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元つ話 599 今の世でいう罪は罪ではない

2013-03-05 Tue : 長谷章宏語録 
魔釣りの源の神に気づかれずに、いや、気づかれても絶対に天国に戻れる方法が一つだけある。魔釣りの戒律に逆らうのでも、魔釣りの神を殺すのでもなく、魔釣りの戒律を越えた世界に移ってしまえばよいのである。魔釣りの戒律は元々何の力も持っていない。魔釣りの戒律に力を与えているのは、魔釣りの世をすべてだと思って、その世界から死ぬことを恐れている自分である。そういう生き様をしてきた集団が展開してきたのが、神話も含む人類の歴史であり、そのまま進めば、魔釣りの神もろ共、本当に人類滅亡が現実となる。実は、現代社会の源を知るということは、真釣りを思い出すことであり、魔釣りの神を倒しても天国はできないことに気づくことである。魔釣りの源を倒すのではなく、自ら内にあるアヤマ知、即ち、自らの囚われている魔釣りの響きをすべて消せば、元々持っていた真釣りの響きが復活し、魔釣りの支配の及ばない世界に移ることができる。その真釣りの響きを保ち続けていれば、必ずやって来る魔釣りの世の消滅と同時に、真釣りの天国に生き戻ることができる。真釣りに戻れば、魔釣りの神の戒律を素通りして、真釣りの掟に戻ることができる。真釣りの掟は生死時空を超えた絶対真理であり、この世でも生死の響きが消えるから、自らにとっては、恐れを使った魔釣りの脅しは全く意味をなさなくなる。つまり、真釣りの掟に戻れば魔釣りの掟は相対的戒律となり、自らに全く影響を及ぼさなくなるのである。真釣りの真コトに戻ることが、魔釣りの神を越える唯一の道なのである。

今の世でいう罪は罪ではない。罪そのものは実体ではなく、真コトを闇に葬った神が支配の道具として作った嘘に過ぎない。神が人を、人が人を罰する「裁き」という概念も幻である。罪悪感というのは、そういうものがあると信じている自らが作り出す幻想である。罪と罰の幻想に基づいたマボロシの世界が神から始まった人類の歴史であり、現代社会は、そのマボロシを究極まで実体化してしまった世界なのである。今となっては、自らが「被害」を受けて訴えないのは狂人であるかの如く、他人を裁くことに疑問を差し挟む余地はない世界となっている。神から主権を奪って民主主義を進めてきた現代社会にある逆さまの常識(宗教、科学、経済、道徳等)を信奉している限り、自らが自らの現実を創った神であるという自らの正体に気づけるはずもない。裁き合いの世界は永遠に止まることはなく、その究極の行動である戦争も永遠に終わることはない。そして、核兵器を握ることで、睨み合いをしたまま時が経ち、最後には、我慢の限界を超えて核のボタンを押す瞬間がくる。

心の葛藤が究極まで煮詰まれば、あなたの意思でその爆弾を止めることは絶対に出来ない。あなたが今自分だと思っている肉体は、命の器に過ぎず、今の世で学んだ「死の怖れ」は、嘘の響きが見せる幻である。形の世界は、心の世界の顕現であり、本当の実体は、心の世界にある。心が完全な暗闇であれば、それは即ち、あなたがすでに死んでいることを意味し、本当の真実=天地自然の掟が復活した瞬間、あなたは二度と生き返れない即死となる。自らの本体が、生死のない魂(霊)だと気づき、自らがすべての源であったことを認めない限り、死んでも苦しみから逃れることは出来ず、最後は自爆して果てる末路となる。現代社会は、逆さまの世界を究極まで形にした結果であることを覚えておくことである。これを否定するならば、それは、あなた自らが永遠の滅びを呼び込んだことに他ならない。あなたが自らの真釣り外しの責任をすべて引き受けない限り、あなたに救世主は来ない。

              【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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