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元つ話940 喜びも悲しみも気のようになったのが自然である

2014-02-09 Sun : 長谷章宏語録 
本当の真実を見たくないために、『なぜ、という問いはいらない』と言うこともできる。それはただ存在しているのだ、と。それ以上は考える必要はない、と。考えるからおかしくなるのだ、と。そのままならば、有るものを使うことしかできない。限りあるものを際限のない我欲で使い続けることになるが、有限だと言っているものを無限に使うことはできない。何かが自分自身が無から産み出したものでないなら、なぜそれは存在しているのか。自らの命の、天恵、地球、天地、知恵、神仏の本当の源は元つ大神である。本当の源を闇に葬った人間が考え出したシステムでは、天国が実現するどころか滅びを進めるだけである。現代社会に至る魔釣りの人類史が目指した天国は、永遠の滅びの世だったのである。

今の自然現象は、本当の姿ではない。自然ではない。自然に合わせて生きるのは、本当の自然に合わせていない証である。それが気分がよいと言うならば、それは、今の世界を天国だと思っているからである。自分が気持ちよいから、嬉しいからそれは正しい考え方だ、と言うのは間違いである。喜びも悲しみも、空気のようになったのが自然である。一方の感覚を意識するならば、それは、相対二元の比較の世界である。どっちが喜びか、と考えるから、喜びを知るために悲しみも知ることになるのである。「分かつ知を使って知る」というのは『もともと一つのものを二つに分けて知る』ということである。そのままでは分裂が進むだけである。どっちがどっちが、と進めた結果が、今、体験している現実である。

          【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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