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元つ話1190 「遺体」というのは遺した体

2014-10-17 Fri : 長谷章宏語録 
ミロクの響きになれば、ミヨクの響きの世界は無に感じるようになる。すべては存在するが、アヤマ知の天国は、ミロクの世の現実と比べたら全く意味のない、滅びの天国だからである。その感覚が「無」であり、悟りであり、空であり、すべてを産み出す中心の産土の神響きである。ミロクの世に天意転換すれば、本当の天国を自由自在に楽しむことができる。ミロクの響きは、あなたが今、何の罪悪感もなく、完全に闇に葬っている世界そのものである。ミロクの世には不都合は何もない。思い通りにいかないことはなくなる。なぜなら、すべてが自由に産み出せる神人の世だからである。すべてを自分のコントロール下に置けるから、奇跡や偶然と言う言葉はなくなる。ミロクの世は、この世的に言うならば、魔法を自由自在に駆使できる現実の世界なのである。ミロクの世では、失うことはないから、悲しみも憎しみもない。従って、争いはない。悪が隠れる場所はどこにもなくなる。

この世の体を持った人間から見た誰かの死というのは、その誰かが別の次元の響きになったために物理体(この世の肉体)を使えなくなっただけである。「死」は不幸でも非劇でもない。この世でその誰かに執着(期待)している者が、その誰か(自分のもの)を失ったことを悲しんでいるだけである。『○○さんが、遺体で』発見されたのか、『○○さんの、遺体が』発見されたのか。前者ならば、○○さんは遺体であり、○○さんはもうどこにもいない。後者ならば、蛇の抜け殻と同じことで、○○さんは、遺体ではないから、○○さんはどこかにいる。「遺体」というのは、遺した体であり、某霊魂が、今回の生で○○さんと呼ばれていた今生の体を使えなくなった状態を表現した言葉である。この世の人間から見えないだけで、残した本人はどこかにいる。実際は、「○○さん」は始めからどこにもいない。いや、すべての世界に存在する。今生の○○さんの体と付き合った各自が、それぞれの○○さん像を描き、その○○さんについて語ることができるに過ぎない。その霊魂そのものの実体は誰も見ていない。今生の体に戻れる場合を「睡眠」と言い、戻れない場合を「死」と言っている。「睡眠」と「死」の中間が「臨死」であり、一番大きな世界(真釣りの世界)から見たら、「死」もただの出来事である。それぞれが一番楽に身魂磨きができるように、死んだり生きたりしているのであるから、今生の別体の霊魂(他人、家族等)の『生きていて欲しい』という希望で、勝手に生き死にさせことはできない。『生かされている』とは、生かしているのは大神であり、生かす者はどうあっても生かし、引き上げる者はどうあっても引き上げるのが、大神の掟である。ここに魔釣りの身欲や人知を持ちこんで、情けの仕組みに仇為すならば、それをしている霊魂の真釣り外しが益々進むだけである。

                           ナムウ

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