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元つ話 515 「悪」を裁くココロを持っている魂は、新しい時代に行くことはできない

2012-12-11 Tue : 長谷章宏語録 
 皆さんの言う「宗教」や「哲学」こそ人生上の体験を創りだす「物理学」である
 皆さん一人ひとりが持っている「見方」「考え方」「行動指針」「方針」「基準」「ルール」「観念」「道徳」「マナー」「しきたり」「常識」「社会通念」等々といっているようなものは、たとえ皆さんが「哲学」や「宗教」という分類をしていても、すべて、皆さんが生まれてこのかた、親や学校や世間やテレビや噂や本などから教えられたものの中から、皆さん自身が自分の都合に合わせて選んだものであり、皆さんの人生の体験を創りだしている「物理学」なのです。「宗教」や「哲学」という分類をしているのも、皆さん自身の「宗教」に基づく、「自分勝手」なゲームなのです。
 見方を変えれば、皆さんの解釈や認識や現実を創りだす、すべての「考え方」、すべての「基準」が、皆さんがいっている「宗教」であるともいえるのです。皆さんが「宗教」であるとかないとか分類する基準そのものが皆さんの信じている(選んでいる)「宗教」であり、皆さんが皆さん自身の基準で、「自分の考え方は宗教ではない」と思い込んでいるだけなのです。
 皆さんの人生の体験というのは、皆さんが選択しているものに基づいて皆さんが体験しているゲームであり、皆さんが「その考えは選ばない」という選択を選んでいることで、その考えを選ばなかったときの、今、皆さんが選んでいる「宗教」に基づいて、その通りの結果を体験しているのです。
 実際のところ、「神様」も「仏様」も「常識」も、先ほどの「自分は~」のセリフも、すべて皆さん自身が創りだしているものであり、いうなれば、皆さん一人ひとりのもっている「オレの考え方」というものが、「宗教」そのものなのです。つまり、「宗教だ」「哲学だ」ということ自体が、皆さんの「宗教」であり、「哲学」なのです。議論というのは「オレの考え方」と「オレの考え方」の正しさの戦いであり、お互いに「自分は正しい」「自分は善いことをしている」と思っているから、終わりがないのです。
 戦いというのは「善と悪」ではなくて、「善と善のぶつかりあい」なのです。みんな「正しい」から際限がないゲームになるというわけです。みんな「善人」だから、相手を「悪人」にして争いになるのです。相手を悪くすることで自分を善人にして、勝ったつもり、守ったつもりになっているだけです。

 皆さんが外側に「悪」を見ているとき、それは、皆さんの中にある「悪」を映しているのです。皆さんが外側の「悪」と戦っている限り、外側の「悪」を排除しようとしている限り、皆さんは今回のハラとアタマの戦いに「勝つ」ことはできません。今回は、今までのような勝ち負けではなく、一つになった者が「勝ち」なのです。内側の戦いを終わらせた全員が勝つのです。その結果が、外(ほか)でもない「天国」です。外側に戦いを挑んでいる限り、皆さんは永遠に勝つことはないのです。それどころか、戦いを挑んでいる皆さんは、最後の最後は全員負けることになります。これが、「負けるが勝ち」の本当の意味です。勝ち負けゲームすらも、今までと全くアベコベの結果になるのです。


 皆さんがやることは、皆さんの外側のものを道具にして内側の掃除をすることだけ
 皆さんの外側には「悪」というものはないのです。皆さんが選んでいる「悪」という基準で外側を裁いているのです。自分の「善」「正しさ」を証明するために「悪」を否定するゲームをしているのです。自分だけを守るために、自分以外を排除して、自分を残すゲームをしているつもりになっているのです。「善」と「悪」というのは、それはどちらも自分の中にある、自分の持ち物であることに気づいてください。片方を排除しようとすることは、自分の中を二つに分けていることになるのです。これでは皆さんの内側は、永遠に一つになりません。皆さんの外側も一つになりません。「天国」は永遠にできません。
 戦っている宗教では、皆さんは救われることはありません。これから必要なのは、皆さん一人ひとりが自分の内側を掃除することだけです。一人ひとりが自分の内側を一つにすることです。「善」も「悪」もなくすことです。すべてを認めることです。すべてを許すことです。神様のココロになることです。それを実行することです。それだけが、皆さんを助けることになるだけでなく、皆さん以外の人も助けることになるのです。人を助けたかったら、自分を助けることです。人を助けたかったら、助けようとしないことです。
 自分が人を掃除することはできませんし、人が自分を掃除してくれることもありません。内側の葛藤は自分自身しかわからないのです。外にある「誰か」や「何か」が自分を助けてくれることもありません。一人ひとりが自分の内側を掃除するのです。外側にある「宗教」は要注意です。もっとも、皆さんが「自分の掃除」のことを知っていれば、外側を探しませんから、騙されたり、引っ掛かったりすることはありませんが。もし、騙されたとしても、それはその教祖様が悪いのではなく、皆さん自身の責任です。皆さんが外側を探していたのが原因です。教祖様を責めるのは、掃除が出来ていない証拠です。その「善悪」の基準、自分勝手、裁くココロを掃除することが実は、「内側の大掃除」なのです。


 皆さんを救うのは、皆さん自身が皆さん自身を救う「自分教」だけである
 皆さんを助けるのは、「自分教」だけです。皆さんの内側が戦っている(それは、外側が戦っているように見える、という結果で分かります)ならば、皆さんは一つになりませんから、皆さんは分裂したまま「最後の時」を迎えることになるのです。実を言うと、「悪」を裁くココロを持っている魂(つまり、一つになっていない魂)は、新しい時代に行くことはできないのです。だから、今回は、自分の中の「○×」「善悪」を消す大掃除をする必要があるのです。
 皆さんの目の前のものを鏡にして、自分の中の「偏見」「偏り」「裁き」を一つにしていく修行が必要なのです。皆さんの目の前のものを裁いていたら、いつまでたっても掃除は完了しません。外側を責めたくなったら、外側の悪を排除したくなったら、それは自分の内側の戦いが映っているものであると気づくことです。内側の戦いをやめることで、外側の戦いを終わらせることができます。いつまでも人を責めたり、恨んだり、戦ったり、分類したりしていると、自分自身が「危ない」ことを自覚しておくことです。

 皆さんの外側には皆さんを救ってくれるものは何もないのです。自分のココロという目には見えないものを綺麗にしていくお掃除が、皆さんを救う唯一の宗教なのです。このお掃除は、自分が自分をチェックするという作業ですから、一人ひとりにしかできないものなのです。自分のココロの戦い、ココロの葛藤を見ることができるのは自分だけです。これが分かっている人は、「助けてあげる」などとはいいません。人が自分を責めても、責め返すことはせず、それがその人の内側の現れであることを教えるだけのことです。自分しか自分を助けるものはないのですから、自分以外の人やモノや偶像や神様が助けてくれることはないのです。今回は、神様も「掃除なき者は助けられない」と言っていますから、勘違いなさらないようにしてください。

                           章

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