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元つ話948 バーソロミュー(悟りを開いた人というのは・・・)

2014-02-17 Mon : 神語録 
 バーソロミュー(チャネル/メアリーマーガレット・ムーア)
   大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ 
                (訳)ヒューイ陽子

(P39-40)
 悟りを開いた人が高徳であることはとてもまれです。むしろ、悟りを開いた人というのは、良識からはずれた変わり者のことが多く、気が狂っていると思われたりします。なぜ悟りを開いた人が気が狂っている人に見えたりするのかというと、悟りを開いた人は、自分の心のおもむくままに行動し、まわりの人の反応にこだわらないからです。人間そのものになりきる能力を持っているのです。自分が悟りの境地にどれくらい近づいたかどうか、次のように自問するとわかります。「状況がどうであっても、どう見えても、自分のまわりの人間が本人が望むがままでいることを、私はゆるしているだろうか?」
 悟りというのは、すべてはただ「一つ」であるということを、理解することにほかなりません。ここでは善とか悪とかは何の意味も持ちません。自分のほうがすぐれているとか、自分のほうが精神性が高いからといって、まわりの人間を拒否する人は、“大いなる一(いつ)”(すべてであり唯一である存在)の一部から自分を切り離しているのです。まわりの人も出来事も、自分の一部であることを認め、受け入れることができますか。あなたは「高徳」な人格から抜けだして、怒ったり、いきどおったり、やきもちをやいたり、そのほかの醜い感情を感じることができますか。成熟した存在というのは、自分のなかにあらゆる感情エネルギーの引力を感じとりながら、特定の感情エネルギーに従うかどうかの選択ができる人です。そこに選択肢を見ることができる人です。
 何かに怒る、などという否定的な反応をすることができない人は、人生を生きていないと私は断言します。そういう人は、まやかしの人生観を持つことによって、自分のエネルギーがずいぶん失われていることがわかっていないのです。自分はこうあらねばならないとか、こうしてはいけないとか、こういう生き方しかしてはいけないと言ったりすると、その人の命は止まってしまいます。肉体は時間と空間のなかを動いているかもしれませんが、その人のエネルギーは止まり、エネルギーの流れを感じることができなくなってしまいます。どんな感情も起こらなくなります。その人が自分のなかの振り子が左右に揺れるのを受け入れたときに、ようやくその状態から抜けだせるのです。
 両極のあいだを、自由に行ったり来たりできるようになると、人生のすばらしさはまさにその動きそのものにある、ということがわかります。人生の喜びやすばらしさやパワーは、人生の出来事によってもたらされるものではありません。人生に起こる様々なことすべての動きのなかに、移り変わりのなかに、一瞬として同じではないその変化のなかにこそ、人生のすばらしさがあるのです。感動と驚きに満ちた「命の躍動」のなかに、喜びはあります。


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