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元つ話 541 失うことを恐れているだけ

2013-01-06 Sun : 長谷章宏語録 
あなたは、永遠無限の「生き通し」の存在である。あなた自身は、今持っている肉体の有無とは関係なく「永遠無限の生」を体験し続けている。「永遠無限の生」は絶対普遍であるから、「生」自体に疑問は存在しない。「永遠の生」には、「死」という概念は存在しないから、『生き残ろう』と思うこともない。あなたが「永遠の生」を殺した時に、あなたの現実に「死」が現われる。「生」と「死」を分離できるのは「生しかない」証しである。あなたが恐れている、避けられないものと思い込んでいる「死」は、条件付きの「死」である。

どう生きるか、言い換えれば、死とどう向き合うか、死をどう迎えるか、死をどう受け入れるか、の問いは、『死がある』のが前提である。あなたは、あなたの生に「死」という概念を持ち込んで、「生」を混乱させている。死を考えているあなたは、今、死んではいない。あなたが死の淵から生還したとしても、まだ死んではいない。『他人が死んだらどうなるか』は『自分が死んだらどうなるか』である。あなたは、誰かが死んだことを悲しんでいるのではない。自分の世界の構成要素の一部を失ったことが悲しいのである。あなたは、自分が悲しいのであって、その人の死を悲しんでいるのではない。死後に死という体験をどう感じているかは死んだ本人にしかわからない。あなたは死者の思いなど全く考えていない。自分の喪失感を他の何かにすりかえて、自分の現実を誤魔化そうとしているだけである。

『死んだら悲しまなければならない』という決まりはどこにも存在しない。あなたが関心があるのは他人の死ではない。あなたが心配しているのは自分の死である。自分が死んだらどうなるのか。それは、あなたが死なない限り、あなたにはわからない。しかし、あなたが『死んだら終りだ』と言うならば、「自分が死んだら自分という存在が消える」ことを意味するから、あなたが死んだ時、あなたは死を認識できない。あなたに死が認識できるのならば、その時、あなたは生きている。『死後の世界がある』と言うならば、あなたはそこで生を続ける。つまり、あなたは、今のこの世で、自分のものだと思っているものを失うことを恐れているだけである。それを守るためにどうするか、を考えているだけである。

あなたが永遠の生に生きているならば、あなたには無限の時間がある。慌てる必要はどこにも無い。何かを奪い合う必要も無い。「命は限りあるもの」と思っているならば、あなたは、慌てることになる。『我先に』と行動することになる。思いやり、優しさ、譲り合いの大切さを語りながら、その裏では、早い者勝ちの椅子取りゲームに参加することになる。命の大切さを語りながら、自分がそこから何かを得るために、誰かの死を望むことになる。

               【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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