スポンサーサイト

-------- -- : スポンサー広告 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元つ話1200 魔釣りの道も 真釣りの道も 苦労が伴う しかし

2014-10-27 Mon : 長谷章宏語録 
魔釣りの善悪の争い、議論は、中身は空っぽである。相対の善悪で、正誤で、裁き合いをすることそのものが魔釣りの証し、真釣りなき証しである。真釣りがないから、魔釣りの世で生き延びるために、戦うことになる。非難したり、迎合したりすることになるが、その結末は、両方とも、滅びである。真釣りに戻すことは厳しいことであるが、それは自分が真釣りを外した結果であり、それを逃げれば、魔釣りの毒牙の餌食となる。他人の気持ち、弱者の気持ちという言葉は真コトの世界にはない。それに引きずられる自分の甘い心を正すことである。真コトがなければ、大神は鬼となる。身をもって教えなければ、永遠の滅びとなるからである。鬼となるのは、我が子への情けである。取り違いして、逆恨みすれば、親の情け、真コトを踏みにじる魔釣りの権化として最期に成敗される。よくよく考える事である。これは神事や空想、お遊びではない。本当の命を生かすか殺すかの真剣勝負である。真釣りに生きれば、真釣り戻しの苦労に耐えれば生き返り、魔釣りのままならば、苦業を重ねてメグリを積んで、積んだ分だけ悶え苦しんで、そのまま滅ぶ。二つに一つである。魔釣りの道も、真釣りの道も、苦労が伴う。しかし、本当に成就する苦労は真釣りの苦労である。どちらを選んでも結局は苦からは逃れられない。本当の苦労を選んで厳しさを克服すれば、永遠の天国が待っている。魔釣りの苦労は永遠の滅びを呼び込む苦業である。苦業を積み重ねて永遠に滅ぶか、苦労を耐えて永遠に生きるか、どちらの苦労をとるかによって、あなたの永遠の生死が決まる。真釣りの苦労は永遠の安らぎである。苦と欲が並んでいたら、苦を選んで、身欲を捨てて本当の天国を拾って欲しいものである。

自分の真釣り戻しをすることがあなたの天命である。他人の姿形の悲惨さは、その本人のメグリの証しであり、本人が真釣り戻さなければ、大神にもどうすることもできない。形の美醜、正誤、善悪に囚われて、他人や社会の非難に迎合して立場を守ろうとすれば、それは自分の滅びを意味する。自分が真釣りに戻るか戻らないか、それだけである。真釣りに戻らなければ、自分が滅ぶ。真釣りに戻れば、周りは大騒ぎをするが、それを潜り抜けて、自分の真釣りを貫く。一時的には皆離れるが、時局は、真釣りに気づき、戻ってくる。

あなた自身が真コトを貫くことが、結果として、本当に他人や社会のためになるのである。一時的な施しや優しさ、思いやりの世界に入れば、それは魔釣りを進める事になり、結果として、誰のためにもならないのである。自分のため、みんなのため、社会のためになるか、誰のためにもならないか、どちらか一つである。本当のことを聞いて騒ぐのは、蛇の知恵の世界で生き延びようとしている証である。戦うのではなく無視すればよい。蛇の世界の地位や財産や責任や生死は何の意味もなさない。死ぬぞ、恨むぞに怯めば、それで負けである。ハラとアタマ、真コトとウソの戦いである。真コトを貫けば勝ちは確定である。

                            ナムウ

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。