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元つ話684 アメとムチの箱(動物園)の中の自由

2013-05-29 Wed : 長谷章宏語録 
人類の歴史の中で作り出された宗教や学問をどんなに信奉してもあなたの真実は永遠に闇の中である。あなたの本当の天国、真実の歴史はあなたの内にある。あなたの内にある分裂の響きを元に戻せば、あなたの本当の真実が見える。すべては一つであり、境界はどこにもない。そのすべてを分けた境界線は、あなたが引いた心の中の境界なのである。地球の上で、国境紛争を繰り返しても、本当の天国はできない。待っているのは滅亡である。

子宮の入口と出口は同じであり、精子(,)が外から入って、卵子(○)と出合って受精(⦿)して、赤ちゃんとして産まれ出る。元の大神の子宮の中でアタマを上にしていたら、逆子となって、難産になる。なぜ、人間の妊娠期間は十月十日なのか、陽暦で言えば、九ヶ月強である。人間より「下等」な牛馬は生まれてすぐ歩ける。ゾウリムシは、自らをコピーして増えていく。野菜や切花は土から離れても成長する。土に根を張っていれば、永遠の生である。植木鉢に土を入れて自然から切り離した花を観賞する。自然から隔離して自分の所に引っ張ってきて、自己満足する。あなたが水遣りを怠れば枯れる。「花の気持ち」を考えたらできないことである。しかし、自らの快楽を得ることしか頭にない人間は、自然や動物の保護を訴えながら、森林を切り開いて町を作り、動物園や植物園で当然の如く楽しみ、機械で作った遊園地で一時の天国を享受する。自然保護と経済発展が共存できると言う。しかし、自然は真釣りであり、経済発展は魔釣りである。真釣りと魔釣り、永遠の天国と永遠の滅びが共存などできるわけがない。それこそ、まったくの絵空事であり、空想の産物、机上の空論、神を畏れぬ大大暴挙である。自らの運命の真実を知らず、形の世界での快楽を捨てられずに、神や自然に媚びを売る。檻に入れるのが可哀相だからと、自然保護という名の詭弁の動物園で自然を保護するのだと主張する。「自然」は管理費も餌代も要らず、保護の啓蒙の経費も、管理官の給料も不要であるから、入園料を取る理由は本来はどこにもない。文明社会だけで通用する遊びに過ぎない。文明が入らない未開民族は、お金は要らず、天恵の自然物のリサイクルで暮らし、文明国なら違法である行為も自然の営みとして許されている。しかし、部族の掟は厳しく、最も自然の掟を体感している人間である。文明国と言われる国では、動物や他人は管理するが、自らが奴隷にされると反抗して大騒ぎする。しかし、要求するその自由が、誰かの都合で生死が左右されるアメとムチの箱(動物園)の中の自由だと気づかない。神を畏れる人間が、神の化身である万象万物を自らの都合で好き勝手に荒らし回って、わざわざ難しい問題を産み続け、難しい問題を解決できるほど優秀な人種であると誇る。自然と文明、どちらが先なのか、どちらが神に近いのか、どちらが自然の営みを壊さないか、わからないのがエリートである。わかっていてやっているなら大大罪であり、エリートの言いなりである庶民も同罪と言える。

              【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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