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元つ話742 無神論は自分が神であることを語る有神論

2013-07-26 Fri : 長谷章宏語録 
あなたが自らで自らを生かしているならば、神仏に祈るという行為はしない。神社に参詣して何かを祈願するという行為は、自らができないことを誰かにさせるのと同じである。その対象が神仏ならば、参拝(参詣)と呼び、人間ならば、依頼と呼ぶ。神仏も人間も、自らの心の内では同じ世界に共存し、神仏とか人間とかのイメージ映像の違いに過ぎない。神に祈っている、他人に頼んでいる、と分類しているだけである。どちらも、やっていることは同じである。有力政治家のご機嫌伺いをすることを『○○詣で』というが、それは何を意味しているのか。『神に祈れば天国に行ける』と決めているのはあなたであり、あなたがその神の神であることになる。あなたが『神に祈らなければ天国には行けない』と言っているならば、あなたは天国には行けない。なぜなら、あなたという神がそう言っているからである。宗教を信仰するならば、それは、その世界が箱の中であることを意味する。それは、あなたが作った箱であり、その中の「神」はあなたが作った神である。あなたが宗教を信仰するならば、この世の人間よりも力がある「見えない存在」に自分を預けたことになる。この世の宗教は、魔釣りの世の身欲を満たすための信仰であって、それをすればするほど魔釣りを呼び込むだけで、望みとは正反対の現実の実現を望んでいることになる。結局は、すべての現実は、言い換えれば、現代社会のシステムは、真中に真コトを持った「神」である自らが生み出した現実であるから、真釣り外した神同士の独演会に過ぎない。

ご利益祈願、加持祈祷、お祓い、お守り、オフダでは、本当の天国を実現することはできない。魔釣りの宗教を信仰すればするほど、真釣り外し続けることになるからである。無神論というのは『神はいない』という神が語る論理である。『自分以外の神はいない』つまり、自分が神であると言っているのであるから、神はいるのである。無神論は自分が神であることを語る有神論である。もし、自分は神ではない、と言うならば、神はいない、と言っている自分は神ではないことになる。神ではない者が、神がいるかいないかの議論をしている。神とはどんな存在か、の定義ができないならば、神がいるかいないかの議論はできない。議論ができるならば、自分の内に神がいることになるから、有神論である。結局は、有神論も無神論も神の有無について議論しているのであるから、有神論しかないのである。有神論ならば、神に依存していることになり、無神論ならば、「神」がなくてもすべてできると思っていることになる。「有神論」ならば神がいる。無神論ならば神はいるがそれを否定している自分にはすべてできない。有神論と無神論を議論している自分が神であるから、有神論しかない。有神論しかなければ、神しかいない。この世は神の世である。

             【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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