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元つ話1037 すべて 「自分にとって」なのである

2014-05-17 Sat : 長谷章宏語録 
本当の天国に戻りたくなければ、それはそれで自由であるから、ルールではあるが強制ではない。自分が自分に強制するかしないかである。しかし、それは、自分が自分に課す強制である。今までは、この逆をやって、他人に強制してきたのであるから、このルールを守れば、強制に感じる。自分がサボった分だけ誰かが苦労し、自分が改心した分だけ誰かが自由になる。差し引き0である。責任転嫁をした方も、引き受けた方も、同じことである。引き受けたから転嫁されることになり、転嫁できると思うから転嫁されるという堂々巡りが続く。楽をして天国に行こうと思っている極楽トンボは、永遠に苦労を押付け続けようとする。責任転嫁を返せなかったのは、報復を恐れ、その方が楽だ、得だと、自分が考えたからである。結局、自分にとって楽な方、怖くない方を選んできたのである。それは、自分が選択した結果であり、始めから、きちんと掟通りにやっていれば、このルールは必要なかったのである。従って、本来は、苦労も、世の大掃除も、ハルマゲドンも、存在しないものである。掟通りに生きている者にとっては、関係のない体験なのである。あるけど無い、のである。全員に影響するものはなく、すべて、「自分にとって」なのである。

『苦労して育てたのに』と言っても、育てたのは自分の期待を満たすためである。農産物でも、子供でも、ペットでも同じことである。苦労したのは自分のためであり、自分が何かを得るためである。鶏を飼育するのは、お金を得るためである。お金を得れば、「生活」が成り立つ。結局は、「経済社会」で生き延びるために利用しただけである。大切にするのは自分のためである。自分が生きるための拠り所だから大切にするのである。自分の期待を満たすために世話をしたのである。正確に言えば、「育てる」ことはできないのであるが。

 
      【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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