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元つ話 548 偽の天国から見れば鬼、悪魔、冷血漢の思想

2013-01-13 Sun : 長谷章宏語録 
あなたが真実を生きることで、自分が助かり、他人も助かる。今の世では、形の上では自己犠牲に見えるが、その自己犠牲が、本当の意味で他人を助けることになる。自己犠牲でない自己犠牲、自己救済の自己犠牲である。自分は死なないで、他人も助けることができる。自分が生きて他人も生きる。あなたが『そんな世界はあり得ない』と言っている世界は、現に存在する。後は、あなたがそれをいつまで否定できるかの問題である。否定するものは存在する。存在を否定すれば、自分はその存在の中には存在できない。表をすべてリセットするということは、表が真っ暗になることである。今持っているすべてを消したら、裏の世界が現われる。見える。それが裏表の関係である。『手を離したら助ける』と言われたら、手を離すだけでよい。手を離すことがリセットした証明であり、表の世界から死んだ証明である。『助けてくれたら手を離す』では絶対に見ることはできない。裏と表は、両方を同時に手にする(同居する)ことはできない。絶対誤魔化しの効かない踏絵である。

死んだら死がわかる。死んだら生がわかる。生きたまま死をわかろうとしてもそれは不可能である。生死がある世界では、生きたままで死はわからない。実際は、死はないから、死後の世界という生に生きれば、生の世界を両方見たことになる。死んだ瞬間に、生も死もわかる。つまり、すべてがわかる。死が消えると同時に、生も消える。何もなくなって、すべてがある。「ただある」「存在する」の意味が体感できた時、それが、天国なのである。そして、それは、「生きて」いる間でも個人的現実として体験することができる世界である。

天国は死後にあるのではない。いつかできるのではない。今ここの天国を見えなくしているものをすべて取り払えば、天国が戻ってくる。地獄はずっと地獄である。永遠に天国にはならない。地獄のない世界が天国であるから、戦いで作ろうとしている天国は自分だけの天国である。天国には悪人はいない。『悪を滅ぼせば天国になる』と言う時は、悪が存在する。悪が存在するなら、そこは地獄である。『悪がある』という自分の目がその悪を生んだ源であるから、その目を消せば、本当の天国が見える。外に見える悪を滅ぼそうとすれば、自分の悪の目(芽)を育てることになる。自分が滅びれば悪の源が滅びて、天国が現われる。しかし、そこに自分はいない。自分が存在する天国を実現するには、一切の矛盾を解消しなければならない。自分の思い込み、「生」への執着をすべて白紙に戻さなければ、矛盾は解消しない。思いが形になる。天国の思いをそのまま実行すれば天国が形になる。

天国を思って、地獄のやり方をしているなら、それは天国を消していることになる。あなたが今持っている価値基準、観念は、天国から見て本当に正しいのか。天国を創れるものなのか。本当の天国に生きる者に死はない。従って、抵抗することも、反抗することも、邪魔することも、命乞いをすることも、他人を救おうと思うこともない。言い換えれば、そういう反応をする者こそ、自らが掟を破ったのに、自らの死を恐れて(地獄で生き残ろうとして)神の抹殺を図ろうとしている悪魔である。そういう者の言いなりになれば、逆に自分を殺すことになる。『死を殺す』つまり、真実に抵抗するその思いを捨てていくようにすることが、地獄の民の命乞いに反応しないことが、本当に自分を助ける命綱になる。

これは、偽の天国から見れば鬼、悪魔、冷血漢の思想である。しかし、本当の天国から見れば、そのままなら確実に死ぬのであるから、本当の意味で助けるためには、鬼になる必要がある。自分で自分を助けられる者には、鬼も悪魔もいない。自分を助けてくれない者を悪魔と呼んでいるだけである。自分で天国を捨てておいて、自分の責任を自分以外に被せる。そういう自分こそ、他人の天国を邪魔する、自分の罪を他人に着せる、地獄の道づれにする悪魔である。自己保存を他人に依存するのは、地獄の民の特性である。自己保存のために他者の力を奪い合い、結局は、自分も他人も滅びるのが地獄なのである。地獄に生きる者の言い分を聞いて自分が滅びても、それは、あなたの責任である。自分がどれだけ鬼、悪魔に徹せられるか、地獄の民からの依存、自分への干渉をどれだけ切れるか、自分にすがる者をどれだけ無視できるか、それが本当の自立への道しるべである。あなたが自立すれば、相手はあなたに依存できなくなるから自立するしかない。自分を助ければ。相手も助かる。自分が依存すれば、相手も依存するから、共倒れになる。すべては自分次第である。自分を完全に生かせば、相手に生きる機会を渡せる。それを使うかどうかは相手の問題である。相手がどうしたかは追いかける必要はない。あなたは自分のために生きるだけでよい。どれだけ自分に集中できるかが鍵である。誰かの邪魔をすれば自分も死ぬ。

                 【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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