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元つ話 514 自分の外側は自分の内側であるということに気づくこと

2012-12-10 Mon : 長谷章宏語録 
 皆さんの内側の「宗教」が「議論」や「争い」を創りだす原因である
 皆さんは、実際のところ、人間というものについての真実は何も知りません。今まで学んできたことは、そのほとんどが、人間という存在の真実を覆い隠してしまうものなのです。だからこそ、皆さんは、死を恐れ、「悩み」や「葛藤」を感じつづけ、「トラブル」や「問題」を創りだし続け、「平和」や「幸福」や「平等」を探し続けても、一向に見つからないばかりか、ますます思惑とは反対の方向へと進んでいっているのです。
 いうなれば、皆さんは目隠しをして、人間というゲームを歩み、目の前に現れた現象(トラブルも善いことも)を、自分の学んできた知識を使って、自分の都合のいいように解釈しているだけに過ぎないのです。皆さんは、その「知識」が本当に真実かどうかを確認しないまま、自分のシナリオに取り入れてきたのです。
 本当は、皆さんの外側には一つの「現象」がただ存在しているだけであって、「科学」も「宗教」も「常識」も「非常識」も「奇跡」も「偶然」も「善いこと」も「悪いこと」も一切ないのです。皆さんの内側で感じていることについても、「正常」とか「異常」とかいうことは一切なく、誰が何と言おうとも、皆さんが見ているもの、感じているものはすべて真実なのです。つまり、皆さんが外側に見ている「人の意見」とか「人の行動」とかいうものは、その人の内側を表現したものですから、「正常」とか「異常」とかいうものは一切ないのです。「正常なフリ」するというゲームは、皆さん自身が外側を分類するゲームをしている結果、自分を守るため、批判されないために必要だと思い込んでいるだけのことに過ぎません。実際は、自分を守る必要はないのですが。

「科学か宗教か」「存在するかしないか」「本当か嘘か」といった議論を創りだしている本当の原因というのは、皆さんの外側にあるのではなく、皆さん一人ひとりが選んで、一人ひとりが創りだしている「宗教」にあるのだということ、そして、そのお互いの「基準」自体を、またまたお互いの「宗教」で判断しあうことで、堂々巡りの、出口のない、いつまでやっても結論の出ない、議論や争いを創り続ける結果になっているということに気づいてください(この見方は、今この本を読んでいる皆さん自身にもあてはまるものですので、この先も、そのつもりで読み進めてください)。そのことに気づかない限り、これから先、皆さんは、何が何だかわからなくなっていくでしょう。


 新しい時代を知るには「宗教」についての認識を新たにすることが不可欠である
 私が、本の冒頭で、かくもしつこく「宗教」の話をもちだしたのは、実は、皆さんの間で、時代を超えて常に議論の対象となっている「宗教」や「哲学」というものについての真実を知ること。「宗教」や「神様」というものについての認識を新たにすることが、新しい時代に向けての出来事、人間というものの真実を知る上で欠くことができない非常に重要なことだからです。
 これは、私自身が四年間かけて、私自身、何度も何度も疑いながらも「新しいゲーム」(大掃除のプロセス)を実践し続けた結果、自分自身の体験から導き出した結論であり、この先もこの話題については、手を変え品を変え、しつこいくらいに何度も何度も書くことになりますので、「またか」などと言わずに、復習のつもりで「辛抱して」読んでください。何度も何度も実際に繰り返すこと(ドリル)が、新しいことを体験から身につけるための有効な手段ですから。
 皆さんは、これから、いわば、全く新しいゲームのルールをマスターするというゲームを始めるわけで、今までマスターしたルール(「あやま知」)をキレイサッパリ入れ換えて、癖を直していくことが必要なのです。皆さんに「修行」と言うと、特別な行為を思い浮かべると思いますが、実を言うと、こういうプロセス自体が、「人生の修行」そのものであり、「悟り」の境地というのは、自分の外側は自分の内側であるということに気づき、自分の内側と外側を一つにすることで初めて得られるものなのです。「悟り」を知らない皆さんには、基準がありませんから、「悟った」かどうかは分からないのです。
 本当の「悟り」は「内側の大掃除」をしない限り得られないものであり、日常生活を教材にして「自分の内側」を鏡に映して「○×の掃除」を進めるという自分自身の修行、体験を通してしか得られないものなのです。「修行」は皆さんの日常生活の体験でできるもの、いや、日常生活でしかできないものなのです。日常生活でできなければ、どこへいってもできないのです。皆さんの人生の質そのものを高めていくというレッスンなのですから、特殊な状況で「悟り」を開いても意味がないのです。実は、ここからが皆さんの本当の人生勉強なのです。

 このように、「宗教」と「科学」の論争を解結すること、今までの「錯覚」に気づいて「真実」を知ることが、新しい時代へ向けて避けては通れない関門であり、実は、私が今までやっていたことは、「宗教」と「科学」を一つに統合する作業だったといってもよく、「宗教」という内なる世界の「科学」について知ることが、すべての真実を知るカギであるといっても過言ではありません。

                            章

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