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元つ話 642 「罪悪感」はあなたが創り出した作品に過ぎません

2013-04-17 Wed : 長谷章宏語録 
「愛」の本当の意味を知ることが天国を形にする早道

 「宇宙」が本来もっているものは「愛」です。「愛」というのは、無条件の奉仕なのです。その人のすべてを許すこと、その人のすべてを認めること、その人を自由にすることです。その人が何をしようと黙ってみているということです。「自分のしてほしくないことをした」「じぶんのしてもらいたいことをしてくれない」というのは、あなたの一方的な、単なる自分勝手です。自分のシナリオ通りに運ばないことを、相手の責任にしているだけです。そして、「相手の弱み」とか、「常識」を使って、いろいろな手段で相手をコントロールして、それを満たそうとするのです。「親子の愛情」も「男女の愛情」もすべて同じです。
 モノにしろ、フィーリングにしろ見返りを求める行動は、本来の「愛」ではありません。今まで人間が「愛」と言っていたものは、単なる「見返りを求める行動」に過ぎません。自分の中に無いもの(自分が自分を満たしていないもの、自分が欲しがっていて手に入っていないもの)をくれるのを求めているだけなのです。自分が与えたいものを一方的に与える(自分が与えることで相手が喜ぶことを期待する)行動です。「許す」ということは、拒否する自由も許すということです。
 「期待を満たしてくれない」「欲しいものをくれない」というのは、あなたが求めているものが手に入らないことを、あなた以外の責任にしている発言です。あなたが求めているものをくれなくても、あなたが与えたいものを受け取れなくても、それは相手の自由だということです。それをも許せるようになったとき、あなた自身も自由になるのです。自分だけが自由にして、相手を制限しようというのは、トラブルを創り出す最も大きな原因なのです。
 「愛」というのは、お互いに全く対等なGIVE&GIVEの関係なのです。宇宙の法則は「あなたが与えるものがあなたの受け取るもの(あなたが受け取るものは、あなたの与えたもの)」です。これを忠実に実行したときが、本当の「愛」なのです。
 「愛」はさめることも満たされないこともありません。すべてがみたされている状態が「愛」なのです。「本来の愛」ならば、永遠に続きます。「愛がさめる」というのは、「自分の求めているものをくれなくなったから、その人は必要なくなった」と言っているのと同じです。その時の愛は、はじめから「愛」ではなかったのです。「愛」という幻想の中にいただけです。
 「人を愛する」前に、まずは「自分を愛する」ことです。自分をすべて許してない人、自分をすべて認めてない人、自分を自由にしていない人は、自分以外を許したり、認めたり、自由にしたりすることはできません。あなたが持っている「罪悪感」をすべて手放してとき、それが「自分を愛している状態」です。「愛」の反対は、「憎しみ」ではなくて、「罪悪感」なのです。
 すべての感情は、「愛」と「罪悪感」の間にある感情を様々な形で表現しただけです。感情というのは、肉体を通して創りだすフィーリングのことです。「罪悪感」100パーセントというのは、あなたの存在をすべて否定すること、即ち、人間をやめるということです。自分をすべて否定したシナリオのドラマの結末は、「死」です。「愛」と「罪悪感」は、同居できません。あなたが自分の「罪悪感」を減らした分だけ、「愛」が増えるのです。あなたが自分をどのくらい愛しているかということは、人をどのくらい愛せるかということと同じことなのです。
 「宇宙」は「愛」です。「罪悪感」は、あなたが創り出した作品に過ぎません。本来は、「反対語」というものは存在しません。説明する必要はないのです。「宇宙」即ち「あなた」は愛そのものなのですから。それが感じられるようになったとき、あなたは完全に自由になったということです。
 「好き嫌い」は、結局、あなたの「愛」と「罪悪感」の分量によって決まるのです。すべてを許している人は、心地悪い感情は感じません。イライラもしませんし、ストレスも感じません。すべての人がやっているすべてのことを、単なるドラマとして楽しめます。あなたの目の前の人が、今何をしていて、誰と付き合っていて、その後どうなるか、というのは、あなたが口出しできるものではないのです。あなたが口出ししたくなるときは、あなたの中に「悪いこと」というのがある時です。「あいつがそれをすると自分の評価が下がる恐れがある」「あいつがそれをすると自分が心配することになる」だから「するな」「許さない」「して欲しくない」ということになるのです。
 たとえ、家族であっても、本来、あなた以外の人が何をしようと、その人の自由なのです。そして、あなたが人を制限した分だけ、あなたが持っている「罪悪感」の分だけ、あなた自身の行動も制限することになります。あなたの持っている「罪悪感」というのは、今まで「悪いことだからやってはならない」と教えられてきたものにあなたが同意しているだけのことです。それを無条件に受け入れる必要は無かったのです。あなたが「それを受け入れないと自分が危なくなる」と判断してそれを受け入れていただけです。
 あなたが、安全か危ないかを決めていた基準というのは、「自分が孤立するかどうか」というものです。あなたは、「自分だけが孤立することを恐れていた」だけなのです。生まれたときから、しつけや教育を通して、「正しい生き方」というのを教えられ、それから外れるとどうなるのかを教えられ、そうなるのは嫌だからそれをそのまま信じていただけです。すべて、あなたの想像上の可能性、想像上の出来事です。
 「罪悪感」というのは、社会という「大きな宗教」がつくりだした産物なのです。それは、「愛」の本当の意味に気づくことさえできないほど、強力な宗教だったのだということです。でも、一度「愛」を思い出したならば、「罪悪感」は何の力もありません。創り出されたものは、いつかは壊れるのです。初めから存在しているものは、永遠に存在し続けるのです。「愛は勝つ」は、まさにこのことを歌っていた歌だったのです。
 「愛」は自由です。あなたが「愛」だからこそ、「天国」「自由」「平和」「幸福」というフィーリングを創り出せるのです。すべては、「愛」の別名です。あなたの「愛」を形にすること、即ち、「自分自身の声に正直に生きる」ということが、最も早く天国を実現する方法なのです。

                        アキヒロ

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