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元つ話823 死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う

2013-10-15 Tue : 長谷章宏語録 
『死者に冥福を祈る』という行為は、物理体をもった霊が、物理体を離れた霊よりも上位の霊界にいると思い込んでいることに起因する。実際には、物理界は、最も不自由な体験をする最下層霊界であるから、その実体はアベコベである。あの世から見た人間(箱に入った不自由な霊、死者)が、この世から見た霊(箱から出た自由な霊、生者)に戻るのがこの世で言う「死」である。あの世から見たら「誕生」であり、あの世で言えば、この世に産まれることが「死(私=利己主義、子=霊が親)」なのである。誕生と死、行きと帰りがアベコベとなる。どの視点から見るか、の違いであるが、真実を知るなら、立体の上下左右(平面の対立)ではなく、あの世とこの世という、肉体(箱)の出入りを伴う「立体の立体(立立体)」の行き来の話となる。逆さまの生き方をして、この世(箱、霊の器)とあの世(中身、霊の命)の関係が分からなくなった結果、本当の死の世界を聖なる世界、本当の生の世界を穢れた冥土と思い込んで、『死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う』という、よく考えてみればおかしなことが当たり前の如くできるのである。

『人間が墓参りをしてくれなければ自分は成仏しない』と言っている霊は、何ともおかしな霊である。それは、人間界でのビジネスの取り引きと同じ論理であり、非物理霊(大人)が物理霊(子ども)相手に我がままを言っている幼稚な戯れに過ぎないが、物理体の霊に自らの欲望を満たさせるというのは、動物霊以下の行為である。慈悲、罪悪感などをもっていると、このような霊につけこまれ、自らの霊力を自らで殺すことになる。霊界は自己責任の世界である。操られたとしても、それは、自らの取り違いのゆえであり、誰のせいでもありえない。霊能者に霊を祓ってもらっても、それは、その霊能者と憑依霊の戦いであって、お祓いを要求した本人には意味がない。人間界で例えれば、強い人間を連れてきて、自分をいじめる者を排除させようとしているのと同じであり、力の無い者が力のある者の自尊心を操って、楽して危険を回避しようとする茶番である。それは、自分自身の力で戦ったことにはならない。誰も助けてくれなければ、自分の力で排除することになるが、自分の力で戦ったことがない者は、為す術もなく殺される。誰かに自分の代わりに何かを訓練させても、それは、その誰かの能力が向上するだけであって、自分の能力は向上できない。誰かに毒見をさせたとしても、自分の毒死の危険は去ってはいない。自らが自らですべてをやらない限りは、依存していたものがすべて消えたときに、何もできなくなる。

        【実践・日本真道】 長谷章宏著より
                          
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