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元つ話1152 著者の全人生を賭けたフールドワークと著者自身の実体験

2014-09-09 Tue : 長谷章宏語録 
著者が初めてこの本にあるような事実を知ったのは、バブル崩壊直後の、大震災もオウム事件も起きていない、日本がまだバブルの余韻に浸っている頃だった。その頃の著者は、教師として現代社会にどっぷりと漬かっていて、今の社会は何かがおかしいと薄々は感じてはいたものの、当時の常識を真実として教壇に立っていた。著者がメッセージをどう感じたかと言えば、それまでに学んできた常識ではありえない話、うさんくさい話、許されない見方、抵抗ある見方に感じたことであろうことは、ご想像頂けると思う。それは、あなたがこの本を読んで感じている反応と同じである。自分の内から出てきたものであるにも関わらず、それが信じがたいものであるという、二人の自分の存在に若干の怖れを抱くこともあった。しばらくは秘密にしていたが、周囲の人間に話し始めた時は、当然にこういう反応が返ってきた。『あんたは何を馬鹿なことを言っているんだ』『頭がおかしくなったのか』『そんな宗教を信じていたら大変なことになるぞ』『そんなことできるわけがないだろう』『そんなことをしたら家族や社会に迷惑がかかるからやめろ』『どうなっても知らないぞ』『後で泣きついてきても助けてやらないからな』云々。言うなれば、この世に存在するありとあらゆる非難の言葉と行動を返されたと言えるかもしれない。ただ、その頃にも、「進んだ」「新しい」考えを持っている人もいることはいたので、少しは話を聴いてもらうこともできた。しかし、時の経過とともに、そういう人たちからもだんだんと相手にされなくなっていき、自分の質問に答えられる他者の存在も消えて、結局は、自分が自分で自分の質問に答えるしかなくなっていった。自分の頭の中だけで対話している分には問題はないのだが、自分の人生すべてを通して実践していくとなれば、それは、とんでもない抵抗、非難、中傷、無視、蔑み、嘲笑の連続が待っていた。それは、家族や親類であっても同じであり、近い分だけ封印する力は強かったように思う。まさに、奈落の底に落ちていくような本当に孤独で厳しい自己対話と実践の連続を経て、ようやく今ここまで来たのである。

当時の著者にとって、それは、認められない、許しがたい、ありえない、恐ろしい考え方、簡単に言えば、当時の社会状況の中では、とんでもない内容だったのである。とはいえ、その見方で現実を見直していってみると、確かに、そのメッセージの方が核心を突いていることを実感するようになっていった。その後、それが真実であると本当に確信するためには、その見方で実際に生きてみて、それが本当に真実かどうかを現実として体験してみるしかないと思い、当時としては、非常に勇気がいることであったが、教師という世界から足を洗った。しかし、その見方で生きるということは、厳しい現実の繰り返しが待っていることを意味し、この本にもあるように、混乱、不安、恐れ、疑い、孤独、死の恐怖等々が交錯する、まさに、天地がひっくり返る体験の連続だった。同時に、そのプロセスでも、新たな情報が次々に手元にもたらされたが、そのすべてを受け入れ、時々の社会情勢に投影させながら統合していくという作業を繰り返すことによって、だんだんと自らの体験に統合されていき、著者の確信はどんどん強固になっていった。そして、今ではその確信は絶対の真実となっている。この本に書いた通りに実践した総決算が、この本なのである。

このプロセスで得た様々な情報は、それがどんなものであれ、受け取ったものは、現代社会の要素に統合するべく、片っ端から実行に移していった。そして、今の世にある様々な学説、意見、教理、思想、哲学、預言、予言等々とも照らし合わせて検証しながら、その結果を再統合することで、確固たる確信を得るに至った。この本は、著者の全人生を賭けたフールドワークと著者自身の実体験を通してすべて事実であると確認した上で書いたものである。この本は、突然のメッセージから始まった、著者の体験の総まとめでもある。

                             ナムウ

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