すべての幽界の結界を破って、最高位の霊が人間界にメッセージを送るのは簡単である。これを受け取って体現する役をしたのが、「預言者」と言われる人間達である。この現象を『認めない』こともできるが、それは全く意味のないお遊びである。そこから得られるメッセージを受け取り、自らの霊格を上げるために使わない限り、自らにとって何の恩恵ももたらさない。そればかりか、それは、最高位の霊への抵抗であり、内奥の封印を意味する。結局は、自ら消滅を呼び込むことになる。

憑依と呼ばれる現象は、憑依される霊の側が波長を合わせているのが原因であり、自らの意思を無視して他霊が感応することはない。自らの怖れや興味がそこにあれば、高位の霊が感応することが可能である。高位の霊が低位の霊に力で勝れば、その物理体を自らの物理体であるかのごとく使うことができる。物理界から見れば、人格異常、憑依、魂の入れ替えのように見える。チャネリングと呼ばれる現象は、物理体の同意の下に、このメカニズムによって現象化したものである。物理体の持つ知識、言語体系、同意の度合いによって、その現れ方が変化する。多重人格とは、多数の霊がある霊を奴隷化し、その物理体を通して自らの意思を現象化することである。霊界の現象については、医学では対処できず、霊媒師であっても、霊格が低ければ、その現象を止めることはできない。すべての現象は霊力の成せる業であって、霊力の低い霊が、より高位の霊に戦いを挑めば、それは自爆テロをしたのと同じことになる。しかし、人間界のテロとは違い、高位の霊にとっては、何の影響も無い。自爆を図った霊が、自らが与えようとしたダメージをそのまま受けるだけである。動物霊が憑依できるということは、霊格的には動物霊以下であるということを示す。

動物霊は弱肉強食の獣の響きをそのまま体現するから「自然」であるが、人間霊は弱肉強食の獣の響きに囚われていることを認めず、深奥にある神の響きを鳴り成らせていることを証明しようとするから、戦争に反対したり、善人のフリをしたりするというように、自らの獣の響き(本性)を巧妙に隠そうとすることが多い。人間霊はその深奥が神であるから、獣の響きのままで天国を作ろうとするが、それは叶わない。「獣」の響きで調和を乱した人間霊が「神」のフリをすると調和が乱れ、滅びの響きが増長していく。響きが乱れるほど苦しみを感じ、その苦から逃れたい一心で、誤魔化しがきかなくなり、いずれ、自らで自らの偽装を崩す(自らの口で嘘を白状する)事態になる。どんなに巧妙に正体を隠そうとも、必ず本性を現す時が来る。自らの所属する霊界を善とし、他の霊界に戦いを挑んでも、その霊界での力を失えば、自らの所属する霊界を体現することになる。今の人間界は、深奥の元つ大神の響きを封印した霊界(幽界)であり、現界に展開された歴史を通じて形にした理念や事象は、本当の天国とは逆さまの「滅びの世界」に自らを導いていることを示している。現界の現象的には誤魔化しが効いたとしても、内にある響きは隠せない。

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元つ話826 高位の霊のフリをして預言をする人間霊や動物霊もいる

2013-10-18 Fri : 長谷章宏語録 
波長の乱れが起こす衝突は、霊同士のこともあれば、霊と霊界そのものとのこともある。前者は、傷害、殺人、戦争等の形で現われる現象であり、後者は、自然災害と呼ばれる現象である。この現象があることで、霊が人間界において自らの響きの乱れを自覚し、乱れを直すことができるのである。しかし、人間界の霊はそれを知らないため、形の現象だけを見て、お互いを攻撃し合い、ますます、響きを乱してしまう。この乱れは、大神の響きが全霊界に響き渡れば、すべて消滅し、現象として「人類滅亡」の形になる。これを霊界で感応し、その霊格に応じて解釈した映像を言葉や文字を使って、時代と場所にあわせた表現で物理界に降ろしたものが、終末予言である。より高い霊格の霊がその下の霊に順次伝達して、物理体を持つ霊に感応し、その意思を物理界に伝えることもある。それが、神示、神のお告げ、預言、予言、自動書記である。ただし、その内容を見れば、それがどの霊格の霊界からきたものかは判断できる。この現象を使って、高位の霊のフリをして預言をする人間霊や動物霊もいる。霊界に疎い人間は、怖れからそれを鵜呑みにしてしまうことが多い。人間界での詐欺師のような霊のお告げもあり、それを、哲学や科学という形で人間の思想に見せかけることもできるし、神のお告げであると言って、力を持たせることもできる。よって、自らが同調した霊界がどんな世界であるかによって、現実が決まる。他者に依存している物理霊は、自らが霊格を上げる努力をしないから、奇跡やお告げを欲しがる。しかし、霊界をいい加減に扱うと、とんでもないダメージを受けることになる。

他者が降ろした霊言を人間界で伝達する場合も、その伝達する人間の霊格によって、フィルターがかかるから、伝言ゲームの如く、そのままの響きが伝達されないことが多い。論争をしている宗教や、引用をして解説を加えている伝達者には注意が必要である。しかし、実際は、自らの深奥に元つ大神の響きを持つから、自己対話をすれば、他の霊界の干渉を最小限にして、高位の霊界の波長に同調し、すべてを知ることができる。霊格が上がる際には、物理体の変調(具合の悪さ)が起きるが、騙す霊もいるかわりに、導く霊もいるから、その乱れに慌てることなく、自己対話を進めていけば、自らが同調した霊界の指導霊が、邪霊の干渉を抑えてくれる。しかし、それは、あくまでも、自らの意思によって霊格を上げる努力をサポートするものであって、そのサポートに依存すれば、すぐに、救世主思想に戻ってしまうから、覚悟して取り組むべきである。これは、物理体の有無に関わらず他の霊界でも続けられることであるから、死という幻想や依存心を捨てていけば、必ず、自らの深奥の響きに到達できる。その響きに戻らない限り、すべての霊界の干渉を絶ち切ることはできない。その響きに戻れば、どの世界にいようとも、永遠の天国が約束される。

三千世界を通じて、すべての霊は、永遠の天国を望んでいる。従って、最終的には、神界の最高霊(元つ大神)がすべての霊にその響きを渡す時が来る。自らがそれを封印する力が強いほど、拒否しているほど、苦痛を伴うことになる。強制的に苦しめられているように感じるが、それは、自らの内奥にある響きを解放するために、自らが望んだことである。永遠の天国である内奥の響きを低位霊界で実現しようとして幽界を作ったのは自分であり、自らの深奥の響きを実現するために必要なものを渡されたのであるから、強制されたわけではない。それは、自らの望みであるとともに、天地自然の掟でもある。その掟通りに戻すため、言い換えれば、永遠の天国の実現という共通の理想を実現する過程に自らが貢献するためにも、それを渡されることが必要なのである。本当の「世界平和」に貢献するためには、自分勝手な天国を創る響きを綺麗サッパリと大掃除することが絶対条件である。

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元つ話825 人間界で言う「病気」「怪我」「被害者」

2013-10-17 Thu : 長谷章宏語録 
人間界というのは、最も凝り固まった組成の霊界であり、すべての霊界から干渉することができる。言い換えると、物理的に見れば「人間界」であるが、霊界から見れば、すべての霊界の霊が物理体を持って行為することが可能な最低位霊界である。憑依とは、霊が霊に感応し、それが物理体に現われる現象をいう。あくまでも、霊界での同調現象であって、物理体を乗っ取るということはできない。物理体そのものは、元の大神の響きをもっており、その物理体に初めに入った霊以外は、そこに入ることは許されない。霊の振動の波長が大神の響きと相違する場合には、その波長の不調和が、物理体にそれ相応の損傷として現われる。これが、人間界で言う「病気」「怪我」である。これは、自らの波長の乱れが自らの物理体を損傷する現象で、内的損傷を病気、外的損傷を怪我と呼ぶ。霊界での霊の戦いの結果、混乱した霊が物理体に現象化した行動や言葉の人間界的異常性(病的現象性)が、物理界での物理体に原因が特定できない時に、精神病という医学用語を使う。痴呆とは、霊が自らの意思をコントロール出来なくなったときに現われる現象であり、人間界の法則に同調することができず、時空の混乱、理性の喪失という形で人間界に現われる。心理的被害とは、物理体に現象化される前の状態であり、いずれ、物理体に損傷が現れる。ストレス性の疾病や、うつ状態からの病変、精神異常者の犯罪等がこれに当る。現象化された形は、医学や法律では解決することはできず、解決しようとするほど悪化の道を辿る。

波長の乱れ具合が同調した霊同士が出会うとお互いに損傷を受けるが、物理界は時空があるため、その前後関係から、加害、被害の姿として現われる。しかし、それは、あくまでも、各々の霊の波長の乱れが起こした衝突であり、各々の損壊は自霊の響きの乱れが自体を害したものであるから、加害者の消滅を図ったとしても、被害者をなくすことはできない。この世には被害者というものは存在せず、あえて言えば、自らを害した加害者は自らである。被害者を主張し、加害者の改心を迫ったとしてもそれは叶わず、自らの苛立ちが増えるだけである。霊に源がある損傷を形の世界に転嫁して解消しようとしてもそれは不可能である。霊界と現界の関係が完全に見えなくなった霊同士の争いの世界が現代社会である。自らの不都合を誰かを責めることで解消しようとしても、無理である。ストレス解消などというマヤカシは、自らの乱れの作り出す苦しさを自ら以外にばら蒔いて解消する究極の自分勝手であり、解消したストレスは、いずれ、自らの元に帰ってくることになる。裁判というシステムは、霊界のメカニズムに反するものであり、いずれ、機能不全に陥る。

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元つ話824 自らの波長相応の霊界

2013-10-16 Wed : 長谷章宏語録 
霊同士の関係はその姿形には関係がなく、一番内奥の霊(元つ大神の響き)はすべての霊界に影響する。そして、それぞれの霊が現実世界として認識する(体験する)霊界は、その曇り具合、言い換えれば、響きの乱れ具合(分裂の度合)に応じた霊界である。霊は、自らの波長に応じた現実を体験する。人間の体験に例えれば、自らよりも低い霊界は実体として、高い霊界は心の世界(想像の世界)として認識する。しかし、両方とも、現実であり、自らが直接影響を与えることができるのは、より低い霊界のみである。影響を与えることはできるが、それを受け取るかどうかは、相手の霊の同調度合に依存する。つまり、相手の霊の意思に反して、自ら以外の霊を操作することができる霊はいない。元つ響きを持つ深奥の霊であっても、時が至るまでは、意思に反して幽界の響きを消滅させることはできない。霊の世界では、波長の同調度合により、自己の存在する霊界が刻々と変化する。

各々の霊の体験する現実は自らの波長相応の世界である。自らが波長を変えることによって望む霊界に移行することができるから、他の霊を操作する必要はない。しかし、他の霊を操作することに喜びを感じる霊は、操作されることに喜びを感じる霊と霊界を作り、その中で依存の関係でその現実を体験し続ける。自らのレベルに応じた霊界を自ら選択するのが霊のメカニズムである。人間界での現実も全く同じであり、各々の現実は各自の選んだ霊界の霊同士が人間界で体現する世界である。自らが深奥で望むことを現実として体験するから、表面上は、自らの望まない現実であるように見えても、それは自らの望むものである。自由を求めている者が、『自由にしてよい』と言われると不安を感じ、自ら従属する立場を選ぶ。自ら奴隷になることを選んでおいて不平不満を言っているのが人間である。『自分の体験は自分の選択ではない』という逃げ道をつくると自由になることはできない。霊に制限はなく、どんな世界も実体化できる。すべては、自らが言った通りの現実である。

自らの望みと現実が違っている場合は、他者を操作して自らの望む現実を創ろうとしている時である。それは、霊界の侵略と同じであるが、ある霊界を他の霊界に変えることはできない。自らが波長を変えなければ、いずれ、自らの波長相応の霊界に移動することになる。自らの現実は自らの波長を映し出す。自らの現実がいかなるものであろうとも、それが自らの望む霊界である。他者と戦わなければ望む現実が体験できないならば、望む現実を体験することはできない。他者を操作して望みを果たしたとしても、自らの波長と異なる世界に居続けることはできない。どんなにその霊界の現実の維持を図ろうとも、結局は力尽きて、響き相応の霊界に戻ることになる。他者に自らの夢を託しても、それは自らの現実にはならず、夢破れて(期待が裏切られて)失望感を呼び込むことになる。それは自らの一人芝居であるから、他者を責めても何も解決することはなく、自らの失望感が増すだけで、夢を実現するのに、更なるステップが必要となってしまう。それを繰り返している限り、どんどん狭い箱に自らを押し込んでしまう。夢を実現するための苦労を自ら増やす(開ける箱が増える)ことになる。僅かなズレも無く望みと行動を一致させることが、波長を合わせることであり、自らの波長に一致した霊界であれば、そこに居続けるのに力を使う必要はない。策略や戦略を使うことなく、夢の世界を現実とすることができる。霊界のメカニズムを否定すれば、それは、自らの望みの現実を拒否していることになる。従って、戦いの霊界を彷徨い続けることになり、天国の現実を体験することは永遠にない。

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元つ話823 死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う

2013-10-15 Tue : 長谷章宏語録 
『死者に冥福を祈る』という行為は、物理体をもった霊が、物理体を離れた霊よりも上位の霊界にいると思い込んでいることに起因する。実際には、物理界は、最も不自由な体験をする最下層霊界であるから、その実体はアベコベである。あの世から見た人間(箱に入った不自由な霊、死者)が、この世から見た霊(箱から出た自由な霊、生者)に戻るのがこの世で言う「死」である。あの世から見たら「誕生」であり、あの世で言えば、この世に産まれることが「死(私=利己主義、子=霊が親)」なのである。誕生と死、行きと帰りがアベコベとなる。どの視点から見るか、の違いであるが、真実を知るなら、立体の上下左右(平面の対立)ではなく、あの世とこの世という、肉体(箱)の出入りを伴う「立体の立体(立立体)」の行き来の話となる。逆さまの生き方をして、この世(箱、霊の器)とあの世(中身、霊の命)の関係が分からなくなった結果、本当の死の世界を聖なる世界、本当の生の世界を穢れた冥土と思い込んで、『死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う』という、よく考えてみればおかしなことが当たり前の如くできるのである。

『人間が墓参りをしてくれなければ自分は成仏しない』と言っている霊は、何ともおかしな霊である。それは、人間界でのビジネスの取り引きと同じ論理であり、非物理霊(大人)が物理霊(子ども)相手に我がままを言っている幼稚な戯れに過ぎないが、物理体の霊に自らの欲望を満たさせるというのは、動物霊以下の行為である。慈悲、罪悪感などをもっていると、このような霊につけこまれ、自らの霊力を自らで殺すことになる。霊界は自己責任の世界である。操られたとしても、それは、自らの取り違いのゆえであり、誰のせいでもありえない。霊能者に霊を祓ってもらっても、それは、その霊能者と憑依霊の戦いであって、お祓いを要求した本人には意味がない。人間界で例えれば、強い人間を連れてきて、自分をいじめる者を排除させようとしているのと同じであり、力の無い者が力のある者の自尊心を操って、楽して危険を回避しようとする茶番である。それは、自分自身の力で戦ったことにはならない。誰も助けてくれなければ、自分の力で排除することになるが、自分の力で戦ったことがない者は、為す術もなく殺される。誰かに自分の代わりに何かを訓練させても、それは、その誰かの能力が向上するだけであって、自分の能力は向上できない。誰かに毒見をさせたとしても、自分の毒死の危険は去ってはいない。自らが自らですべてをやらない限りは、依存していたものがすべて消えたときに、何もできなくなる。

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元つ話822 現代社会は実際には存在しない世界

2013-10-14 Mon : 長谷章宏語録 
元つ大神が情けをかけたのは、あなたをミロクの天国に生かしてあげたいという親心からである。本来ならば、真釣りを外した霊は自然淘汰の滅びであり、今ここには存在しない霊である。その霊が生み出す現代社会も実際には存在しない世界である。あなたが魔釣りのまま生き続けるというならば、最後に天地の掟通りに滅んでも、あなたには訴える資格はない。そんなあなたを真釣りに生かすために「情けと花の仕組み」を構えるご苦労は、慙愧慟哭の艱難辛苦の修羅の地獄の苦しみ以上の厳しいものである。大神がそれほどのご苦労をされてまで、天地の理法を破った我が子をミロクに迎えようとする親心、神意を汲み取り、真釣り外して好き放題に天地を荒らしてきたことに対する本当に心底からのお詫びと、あなたを真釣りに戻すご苦労をして頂いたことへの本当の感謝をもって、どんなに厳しい試練、ご苦労にも耐えて真釣りに戻すことが大神への恩返しであり、天地自然の掟を破ったことへの罪滅ぼしとなる。あなたは大神の情けなくして命は無い存在なのである。

「死の恐れ」は、真釣りを外して、霊界の真実を忘れ去った霊が産み出す幻である。死の恐れを持っているから、アメとムチで操ることができるのである。あなたが真釣りを外したことが、騙された原因であり、あなたが今世でどんな体験をしていようと、すべて、自らの不手際がもたらした自業自得の現実なのである。あなたの現実の責任はあなた以外にはどこにもないのである。心は、他の霊界の姿を映す。脳は、霊が物理体を操作するための中継伝達器官であって、霊の持つプログラムが物理体というロボットを動かすためのコンピューターである。二極分裂である脳が「永遠無限」を創造する心を作ることは絶対にできない。霊が『脳が心を創る』と思えば、脳に心があるという現実を体験し、その世界で心の存在を探すことになる。霊の同意なしにはその霊の物理体を動かすことはできない。

物理体から霊界を想像することはできるが、物理界が霊界を創り出すことはできない。物理界の現実は、霊が物理体に入ることで体験する現象だからである。従って、物理体に現われた傷病や物理界の不都合は、物理体自体には原因はない。その治癒(解決)には、物理界の中(形)だけの修繕を繰り返してもその目的は達成できない。霊が自らを殺そうとすれば、戦争界を産み出す。物理界で言う「命」とは、物理体の有無を指す言葉でしかなく、その有無は本当の命の消滅とは関係しない。形の生命保存の社会システムがある限り、物理界での戦争は消えない。法律で「殺人」を禁止しても、それがなくなることはない。

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元つ話821 すべての世界は実際には境界のない一つの世界である

2013-10-13 Sun : 長谷章宏語録 
生きていようが死んでいようが、あなたの現実創造の仕組みは何も変わらない。あなたに今、苦痛があれば、死んだ後もそれは続く。あなたの苦や痛み(楽や喜び)というのは、あなたという霊が肉体を使って感じる感覚であり、病気や怪我、世の不幸というものも、霊の世界の状態が形の世界で現れたものである。従って、形の世界でどう修繕しようとも、治るどころか、それを続ければ、ますます原因を増やしていくことになるのである。そして、ますます形の破壊(不都合)が進み、霊が消滅とすると同時に、形の世界(肉体)も消滅することになる。霊が生きていれば、この世を去っても死ぬことは無い。あなたは、肉体という物理体に共鳴している霊であり、霊界での行動の結果が、現界に現れることになる。あなたが死を作り出して、死を避ければ、現界では形の修繕になり、奪い合いになる。それが戦争の原因である。肉体そのものがあなたではないから、本当のあなたに死はない。あなたが認識できるすべての世界は、実際には境界のない一つの世界であり、人と人、人と霊、霊と霊、この世とこの世、この世とあの世、あの世とあの世、姿形は変われども、霊同士の、連続した営みの体現である。あなたが今どの世界を現実としているか、という違いに過ぎず、今の世界がすべてではない。従って、あなたが死ぬことはありえない。あなたが今の世界の現実をすべてだと思い込めば、死を恐れ、戦いの世界を産み出す。

「この世(人間界)」と呼ぶ世界は、物理体(五感)で認識できる世界を現実としている霊の集団が創る物理界のことである。最低位の霊が、自らが住めるように、自らが操作可能な材料で創った世界で、相互に依存(干渉)し合うシステムをその内に持つ。しかし、実際には、霊界は一つの世界であり、「物理界」という実体は存在しない。幽界霊の作り出す世界を分類した場合の呼び名に過ぎない。現存する物理界は霊界のうちで最も自由のない世界になっているが、その物理界の中にさらに様々な「界」を作り出し、その世界の相互依存で成り立つのが「現代社会」である。物理界の法則は、より高位の霊には通用しない。

霊界なくしては、その映しである現界は存在しない。霊界があって初めて現界が存在する。現界の物理体そのものを、他の霊界に移すことはできない。物理体で操作できない別次元に霊が移ることで、その次元の組成で構成された体に入り、その霊界が現実の体験となる現象を物理界で「死」と呼んでいるだけであって、移った霊界では「生」が現実となる。ミロクの体に入ればミロクの民となるが、ミロクの世は、真釣りの世であるから、霊が真釣りの響きに戻っていなければ、ミロクの体でミロクの世の現実を体験することはできない。あなたが真釣り戻しをしなければならないのは、三千世界がすべてミロクの世に戻るからである。あなたが魔釣りのままならば、あなたの生きる場所はどこにもなくなる。

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元つ話820 川上に悪を流せば川下は悪に染まるのが天地の理法

2013-10-12 Sat : 長谷章宏語録 
これが現代社会を牛耳る黒幕が世を操るための思想である。あなたが今、天国そのものでないならば、あなたはものの見事にその黒幕に騙されていることになる。人類の歴史を通して、天国ができていないどころか、地獄を進めているのは、現代社会に至るまで長い間受け継がれてきた思想(観念、常識)の根本が嘘だということである。嘘から産み出されるすべてのものは、嘘であるのが道理である。川上に悪を流せば、川下は悪に染まるのが、天地の理法である。川に汚物を流せば、それが海に流れ、上昇気流で空に上がり、雲を作り、雨を降らせ、地中に染み込み、再び川に戻ってくる。土が濾過しているから綺麗になっているように見えるが、あなたが垂れ流している汚泥を止めなければ、あなたの現実はどんどん汚泥混濁の世界となっていく。自らのした結果を誰かに押付けて、形の上で精錬潔白を装っても、それは猿芝居である。形に現われた有害物質や大気汚染を何とかしようとしても、それは無理である。自らを危険にさらすように見える形を塗り隠したり殺したりしても、何も治っていない。結果を結果でいじくり回しても、原因を直さなければ、全く意味が無い。あなたの穢れ、不都合、苦、病、闇の真因は、真釣りを外したことである。

神の支えるハタラキを金の支えるハタラキにすりかえて、自らだけの天国を創ろうとしても、それは露の如く消える幻想である。本当の天国を壊した世界に作り出した神が「お金」だからである。現代社会は、資源を奪い合い、「資源から作ったお金で天地(資源、自然、生き物、臓器、命、神)を売り買いして、快欲を満たす」というとんでもないことを平然とやっている世界なのである。人間の世界は霊の世界の写しであり、あなたが死んだとしても、あの世も同じ仕組みである。結局は、あなたは同じ世界から逃げることはできず、自らの意思でその泥棒の世界から脱出しない限り、破綻する世界が必ずあなたの現実になる。『限りがある』という霊が物理体に入れば、そこにある資源を限りあるものと錯覚する。そして、『限りあるものでいかに自由になるか』と考える。『いかに自分だけが資源を独占するか』『いかに思い通りに支配するか』と考える。その結果作り出したのが、法律や裁判、経済システムである。略奪の世界である限り、恨み、妬み、不平不満、は絶対に消えない。自らが産みの責任を放棄し、転嫁し合っている限り、犯罪や戦争は絶対になくならないのである。根本のマ違いを正さないままで、どんな対策を考え出そうとも、天国はできない。

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元つ話819 迷惑な冤罪

2013-10-11 Fri : 長谷章宏語録 
天恵が有限だと言うなら、天地創造の神は有限のものしか作れない神であるか、あるいは、無限に作れるのにわざと作らないかのどちらかである。前者ならば、その神は無限の天国を作れない偽物であり、後者ならば、その気になれば全員に天恵を渡せるのに自分の子どもたちを思い通りに操りたいがために渡さない自分勝手な親である。天恵を誰かが勝手に所有し、その誰かに「お金」を渡さなければそれを使うことができない仕組みでは、天国などありえない。天恵は誰のものでもない。『誰のものでもないから早い者勝ちで所有してよい』という屁理屈は自分勝手な究極の詭弁である。誰のものでもないものは誰もが自由に使ってもよいのである。真釣りで真釣りの天恵をタダ(無料)で使うならば、天恵を使って作り出した形は真コトであるから、世を乱すことはない。魔釣りで天恵を使うから問題(悪、汚物、有害物)が出来るのである。もっとも、真釣りの世界には、お金という「金の世界で物に化ける神=儲けの道具」は無いから、無料も有料もない。タダと言う言葉は、有料が当たり前の世界でだけ使えるものに過ぎない。本当は、タダが当たり前なのである。

真釣りの天恵を魔釣りで食べて(使って)、栄養だけを吸い取って、いらないものを外に出す。それを廃棄物(ゴミ、カス、糞便、尿)と言う。ウンコが汚いのでも、ゴミが有害なのでもない。天恵を食べたあなたが、真釣りを魔釣りに変えたことが汚いものを産みだしている原因なのである。ウンコやゴミにとっては、それこそ迷惑な冤罪である。「汚い(臭い)」ウンコを製造している(食べ物をウンコに変身させている)のは、あなたの体である。あなたの肉体が臭いものを出すならば、あなたの体は善を悪に変える箱である。○をいれて●が出るならば、そのブラックボックスの中は、○を●に変える装置が入っている。あなたが魔釣りを真釣りに戻さない限り、●は増え続け、●しか食べられなくなる。しかし、あなたは○しか食べられなくなっているから、それには耐えられず、狂い死にするだろう。あなたの変換装置を逆装填すれば、●を食べても○が得られて○を出すことになる。あなた一人でも真釣りに戻れば、それは、本当の意味での世の浄化の始まりとなる。真釣りの者が増えれば魔釣りの者が改心し、百一匹目の猿の登場で、一気に真釣りが加速する。まずは、著者がそれをお見せする役である。あなたが付いて来るかどうかは自由であるが、いずれ、あなたは真釣りに戻らざるを得なくなる。魔釣りのやり方は、必ず行き詰る。

あなたの産んだ子どもの責任は、親であるあなたが取ることになる。神から人まで、この事実から逃れることは出来ない。あなたは「汚い」土から食べ物を経て、土に戻す行為を何千年も繰り返してきたのである。現代社会はその末路であり、食の安全が崩壊していることが、あなたを含めたすべての人類のしてきたことの象徴である。あなたがあなたの響きを真釣りに戻さない限り、最後は自らが産んだウンコまみれになって、あなたが産んだ子(体験)と共に、元の土に戻って、真釣りの神人たちの肥やしになる。天国の食べ物を支えるウンコの一部になるか、天国を生きる神人になるかである。あなたが何としても真釣りに戻らないと言うならば、あなたは肥やしにもならないかもしれない。あなたが真コトの天国の食べ物を食べられるか、食べ物の肥やしになるかは、あなたの選択次第である。

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元つ話818 あなたが覚醒することが鍵

2013-10-10 Thu : 長谷章宏語録 
今まで本当の天使を殺しつづけた分の償いをすれば、どんなに極悪人だろうと天国に戻る資格がある。逆に、究極の善人を演じ続けるならば、本当の天使を殺し続けて天国を自ら捨てることになる。あなたに、罪悪感がなければ、天国の方法(道具)を使うことが出来る。ただし、自らしてきたことを清算するならば、である。もし、あなたが天地の理法を破った世界の支配者だったとしても、しただけの罪を償えば、永遠の天国に戻ることができる。あなたが天地の理法を破った理法の中で救世主だとしても、しただけの罪を償わなければ永遠の滅びとなる。事実は、善と悪が全く逆さまなのである。あなたが悪を裁き続ければ、永遠の天国を自ら放棄することになるだけであり、あなた以外のすべての存在には、あなたの選択は影響しない。あなたと同じ選択をした者が自滅するだけである。あなたが真釣りに戻れば、あなただけは、本当の天国に戻ることができるが、本当の意味で誤っている方を完全に捨てなければ、永遠の天国はない。つまり、永遠の滅びが現実になる。嘘の世界で救いの父、即ち、救世主を待っても絶対に来ない。あなたが世を壊した悪魔であるならば、世を救う救世主はあなた自身だからである。あなたが覚醒することが鍵である。

あなたは、普段、何の疑問もなく使っている常識や言葉の正体をどれだけ分かって使っているのだろうか。この世には無駄なことは一つもなく、砂粒一つの動きが万象万物に影響するのである。ましてや、あなたが使っている言葉、あなたの思い、あなたの行いが、万象万物に与える影響は計り知れない。あなたが動くときは、万象万物が動き、万象万物の糸を手繰れば、すべてあなたに及ぶのである。あなたの何気ない行いが、天地自然をどれだけ乱しているのか、アヤマ知にどっぷり漬かっている今のあなたには、全く見えなくなっていることだろう。しかし、これが嘘(マヤカシ、絵空事)ならば、この世には守るべき何の掟もなく、みんながバラバラに好き勝手なことをしても世は保たれることになる。そうであるならば、法律で規制するのは矛盾である。あなたの生き様があなたの現実をつくっている。あなたが魔釣りならば、世界の出来事に関係ないものなど一つも無い。だからと言って、世界の不幸を何とかしようとすれば、それは全くの逆さまであり、ますます世界の不幸を増長することに手を貸すことになる。あなたが真釣りに戻らない限り、あなたは魔釣りの世もろとも永遠に消滅する。あなたの生き様を奇麗サッパリ変えることである。

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元つ話817 息を吸い続けても吐く時が必ず来る

2013-10-09 Wed : 長谷章宏語録 
生きは息であり、自らの心、あるいは、自然の心と言う意味である。誕生の瞬間には『オギャー』と息を吐いて、肉体死の瞬間には息を引き取って戻っていく。しかし、今のあなたの生き様は、楽を吸い取って、苦を吐くという、全くのアベコベである。あなたは、植物が生み出す酸素(O2)を吸って自らを生き長らえ、Cをつけて吐き出している。そのCO2が環境を破壊しているのである。綺麗なものだけを食べて、汚いものだけを返す。下等生物に分類している植物に自らの汚れを浄化してもらわなければ生きていられない矛盾した人間たち。自然を都合よく利用して、世を汚す人類が生き延びる世界はいつまでも続かない。自らのしたことが自らに戻ることを自覚するようになったが、形で見えるようになってから、形の世界でどんな対策をしようとも、手遅れである。ここまで見えても、まだ、自らが悪の根源だと認めず、自然との共生とか、環境保護とか、資源を大事に使おうとかいうマヤカシで、自らのしていることを誤魔化し続けている。もがけばもがくだけ、どんどん状況は悪化していく。世界は自分の鏡であり、すべては、あなたが吐いた息様が作る世界である。汚物製造機と化している今のあなたの身魂は、たとえ死んでも同じ世界をさまようのである。人類が歴史を通じてしてきた逆さまの生き様の辿り着いた先が、現代社会である。あなたの現実の味噌もクソもすべて自分の結果である。穢れた息をすべて引き取って、蒔いた糞尿の始末を自ら付けて、魔釣りの世界から抜け出せば、真釣りの天国に自心が生きることができる。自然を破壊する生き様をしてきたならば、自分が破壊されて差し引きゼロである。息を吸い続けても、吐く時が必ず来る。あなたはこの世にだけ生きているのではないから、たとえ死んでも破壊責任から逃れられない。死ぬ時は黙って死んで、あの世で清算を続ければ、あなたは清算を終えることができる。この世で何とかしようとすれば、それは神法違反を続けることを意味し、永遠の死をもって償うことになる。

あなたの現実にある不都合はすべてあなた自身が魔釣りに曇った証しであり、それを解消しない限り、天国は夢と消える。世界を動かすやり方の結末は、天国か滅びか、二つに一つである。後者のやり方をしているならば、結末は滅びであり、それに気づいたとしてもそれをやめなければ、後者のやり方のままであるから、自業自得の破壊を体験する現実を自らが選んでいることになる。後者が正ならば、前者は誤である。後者は、前者を何の罪悪感も無く闇に葬っている。もし、前者が正ならば、後者は誤となるから、後者を完全に闇に葬っても罪悪感を持つ必要はない。真釣りが天国の絶対法則であり、その法則を破っている魔釣りは、何もしなければ、結局、すべて闇に消える。絶対法則である真釣りを闇に葬っているアヤマ知の現代社会のすべてを闇に葬っても、罪悪感を持つ必要はない。『絶対法則など無い』と言うのは、アヤマ知の言葉であり、自らの生を保つための詭弁である。あなたがそれを選び続ければ、永遠に真釣りには戻れず、真釣りの天国はない。真釣りを否定するのは、魔釣りが正しいからではなく、魔釣りの命を失いたくないという自分勝手な理由に過ぎない。罪悪感を植え付けたのは、魔釣りの世を壊したくない支配者であり、もし、それが正しいならば、滅びの世を壊すことに罪悪感をもっているというおかしなことになる。本当の天使を殺した悪魔が天使のフリをして『天使を殺すのは罪である』と言ったとすれば、あなたがその偽天使の世界で生き延びたければ、本当の天使を殺し続けることになる。あなたの信奉している天使の正体が悪魔ならば、その偽天使を殺すことに罪悪感を持つ必要があるだろうか。あなたは、ヒットラーや麻原教祖や病原体ウイルスを死刑にすることに罪悪感を持つだろうか。あなたが罪悪感という理由を使ってそれをしないならば、あなたは、本当の天使を殺すことに罪悪感をもっていないことになる。あなたが自分の都合で天地の掟を破っているのだから、死刑になっても自分以外に文句は言えない。

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元つ話816 誰かの都合で決めたことを鵜呑みにし嘘をホントと思い込み

2013-10-08 Tue : 長谷章宏語録 
自然(天恵)は無限にあるのに、なぜ有限だというのだろうか。それはいったい誰が言ったことなのか。それはいったい誰が決めたことなのか。今のあなたは『天恵は無限ではない』と言うかもしれない。しかし、それは『天恵は有限である』という現代社会の真理に基づいた結論に過ぎず、それが絶対的真理であるというわけではない。あなたが生きる基である考えを捨てれば、自らを殺すことになる。従って、自らの生き残りのために『天恵は有限である』と言い続けているだけの、個人的見解の一つに過ぎないから、それは何の強制力もない。結局は、自らが有限の世界の中で苦しみを増やした挙句に自滅する自業自得の一人芝居である。天恵は有限か無限か、どちらか一つが真理である。あなたが、いや、人類が「永遠無限の天国」を望んでいるならば、天恵は無限でなければ、実現しない。天恵が無限であるから、永遠無限の天国が生きられるのである。有限の天恵で無限の天国を生きられると言うならば、それは、辻褄が合わない戯言である。あなたは何の目的があってその嘘を語り続けるのだろうか。あなたの持っている考えが真理かどうかは、論理が一致しているかどうかを見ればよい。もし、言っていることとやっていること、持っている思想と実際の現実が違っているならば、あなたの教わったことの根底には嘘がある。あなたは、誰かが誰かの都合で決めたことを鵜呑みにし、嘘をホントと思い込んで、全くアベコベのやり方で、自分の思いを実現しようとしていることになる。そして、実現しないのは誰かのせいだと言って、本当の意味で何の罪もない誰かに責任を押付けているのである。

あなたは、真釣りを外したことを奇麗サッパリ忘れ去っている。『真釣りとは何か』『真コトとは何か』『大掃除とは何か』云々の問いがあるならば、それは、魔釣りの世にいる証しであり、自らの命の源、世を作る大元を忘れ去っている証に他ならない。あなたが同じことをしていれば、あなただけが天地を自由に走ることはままならなくなっていく。そこで飼い主や世間に文句を言っても、犯罪者の言い逃れ、カモフラージュの涙には、誰も耳を貸してくれない。相互依存者同士の場合は、どんな言い逃れをしようとも、魔釣りを自ら暴露することになる。言い訳、逃げ道を探すこと自体が魔釣りの証である。魔釣りのままならば、最後の最後の身魂の大掃除は絶対に超えることはできない。魔釣りの道具を駆使して、魔釣りの世界で生き残ろうと躍起になっているが、魔釣りのままで、誰かを思い通りに動かして、自分の思いを果たそうとしてもそれは成就しない。そればかりか、何も産み出せなくなったあなたは、最後には、自分と自分の共喰いの結末を体験することになる。

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元つ話815 世界支配の最終シナリオ

2013-10-07 Mon : 長谷章宏語録 
『日本を金融システムに巻き込み、国内市場を開放させて日本を世界市場に誘き出し、その後、世界市場を破綻させて日本を潰す』それが世界支配の最終シナリオである。天孫降臨から、古代国家の中国文明、仏教、鉄砲、文明開化、大正デモクラシー、GHQ占領軍、インターネットまで、快欲に囚われた日本は、ものの見事に魔釣りの罠に嵌まり、形の仮面に騙されて、歴史を通じて、魔釣りの勢力を自らで招き入れ続けたのである。その結果が、21世紀の日本国の今の状況である。大神がいなくなったどころか、魔コトの金にすら困っているようでは、世の末も近い。日本を潰すための、魔釣りの三千年に渡る企みが成就する直前、魔釣りの日本占領が九分九厘完了した今が、魔釣りの最終段階、日本を潰す仕上げに入る時であり、今となっては魔釣りの世界の形でどんな対策を取ろうとも、手遅れである。しかし、それは同時に、真釣りに戻す最後の仕上げの立て直しが始まる直前でもあることを、真釣り戻しの天命を担うヒノモトの神民がしっかり自覚することである。魔釣りの立て替えの仕上げと同時に立て直しが始まるのである。一厘の真コトが鍵である。

お金の世界は、金で国を売り買いする世界であり、国家は経営するものである。日本円が日本国であるから、円を外貨に変換させることで、自らのフィールドに取り込んで、操作しやすくする仕組みである。金で操作する仕組みを作り出せば、金額の損得で人を誘導できる。しかし、お金では本当の神(真コト)は買えない。お金は、天恵が無ければ作れないものだからである。自らの子が自らの親を支配する仕組みでガンジガラメなのが現代社会なのである。資源で作ったお金で資源を支配する。神の作ったもので神を支配する。子が親を支配する。地球が宇宙を支配する。機械が人間を支配する。人が霊を支配する。この世があの世を支配する。脳が心を支配する。金が神を支配する。全くアベコベである。

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元つ話814 魔釣りの世のアホは真コトの賢者でござる

2013-10-06 Sun : 長谷章宏語録 
魔釣りのそなたが真釣りに戻る始めは知ることからでござるが、アタマのお勉強だけでは何も分からんぞ。分かったつもりで分かっておらん。そなたの実にはならんぞ。そなたの生活の中にあるものすべてが生きている教科書ぞ。すべてのすべてがこの方が用意した教材ぞ。そなたの生活がそなたの真釣りの学校ぞ。真釣り遊びに戻すための、積んだホコリを掃除する罪(積み)を清算する刑務所ぞ。そなたの現(こ)の世そのものが学校ぞ。刑務所ぞ。そなたらの学校や刑務所は、相対二元の善悪の遊びの中の劇中劇でござるぞ。現場から、体験からすべて学ぶのが真コトの勉強でござるぞ。そなたが知識を実行して気づいて使って智慧と為すのぞ。毎日が予習、授業、復習、テストでござるぞ。この方の申す通りに素直にやれば、誰でもミロクに合格できるのぞ。神は普段の授業態度をみておるぞ。「勉強しているフリ」は通用せんぞ。魔釣りの知恵でアタマでっかちの者ほど、上に上がりていい気になって居る者ほど掃除は厳しいぞ。全部捨てて恥をさらして秘密をバラして赤子になって裸一貫ゼロからやり直せよ。1ではないぞ。0からぞ。アタマの善い者ほどアホでござるぞ。魔釣りの世のアホは真コトの賢者でござるぞ。

悪を一つでも裁いたら、苦を一つでも避けたら、そなたに真釣りはござらんぞ。そなたが壊しただけ、肉の身で痛むのぞ。痛みを避ければ自らのしたことの責任を取って居らんぞ。アタマでっかちではミロクの入口はくぐれんぞ。そなたのツケをすべて返せよ。借りを清算せねばミロクには入場出来ん。知識は行じて智慧となる。真釣りの知識を智慧にせねば、そなたにミロクの世はないぞ。応用できねばミロクはないぞ。掃除せん者がミロクのことを知っても無駄でござる。掃除する者は何も知らずともミロクの民に成れるぞ。先がどうなるかを知るより、神の仕組みを知るより、今今のそなたの心に素直に行動することぞ。知らずして知ることになる。そなたの知りたいことがだんだん分かってくるから、頑張りてくだされよ。分かろうとしなくても分かるのでござるぞ。今必要なものを一つ一つ知って行けばよいぞ。一つ一つの積み重ねぞ。体験から学ぶのが心と体が一つの証。神の仕組みの真コトなり。心を体で現す遊びが人間ぞ。身魂の矯正が必要なものばかりでござるぞ。真コト素直に行動せよ。一人一人が学校そのものでござるぞ。

真コトの幸せは一〇〇%。小さな幸せでは神ではござらん。真コトの民はミロクの完全な顕現を望んでおるぞ。うまいことやってほんの一部だけでも恩恵に預かれればよい、ミロクの一部でも得られればよい、ミロクに行ってから残りの一部を創ればよい等といい加減なことを申して居るととんでもないことになるぞ。そんないい加減な気持ちで真釣りに戻ろうとしても、そんなことではミロクどころではござらんぞ。そなたは地獄でござる。最後の最後は消滅するぞ。ミロクは初めから一〇〇%でござる。掃除はすべて完了して居るのでござる。ゴミを持っては入れんぞ。衛生管理はそなたらの半導体の工場よりも、もっと厳しいのでござるぞ。ゴミやホコリは一粒たりとも持ち込めんぞ。身魂の洗濯完了して居らねば、ミロクの服は着せんのぞ。ミロクに行く前に一〇〇%完了しておらねばならん。百ぞ。神に成らねばミロクはござらん。

神に成ったと同時にミロクでござる。ミロクに成ったと同時に神に成るのでござるぞ。裏の裏は表。裏と表は一つなり。すべて同時なり。表の裏を行動して裏に戻れば表なり。裏と表を一つにして表に返れば普通の人間ぞ。宗教家では今回の掃除は指導できんぞ。実地テストをクリアせねば実践指導は出来はせんぞ。教義だけ学んだ教祖では掃除のガイドは出来はせんぞ。日常生活で修行するのでござるぞ。人の世は神の世。神の世の映しでござるぞ。まずは自らの掃除が先ぞ。自ら動いて神が助ける、神人合一の共同作業でござる。やるかやらぬか二つに一つ。両方あれば魔釣りでござるぞ。迷いは魔釣り。我善しは魔釣り。九割九分九厘の成功でも駄目でござるぞ。九割九分九厘魔釣りでござる今のそなたは、真釣りに戻るは厳しい道乗りぞ。そなたの日常全部を真釣りにせねばミロクの世では生きられん。宗教では真釣りは取れんぞ。この方は妥協は致さんぞ。そなたがミロクに生き返るための、神の情けの親心。この方は我が子の為ならオニと成って差し上げるぞ。
今ここから真釣りの道乗れよ。ミロクは迫っておるぞ。ミロクのハコブネに乗り遅れんようにしてくだされよ。

                     立日十

元つ話813 計画せずとも計画通りになるのが真釣り

2013-10-05 Sat : 長谷章宏語録 
この方はそなたに無理やりさせることも、来させることも、追いかけることも致しておらん。そなたに真釣りを押しつけることは致さんが、神成る身魂のそなたらが歩むべき道は真釣りの道でござるのぞ。そなたが真コトに分かりたならば、そなたの歩む道は一つしかござらんぞ。初めからすべてうまくやろうと思えば魔釣りになるぞ。苦労もせんで初めから全部分かろうとするのは魔釣りぞ。教えてくれん、分かりにくい等と申すのは自分勝手でござるぞ。うまくいかなくしたのはそなたであるから一度にはうまくいかんぞ。そなたがしただけ返すのでござるから、損して怪我して病気して事故して失敗して掃除をしていくのでござるぞ。段々に善くなるのが真釣りの神のやり方ぞ。一度に善くなるのは魔釣りのやり方ぞ。善くなった分だけ一度にぶり返すぞ。病気直しや超能力の神には気をつけなされよ。そなたの肉体の病気は身魂の穢れの型示し。病気の元は身魂でござるのぞ。

そなたが創った病気を型だけ霊に治してもらおうと思うその心が魔釣りでござるぞ。医師や製薬会社を責めるのはオカシキことでござるぞ。肉体だけ修繕して治したと思って居る医師殿、身魂の穢れを直さねば、真コトに直ったとは申せんのぞ。怪我して損して病気になって身魂の穢れを祓うのぞ。祓うとは払うこと、清算すること、和(○)すること、差引き0(ゼロ)にすることぞ。霊に戻すことぞ。体主霊従を霊主体従に戻すことぞ。陽先陰後を陰先陽後に直すことぞ。+先-後、得先損後を損先得後にすることぞ。霊が基ぞ。霊の病気、霊の偏り、霊の障害を直さねば、ミロクの体は着られんぞ。身魂のリハビリを終えねばミロクの体には入れんぞ。そなたらは身魂の障害者でござるぞ。身魂穢したから肉体怪我したのぞ。そなたが体験するにつれて、一つ一つ分かってくるのが真コト真釣りでござるのぞ。この方の申すことを、今のそなたなりに自由に使ってみなされ。

この方はそなたが真釣りに戻りたいことは十分に知って居る。そなたの道がマ違っておればこの方が体験を通して教えるから、行き詰まりで教えるから、その場その場で教えて差し上げるから、将来のことをアレコレと段取りせずに、何が起きるか心配せずに、何もかにも心配せずにどんどん思った通りにやりなされ。計画せずとも計画通りになるのが真釣りでござるぞ。計画通りに行かんのは魔釣りの証でござるから、魔釣りの段取りはすべて捨てて、今今を素直に生きてみなされよ。今のそなたのすることは、まずは今までの世が魔釣りでござることを自覚して、真釣りに戻るを決めることぞ。決めたら真釣りを戻すまで、この方にすべてを任せて、何があっても続けてくだされよ。ミロク開くその瞬間まで耐えに耐えて魂磨いてくだされよ。任せると申してもお祈りだけでは駄目でござるぞ。そなたの心を素直に行じることが、この方に助けを請う信号でござるのぞ。日常すべてで行じることがカギでござるぞ。日常とは日の常ぞ。神の床ぞ。そなたの生活全部が神の世界でござるのぞ。実地に入った今今は、祈りや瞑想や読経や滝行や断食や祝詞(のりと)や参拝では何もならん。神示読んでも行じねば神の力は現れんぞ。

                     立日十
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 <別件情報 オバマのディスクロージャーA&B>

  オバマ大統領のディスクロージャー A
  オバマ大統領のディスクロージャー B

元つ話812 この世のものを見れば神の仕組みが分かる

2013-10-04 Fri : 長谷章宏語録 
そなたらは、運だ不運だと申すが、運とか不運がござれば、公平ではござらんではないか。この神が、偏った、不公平な世を創りたと申すのか。幸運の女神なる神は、何を基準に幸せに致すのでござろうか。そなたの魔釣りがそなたの不運の原因でござるぞ。運不運があることが不運でござるのぞ。運は一〇〇%運でござる。不運は一つもござらんぞ。そなたが運を無くして居るのぞ。運と申すのは「云(うん)」でござる。2(二)つの6(ム)でござる。66でござる。一二三(ヒフミ)を足せば六でござる。ヒフミが神でござるぞ。三の中に一と二があるぞ。霊心体でもあるぞ。一つでござるぞ。霊が体、神が人に現れておるのぞ。体は霊の、人は神の現れでござるぞ。「有」と「無」は同じぞ。「有」の世界は神の現れじゃと申すのと同じでござるぞ。「無」とは響きでござる。裏と表の神を足せば二つの「ム」でござるぞ。神と人で神世を創って居るのぞ。ムからウを有無(産む)のが神でござるぞ。運は神の道そのものでござるぞ。Aを1としてHIFUMI(一二三)を数字に置き換えて加えれば8+9+6+21+13+9=66でござるから、これも「云」でござるぞ。東洋も西洋も世界すべてをこの方が産み生んだと申すことぞ。この世には神の道しかござらんと申すもの。運を不運に変えるのは、そなたが歩む魔釣りの道でござるのぞ。

これをただの理屈と思ったら、語呂合わせと思ったら大きな間違えでござるぞ。この世が神の現れでござるから、この世のものはすべてのすべてが一つでござるぞ。この世のものを見れば神の仕組みが分かるのぞ。眼鏡が曇りて居るから見えんのでござる。見えない世界を創り出しておるのはそなた自身でござるのぞ。この方の申すこと、この者の申すことをただの理屈として片づければそなたには何も見えないのでござるぞ。手を変え品を変え、一つのことを教えて居るのでござるぞ。表面上の違いにこだわっておると大事な大事な一つが見えんぞ。元の一つが見えたら後はどんどん見えてくるぞ。この方はアレコレと申すが、一つのことを語る方便に過ぎないのでござるぞ。一つ一つに一喜一憂して居らずに、全体を見なされよ。森を見なされ。一つ一つにこだわらずに、全体の要点要旨を取りなされ。そなたが分かったことをその通りにやりなされ。この方の申す通りに見れば、別のものが見えてくるぞ。騙し絵、隠し絵のもう一つの答えを見せて差し上げておるのでござる。両方見えればいつでも両方見えるぞ。両面見て初めて全部見たことになるのでござるぞ。裏も表も全部見て、初めて神が見えるのぞ。そなたの神(紙)を全部引っ繰り返して裏を歩いて見なされよ。神が見えればミロクも見えるぞ。取った者は全部返せよ。

こう申しても、そなたは「難しくて分からん」「難しくてできん」「そうは言っても現実は」等々と申すが、魔釣りの世のやり方にどっぷりつかったそなたには、初めからすべては見えんぞ分からんぞ。初めは怖く見えるぞ。不可能に見えるぞ。そなたがそう見て居る限り、いつまでたってもそのままぞ。今のままでは今のまんまぞ。そなたが分かったところから、そなたが取りたいようにとれば宜しいぞ。そなたが分かった通りにそのまま実行してみなされよ。思うだけでは何もならん。分かっただけではまだ半分。分かったら分かったことをすぐやりなされ。元々が幽霊でござるそなたらに、この世では何も怖いことはござらんから、今すぐ魔釣りをやめて真釣りの道に入りなされよ。やればやるほど見えてくるぞ。もう迷っておる時間はござらんぞ。行じることが掃除の鍵でござるのぞ。失敗して気付けよ。怪我して学べよ。やってから考えよ。肉体怪我して穢(けが)したもの清算ぞ。

                    立日十

元つ話811 物質の組成が変わる世

2013-10-03 Thu : 長谷章宏語録 
この方は、現の世ではどんな悪人でござろうとも、自らのお子全員にミロクの切符を渡すから、きちんと支払いをすればよいから、喜んで受け取ってくれよ。そなたが真釣りを生きることが支払いをすることでござるぞ。この方がそなたに渡した切符をどうするかは、そなた自身で決めなされ。ミロクの世界は宝の山ぞ。ウソ無きマコトの世ぞ。後数年で取り替えるこの物質の世で、どれほど物カネ山ほどありても、宝の山を掘り当てようとも、たとえ世界を征服しようとも、人類すべての独裁者になりても、身魂が魔釣りでござればそなたはミロクへは行けんのぞ。ミロクの世界は物質の組成が変わる世ぞ。今の物質の箱をキレイサッパリ交換するのでござるぞ。身魂を綺麗に掃除洗濯して、肉の身離れて物質の服脱いで、新しき服を着るのでござる。今の肉の身のままではミロクには行かれん道理。これを真コトかどうかと疑えば、この方の仕組みを疑うことになるぞ。そなたはうまくいかんから、神に頼むのでござろうが。すべては裏と表でござるぞ。ある瞬間は裏か表か何方か一つ。AとA-1でござるぞ。すべての瞬間を真釣りにしてくだされよ。今のそなたのやり方で一〇〇%うまくいかんなら、この方の仕組みが真コトでござるぞ。

そなたは善人も悪人も動物も植物も海も山もすべてのすべてが天国になれる仕組みを創れるのか。そなた自身は何を生み出したのでござろうか。そなたらはこの方の産み生んだ「有」の世界の中にこの方が産み生んだ身魂でござるのぞ。物質の世でのそなたは、肉の身も含めてこの方からの借り物しか持って居らんのぞ。食べ物もこの方の与えたものでござるのぞ。この方の「有」の性質を調べて応用して加工して居るだけぞ。人間が加工したものは人間が壊せるぞ。あるものはなくなるぞ。加工したものは壊せるぞ。創ったものは消えるぞ。鉛筆は消しゴムで消せるぞ。ダイヤはジェット水流で切れるぞ。秘密は表に出るぞ。隠してもばれるぞ。暗号は解けるぞ。ウイルスとワクチンのいたちごっこでござるぞ。この方は、そなたら元の元の元の「有」をすべて消し去ることができるのぞ。そなたらのココロの世界を目の前にお見せすることもできるのぞ。いつまでもハラの探り合いや情報合戦をして居っても、この方はすべてお見通しでござるのぞ。最後の最後に心の中のすべてをバラして差し上げるから、今の内から出しておく方が賢明でござるぞ。

この方はすべてのすべてを変えることができる元の神でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の仕組み通りに成って居るのでござるぞ。今の今も、そなたがこの方の申して居ることを疑って居るからうまくいかんのでござろうが。そなたが真釣りを取るために、魔釣りを見分ける真コトの眼鏡を渡すのが、このフミの目的でござるのぞ。そなたの見るもの聞くもの感じるもの、すべてそなたの心のままに映るのでござる。真釣りのフミを読んでも魔釣りの眼のままでござれば魔釣りのやり方に変わるのぞ。そなたが真釣りの眼鏡に掛けなおせば、すべてのすべてが変わって見えるぞ。そなたがこの方を疑えば、魔釣りのままでござるのぞ。そなたが疑うから見えんのでござるぞ。そなたは、見えんから信じられんと申すが、アベコベでござるぞ。神が先で人が後、心先で形後ぞ。そなたの見ておる形と申すは、そなたの心の姿でござる。そなたが「見えんから信じられん」と申すから見えんのでござるぞ。いつまでたっても「信じられん」と申すことになるぞ。簡単なトリックに嵌まっておるぞ。簡単なトリックではあるが、そなたの人生を支配することになる、すべてのすべてを変えてしまう大きな大きなカラクリでござるのぞ。そなたがこれに気づいてトリックを外さなければ、そなたの見方を変えなければ何も変わらんのでござるぞ。そなたが信じないから見えないのでござるぞ。最後はすべてお見せして差し上げるぞ。

                     立日十

元つ話810 大きく見れば損も得もござらん

2013-10-02 Wed : 長谷章宏語録 
そなたの夢をそなたが消すからそなたの夢は実現しないのでござるぞ。夢を語る者の話を裁く者、人の夢を壊す者、人の夢を否定する者は、神の世を創ろうとする真コトの民の邪魔を致して居るのでござるぞ。人の嬉しを邪魔するなどもってのほかでござるのぞ。そなたの心の葛藤はそなたがそなたと戦って居る証でござるぞ。そなたが戦うからそなたは自由にならんのぞ。いつまで続けても平和にもやすらかにもならんのぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて、人の自由をねたむのは、人の夢を邪魔するのは、この方から見れば許し難いことでござるぞ。そなたらは、死者の冥福を祈って居るが、自らはちっとも幸福ではござらんではないか。そなたがそなたのしたいことを外の責任にしてやらんからそなたが動けんのでござるぞ。そなたの外がそなたをとめるのではござらんぞ。そなたの外の者が夢を壊すのではござらんぞ。そなたがそなたの理屈でそなたが恐れを避けてそなたを動かさんようにして居るだけでござる。誰にも文句は申せんぞ。

肉の身を持つ人間は、行動せねば何も形にならぬのぞ。心を形にする遊びが人間の人生でござるのぞ。そなたがそなたを疑えば、そなたは檻(おり)の中でござるぞ。そなたがそなたを疑う心がそなたの心を縛るのぞ。そなたが心を縛ればそなたは動けんのでござる。そなたがそなたをコントロールして居るのぞ。そなたがそなたを封じ込めて居るのぞ。そなたを封じ込める悪魔はそなた自身でござるのぞ。そなたがそなたを封じ込めるから、外の者に封じ込められることになるのぞ。そなたが誠に自由な者ならば、外の圧力は何も影響せんぞ。人のせいにしても、悪魔のせいにしても、悪霊のせいにしても、何も変わりは致さんぞ。悪魔のせいにするそなたの心が悪魔でござるぞ。そなたを不自由にするそなた自身の圧力を無くすことが自由の道ぞ。そなたがそなたの制限をすべて取り去ることぞ。そうすることがそなたが元の真釣りに生き戻るただ一つの道でござるぞ。

神は一〇〇ぞ。完全ぞ。完全に自由ぞ。制限をすべて取り去れば神心ぞ。魔釣りの世では神心で動けば不都合も出るぞ。魔釣りは善悪の裁きの世でござるから、文句を申す者が居るぞ。損や怪我や病気もあるぞ。そなたのメグリ戻すまで、掃除する間は辛抱でござるぞ。そなたが神心で有れば、何が起きようとも一つ一つ善くなるぞ。初めは悪いことが起きることもござるが、段々に楽にして差し上げるから、辛抱肝心ぞ。そなたがこの方の申すことを一点なりとも疑えば、そなたは真釣りに戻れんぞ。そなたはミロクに生き返れんぞ。疑う心が魔釣りでござる。疑いとは損したくない者がすることぞ。損を避ければ魔釣りのままぞ。騙されて損して騙されなくなるぞ。魔釣りでござれば損もある。一時の損だけ見ておりては真釣りには戻れん。そなたらには時間がござるから、ある時だけを見れば損でござるが、大きく見れば損も得もござらんぞ。損して大騒ぎして居ると真釣りは遠のくぞ。一時を見れば破壊でござるが、大きく見れば再生への道ぞ。大我に入れよ。

戦う心は魔釣りでござる。人のせいにする心は魔釣りでござる。外の悪を裁く心が魔釣りでござる。そなたがこの書物を信頼できんと申すならば、何を読んでも構わんが、すべてのすべては一つでござるぞ。魔釣りも真釣りもマ釣りでござる。現れは逆でござるから、逆だと気づいて逆に替えれば魔釣りが真釣りになるのでござる。魔釣りを許して悪解(ほど)き、真釣りに戻す神仕組み。裏と表。裏になったり表になったりして居るのは魔釣りぞ。全く引っ繰り返してくだされよ。全部許すのが神ぞ。疑いか信頼か。信頼が神。真釣りに疑いあるのはオカシキことぞ。真釣りに戻れば損はござらん。そなたに悪なければそなたの外には悪はござらん仕組みでござる。そなたらは目の前のものだけ見て損だ得だと申すが、ちいせえちいせえ。どんと構えて大きな眼になってくだされよ。

すべては真釣りに向かう道でござるのぞ。魔釣りも真釣りも裏表。真釣りの目で見れば魔釣りのものは一目瞭然。そなたが魔釣りでござるから、何でもかんでも真コトに見えるのでござるぞ。表はどんなものをもっておりても、地位や財産がありても、どんなに綺麗な肉身をもっておりても、どんなに知識をもっておりても、魔釣りの者でござればミロクはござらん。魔釣りのままでミロクを語る宗教では、自らの掃除をせずに神が救ってくれると申す宗教では、世俗を避ける宗教では、集団創る宗教では、ミロクの天国には行かれんぞ。現の世が世俗そのものでござるぞ。どんな山奥に出家しようとも、世俗からは出られんぞ。真コトの修行は日常の修行でござるぞ。楽なものには気をつけなされよ。

                    立日十

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