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元つ話1061 責任転嫁は自らの破滅を意味する

2014-06-10 Tue : 長谷章宏語録 
音声や文字として認識できる言葉は一つであり、その意味も元は一つである。誤解や、取り違い、議論はあり得ない。それがあるならば、両方とも取り違えた解釈である。双方とも、見ている世界に制限がある。すべてを包含する見方が元の見方である。本当の世界には言葉はない。映像と言葉は一体である。言葉と映像は分離しない。「考える」という作業は存在しない。思考に同調して映像が変わるだけである。あなたが存在する元の世界は、映像と言葉が一体の世界である。言葉が映像の仲立ちをすることはない。この世で言う、テレパシーである。文明の象徴とも言える文字は、実は、最も分離した世界の道具である。映像を言葉で説明することは困難を要する。テレビは走査線が映像を再生する。映像を文字で説明すると、その文字から映像を再生するのには時間がかかる。一つの映像を文字で書く、そして、それを読む。読むというのは映像の再構成である。映像を文字にし、文字を映像に再生する。文字を読む者にフィルターがかかっていれば、映像はゆがむ。一つの言葉には無限の映像をあてはめることができる。言葉と映像の不一致が、議論の基である。

自分の中の天国と現実を一致させることが天国に戻ることである。自分のフィルターを透明にする、めがねを外すことが、天国に戻る方法であり、自然の法則違反を清算する方法である。元の一つを直せば、すべてが直るのである。バラバラに解決しようとすると、ますます分離が進む。すべてが同時に進む。すべてを元に戻すということは、分離したものをすべて統合することである。すべてを一つに戻すことである。すべてが一つに収束する。収束するというより、それしかないのである。あなたが分離している悪は、本来は分離できない。悪を分離した分だけ、戻る悪が強化されるのである。恐れを避ければ、もっと恐ろしいものが来るということである。自らが自然の掟に反した結果生み出したものを排除するならば、それは、自らがしたことを認めないということである。神は自らがしていることの責任をとる。というよりも、自らの思い通りに産み出せるから、責任という概念は無い。違反はないから責任もない。『責任を取らせる』という思考は、言い換えれば、責任転嫁の思考である。自分の違反の責任を他人に取らせるということである。本当の意味では、責任転嫁をすれば、違反が進むから、自分のためにはならない。この世的には、「得」であるが、本当の意味では、責任転嫁は、自らの破滅を意味する。それぞれが自分の責任を取る世界であるから、自分が責任を取らない限り、それは自分だけの破滅を意味する。

      【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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