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元つ話1157 悟るために掃除をするならそれは取り引きである

2014-09-14 Sun : 長谷章宏語録 
日常も、非日常も、同じ世界の中にある。自らのすべての世界で同じ心を保てなければならない。家の外にあっても内にあっても、態度は一貫していなければならない。特別なことや、特別扱いがあっては、本当の意味で平等、公平ではない。大神は、善にも悪にも、別け隔てなく天恵のお陰を渡し、平等に改心の機会を与えている。これを『おかしい』と思うならば、あなたは、真釣りの真コトの響きではない。大神の真意が全くわかっていないことになる。このことがわかって、いつでもどこでも、たとえ死んでも、死んだ後も、100%、大神の意に乗って生きることが、真コトの行である。俗世間を離れて、修行のための施設で、毎朝、境内やお堂の掃除をしたら悟れるわけではない。それが義務や強制に感じるようになれば、逆効果である。悟るために掃除をするなら、それは、取り引きであり、心底からの改心はない。心底から改心したというならば、俗世間で不平不満を一切、言わないことである。仲間同士の合宿で出来たからといって「罪」が消えるわけでもない。

形が心を変えるのではない。心に従って形が成るのである。すべてのやり方、生き様が逆さまである。不平不満を言いながら掃除をしても意味がない。掃除は、人生の雛型である。時間も、生死も、予定も、すべて捨てて、一つ一つクリアしていくことで形になるのである。形にするために何かをするのではない。身魂の掃除、洗濯とは、心の囚われをすべて捨てることである。善悪をすべて捨てることである。魔釣りのイシヤの仕組みも、大神の許しあって存在しているのであり、魔釣りに囚われた者と共鳴する響きを作って、魔釣りに気づかせて真釣りに戻すために、魔釣りの響きに囚われれば不都合を体験する仕組みである。真釣りしかない世界で不都合があるならば、その原因は、自らが魔釣りの響きを持っているからである。あなたが真釣りならば、真釣りと共鳴しているから、不都合は一切ない。不都合があるならば、あなたが魔釣りの響きを奏でている証である。万象万物は、自らで魔釣りにはならない。魔釣りで真釣りを使った人間が、魔釣りに変えるのである。

                            ナムウ

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