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元つ話 546 心配しているのは国の滅亡ではなく「自分の滅亡」なのである

2013-01-11 Fri : 長谷章宏語録 
どこまで自分の本心を偽れるか。どこまで他人を思いやるフリができるか。弱肉強食の世界は、有限のものの取り合いが前提である。自分が生き残ろうとしても、他人を助けようとしても、実は、どちらを選ぼうとも、最後は誰もいなくなるのである。なぜなら、最後のひとりは誰からも奪えず、自分自身で産み出せなければ、それは死を意味するからである。もし、自分自身で産み出せるのならば、始めから弱肉強食の世界にはいない。『有限だ』とはいわない。無限の永遠の生を生きているからである。つまり、有限の世界で生き残ろうとしても、結局は、全員が生き残れないのである。『限りある資源を大切にしよう』と言うが、大切にするのは、自分が死なないようにするためである。資源を思いやるように見えるが、実際は、資源をダシに使って、自分を思いやっているのである。国破れて山河在り。滅ぶのは、「略奪の社会」を生きていた者だけであり、自然はそのまま残るのである。

略奪の世界では、どんな表現を使おうとも、行動の目的は、すべて「自分のため」である。自己保全のために都合がよい思想に同意しただけである。心配しているのは、人類の滅亡、地球の破壊、国の滅亡、家族の崩壊、ではなく「自分の滅亡」なのである。略奪の世界を選んでいる者には、他人を生かすことは絶対にできないのである。『人のため、社会のために役立つように生きたい』と言うのは、真実を何も知らない極楽蜻蛉、本当に救いようのないお人よしである。自分がどんな世界にいて、その世界がどこに向かっているのか、しっかりと目を開けて見てみるとよい。自分が今どういう状況にいるのかを本当に正直に見れば、本当の命の存亡の危機に直面していることに気づくはずである。あなたが、死を避けたいならば、必ず危険な状況を回避しようとするはずである。自分の命が危ないとなれば、どんな行動をとるか。本当に他人を思いやれるのか。本当に動物を、地球を、資源を保護しようと考えるのか。本当に自分を捨てられるのか。思いやり、やさしさ、助け合い、保護、を語っている間は、まだ余裕がある。命に影響しない頭の体操、思考の遊びをする暇がある。自然保護や人助けや社会奉仕に現を抜かすことができる。全員を助けられないなら、自分の死なない範囲で助けるのなら、それは、本当に助けることにはならない。『自分以外の何か(誰か)のために』は綺麗ごとである。自分自身の生き残りのための対策に余裕がある証拠である。今は何とでも言える。何とでも誤魔化せる。どうにでも本心を隠せる。しかし、自身の存亡に関わる極限状況で、果たして本当にそれが実行できるのか。

『その状況になってみなければわからない』という詭弁をいつまで使っても別に構わないが、「その状況」になった時にあわてても、それまでしたことは消せない。あなたが今やっていることはすべてアベコベであり、そのままいけば、あなたは永遠に滅ぶことになる。あなたが万象万物を無から産み出せるなら別だが、そうでないなら他人を生かすことはできないのである。神や仏やお金や他人や本や自然や商品に依存しているなら、あなたはあなた自身を生かすこともできていない。そんなあなたが他人を生かすことなど絶対にできない。あなたが誰かの人生を代わりに生きることも、誰かの現実を天国に変えることもできない。あなたが誰かの考え方を、本人の意思を無視して、直接変えることもできない。あなたにできるのは、相互依存の世界の商品を手に入れるお金か物を渡すことと、その肉体を使って誰かの代わりに何かをすることだけである。本当の救世はあなたにはできない。

                【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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