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元つ話 431 裁判官様、警察官様、自らのしていることが何かをかえりみられよ

2012-09-18 Tue : 長谷章宏語録 
そなたが今まで信じていたルールは「あやま知」と言われるものであるぞ。「元つ神」の法則に反しているものであるぞ。元つ神のルールに反しているが、元つ神のルール通りでもあるぞ。「そなたのすることがそなたに返る」のであるぞ。「この方の言う通りにしなければ天国はない」というのもこの方の言うことであるぞ。そなたはこの方の仕組みからはでられないのであるぞ。この方に反抗してもこの方の言うとおりになるのぞ。どうするかよく考えて決めろよ。そなたは、今の今まで「快欲」にとらわれて、すべて「自分自身の保身、身欲」をもとに思考しているのであるぞ。そなたがやっているのは「自分だけ勝手」であるぞ。「あの人は自分中心だ」というそなたが「自分中心」であるぞ。そなたが言っていることは自分のことであるぞ。そなたが見ているのは自分の姿であるぞ。そなたがそなたの外側を見て感じること言いたくなることはそなたのことであるぞ。そなたの外側を批判するのはそなたを批判しているのと同じぞ。自分で自分を批判している一人芝居であるぞ。すべてのすべては神がしていることであるから、そなたは神を批判していることにもなるのぞ。神を批判してそなたの天国があると思っているのか。

この方の語ることを○×判断したり、疑ったり、気違いだ、アホだ、変だと言っているとしたら、怖いとか、不安だとか、良くないとか感じるとしたら、それはそなたが「あやま知」にとらわれている証拠であるぞ。そなたは「あやま知」のゲームの中にいるのぞ。この方はすべてを許しているのぞ。この方の許さないものは形にならないのぞ。そなたらがトンネルを掘ろうとして事故になるのはこの方が許さないからぞ。「悪」という形は、この方が許しているから存在しているのであるぞ。この方が許しているものを何故にそなたは裁くのであるか。「悪」を「悪」というのが「悪」であるぞ。「悪」を「悪」というそなたが「悪」であるぞ。そなたがこの方の言うとおりに聞いていれば「悪」は関係なくなるのぞ。「悪」が気になるのは、この方を無私している証拠であるぞ。外に頼るゲームをしている証拠であるぞ。外に頼るならば何が起きても外に文句を言うでないぞ。この方に真釣われば、そなたは何でもできるのであるぞ。人に頼って文句いうのは自分だけ勝手のご都合主義というものであるぞ。自分勝手でない者はいないのぞ。神の自分勝手を生きるならば皆がうまくいくのであるぞ。悪を裁くそなたが邪魔者であるぞ。

この方は何も裁いていないぞ。いっさい裁いていないのぞ。この方はすべてを許しているのだから戒律はないのぞ。神のルールは「自分のしたことは自分で責任をとる」ことだけであるぞ。神の仕組みはそなたの選択通りにそなたが体験するように創っているのぞ。自業自得であるぞ。そなたがどんな体験をしようともすべてそなたの選択の結果なのであるぞ。外をコントロールしたり、外を制限したりする必要はないのぞ。法律はいらないのであるぞ。神のルールが分かったら、争いも犯罪もなくなるのぞ。できなくなるのぞ。それをしていると自分が危ないことが分かるからであるぞ。「裁く」というゲームは、この方が許しているものをそなたが裁いていることになるのぞ。そなたは何をしているのか。いい加減に裁くのをやめないとそなたが地獄に落ちることになるぞ。神が落とすのではないのぞ。そなたが落ちるのであるぞ。自分の苦の原因が外にあると思っているから、外の悪を裁くことになるのぞ。外の悪をやめさせる必要があると思うことになるのぞ。そなたがしていることであるぞ。外の悪とそなたの体験とは関係ないのぞ。裁判官様、警察官様、自らのしていることが何かをかえりみられよ。そのままでは皆終わりであるぞ。

「人間として許されないこと」などというものはないのぞ。そなたは身魂であるぞ。人間というのは身魂が肉体を通して体験しているゲームであるぞ。そなたの肉体はそなたという身魂の服であるぞ。そなたが物質の世界で遊ぶためのぬいぐるみであるぞ。そなたは身魂であるぞ。身魂は神の分身であるぞ。自分で責任をとれば何をしてもよいのぞ。外を責めるのは責任をとっていない行動であるぞ。そなたがこの方のルールに従えば外をコントロールする必要はなくなるのぞ。人のすることを「するな」「やめろ」というゲームはいらないのぞ。人間として許されないことがあるなら、人を裁くことであるぞ。人に口出しすることであるぞ。そなたは神成る身魂であるぞ。人間というのは神になる身魂であるぞ。神のルールに反することが「人間として許されないこと」であるぞ。許されないことをすれば、そなたが苦しみを感じるようにしてあるのぞ。誰も裁いていないのぞ。自分のことは自分で責任をとるのであるぞ。「人を裁く」というのは、「人のコントロール」というのは、「あやま知」をもとに生きている人間が創りだしたルールであるぞ。人間の恐れが創りだした幻想であるぞ。今のままでは自分自身が神に成れないぞ。

                            章

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