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元つ話985 分裂の選択を止めない限り どんどん分離していく

2014-03-26 Wed : 長谷章宏語録 
ある瞬間に自分ができることは一つである。「何もしていない」ことに罪悪感を持つ。『何もしていない』と他人を責める。しかし、やるかやらないか、どっちをやるか。何かをやらない、ということをやる、と言うこともできる。つまり、必ず何かをしているのである。『何もしない』『無駄なこと』と言う時、『する』という定義に条件をつけているのである。自分にとって「価値があるかないか、利益になるかどうか、立場が守れるかどうか」である。していることに分離は存在しない。一つの世界の動きである。何かの基準でその行動を分類しているのである。善悪も、苦楽も、「どっちが」という目で見れば、必ず、分裂することになる。分裂の選択を止めない限り、どんどん分離していくのである。世界を構成している要素のうちのどれを自分がしているか。その要素がどんどん細かくなるのである。

人口が増えるのは、それだけ分離を進めてきた結果である。分けた分だけ人が必要であり、依存の世界を支える人口が必要である。豊かな国があるとして、他の国が飢餓の国で、その世界が相互依存、競争社会だとしたら、その偏りが、そのまま形になる。略奪の世界で、豊かさを謳歌して威張っているのは、その豊かさをどうやって獲得しているか、を知らない恥知らずであるといえる。『自分が努力したからだ』と言うが、何に努力したのか。窃盗に荷担したのである。略奪の世界で『よくなろう』『お金を稼ごう』とがんばるのは、『よりたくさん盗もう』と言っているのと同じである。お金の世界で、形をよくしようとすれば、それだけのお金がいる。お金が減ってくれば、予算の取り合いが激しくなり、思い通りの形が作れなくなる。泥棒の世界でどんなに発展しても、それが奪って得たものであるなら、必ず、終わりがくる。偏りは修正される。『合法的にしたのだ』と言っても、その世界そのものが泥棒世界ならば、その世界に貢献するほど泥棒したのと同じことである。言わば、泥棒と気づかれずに泥棒する盗み方のプロである。しかし、泥棒したものは、必ず返すことになる。奪ったものの中から援助しても、それは奪ったものを返したことにはならない。「奪ったもの」を「下から奪う者」に横流ししただけで、略奪行為を重ねたことになる。有限の略奪の世界で貧富の差があるならば、それは略奪の結果である。「貧富」という言葉は自然には無い。それぞれに必要な天恵は有り余るほどある。どこかで余ってどこかで足りない、というのは本来おかしいのである。『有り余るほどある』のが本当である。

       【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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