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元つ話705 違反の清算に関しては自己も他人も犠牲にはならない

2013-06-19 Wed : 長谷章宏語録 
あなたが何も恐れていないならば、あなたは何も強いられることはない。あなたの持っている恐れが、あなたを強いているのである。あなたには、死はない。あなたが死を恐れているならば、それは勘違いに基づく幻想である。自らが作った死を自らが恐れる独り芝居である。あなたがあなたを守るために誰かを殺そうと考えたなら、それは、正当防衛でも何でもなく、れっきとした、自分勝手な殺人である。勝手な幻想を作り、それを理由に、自分以外の命を奪おうと画策している悪魔である。天国に戻るのに、自己犠牲も、他己犠牲も必要ない。自らが違反したのであるから、自らのしたことを償うのは、自らのためである。本来は、「犠牲」という概念はない。もしあるなら、誰かが誰かの意思を無視していつでも命を奪えることになる。形で見れば、「死」を犠牲と言うこともできる。しかし、魂は生き通しであるから、本当の命は無くならない。自己犠牲は美しいというのはアヤマ知である。違反の清算に関しては自己も他人も犠牲にはならない。自らの違反の結果、善悪損得の目で見たら、形が損に見え、苦と感じるだけである。奪って楽した分を返すために苦となるのであるから、差し引き0である。自分が自分を犠牲にした結果の独演会である。

自己犠牲は美しく、利己主義は醜いのではない。天地の理法に従うならば、自分のためにすべてを為すことで、自動的に、他人のため、世のためになるのである。わざわざ、『他人のため』『社会のため』『人の役に立ちたい』と言うのは、他人のため、社会のため、というマヤカシに騙されているのである。自分が苦労せずに楽を得ようとしている者が仕組んだ巧妙な策略である。あなたが同じことを考えているならば、それを使うことになる。あなたに都合がいいからである。善悪のある世界では、自分のためは利己主義、他人のためは自己犠牲、という表現になる。しかし、実際は、どちらも自分のためである。従って、自分のためだけ考えるな、と言えば、他人のために考える必要もないことになる。『他人の気持ちを考えろ』は、依存の世界だけで有効な脅し、相手を殺す言論兵器である。他人のためにもなるが自分のためにもなるのではなく、すべて自分のためにしていることである。

あなたが誰かに期待する時、あなたは誰かに支配されていることになる。あなたは、誰かの世界を食べて暮らしている。あなたは、誰かの世界を生きていることになる。あなたは、その誰かがいなければ困るのである。あなたが期待しなければ、裏切られることはありえない。あなたの持っている期待が、あなたが感じている「裏切られる体験」の原因である。あなたが期待したことがその裏切りの原因である。天地の掟に従っているならば、「期待」という言葉は存在しない。あなたは思いのままに天国を体験できるからである。期待を満たしてもらおうと思っているならば、それは不可能なことである。あなたがあなたの期待を裏切っているのである。あなたが自らを殺した結果、あなたが自らで他人の奴隷となっているのにもかかわらず、『自由をよこせ』と主張している。辻褄の合わない戯言である。

            【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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