スポンサーサイト

-------- -- : スポンサー広告 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元つ話981 形の世界にその答えを求め続けても正解は得られない

2014-03-22 Sat : 長谷章宏語録 
重さというのは相対的な感覚である。今、自分が使っているこの机は重いか軽いか、それはわからない。机は重かった、である。目の前にあるものが、今、重いか軽いかはわからない。すべて過去のデーターによる推測、予測である。それも『法則はずっと変わらない』という前提で。その前提が正しいかどうか自体の議論はしない、機械的な反応である。すべて、自分の思いの作り出す幻想である。物理学が絶対法則ならば、火事場の馬鹿力はあり得ない。重力がない、ならば、重力を自由につくれる、ということである。この世で自分が自由に動かせる形は、肉体だけである。その肉体も自由にならないならば、自然法則の違反が重なった証拠である。なぜ、二本足で立てるのか、なぜ、自転車は倒れないのか、何が支えているのか。見えない力の正体は一体何なのか。その力の源はどこにあるのか。

形の世界にその答えを求め続けても、正解は得られない。見えない世界と見える世界のどちらが先なのか。科学的な証明と言っても、何かがそこに見えていることを確認できるだけであり、すべてが間接的な存在証明である。言い換えれば、理論上成り立てば存在が認知されるのである。逆にいえば、存在を疑う余地がなくても理論的に証明できなければ認知されないということである。あなたが言っていることが本心かどうかは、他人は証明することはできない。他人があなたの気持ちをわかることはありえない。あなたが他人の気持ちをわかったと思っても、それはあなたの気持である。誰かの痛み、誰かの死の悲しみ、を思っても、それはあなたのものであり、他人のそれは絶対にわからない。他人のそれがすべてわかるなら、あなたはその誰かであることになる。この世に人間はあなただけになってしまい、その他人はあなたであることになる。あなたとあなたのコピーのお芝居であり、あなたとあなたの喧嘩になる。自分が別の場所に居たことを証明すれば、事件現場にいない証明となり、「アリバイ」が成立する。逆に、アリバイを作れば、自分を「守る」ことができる。『そんなことはありえない』『そんなことはできるはずはない』云々はすべて強制力はない。もし、それがわかるなら、神であることになる。それを聞き入れるならば、それを信じたあなたの選択である。自分を動かすのも止めるのも自分しかいない。

    【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
  :::::::::::::::::::::::::
自費出版【実践・日本真道】の購入をご希望の方はリンク先〝長谷章宏氏の著書の紹介”をクリックしてください。
問合せ先「都の風」が表示されます。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。