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元つ話1080 本当にすべてを失った時すべてを失っていないと気づく

2014-06-29 Sun : 長谷章宏語録 
覚悟を決めて、底なし沼に飛び込むことである。底なし沼だと教えたのは、ウソの世界の支配者である。その支配者自身も、いつしかそれが真実だと勘違いするようになり、自分がウソを教えたことを忘れ、自分が自分に騙されていることに気づいていないのである。ウソを教えた事を忘れ、自分自身もそれがホントだと思い込む。それは、そうすることが自分に都合がよいからである。それを繰り返し繰り返し、今となっては、もはや、それしかない、それが真理だ、とも考えなくなり、自動操縦となってしまった。心底からウソをホントと勘違いしてしまっている。真実は、後ろにある。今の自分のすべてを止めて、反転することである。アメもムチもベクトルは同じ。そのベクトルの正反対が真実のありかである。そこにあるものが本当の実像である。鏡の虚像を実像と思い込めば、実像が虚像となる。実像を壊せば、虚像も消える。本当の実像を壊せば、虚像が壊れる。虚像を実像と思っていれば、そのウソの実像の破壊を止めようとして、本当の実像を壊す。そして、虚像も壊れ、闇となる。しかし、振り返れば、そこに本当の太陽の光がさしている。振り返ったら死ぬぞ、と教わっているから、振り返れない。何がどうなっても死なないから、どうなってもよいと言えば、それを有言実行すれば、何でもできるはずである。死は無いから、死を避けるのをやめれば、死に飛び込める。魔コトの世では、真コトは完全なる闇に見える。本当の光は、完全なる闇に隠れている。悪の中に真コトが隠れているのである。

すべてを捨てて闇に飛び込むことが、真コト思い出し、体験する唯一の方法である。真コトを手にしなければ、最後はすべてが闇となる。しかし、そのすべてはすべてではない。真コトを除いたすべてである。従って、「すべて」を失うことは絶対に無い。本当にすべてを失ったら、その一部である自分も失うから、失ったとは思わない。失ったと思う自分がいないからである。本当の意味で、何かを失う、ことはない。「無い」ものを「ある」と言えば、ウソの世界になる。そして、失い続けることになる。本当に、すべてを失った時、すべてを失っていないと気づく。真釣りならば死なないから、本当の神は助けない。自分で自分を助けることしかできない。自分を助けることがすべてを助ける事になり、神も助かるのである。世話をする者が1人でも減れば、楽になる。自分で家出して、親に助けを請う。本当の親孝行をしたければ、自分のしたこと、自分の勘違いを早く直すことである。

  【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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