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元つ話861 全を善悪に分けた瞬間、戦いが始まり、矛と盾が生まれた

2013-11-22 Fri : 長谷章宏語録 
すべては一体不可分であるから、『自分のしたことが自分に返っている』のが法則である。あなた=私である。私=あなたである。真釣り同士が一人芝居をすれば、全体は天国になる。自分が主役なら周りは脇役、通行人。周りの誰かにとっては、自分が脇役、通行人である。自分が矛なら相手は盾であり、自分が盾なら相手は矛である。攻撃と防御は同時にはできない。攻撃と防御を同時に思考できるとしたら、自分の中の攻撃心と防御心の拮抗(主権争い)で肉体は動けなくなる。お互いに戦うことができないから、戦いは形にならない。仮に、ミロク世で魔釣りが存在できるとしたら、人の形をした動かない石としか映らない。今の世で、人の形の石があったら、それはただの風景の一つに過ぎず、世の営みには何ら影響はない。あえて言えば、観光地の風景として、生活に潤いを与える微笑ましい石である。石がものを言い、人がものを言わなくなる時、即ち、すべてがひっくり返る時が訪れる。実際は、もともと戦いはないから、攻防もない。矛盾もない。「どんなものでも突き通す矛」で「どんなものでも突き通せない盾」を突いたらどうなるか。その矛と盾を手にしたら、戦っても意味はないから戦争は終わる。自らが矛と盾(善と悪)の製造者(神)である。善と悪に分けた結果、悪が現われ、悪の正体を知らないから外の悪であるお互いを攻め(責め)合う。全を善悪に分けた瞬間、戦いが始まり、矛と盾が生まれた。

お互いが自分の鏡であることを知ること(真コト)が、戦争をやめる第一歩である。攻防に分けると、攻撃しようと思えば自分は矛になり、守ろうと思えば自分は盾に変わる。自分が最強の矛を手にしたら相手は最強の盾を持ち、最強の盾なら相手は最強の矛を持つ。自分が矛であり盾であることを知り、自攻自守の一人芝居であるとわかれば、戦いは意味がないことがわかる。自由の獲得が戦う目的であるとすれば、自らの分裂思考自体が自由の真の適であるから、人を殺しても目的は果たせない。その目的を達成するには、自分の内の分裂思考を倒せばよいだけである。あなたの言っている敵とは『敵だ』と思い込んでいる幻を目の前の誰かに投影した影である。外に悪があると言うなら、その悪は鏡に映る自分である。返るもの(反響、反作用、木魂)を変えるには、自分の態度(響き、やり方)を変えなければならない。『ヤッホー』と自らが叫ぶから『ヤッホー』と木魂が返るのである。『ヤッホー』と避けんだのに『うるせーぞー』と木魂が返るとしたら、作用反作用の法則が壊れてしまう。あなたがしたことがあなたに返るのである。悪を殺せば自分自身が死ぬ。

         【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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