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元つ話 554 新しい時代への変化は皆さん自身の内側の変化である

2013-01-19 Sat : 長谷章宏語録 
 皆さんの体験している新しい時代への変化は、皆さん自身の内側の変化である
 私が最初の本『人生というゲームの新しい遊び方』を書き終えてから早くも一年がたちました。その間、巷では、「新しい時代への変化」を予見させるような様々な出来事が何度となく伝えられ、「二十一世紀」とか「新しい時代」とか「改革」とか「変革」とか「革新」とか「過去最高」とか「史上初めて」とか「前代未聞」とか「歴史上始まって以来」とか「聞いたことがない」とか「ありえない」とか「信じられない」とかいうような言葉が絶えることなく飛び交い、「人類滅亡説」とか「宇宙人」とか「古代史の謎解き」とか「占い」とか「宗教」とか「精神世界」とか「死後の世界」とか、今までは「ありえない」「うさんくさい」と言われていたようなものが公の場で議論されるようになるなど、日本が、世界が、人類が、かつて経験したことのない新しい時代に向けての大きな転換期にさしかかっていることを誰もが認めるような状況になってきています。
 そして、「神」とか「UFO」とか「幽霊」とか「超能力」とか「セックス」とか「チャネリング」とか、少し前ならば、皆の前では公然と話せなかったような内容も、当たり前のこととして語られるようになり、情報公開とか規制緩和とか自由化とかいった言葉で表現されるように、すべてがオープン化の方向へと変化してきています。
 が、その反面、「人口増加」「戦争」「飢餓」「難民問題」「食糧問題」「犯罪の増加」「ローン地獄」「倒産、失業、就職難」「伝染病の発生」「地震、噴火、異常気象」「事故」といったような、その原因や解結の糸口が見つからないような不安材料が次々に現れ、先行き不透明で、この先何がどうなるのかわからない、自分がいったいどうなるのか、どこへいくのかわからない、といった「世紀末」特有の不安感がますます広がってきているというのも事実です。

 後で詳しく述べますが、この新しい時代への変化というのは、実は、単なる皆さんの外側の変化であるというだけではなくて、「神の仕組み」という大きなメカニズムに基づいて、皆さん一人ひとりの「内側の変化」が形となって現れてきているものでもあるのです。


 この本は、私自身の「決死の覚悟」の実験の結果として書かれているものである
 このように、たくさんの人々が、「新しい時代の変化」を感じ、それについてアレコレと語り合ってはいても、では、その変化の本質とはいったい何なのでしょうか?

 はたしてどのくらいの人が、二十世紀末の、この「大転換期」の「変革」の本当の意味というものを知っているのでしょうか?
 はたしてどのくらいの人が、それを知った上で、目の前で起きている出来事について、見て、感じて、考えて、行動して、コメントしているのでしょうか?
 雑誌や単行本やテレビやラジオや講演会等々を通じて、社会の変化や世紀末の出来事や二十一世紀という時代についての様々な情報が提案され、議論されていますが、いったい、どれが本当で、何が真実なのでしょうか?
 今、目の前で次々に起きている問題は、一体どうしたら解結するのでしょうか?
私たちは、実際のところ、新しい時代に向けて、どんな生き方をしていったらよいのでしょうか?
  新しい時代とは、本当のところどんな時代なのでしょうか?
  新しい時代に向けて、いったい何をすればよいのでしょうか?
  これから先、いったい何を信じて、何を頼っていけばよいのでしょうか?
  そして、この先、私たちはどうなるのでしょうか?

 もっとつっこんだ問いかけをするならば、

  私たちはいったい何のために生まれてきて、何のために生きているのでしょうか?
  私たちは今ここでいったい何をしているのでしょうか?
  私たちはどこからきてどこへいくのでしょうか?
  私たちはいったい誰なのでしょうか?
  人間というのはいったい何者なのでしょうか?
  そして、人間を創ったという「神」や「創造主」とは、本当はいったいどんな存在なのでしょうか?
  人生とは、現実とは、いったい何なのでしょうか?

 私自身は、この四年間というもの、朝から晩まで、寝ても覚めても、トイレの中でもこの問いかけが頭から離れませんでした。先の二冊でも書いたように、この間ずっと、片っ端から自分のノートに出てきたことを実践に移して、今まで出会わなかったようなことをたくさん体験していく中で、一つ一つこれらの問いに対する自分なりの答えを見つけていくことができましたが、同時に、なぜかそれだけでは納得のいかない自分がいることにも気づいていきました。
 そして、ある時点から、この問いかけに対するハッキリとした答えを出して皆さんに伝えるのが自分のライフワークであると直感し、自分だけでなく、自分以外の人達にも使えるように、分かるように、提供できるような形を求めるプロセスに入っていきました。
 それからというものは、今まで学んできたものや今まで手に入れたもの(人間関係、仕事、財産、評価、考え方等々)をすべて捨てる「決死の覚悟」(なぜ「決死の覚悟」が必要だったのか、ということについては後の章をご覧ください)をして、ハラをくくって、今の今までずっと、回りから何と言われようとも、人にどう見られようとも、私自身、何がどうなるのかわからないまま、前の本で触れた「自動書記ノート」の情報に基づいて、(今まで学んできた常識から見たら全く「非常識」「アベコベ」に見える)「自分自身の答え」に忠実に行動するという実験を今の今までやり続けてきました。
 そして、そのプロセスの中で、今まで触れることがなかった様々な貴重な情報と出合い、今までの人生では考えられないほどの様々な人達と出合い、様々な奇跡を次々に体験をすると同時に、自分自身の体験したことや、新たに出てきた矛盾をその都度、自分の中で整理統合して、さらに新しい実験をすすめるというプロセスを繰り返してきたのです。
 ここに至るまで、私自身が体験してきたことについては、人に聞かれたとしても、言葉では説明できず伝わらず、気違い扱いされたり、白い目で見られたり、相手にされなかったりと、言葉では語り切れない、それはそれは苦しい道のりの連続でした。
 と同時に、その中で、私の話を必要としている方々や、自分と同じような見方をしている方々、同じような考え方を研究している方々が数多くいらしたということが、私のしていることは価値のあるものなのだと、私を勇気づけてくれたのも事実です。そうでなければ、今ここまで、ずっと続けることはできなかったでしょう。

 今まで出版した二冊の本は、こういうプロセスの中で皆さんのもとにお届けすることができたものですが、それでもまだ、本人の中には、何かもの足りない、スッキリしないものが残っていました。そして、今ここまで、終わったようで終わっていない、見えたようで見えない、分かったようで分かっていない、まだ何かあるが見えない、という釈然としない感覚を持ちながら、新しい遊び方の実験を続けてきました。
 今思うと、実は、これで終わりではなくて、二冊目の本を出版して以来、今この瞬間まで私がやってきたこういうプロセスそのものが、それがいったい何なのかということを明確にして、皆さんに提供するための準備をするプロセスだったのです。
 ここでもまたまた、まだこんなことが残っていたのか、というような、思いもよらなかった様々な「困難」に見える出来事や、自分のしてきたことが「否定」されるように見える出来事に次々に出会うという体験をしていきました。それは、今までの自分からみたらとても耐えられない出来事の連続でもありました。終わったと思っていても、まだ、そういう「困難」に見える状況に飛び込んで、自分の今まで学んだことを総動員して自分の中の様々な葛藤や混乱を乗り越えていくという体験を重ねるレッスン(修行)を通して、それを一つ一つ整理統合する、最終段階の作業が待っていたのです。
 それは、大掃除を済ましたあとの、一見、綺麗に見える部屋の隅に残っているホコリを探しだして掃除するようなものでした。そのプロセスでは、終わったと思っていたのに終わっていなかったこと、勝手に終わらせただけだったことを何回も気づかされるということの連続でした。
 そして、今、大掃除が終わって気づいたのは、そのスッキリしないものの正体というのが、実は、これから少しずつお話ししていくような「人類(実は皆さん一人ひとり)の今後を左右する非常に非常に大切な情報」だったというわけです。

                           章

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