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元つ話866 不都合があるなら、それは、自らの真釣り外しの現われ

2013-11-27 Wed : 長谷章宏語録 
法律そのものが善ならば、法律違反を悪と言うことができるが、法律に違反する行為が存在するということは、何を意味するのか。悪とは、それを悪だと言う側に都合が悪い(自らを破壊する、邪魔する、不快にさせる)ものを言う。裁きとは、悪と悪が悪の押し付け合いをしているゲームに過ぎない。悪という言葉と、悪という響き(悪と言うときに感じる感覚、許せないという感情、怒り、妬み、痛み、苦しみ)は、作られたものである。善悪がない世界は、真釣りしかない響きであり、何の不都合もない。あなたが心地悪さを感じるならば、それはあなたが真釣りではない証である。真釣りに共鳴している者は、真釣りしか体験しない。「悪い行為」というものは無く、ある行為を悪(都合が悪いもの)と見ているだけである。だからといって、悪を責めてよいという結論にはならない。自らが感じる不快感は自らが真釣り外しの響きを持っているゆえに現われたものであるが、それを誰かに感じさせられたと思い込んでいると、その誰かに不平不満を言うことになる。『誰かに不快を感じさせられた』と思うことがすでに真釣り外した証であり、それが真実だというならば、「不快を感じさせられた」自分が正しくて、誰かが間違っていることになる。それは、「真釣り外し(魔釣り)」が正しいと言っていることになり、真釣りの世界(善悪のない世界)はありえないと言っていることになる。『自分は悪くない』と言うならば、それは、真釣りが屁理屈だということになる。真釣りと魔釣りは裏表である。魔釣りが正しく、善悪があるというならば、善悪のない世界はありえないことになる。無いものを作ろうとして悪を裁く矛盾を繰り返す限り、人類が目指している天国も自由も実現することはない。

一つ大きな視点(真釣り)から見れば、魔釣りの世の法則(常識、道徳)は自らに返ることになる。魔釣りの言う悪は悪ではない。自らの外に見える悪は、真釣りの世から見た自らのことである。真釣りには善悪はなく、魔釣りの言う悪は、実体のある悪ではない。言うなれば、真釣りという絶対善が許した絶対悪の中に善悪のハタラキがあるだけである。悪の裁きあいは、真釣りという神法に違反した者を魔釣りの響きを作って真釣りに戻す仕組みの中で通用する仕組みに過ぎない。真釣りしかない世で真釣りで生きれば、何の不都合もない。真釣りに違反すれば、不都合が現われるようにしてあるから、不都合があるなら、それは、自らの真釣り外しの現われである。自らが『何も悪いことはしていない』ならば、自分以外の誰かが自分を不都合にしたことになるから、その誰かを悪と呼ぶことになる。「善」「悪」、というのは、作られた思想であり、善(悪)という言葉も概念も元々は存在しない。悪とは何なのか。善とは何なのか。あなたが持っている概念や言葉は、すべて作られたものである。悪はどこにもない。真釣りの世には苦はない。あなたに苦や不都合があるならば、無いものを持っているならば、それは、あなたが真釣りに違反した証そのものである。あなたがそれを認めないならば、真釣り外して自分だけが滅ぶのみである。

         【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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