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元つ話942 破壊のままならばそれは自然ではない

2014-02-11 Tue : 長谷章宏語録 
本来の自然に破壊は見えない。破壊が見えて、それがそのままとどまるのはおかしい。破壊のままならば、それは自然ではない。何か力を使わなければ再生できないならば、自然に反しているのは明らかである。何もしなければ、分解して土に返る。自然とは、努力しなくても不都合がない状態のことである。生かされているとは、生きるための苦労がいらない状態のことである。生かされているのであるから、不自然を直すために死ぬ必要があるならば、黙って死ぬ。それが生かされている、ということである。自然のままに生きているならば死ぬことはない。「死ぬ」という考えは意識にはない。より長く生きるために何かを画策する。医学の発展というのは、自然の掟に反した人間が、自然の掟に反した世界を維持しようとする行為である。その世界でイノチを永らえようとする行為である。死ぬ前に死ぬのを避けるのは、不自然の証である。自然に抵抗している。生かされていると言いながら生きようとする矛盾した行動を平然とする。自分に原因がある破壊を自分以外のせいにし、自分以外のもので破壊を隠そうとする。見ていられないから隠す。封印する。

現代社会は、魔釣りのアヤマ知で作り出した分裂の世界で生き延びるために、進歩、発展の名のもとに、科学を使って作り出した文明というマヤカシを進めた末路の姿である。快適、快感を維持するために、ありとあらゆる自然を加工した道具(機械)や、不自然を維持するための制度を作り出し、どうあってもそれを手放さない。それを手放すことは、自分のイノチを手放すことになると思い込んでいるからである。変革する、改革する、再生する云々と言っても、その実体は、形を変えるだけで、根本にある思想は何も変わっていない。文明社会を生きる人間は、機械や制度に生かされている。結局、自分では何もできない。自分では何もできなくなった者が、自分がしたいことを実現するために文明という依存対象を作り出したのである。文明というのは、自らの不自由さを表す指標なのである。

        【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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