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元つ話1156 今の世で最も衛生に敏感な国が最も不衛生な国である

2014-09-13 Sat : 長谷章宏語録 
形をどんなに衛生的に、美的に作り上げたとしても、それは、マヤカシの綺麗さであり、美しさである。実際は、全くアベコベの行為であり、そのまま続ければ、本当の意味では、綺麗になるどころか、どんどん汚れて、ますます散らかっていくだけである。心の曇り具合に比例して、形を壊す響きが増幅するのである。心の乱れが形に現われるから、形が綺麗なほど、身魂は穢れているということである。この世は写し鏡であり、あなたの現実の汚れた形は、あなたの身魂の姿そのものなのである。毎朝、部屋の隅々まで塵一つなくピカピカに磨き上げたら心が磨けるのではなく、心を磨けば、自然に形が磨かれるのである。形の清潔さを保って爽快感を得るために掃除をするのではなく、心の掃除をするために掃除という行為を使うのである。すべては、心の内の話であり、真釣り外している限り、すべてが逆さまとなる。形をどんなに綺麗にしても、形の清潔さにこだわるならば、満足する綺麗さには永遠にならない。今の世で最も衛生に敏感な国が最も不衛生な国なのである。

心の塵一つない、穢れなき世界に戻らない限り、塵やゴミは出続け、体は汚れるから、掃除、洗濯、入浴は永遠に続く。何の曇りもない世界に戻れば、掃除、洗濯の必要はない。その世界には、心の掃除、洗濯が必要な者は存在できないからである。身魂の汚れをすべて綺麗サッパリ落さなければ、形はどんどん壊れていく。つまりは、心の掃除、洗濯をしないならば、曇りも穢れもない世界に生きるという現実は、永遠に実現しないということである。掃除や洗濯を面倒だと思っている限り、掃除や洗濯のない世界に住むことはできないのである。あなたが掃いている塵は、あなたが吐いたものである。自らばら蒔いたゴミは、自らが責任をもって掃除することは当然である。自からの苦=自らの響きであり、すべては、自己責任である。ミロクになるまで、日々、心の掃除、洗濯をしていればよいだけである。形の掃除を毎日する必要はない。実際には、あなたが汚れに我慢ができないから毎日やっているだけであり、穢れを嫌うならば、あなたは穢れの響きと同調していることになる。環境問題は自らの作った問題である。形の世界、今生だけでその原因を探している限り、自らが源であることは絶対に気づかない。だからこそ、形を綺麗にすること、形を壊さないようにすることに躍起になっているのである。自らの響きの反映が自らの現実の体験となる。心の穢れをそのままに、形の掃除で心地良くなろうとする、そのことが、心が曇っている証である。形を綺麗にしよう、汚さないようにしようとする者は、言い換えれば、他人に掃除、洗濯をさせようとする者は、結局は、自らの汚れ落としを神にさせようとしていることになるのである。形の掃除、洗濯をすることが目的ではない。あなたが真釣り戻しの掃除、洗濯をしているならば、どんな状況でも、居場所は必ず用意される。

                      ナムウ

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