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元つ話 533 人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ

2012-12-29 Sat : 長谷章宏語録 
神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何も言わないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何もこないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたものを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引換えであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるのぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人間の永遠の自由が得られるのであるぞ。人間から見ると矛盾して見えるが、これが真理であるぞ。この方の言うこと聞くと自由になるのぞ。この道理分かるか。

この方の申すことを信じるか信じないかはそなたの自由であるが、そなたの身魂はこの方が産んだものであることを心得てこのフミを読めよ。そなたが神がいるとかいないとか言えるのも、そなたの身魂をこの神が産み生んだからであるぞ。そなたはどうあがいても抵抗しても、この方の中からは出られないのであるぞ。疑う者は、こころゆくまでこの方から出ることを試みよ。そなたが抵抗するほどそなたが苦しむだけであるぞ。人は苦しみを解結できないぞ。そなたが人の苦しみを解結することもできないぞ。そなたは、この方の創った「神の法則」の中でそなたのお望みのゲームをやっているだけなのであるぞ。

そなたら人間は、次の世では「神」と成る身魂であるぞ。本当のヒトになる身魂であるぞ。一十(ヒト)になるのぞ。今はヒトになる間であるぞ。神に成る修行をしているのぞ。神に成れば全部自分でできるのであるぞ。神なる修行の身では、神の助けが必要であるぞ。そなたは自分が正しいなどとは言えないのであるぞ。自分がやったとは言えないのであるぞ。そなたがしたいことを神が手伝うのぞ。そなたが見ているものはすべて神の作品であるぞ。神が自由に操れるのであるぞ。そなた以外の人間も想念に指示して動かすこともできるのぞ。自分勝手だと言うのはそなたが自分勝手であるぞ。そなたは自分で何かしたと思い込んでいるだけぞ。人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ。

神なる修行の身であるそなたらは、神の法則を外すことはできないのであるぞ。神の法則は喜び創る、天国創る法則であるぞ。神の法則を外すのは不調和を創りだすことであるぞ。地獄を創る方法であるぞ。不調和創りだしている者、全部、神のルールに違反しているのぞ。人のこと言えないのぞ。人を裁いている場合ではないのぞ。自分はルール違反していないなどとタワケたことを言うでないぞ。自分は善人だ、自分は正しい、などと言うでないぞ。善悪、正誤で裁いている者は、ルール違反であるぞ。神は身魂を見るのぞ。身魂のルールであるぞ。迷惑だと言う者、そなたが迷惑であるぞ。そなたが自分勝手であるぞ。そなたは、肉体のゲーム、目に見える世界だけの損得、善悪のルールを決めてゲームをしているだけであるぞ。そなたがすべきことは、身魂のルールに従うことであるぞ。モノの損得など言っている場合ではないのぞ。身魂のルールを思い出せよ。この方が、このフミですべて教えるから、ここでシッカリとショウネを据えて勉強しろよ。

神は喜びであるぞ。神は永遠に喜びであるぞ。喜びしかない神が創るもの、すべて喜びであるぞ。神の法則も喜びを創るものであるぞ。簡単な道理ではないか。そなたは苦しみを神のせいにするが、そなたの苦しみは、そなたが神の法則を外しているのをお知らせするために神が与えているのであるぞ。「苦」「不都合」「不調和」は、そなたが神の法則を外している証拠であるぞ。自分のしたことを神の責任にするなよ。ますます外すぞ。そなたが神の法則を外したのを気づかせるために、本来ない「苦」を与える仕組みを創ったのであるぞ。神の法則を外せば、そなたの身魂は滅びるのであるぞ。なくなるのであるぞ。そなたは文句言えないのであるぞ。誰が決めたのかなどと言えないのであるぞ。本来ならば自分のしたことは自分の責任であるから、神なる身の自覚がないから、ほっといて滅びる体験をさせてもよいのであるが、素晴らしい次の世を一人でも多くに体験させてやりたいという、親心であるぞ。神の情けであるぞ。神の大サービスであるぞ。

この方は響きで表に出ているぞ。波動といってもよいぞ。振動数が違うといってもよいぞ。すべてのすべてを創りだす振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことはできないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないのぞ。そなたらが悪と言っているものも神が許してそこにあるものぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えておけよ。

人間というのは、この方が産み生んだ身魂が肉体という衣を着たものであるぞ。そなたは身魂であるぞ。肉体ではないぞ。身魂が肉体を通して感じているのであるぞ。そなたの想念がそなた自身であるぞ。そなたの想念と神の想念が語っているのであるぞ。そなたの想念を神が聞いて、神の創ったモノを操作して、そなたの希望通りのものをそなたに与えているのであるぞ。そなたが何かしているのではないぞ。そなたの想念を神が形にしているのであるぞ。そなたの目の前にあるものはモトモトは神の響きであるぞ。そこにある形はすべて神が創ったものであるぞ。そなたが生まれる前からあったものがそなたら人間を通して形になったものであるぞ。そなたは借り物を自分の物にしているぞ。そなたから見れば自分がしているように見えるのぞ。そなたがしたいことを神が形にするのぞ。そなたがしたくないならばしたくないと感じることを形にするのぞ。

                           章

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