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元つ話1210 自分の理屈に合わないものは排除して理窟を組み立てる

2014-11-06 Thu : 長谷章宏語録 
目に見えているものが本当に存在するのか。目の前にいる人物は本当に生きているのか。存在する、生きているに決まっている、なぜなら、見えるから。それも、自分の思い込みである。自分の基準で自分の正しさを証明する。常識だから、誰かが言っているから、伝統だから、みんながそうだから、世界の常識だから、それが正しい、と言う。正しい基準、それも自分の同意する考えに過ぎない。自分の考えたことは自分が生み出したものなのか。無から作り出したものなのか。科学は発見の繰り返しである。あるものを見つけただけである。思い、考えすらもそうである。あの世、心の中、が実体である。実際は、見える形も見えてはいない。言い換えると、「自分のイメージで見えるもの」「他人に見せられないもの」と形との間に境界はない。この世とあの世、見えるものと見えないものの境界は自分である。肉眼で見えるもの、心眼で見えるもの、と自らが分けている。『脳で処理している』というのは、形ですべてを考える(肉眼で見えるものしか信じない)者の理屈である。

有限の処理能力で無限のものはつくれない。『脳に記録している』ならば、肉体がなくなったら終りである。DNAに記録している。自分はDNAだということになる。DNAそのものはどうやって作ったのか。種そのものはどうやって作ったのか。同じ問いである。幽霊は脳が生み出す幻覚だと言う。霊能者は精神異常の虚言、悪霊払いはやらせだと言う。そう言っている者自身が神頼みをする。自然の脅威、自然の不思議を語る。自分の理解の範囲で理屈をつける。生まれ変りは信じないから、DNAを残そうとする。思考の基は『永遠の命を得たい』ということである。霊を遺伝子に置き換えただけで、同じことである。形ですべてを思考している限りは、すべてを説明することはできない。自分の理屈に合わないものは排除して、理窟を組み立てる。排除した残りで整合性を取ろうとする。自分は正しいと言う。科学者と宗教家の間に、超心理学者、形而上学者が現れる。超常現象や心霊写真の議論は、科学者と霊能者では永遠の平行線である。「排除する」ならば、それが存在することの証。どこにも存在しないなら、形にも思いにも出てこない。しかし、「それ」を排除しているからそのことは認めない。従って、アレコレと理屈をつける。体験して初めて信じる。混乱したら信じる。信じて初めて認める。自分が自分に説明できなくなったら、初めて認める。相対二元の世界では、「存在するものすべて」を解明することはできない。

                               ナムウ

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